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【ミニストーリー】
寛仁元年(1020)、平安時代中期―冬・宇治の地―

参議、兼 右大弁の藤原定頼は、朝の冷たい空気を感じ、目を覚ました。

定頼は二十六歳。大納言・藤原公任の嫡男である。白く豊かな頬に、まどろみ気味の切れ長の目から、濡れたような黒い瞳がのぞく。

定頼は片肘をついて半身を起こし、夜具としてかけていた袿を肩に軽く引っ掛けた。

昨夜は激務から逃げ出すように宇治の別業に来て、そのまま倒れるように眠りに就いた。女と同衾しなかったので、久しぶりに深く眠る事ができた。


清々しい。

定頼は家司や女房達に命じて、格子を上げさせた。

冬の空気が冷たいため、わずかに温度の高い川面から霧が立っている。乳白色の膜を通して川岸の枯れ草や青い水面がぼんやりと見える。

宇治川の川幅は五十尺(約五十メートル)位だろうか・・・激しく流れ、泡立っている。定頼は水の形の変化を半刻ほど眺めていた。


都では才色兼備の女房達と戯れて気を紛らわせる事ができたが、ここでは肩の力を抜いて、自分の気持ちとありのまま向かい合う事ができた。

「腐ってるな・・・」

わかってる、ヤケになっても仕方がない。悲しむべきは、大殿(道長)の後に生まれてしまった、ただそれだけのこと。

―いくら由緒正しい血筋に生まれても、文芸に秀でても、いくら素晴らしい仕事をしても、決して大殿の御子達の上に行く事はかなわない、それがやるせない・・・。

大納言公任の嫡男に生まれ、人よりは恵まれた境遇にはいるが、一生、摂政・関白になる事はないんだよなぁ・・。

父上は、素晴らしい作品を後世に残す事が、政界での栄達を手に入れるより意味がある、と思い切っておられるようだけれども・・・

定頼はふと目を伏せた。


まろにはまだまだそこまでの境地には達する事ができない。

部屋の中に静かな光が入ってきたのに気づき、定頼は顔を上げた。

おや、ところどころ、霧が晴れてきた・・。お、霧の間から民人が氷魚を取るための網代木が見えてきた。鄙びた風情がなんとも好ましい。

「まるで絵のようだな・・・」

定頼は、ふところから懐紙を取り出して、なにやらさらさらと書いた。

朝ぼらけ 宇治の川霧 たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木

そして、その紙をためつすがめつして、微笑んだ。

「うん、我ながら一幅の絵のような宇治川の雰囲気を上手く切り取っている。」

定頼は、なにやら公任の夢を共にみてもいいような気がしてきた。そして懐紙を箱に入れ、再び夜具をかぶり、やすらかな寝息を立てて眠り始めた。

(終)

【ミニストーリー】

長和五年(1016)、平安時代中期。
二月に三条天皇から後一条天皇への御代がわりがあった。
三条院は退位の条件として、小一条流を外戚とする第一皇子・敦明親王を東宮にするよう迫ったため、藤原道長はしぶしぶ条件を呑んだ。
しかし、道長は外孫の敦良親王を東宮にさせる策謀を練っており、まだ世情は騒然としていた。

そんな折、かつて道長と覇権争いをして敗れた藤原伊周の遺児・中将道雅が三条院の皇女であり、前斎宮であった当子内親王と密かに通じているという噂が立った。
斎宮の父である三条院は、激怒し、道雅を手引きした内親王の乳母を解任し、内親王に監視役を付けて、道雅が通えないようにした。

二十五歳の道雅は、こんな嵐の様な情勢の中、自邸で懊悩に身を焦がしていた。

幼い頃、祖父の摂政・藤原道隆に溺愛された愛らしい容貌は、大人になった今、そこはかとない憂愁を加えてえもいわれぬ色気を醸し出している。
庭の紅葉と映える様な艶のある臙脂を表に、山吹色を裏にした袿を軽く羽織り、青い指貫を履いて、脇息に倒れ掛かるようにしてため息をついた。

「宮様・・・お会いしたい・・・。」

あれは、二月ほど前、長月(九月)の頃だった・・・まろが御代代りの為に帰京された当子内親王様の前駆を勤めた時に、ちらと宮様の御声をお聞きして以来、まろの心は宮様に捉えられてしまった。
それから、遠い知り合いだった宮様の乳母を口説いて、何度も文を取り次いでもらった。

宮様はずっと無視されておられたが、ある日まろの文の端に、伊勢物語の歌「ゆめかうつつか」をすさび書きされておられた。それを密かに乳母がまろの所に持ってきてくれた。

まろはそれを拝見してから、自分を抑えられなくなり、乳母に無理を言って、宮の所に手引きをしてもらった。
乳母も政治的に難しい時期というのは重々承知していたと思うのだが、まろの熱意と、宮様がまろの事を憎からず思っている様子を感じ、宮の御幸せになるならば・・・と決意してくれたと言っていた。

御寝みになっておられる御帳台の傍により、ずっと想っていた事を宮に申し上げた。宮は、ちょっと驚いた様な顔をされたが、すぐに困ったように、優しく笑い、まろの愛を受け入れてくださった。そして、まろのお祖母様の御先祖である在原業平殿と斎宮・やす子内親王達がそうしたように、まろ達は溶け合った。


-しかし、文使いの不注意から、まろ達の逢瀬が漏れてしまった。
父院である三条院は、激怒され、乳母に暇をやり、宮を閉じ込めてしまった。まろの所に来た乳母は、宮様の御為と思ってしたことが、結局宮様を苦しめる結果を招いてしまった、と自分を責めて泣いていた。

もとよりまろは、中将になったばかりの身。宮様を降嫁していただける身分ではない。
だが、あの優しい笑顔があきらめられないのだ・・・!


まろに、わが祖先である九条殿(藤原師輔)ほどの力があれば良かったのか?
亡きわが父が摂政(藤原道長)ほどの力を持っていたら、良かったのか?そうしたら、かつて院が摂政の嫡男・頼通殿に自ら女宮を降嫁することを申しだされた時の様に、まろとの仲も認めていただけたのか?

・・・・・・いや、いまさら悔やんでも詮無い事。

今はただ、宮様に直接お会いしたい・・・!あのやわらかい御手を握り締めて・・・そして、直接お別れをお告げしたい。
こんな、他人に引き裂かれた状態のまま終わるのだけはいやだ!

「いまはただ 思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで 言ふよしもがな」


―結局、通雅の思いは届かず、当子内親王は尼になり、二十三歳の若い命を終わらせた。

(終)

2007.11.17 葉つき みかん

<ミニストーリー>

藤原道長の栄華の花が咲き初めた平安中期。

今上(後一条)天皇の母・太皇太后彰子の殿舎の一角―内侍・小式部の局―で、小式部は同僚の越後の弁に熱弁を振るっていました。

小式部は25歳。母の和泉式部譲りの華やかな顔立ちを紅潮させている。
「全く、もう失礼しちゃうわ!宰相(藤原定頼)様ったら!人前で私の事を侮辱して!」

小式部よりは2、3歳年下の越後の弁は、知的な眉を曇らせながら、小式部の怒りを聴いている。最近母の紫式部が亡くなって落ち込んでいたようだったが、時折笑顔も見せるようになった。

小式部の怒りは続く。
「わざわざ私の局に来て、『丹後に使者はおやりになりましたか、使者はお帰りになりましたか、さぞ心配でしょう』なんておっしゃるのよ!まるで歌合に出す歌を私が母に代作してもらっているかのように!
だから私は宰相様の袖を掴んで、即興で歌を詠んでやったわ。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず天の橋立

それを聞いて宰相様は袖を振り切って逃げていかれたの。あーせいせいした!」

それまで黙って小式部の話を聞いていた越後の弁は、静かに口を開いた。
「でも・・・考えようによっては、人前で代作の疑いを晴らす事が出来たわよね?」

小式部は、いつも穏やかな越後の弁の思わぬ反応に戸惑った。

越後の弁は続けた。
「実は・・小式部が傷つくと思って言えなかったけれど、内裏中で、小式部の歌が上手いのは、お母様の和泉式部様が代作されているという噂が広まっていたの。」

小式部の誇り高い顔がますます赤く染まった。
「なっ・・・!!」

「もちろん、私は小式部と常に接して、その才気と御前で詠まれる歌をいつも見ているからそんな噂は根も葉もないことだと思っている。」

小式部の瞳から大粒の涙がこぼれ出してきた。
「何で・・何で私はお母様程の歌才がないと思われているの・・・。同じく偉大な親の子供である越後の弁も、宰相様にもそんな疑いはかかってはいないのに・・・。」

越後の弁の瞳からも涙がにじんできた。
「素敵過ぎるのよ・・・。小式部が・・。皆、妬ましいのよ・・。」
「教通様という素晴らしい御方の寵を受けながら、どんな貴公子も魅了する小式部が・・。」
「私も小式部が大好きだから、宰相様があの事件の後から上の空になってしまう気持ちも分かるし、責められない・・。」

小式部は何かに気づいたように濃い睫を振るわせた。
「弁・・・。」

小式部は越後の弁のつややかな黒髪を優しく撫でた。
「ごめんね・・。私は弁の悲しさを気づいてあげられなかった。」
「弁はお母様も亡くなって、自立して生きているよね・・。それに引き換え、母上は丹後にいるけれども、元気で、私は母上に甘えている。だから周囲に母上に代作させていると見えてしまうのよね。」

越後の弁の嗚咽が大きくなった。
「大丈夫よ。私は教通様一筋。
弁の良人(いいひと)の宰相様を取るなんて事、ありえないわ。
お母様が亡くなられてから唯一の心の支えの御方ですものね。
そんな大事な人の悪口を言ってごめんね・・。」

越後の弁は涙の下からひと言。
「いいのよ・・・宰相様のひと言多いのはお父様の四条大納言(公任)様譲りだから・・・。」

それを聞き、小式部は思わず噴出してしまった。
越後の弁も小式部の笑い声につられて笑い出した。
小式部は自分の懐紙で弁の涙を拭きながら、言った。

「さ、宮様の御前へ行きましょう!」

越後の弁はうなずき、唐衣を羽織り、二人は立ち上がった。

(終わり)

小式部内侍


小倉百人一首第六十番 小式部内侍

「和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、
都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、
定頼卿、局のかたに詣で来て、
『歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、
使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん』など、
たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる 」

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず天の橋立

『金葉集・雑上・550』

【通釈】

「(小式部の母の)和泉式部が(夫の)藤原保昌に付いて丹後国(現在の京都府北部)にいました時、都で歌合がありました時に、小式部内侍が参加歌人に選ばれました所、
定頼卿が、(小式部の)局にやって来て、
『歌はどのようになさいますか、丹後へ使者はやりましたか、
使者は戻ってきませんか、どれほど心細くお思いでしょう』とか、
からかってから立ち上がったのを、(小式部が)引き留めて詠みました。」

大江山を越え、生野を経て行く道が余りに遠いので、まだ丹後にある天橋立も踏んでもいませんし、丹後にいる母からの手紙を見てもおりません。

【語句】

*「和泉式部・・(中略)・・丹後国に侍りける頃」:寛仁四年(1020)~治安二年(1023)の間。小式部は西暦997年頃の生まれと推測されるので、大体小式部24歳~27歳の頃のいつか。

*「大江山(大枝山)」:丹波国桑田郡(京都府)にある山。山城国と丹波国の国境にあたる。現在の京都市西京区の中にある。

*「いく野」:「生野(京都府福知山市)」と「行く」との掛詞。
※和泉式部が暮らしていた丹後国へは、大江山と生野を経て行く。

*「ふみ」:「踏み」と「文(ふみ)」との掛詞。
※ここで、小式部は丹後に行った事もなければ、母からの手紙を見てもいない、母とは交渉を持っていない事を強調しています。

*「踏み」は後に出てくる「橋」の縁語。

*「天の橋立」:丹後国与謝郡(京都府宮津市)にある景勝。日本三景の一つ。

※第四句と第五句は倒置法。

【解説】
定頼のからかいに対して、たんかを切ったような威勢のいい歌ですね。

当時、小式部の歌が優れているのは、有名な歌人である母・和泉式部が代作しているから、という噂がありました。
それを確かめるためか、単に気になる女房・小式部にちょっかいをかけるためかは分かりませんが、ちょっと一言多い父君・公任氏のDNAを受け継ぐ、定頼くん(当時、参議 兼 右大弁。当時25歳位)がわざわざ局に来て、上のような戯れの言葉を小式部にかけました。

おそらく同僚の女房達や他の殿上人達もその場にいたでしょう、小式部は衆目の中で馬鹿にされては私の面目に関わる!と当時の女性にしては思い切りがよく、御簾から出て、定頼の袖をむんずと掴んで、即興で素晴らしい歌を詠んだのでしょう。

上の解説でお分かりの通り、この歌は、掛詞、縁語、倒置法という和歌の技巧を巧みに織り込んだ秀歌です。
また、地名を三つも織り込んでいながら、流れが流麗でうるさい印象を受けません。

その上、意味も二重にかけられていて、「私の歌は正真正銘の自作よ!母に代作してもらっているわけではないわ!」という自分の主張もしっかり盛り込んでいます。

清々しくなるほどの心地よい歌です。

『袋草子』『古今著聞集』では、この後の定頼の反応として、直衣の袖を振り払って逃げたとの事です。定頼はこの逸話のおかげでちょっとした道化役を担っています。

ただ、定頼の伝記での説明でも書いたように、小式部がやり込めた相手が高名な歌人の定頼だからこそ、話も広まって、小式部にかけられた疑念が広く晴らされたという事もありますし、陰でこそこそ言うだけじゃなくて、代作の疑惑を当人に晴らす機会を与えたという意味でも定頼さんの行動は評価されるべきだと思います。


【略歴】
<基本データ>
*平安時代中期の女官・歌人 *生没年:長徳二年(996)の翌年頃?~万寿二年(1025) 享年28歳位? *父:和泉守・橘道貞 *母:和泉式部 *恋人:堀河右大臣・頼宗、二条関白・教通、藤原公成、藤原永範(?) *友達(管理人設定。『宇治拾遺物語』では恋人との事。):四条中納言・藤原定頼 *子:静円法師(父:教通)、頼忍阿闍梨(父:公成)、娘(?)
*勅撰集4首入集。 *女房三十六歌仙 *百人一首

詳しい伝記はこちらをクリック。
参考:千人万首「小式部内侍」、平安時代史事典「小式部内侍」、
『袋草子』、『古今著聞集』、『宇治拾遺物語』


線画:コピック0.05ミリ 色塗り:Photoshop Elements,Paintgraphic2  単の素材:月宿海渡時船
かさねの色目 小式部:裏山吹 定頼:柳

2007.6.17 葉つき みかん

<ミニストーリー>
平安時代中期・寛仁元(一○一八)年、八月― 

太皇太后・彰子様の御所の廊下を赤染衛門は歩いていた。
六十代近いと言ってもまだ若々しい足取りに、知的な光を宿らせた瞳。
流石に髪は白髪が相当混じっているが、まだみすぼらしく抜け落ちてはいない。

赤染衛門は、六年前に夫の学者・大江匡衡に先立たれていた。夫をなくしてしばらくは宮仕えにも出る気力がなかったが、衛門は彰子の母・倫子が裳儀を迎える前から仕えていた古参女房。彼女がいなくては御所の仕事が回らないと喪が明けるのを待ち兼ねたように、倫子・彰子親子からお呼びがかかった。

赤染衛門は、式部卿宮・敦康親王とすれ違った。
衛門の深い茶色の瞳は、二十歳の若々しい式部卿宮の頬を捉え、すぐに伏せられた。

式部卿宮は衛門を気にも留めずに、母代である太皇太后・彰子様に、敦良親王の立太子の御祝いを申し上げるために寝殿に向かっていった。
式部卿宮は一条院と故中宮定子様との第一皇子であるが、一条院が亡くなる時、外戚の力が弱いということで、藤原道長の外孫で異母弟である敦成親王が皇太子の座に着いた。
三条院が譲位し、敦成親王が後一条天皇として即位するのに従い、三条天皇と皇后の第一皇子・敦明親王が皇太子になった。しかし敦明親王は先日、皇太子の地位を辞退し、それに伴って一条天皇と彰子との次男である敦良親王(後朱雀天皇)が皇太子の地位に就いた。―彰子太皇太后が式部卿宮を皇太子に推したにも関わらず。

衛門はため息をついた。
一条院の死去の時と今回と、二回も立太子を阻まれた式部卿宮様は、やる瀬ない気持ちを、言葉ではなく視線で太皇太后様にぶつけられるのであろう。太皇太后様はお優しく理を重んじられる御方だから、式部卿宮様の甘えにも似た感情をまともにお受け止めになるに違いない。
そして、式部卿宮様は太皇太后様から、故院(一条天皇)の遺志に反して式部卿宮様を立太子する事ができなかった旨の、侘びの言葉をもらうことでせめてもの慰めとするのであろう。

式部卿宮の後姿を目で追いながら、衛門は過去を思い出していた。
(うりふたつだ・・・。昔、妹の所に通ってきた中関白様と。)

今から四十年程前、中関白・藤原道隆様―式部卿宮の祖父―が少将だった頃、私の妹の所に度々通ってこられていた。
道隆様は絵の中から抜け出てきたような・・・いや、光が集まってそのまま人間となったようないでたちで、妹の側の縁に座って、笛を吹いていた。

私はその頃から五年ほど前に、既に夫・大江匡衡と結婚して、同時に左大臣・源雅信様の御長女・倫子様の所へ宮仕えに出ていたので、そんな道隆様の御様子を拝見するのはまれにしかなかった。

たまたま私が里下がりをしている時、道隆様から「今夜来る」という文が妹の所に来た。私も心なしかうきうきして道隆様の訪れを待っていた。しかし、待てども待てども彼は来ない。月が空の中天を過ぎ、西に傾きかけてきた頃、妹は耐えられずに袖を顔に当てて突っ伏してしまった。

年の離れた妹が身も世もなく嘆き悲しむ様子を見て、私は道隆様に対してふつふつと怒りが湧き上がってきた。
この辛さを訴えなければならない。
・・・・でも、率直に訴えて彼を怒らせてしまったら、もう二度と彼はこちらに寄り付かず、妹はますます悲しむであろう。

そこはかとなく女らしさを漂わせ、かつ恨みを訴えるような歌を送らなくては・・・

「やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな」

妹は歌を聞いて、顔を上げた。涙で頬が濡れている。
衛門は妹に話しかけた。
「どう?これを送っては。」

妹は信頼をしきった目で、うなずいた。


その次の夜、すまなさそうに道隆様は現れたけれど、通いは間遠になり、結局はこなくなってしまった。
私は、余計な歌を詠んだからかと自分を責めていたが、妹は、「いいのよ・・・きっと御縁がなかったの。」と気丈に微笑んでいた。

結局、道隆様が北の方に選んだのは、高内侍。彼女の腹から産まれた中宮定子様が式部卿宮様をご出産なされたのだ。
―高内侍は道隆様の北の方になり、夫が関白、娘が中宮・息子が内大臣になるというこの上もない幸せを手に入れ、道隆様の死後には息子達が配流されるというこの上もない辛さを経験して、命を燃やしつくすように逝ってしまった。


もし妹が道隆様の北の方になっていたら、高内侍の地位にいたのは妹だったのかもしれない。・・・そして私は太皇太后様の元に女房づとめはできていなかったでしょう。



衛門は庭を見た。橘の葉は青々と繁り、池は満々と水をたたえ、遣り水はとめどなく流れ、涼を感じさせる。

・・・私は今、ここで充実感を持って宮仕えをしている。倫子様という素晴らしい御方に私を理解していただき、信頼していただき、彰子様付きの女房としていただいた。


あの夜、道隆様は来てくださらなくてよかったのかもしれない。人の人生はどう変わるか分からないもの・・・。


私も『六国史』の後を継ぎ、この国に暮らす人々の歴史を書いてみたい。波乱万丈な運命に弄ばれ、それでも一生懸命生き抜く人々の姿を。・・・・今までの様に「真名(=漢字・漢文)」ではなく、私たち女性が普段使い慣れている、「仮名」で・・・。

出来るかしら、私に・・。

衛門の目に強い光が宿った。

いいえ、書いてみせる。

同僚の紫式部も源氏の物語の中で、「日本紀はただ、歴史の表面だけをなぞっている様なものだ、物語こそが、人間の真実を描けるのだ」と言っていたわ。
夫が遺していったいろんな方の日記を読もう。
そして、私にはたくさん知り合いがいる。彼らを通してこちらの宮以外の動向は分かるわ。


やってみよう・・・私の命の続く限り。
あなた・・・極楽で見ていてくださいね。

衛門は、匡衡が自分の側で励ますように微笑んでいるような気がした。

(終)

2008.10.15  葉つき みかん

【ミニストーリー】
~あまりに有名な場面、書くまでもないとは思いますが、私なりにコミカルに料理してみようと思います。

「まだ、いらっしゃらないの・・・?」

天暦九年(955)、平安時代中期、京の都―
中流貴族の藤原倫寧邸の中の君(次女)は、寝返りをうちながら新婚の夫・権門の三男である藤原兼家を待ちわびていた。

中の君はただいま花も恥らう二十歳、白く艶のある肌に、うっすらと紅が入り、切れ長の黒目がちの目が憂いを帯びている。全くくせのない黒髪が絹糸の様に背中にうちかかり、うねっている。そのつややかな漆黒の色は、中の君が自分で染めて仕立てた二藍の袿の色と対照をなしている。

「去年の今頃は、公務が終わったらすぐに訪れて下さったのに・・・」

中の君はまた一つ寝返りを打ち、ため息をついた。
(あぁ!結婚生活って私の思い描いていた事と全然違う!)
(幼い頃から美しい、賢い娘と言われ、受領の娘ではあるけれど、五歳年上の権門の御曹司の北の方の一人となり、その人と愛し愛され、父上と母上のように物語の様に幸せな生涯を歩むと信じていたのに・・・)

「現実は子供を産んだとたんに、あの人は新しい女に浮気をしていらっしゃる。」

(あの人には時姫様という北の方様がいらっしゃるけれど、それは仕方がないわ・・・。だって、あの方は私よりも前にあの方の妻となられたのだもの。・・でも、でもっ!)

中の君は突然起き上がった。長い髪がふわりと揺れた。
(私から、あの方の愛情を奪う町小路女は許せない!)

母親のイライラを察してか、隣の部屋に寝かされていた幼児が、火の付いた様に泣き出した。

(宮家の血筋かどうか知らないけれど、私より容姿も知性も劣っている事は確かよ!)
「今日もあの方は町小路の女のもとへ行かれているのかしら・・・」

中の君は空を仰いだ。

と、牛車の音、それに続いて、ほとほとと戸を叩く音がした。
「おはします、おはします」

中の君の顔が輝いた。(あの人だわ!)
が、すぐに顔を引き締めて、傍らの侍女に言った。

「開けないで。」
侍女は怪訝な顔をして、中の君を見た。

中の君は前をまっすぐ向いて、侍女の無言の非難を無視した。
(このまま、ほいほいとあの方の思う通りにしたら、来さえすれば喜んで受け入れる女だ、と軽く思われてしまうわ。あの人も、いとしい人に待たされたら、どれだけ辛いかを思い知ればよろしいのだわ!)

一方の兼家。十月の寒空の中、門が開けられるのを待っている。
まさに二十五歳の男盛り。しっかりとした骨格に、頭の回転の速さと茶目っ気を表すきらきらとした目。口角はいつでも笑っているようにかすかに上がっている。体躯は堂々として、体の中からエネルギーを放っているようである。

「まだ開けぬのか・・・」

「よい!そちらがそのつもりなら。町の小路のもとへ遣れ。」

兼家を乗せた牛車は倫寧邸から遠ざかっていった。

その音を聞いた中の君は、侍女を呼び出すと言った。
「隆弘に、殿の後を付いていき、入られた家を突き止めるよう、言って!」

翌日―

「殿は、町小路の女の家に入られたそうです」
侍女の報告を聞く中の君は肩を落とした。

「ああ・・・やはり・・・」
(このまま意地を張り通していれば、あの方は本当にこちらに来なくなってしまうのではないだろうか・・ここで何か働きかけをしなくては・・・)

脇息に体を預ける中の君は、ふと自分の狼狽がおかしくなり、自嘲的に笑った。見事な黒髪が揺れた。
(あんな人なのに、私はあの人なしでは生きていけない。あの人の笑顔を見ないと、安らかに眠れない。あの人の冗談を聞かないと、心の底から笑えない。・・・あの人は私なしでも人生を楽しめると言うのに・・・)

中の君は、気持ちが移ろうと、菊の色が移ろうという事をかけて、枯れかけた菊に歌を結びつけて、兼家に送った。

嘆きつつ 一人寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る
(あなたのおいでもなく寝返りを打ち続けて嘆きながら一人寝をする夜の明けるまでが、どんなに辛く長く感じられるものかご存知でしょうか。いやいや、門の戸を開けるのさえ待ちきれず、痺れを切らしてお帰りになるあなたでは、おわかりにならないでしょうね)

自邸で袿、指貫でくつろいでいた兼家は、その文を受け取り、紙を勢いよく広げた。
そして、中の君のいじらしさに、目を細めた。

(町小路の女との事を怒っているのだな・・・。全く真剣になっちゃって・・・。愛人の一人ではあるまいし、北の方なんだから、どっしり構えていればいいのに・・。)

突然兼家は筆を取り出した。
(でもすねるお前もかわいいよ♪それだけまろを愛してるって事じゃないか)
そしてさらさらと中の君への返歌をしたためた。

「夜が明けるまで、いや門を開けてもらえるまで、戸を叩いて待って見ようと思ったのだが、急ぎの召使が来合わせたので。あなたの言い分はまことにもっともだよ。

げにやげに冬の夜ならぬ 真木の戸も おそくあくるは わびしかりけり
(なるほど、仰せごもっともごもっとも。冬の夜はなかなか明けず夜明けが待ち遠しくつらいものですが、いやいや冬の夜だけではありませんよ。真木の門の戸もなかなか開けてもらえないのは辛いものだと思い知りましたよ。あなたの気持ちよっくわかりましたとも)

この文を読んだ中の君の目が釣りあがった。文を渡した侍女は、またいつもの癇癪が来るとばかりに肩をすくめた。
「げにやげに~?なんかおどけた感じの言い草。冬の夜と、戸があくのをかけているらしいけれど・・・、なんてお粗末な歌。時間をかけないで作ったの、丸わかりだわ!」

「私は冗談であの人に歌を送った訳ではないのに~!もう!あの人は女心が全然わかってらっしゃらない!」

げに男女の仲とは不思議なものなり。
(終)

2007.2.5. 葉つき みかん

<ミニストーリー>

平安時代中期、長徳四年(998)陸奥の国府で―

「何だって?守殿が亡くなられた?」

源重之は、たったいま従者から聞いた報告が信じられなかった。
重之の上司で、陸奥守である藤原実方殿はまだ四十才。そして歌を詠む才能に溢れた名門出身の貴公子。

「そんな御方がこんな辺境で、生を終えたと・・・?」
重之は思わずうめいていた。

「はい・・・。落馬をなされて、打ち所が悪かったらしく、その場で息をお引き取りなされました。」
従者は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら告げた。

重之は頭が真っ白になった。そして、よろよろと歩を進め、がくっと膝をついた。重之は、白髪でごま塩となっている頭を抱え、目から、ぼろぼろと涙をこぼした。

「なぜ・・・この老いぼれを先に召されなんだか。あの方にはもっと明るい未来が待っていたものを・・・。」

重之は目を閉じ、実方とはじめてあった日の事を思い出していた。


あれは四年ほど前のこと。
重之は、長年仕えていた藤原済時から、呼び出された。

済時は、ただいま大納言。父・藤原師尹(もろただ)は藤原忠平の五男。その師尹が始祖となり、摂関家の嫡流から別れた小一条家の当主である。
長女の(女+成)子(すけこ)を現在の東宮である居貞親王の妃にしている。

(女+成)子(すけこ)殿と東宮の御仲はむつまじく、第一皇子の敦明親王を初めとして、たくさんの皇子に恵まれている。済時は、それらの皇子が万が一即位したなら、帝の外祖父にもなる可能性があった。
また、済時は、現在の関白である藤原道隆と酒を通じて、親しい交わりを結んでいる。

重之は、済時殿のお人柄を慕うのと同時に、政界での引き立てを期待して、臣従の証として、名簿を提出していた。

その済時殿から、重之は呼び出された。

済時殿はいつものように明るい笑顔で、大音声を発した。
「甥・実方の道案内をお願いしたい。」

重之は神妙に下を向いていたが、済時殿の真意を測りかね、黙っていた。

すると済時殿は続けた。

「つまり・・・、今度陸奥守になる実方について行って、折りに触れて陸奥の政治状況を説明してほしいのだ。そなたは父君の代から陸奥に暮らし、かの地の事情に通じておるからな。」

重之は少し考え、より深く頭を下げた。

「は・・・誠に身に余る仰せ。誠心誠意勤めさせていただきまする。」

済時殿はぱっと顔を輝かせた。
「そうか、頼まれてくれるか!実方は少し乱暴者で軽薄そうに見えるが、根はいい子なのじゃ。そなたと同じで和歌も好んでおる。きっと話もあうであろう。」

「はっ・・・。」

平身低頭して済時殿の屋敷から退出した重之は、牛車の中で、つらつら実方の評判を思い出していた。

実方殿は 済時殿の兄上・藤原定時殿と源雅信の姫君との間に生まれた御方。若い頃に父君を亡くされたので、済時様が猶子となされていらっしゃる。
お若い頃から都中の注目を集める貴公子で、歌の才で円融院、花山院にかわいがられた御方だ。確かに、歌は超絶的にお上手だ。「さしもぐさ」の歌を拝見すると、現なのか夢の中なのか分からないような不思議な感覚になる。しかしながら恋愛遍歴は奔放で、清少納言、小大君と浮名は絶えない。

今回、実方殿が陸奥守にされたのは、殿上間で、藤原行成殿の冠を叩き落したからという噂を聞いているが、本当なのだろうか。
それが本当だとしたら・・・。私にそんな御方の道案内が勤まるだろうか。


重之は胸を不安に震わせながら実方邸の門を叩き、従者に実方に取り次ぐように伝えた。


寝殿に向かうと、若く美しい男性が畳の上に座っていた。年のころは35歳前後。白くふっくらとした頬に、癇の強そうな強く光を放つ黒い瞳。緑色の狩衣を形良く着こなし、片膝を立て、脇息に寄りかかっている。

重之は自分の名を名乗った。実方は重之に座るように言った為、重之は座り、頭を軽く下げた。

「よい。頭を上げよ。」

重之は目を上げた。すると、実方の黒い目と目がばっちりと合い、その光の強さに恥じらい、再び視線を落としてしまった。

頭の上から明るい笑い声が聞こえた。笑い方は済時様と同じだ、と重之はぼんやり考えていた。
「よいよ。そのままで。まろと目を合わせたものはいつもすぐ下を向いてしまう。かまわぬ。まろの目の光に耐えられるのはあの清少納言位だから、気にはせんよ。」

「は・・・はぁ。すみません。余りの中将殿の美しさに目が驚いてしまって。」
実方は照れくさそうな、それでいてちょっとからかい気味の目をした。
「女子に言われるのは嬉しいが、年かさのおのこに言われるのはちと複雑な気がするな。」
「も、申し訳ございません・・・。」

重之は実方の気を損ねたものと誤解し、ますます身を低くした。

「まぁ、そう体まで低くせんでもよい。若い頃からそなたの歌の才は響き渡っておるので、一度会ってみたいと思っていたのじゃ。それに、叔父上からそなたの人柄は聞いておるよ。・・・かの地の事情に通じておることも。」

重之は実方が急に声を潜めたので、視線を上げた。

実方は目を細めて、重之に告げた。
「主上はまろに内々にかの地の豪族の勢力分布と金などの資源の所在を調べるようにお頼みになったのだ。それらを正確に把握するためには、そなたの助力なしでは果たせない。」

「は、そ・それでは殿上間での狼藉が原因の左遷ではないので・・。」

実方は大音声で笑った。
「やはりそういう噂が広まっておるのか!周りの者にはそう思わせておけばいいさ。主上はまろの体力と気力とを見込んでこの職に任命して下されたとおっしゃられたのだが、物事は正確に伝わらないものだな。」
実方は軽く腕を組んで重之に向かっておどけてみせた。
「ま、確かに歌枕を見て名歌をたくさん詠め、とのおおせも承ったけどな。」

急に実方の目が真剣になった。
「と、いう訳でまろからも、心から協力をお願いしたい。」

そう言って実方は深々と頭を下げた。重之は恐縮して頭が真っ白になった。




そして現在―重之は実方殿の葬儀を終わらせて、ぼうぜんと国府の近くの海岸に立っていた。
切り立った岩の海岸は波が荒く、ひっきりなしに波が大きな岩に打ち付けている。

重之が実方殿と陸奥の国府に初めて到着した日もこんな日だった。


馬をゆっくりと走らせると、重之の目に見慣れた景色が飛び込んできた。
陸奥の国府。幼い頃、父と妹達と共に暮らした所だ。懐かしさが胸にこみ上げ、しばらく馬を立ち止まらせていると、すぐに実方が追いついてきた。

「さすがかつて帯刀先生を勤めただけある。体力は全く衰えていないな。・・・どうした?重之。」
「懐かしくて・・・。しばし感慨に浸っておりました。」
「そうか・・。ここはそなたの故郷だからな。・・・おっ、海が見える!」

突然、興が乗った実方は馬に鞭を入れた。
「重之、前任の国司からの引継ぎは後にして、遠駆けしよう!」

重之は実方について走っている内に、歌枕で有名な「沖の石」を見つけた。重之が幼い頃に見たのと同じ様に、激しく波が岩に打ち付けている。

「あの岩は、歌枕『沖の石』でございます。」
「おぉっ、あれが・・・。主上に報告せねばならんな・・・。ん!?」
実方は急に馬を止めた。

「どういたしましたか?」重之が聞いた。

「そなた、この情景を見て、『風をいたみ・・・』の歌を思いついたのであろう。」

重之は25歳前後に詠んだ歌を実方が覚えていてくれた事に感動し、顔をほころばせた。
「はい。若い頃に。あの頃は前途の希望もございました。」
「そうか・・・。」
実方は少しばつの悪そうな顔をした。重之も、暗に名門出身の実方を批判する言葉を吐いてしまったと気づき、黙った。

実方は、ふっと重之の顔を見て、つぶやいた。
「しかしそなたも、まろも都は窮屈らしい。そなたの顔は都にいたときと全く違う。生き生きしておるよ。」

そして実方は馬の向きを変えた。
「さ、次の歌枕を案内してもらうとするか!」

その後、実方様に「末の松山」をご案内して差し上げたのだった。実方殿は、末の松山の事を、「存外小さい松だ。これではすぐに波が越せそうではないか。男と女の仲もこんなものなのかな。」とおっしゃられて、からからと笑っておられた。

実方殿との思い出を思い出すたび、ひっきりなしに涙が流れてくる。
どれだけ自分が実方殿の御人柄をお慕い申し上げていたかが感じられる。

重之はこれから死ぬまで、実方殿の御墓を守り続けようと堅い決意をした。
そうしたら、冥土で実方様が笑って迎えてくれそうな気がした。

「そうして、実方様と夜が明けるまで歌について語りつくすのじゃ・・・。」
暮れていく夕日に照らされて、重之は清々しく微笑んだ。
(終)

2007.12.24.  葉つき みかん  

【ミニストーリー】~あくまで作者の想像の産物です。それほど綿密な考証をして造ったものではありません。ただ、歌人が生きていた時代のイメージを掴みやすくするためと、作者の楽しみの為に作りました。

時は安和二年(969)、平安中期。
藤原伊尹(ふじわらこれまさ)は、一条第で、熱心に自作の和歌とにらみ合っていた。

伊尹は四十六歳の男盛り。艶やかな肌色と切れ長の眼は、若い頃都の女性の羨望を一身に集めていた頃と変わっていない。
そして、今は父・師輔亡き後の九条家を支えるものとしての自信が体中に満ちあふれている。

先日、弟達の兼通、兼家と共に、源高明を無実の罪で太宰帥に左遷させ、藤原一族の安泰を図った。伊尹は昔から和歌を好み、風流を好んでいたので、学問の造詣も深く、物静かな雰囲気を常に纏っており、わが九条家との姻戚関係も深い高明を追い落としたくはなかったが、藤氏一族が外戚から追いやられる可能性があるとなれば仕方がない。

高明の失脚と共に、高明の婿である、冷泉帝の同母弟・為平親王が皇太子となる可能性は失われ、その下の同母弟である守平親王(後の円融帝)が皇太子となった。

(しばらくしたら、狂疾の冷泉帝は退位なされ、わが娘・懐子が冷泉帝の間に成した、師貞親王(後の花山帝)が皇太子になられるだろう・・・いや、私がそうさせるのだ。)
伊尹はかすかに微笑んだ。

(わが孫が私の存命中に帝になられる・・・あの偉大な父が成し遂げられなかった事を、私の代で成し遂げるのだ・・・)

反古紙を見ていた伊尹の目が、一つの紙で止まった。
「おっ・・・これは・・・?」

あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

「ふふっ・・・あの女に送った歌か・・・あの頃は私も若かった事よ・・・女が返事をくれないからと死ぬの生きるのと・・・」

伊尹はその手紙のやり取りの一連を、家集に入れる方の固まりの一番端に置いた。

「今はそんな情熱もどこかに消えてしまった。あの自分の若さを記録として残しておくのも良かろう。」

軽やかな足音がする。廊下を誰かが歩いてくるようだ。伊尹は廊下の方に顔を向けた。

「おお、義孝。」

義孝は涼やかな目を伊尹に向けた。すずしの袍が夏の風に揺れている。
「参内の時刻が迫っております。お早い御支度を。」

伊尹は顔を引き締めた。
「うむ。・・・ところで」

「桃園中納言(源保光)殿の姫君に見事な後朝の歌を送ったとか」

義孝は白い頬を赤らめた。
「ご存知でおいででしたか」

「知っておる。
君がため をしからざりし 命さへ ながくもがなと おもひけるかな
いい歌じゃ。私の子として鼻が高いぞ。」

義孝は、うつむいて、恐縮している。

(私は女の為に死ぬと詠み、息子は女の為に生きると詠んだ。・・・この子も、年とともにこういう情熱を切り捨てていくようになるのかのぅ・・)

「すぐに着替えに行くと母上に伝えてくれ」

「は、かしこまりました。」

伊尹は出て行く息子の後姿をしばらく眺めていた。

(終)


2007.1.8. 葉つき みかん

<ミニストーリー>

 平安時代中期の永観三年(985)、77歳の平兼盛は自邸で源重之と酒を酌み交わしていた。
 円融院の紫野御幸における歌会で兼盛が執筆した和歌序が、院のお褒めにあずかったので、昔からの歌仲間である重之と小さな宴を開いていたのだ。
 総白髪に皺で覆われた顔は、幸せそうに赤らんでいる。切れ長の涼しげな目に、少し上がった眉毛。面長の顔とがっしりした顎の名残はかすかに残っている。
 向かい合う重之はかなり年下で、45歳位。こちらは兼盛とは違い、丸顔で温和な表情をしている。尊敬する先達の栄誉に興奮気味である。

 二人は同時にかわらけの酒を飲み干し、息を吐いた。

 「わしは、本当に年をとったな・・・。旨いはずの酒も、過ぎると体にこたえるわい。」
 
 重之が答えた。
 「先日いただいた歌でも、そのような事をおっしゃっておられましたが・・・。まだまだお若いですよ。」
 
 兼盛は、思い出すように目を細めた。
 「おぅおぅ、そういえば「暮れてゆく」の歌(註1:下参照)を送ったな・・・。覚えていてくれたのか。」
 重之は床に置いてある酒の肴をぼんやりとながめながらつぶやいた。
 
 「兼盛様の歌は、全て頭の中に入っております。兼盛様は歌の神の化身の様な方ですから。」

 
 兼盛は、目を大きく見開き、酒で赤くなった顔をますます赤くして、冷や汗を流しながら、言った。
 「化身だなんて、なんと畏れ多い・・・。わしは歌に取り憑かれたただの哀れな男さ。」

 
 兼盛は目をつぶり、ぽつり、ぽつりと話し出した。
 「わしは幼いころから、歌が友達だった。」
 「歌を詠んでいれば淋しくなかったし、上手い歌を詠めば、皆が褒めてくれ、人が周りに集まってきた。」

 「分かります。私も幼い頃は、そうでした。」
 重之はあいづちを打った。

 「長じてからは、歌のお陰で貴伸に取り立てられ、屏風歌を詠んだり、恋歌の代作をした。非常に名誉に思ったし、得意になってもいた。」
 「絶頂期は、天徳内裏の歌合わせ。二十番、壬生忠見殿との渾身の対決だった。」

 「もはや伝説となっている対決ですね・・・。私も元服したての頃、人づてに聞いて興奮しました。」
 重之は熱っぽく言った。。
 
 「判者の実頼殿と高明殿が勝敗を決められず、緊迫した空気の中、ふと帝がわしの句を口ずさまれた時は、うれしさの余り身体が飛び上がりそうになった。」

 兼盛は急に口ごもった。
 「ほんとうに恥ずかしい事だが・・・。歌の上手く詠めない者を内心で馬鹿にしていた時もあった。」
 「きっとこの傲慢さが原因だったのだろうな、家族の縁は薄かった。」 
 「若いころは歌さえ詠めば簡単に意中の女性が手に入ることに有頂天になって、妻を泣かせたな。」

 「とうとうあれは、わしの元から去って、一人で娘を産んでしまった。」
 「わしは自分のあれへの仕打ちを後悔して、やり直そう、娘と一緒に暮らそうといっても、あれは頑として拒否した。」
 「そして、訴訟沙汰になったときに、担当の検非違使が、あの男-確か赤染時用(あかぞめときもち)とかいう男-だったのだよ。」
 兼盛は悔しそうに唇をかんだ。
 
 「あれは時用と所帯を持ち、わしの娘と三人で暮らし始めた・・・。」

 重之は元気づけるように兼盛に酒をついだ。兼盛はそれを一気に飲み干した。
 「わしがいくら娘を渡してほしい、せめて顔だけでも見せてほしいと頼んでも、無駄だった・・・。」

 重之は心のこもった暖かい声で話しかけた。
 「兼盛様は子供がお好きですからね。どんなにかお辛かったでしょう・・・。」

 兼盛は自嘲的にかすかに笑った。
 「あの時は辛くて歌も詠めなかった。」

 御簾の間からこぼれ落ちた月光が兼盛の横顔を照らした。
 「風の便りに娘は大江匡衡殿と結ばれたと聞いた。幸せに暮らしているだろうか。」

 「匡衡殿との間に子供を二人産み、源雅信卿の屋敷の大君(倫子)の元で女房として仕えておられるそうです。かなり頼りにされているようですよ。・・・そしてさすが兼盛様のお血筋。上手の歌詠みとしてとおっているらしいです。」
 重之はおだやかに言った。

 兼盛はため息をついて言った。
 「顔も見れなんだ子だが、まさしくわしの子じゃなぁ・・・。」
 
 兼盛は重之に向き直った。
 「今まで、わしはこのまま一人で生を終わるのはなんと虚しいことかと思っていた、が・・・。」
 「・・・家族ではなく、自分の詠んだ歌につつまれて一生を終わるほうが、私らしいかもしれないな。」


 その独白に答えるかのように、重之は、「忍ぶれど・・・」の歌を優しい声で吟じはじめた。同じ歌を二度目に吟じはじめた時、ゆっくりと兼盛が重之に和した。

 唄い続ける二人を月の光がやさしく照らし出していた。


(註1)暮の秋、重之が消息(せうそこ)して侍りける返り事に

くれてゆく秋の形見におく物はわが元結の霜にぞありける(拾遺214)

(去っていく秋が私に残していった形見は、私の元結に降りた霜-つまり白髪であったよ。)

(終)

2007年10月27日 葉つき みかん

<ミニストーリー>

平安時代も中期に差し掛かった、貞観十八(八七六)年―清和天皇の皇太子である、陽成天皇が即位した年―

大和の国、初瀬の山のふもと、地方官の紀氏の館に、大きな梅の木が立っていた。
その下で、愛らしい顔をした、五歳位の男の子が泣いている。

色白のふっくらとした頬に、黒目がちの大きな目。
その目をぐっしょりと濡らしている。

それに、地方官の家の十歳くらいの息子が気づいた。
「おい」
男の子は驚き、泣くのをやめて、後を振り向いた。

目の前で大柄な男の子がにこにこ笑っている。都生まれ都育ちで余り外に出ていない自分と違って、山の中を駆けずり回って遊んでいるので真っ黒な顔をしている。体もがっしりとしている。
「どうした?こんな所で。お母さんを思い出したか?」
地方官の息子―古佐麻呂は、この男の子の父が最近亡くなってしまい、宮中の内教坊で妓女として働く母の仕事が落ち着くまで、しばらく父方の親戚である古佐麻呂の家に預けられたという事情を知っておりながら、ちょっと悪戯心を出して話しかけた。

男の子は図星を突かれて、ちょっと赤くなったが、すぐにむきになって言い返した。
「違うやい!目にごみが入ったんだい!」
「無理しちゃって!・・・それはそうと、名前はなんていうんだ?」
「阿古(あこ)。母上の同僚の舞姫達は、僕の事を阿古ちゃん、と呼んでいた。」
「ふぅん・・・可愛い名前だな。女の子みたい。」

「あ、ちょっとこっちに来いよ!」
古佐麻呂は、何かを思いついた様な表情をして、急に阿古の手を引っ張った。

そして、初瀬の山頂が見える少し小高い丘に連れて行った。
「どうだ?初瀬のお山の上にある、お寺が見えるだろう?」
阿古は、精一杯背伸びをしてみるが、ちょっと届かない様だ。すると、古佐麻呂は、ひょいと阿古をおんぶした。

すると、阿古の前に緑に覆われた山々が連なって、屏風の様になっている風景が飛び込んできた。清々しい風がにおってくるようだ。
「どうだ?見えるようになったか?」
「うん!」
「あそこに見えるお寺は長谷寺といって、霊験あらたかな観音様がいらっしゃる。あの観音様に毎日お祈りすれば、早く都の母君の所に帰れるよ。さ、ここからでも手を合わせてみな。」
「うん。」阿古は素直に小さな手をあわせて、熱心にお祈りをした。真剣な阿古の鼻息を首筋に感じて、古佐麻呂はくすぐったくなった。

「終わった。」
「じゃ、ついでにお山のふもとを見てごらん。」
「あそこは、昔、雄略天皇が泊瀬宮(はつせのみや)を置かれた所だという言い伝えがある。きっと我らの祖先、紀小弓 宿禰は、帝と一緒に馬に乗って、野山を駆け回っていたに違いないよ。」
「えっ!『籠もよ み籠もち・・』の歌を詠まれた雄略天皇と!?」
「そうだよ、阿古。よく知っているなぁ。」
「ぼく、やまとうたが大好きなの。真名(まな:漢字のこと)も嫌いじゃないけれど、やまとうたの方がもっと好きなの。母上がぼくを寝かせる時にやまとうたに節をつけて謡ってくれるからなのかなぁ・・。」

古佐麻呂は、阿古に話しかけた。
「明日もここに来て、お祈りしような。一日でも早く都に帰れるように。」
阿古は、急に古佐麻呂の首筋にしっかりしがみついた。幼子特有の甘い匂いが古佐麻呂の鼻に漂い、甘酸っぱい気持ちになった。
阿古は小さな声で恥かしそうにつぶやいた。
「古佐麻呂がいるから、すぐでなくても大丈夫・・・。」

それから、阿古と古佐麻呂は、毎日野山を駆け回って遊んだ。もちろん、長谷寺へも一緒に詣でた。
本堂へ登る為の梯子が大変だったけれど、古佐麻呂が阿古の後からしっかり支えてくれたので、登る事が出来た。

観音様は阿古の願いを聞き届けてくれたみたいで、半月ほどで母の職場で阿古を受け入れる用意が出来て、阿古を迎えに来た。母は、阿古が見違えるほど日に焼けて、血色のいい元気な様子で迎えたことに驚き、古佐麻呂とその父に御礼を何度も言って、都に帰っていった。

初瀬を離れる時、古佐麻呂は、「いつでも遊びに来いよ!」と言っていた。


―それから十年後、元服をして紀貫之となった阿古は、文章道を学び、官吏としての日々を送っていた。学問をする事によって、理論的な考え方を学び、幼い頃に感じていた信仰心はいささか薄れていたが、唯一、自分の願いを聞いてくれた長谷観音のご利益は信じていた。

都での仕事に行き詰ると、貫之は事態を打開するためと、古佐麻呂に会うため、度々、長谷寺に詣でた。

そのご利益か、延喜五(九〇五)年、三十四歳の貫之は、醍醐天皇から初の勅撰集選進を命じられた。事業の初めは、従兄弟の紀友則が中心で、貫之は補佐として働いていたが、友則が亡くなってから、貫之が選者の中心として事業を切り盛りしなくてはいけなくなり、長谷寺に詣でるどころではなくなった。

そして、五年、八年―延喜十三年頃、ようやく『古今和歌集』が完成した。それから完成の祝宴が続き、ようやく落ち着いた日々になったころ―


やっと貫之は長谷寺に御礼参りに来る事ができた。
妻と五歳くらいの息子も連れて、牛車に乗り、古佐麻呂の館―古佐麻呂の父はもうとうの昔に亡くなり、今は古佐麻呂があるじとなっていた―に近づくと・・・

懐かしい梅の香りがしてきた。

八年ぶりだから古佐麻呂は迎えに来てくれているだろうと思ったが、門には誰もいない。
(おかしい・・・文は届いているはずなのに・・・)

貫之は使者をやって、中に声をかけさせると、しぶしぶ古佐麻呂が縁側に出てきた。その表情は冴えない。

館の前に牛車を付けて、貫之は下に降りた。と、古佐麻呂は開口一番。

「都で偉くなったからって、十年近くもご無沙汰なんて、ずいぶんお見限りじゃないか。こちとら、毎年、そなたがいつでも来れるよう、万端の準備を整えていたのに。・・・そなたは、昔とは変わってしまったのか?」

貫之は、すぐピンと来た。
(ははぁ、古佐麻呂は、ずっと訪れなかったので、拗ねているな・・・。そして、帝と直々に接したり、三条右大臣(藤原定方)様や堤中納言(藤原兼輔)様達と親しく接している私が高慢に変わってしまったのではないかと少し心配しているようだ・・。)

貫之は、昔自分がその下で泣いていた梅の木に近寄り、花の咲いている枝を折り、匂いを嗅ぎながら歌を詠んだ。

「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」
「変わってしまったのは古佐麻呂の方では?私は昔と変わらず、古佐麻呂の事を大事に思っているよ。この昔と同じ梅の香りの様に・・・。」

古佐麻呂は自分の心配は杞憂だったのだと気づき、ぱっと屈託のない明るい笑顔になった。
「貫之!会いたかったよ・・・。」
そして、後に立っていた貫之の妻と息子に気づき、
「さぁさぁ、上がってください。美味しい山の幸と川の幸を用意してあります!」


数刻後、貫之と古佐麻呂は酒を酌み交わしながら、昔の思い出話と、貫之が中心となってやり遂げた『古今和歌集』編纂事業についての話に花を咲かせていた。
二人の視線の先には談笑する妻たちと、昔の自分たちの様に、梅の木の下で追いかけっこをする子供達がいた。

(終わり)

2009.8.29. 葉つき みかん


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