梁塵秘抄異聞

 文治四年(1188)、76歳の源資賢(みなもとのすけかた)が病の床に伏している。
二月。京の寒さは大分緩んできているが、木の芽がほころぶほどの温もりはない。

 資賢は目を閉じ、息を吸い込み、今様を謡いだそうとした。と、痰が喉につまり、激しく咳き込んだ。

 傍についていた嫡男・資時が資賢を助け起こし、背中をさすった。資賢の目が苦しさに涙ぐみ、意識が朦朧としてきた。資賢は遠くなる意識の中で、後白河法皇が心配そうに自分を眺めているような気がした。

 (ああ・・・私は皇子様を置いて先に逝かなくてはならないようです・・・。出来るならもっとお傍について、一緒に今様を謡っていたかった・・・。御所の池に向かって一人で淋しく今様を謡っていらっしゃった、かわいいかわいい私の皇子様・・・。)


 保延三年(1137)、資賢二十四歳の頃-

 大樹の様な存在で、院政の創始者でもあった白河法皇が世を去り、鳥羽上皇が新しく治天の君となってから約十(?)年。鳥羽上皇は今上天皇(崇徳天皇)の母宮の待賢門院 璋子(たいけんもんいん・たまこ)ではなく、年下の諸大夫出身の寵姫・美福門院 得子(びふくもんいん・なりこ)所生の体仁親王(なりひとしんのう)を皇太弟にしようと機会をうかがっている。

 そんな中、資賢は鳥羽上皇の第四皇子・雅仁親王に今様を教えるように頼まれ、待賢門院御所にやって来た。
 資賢の父・有賢の元に音曲を習いに来ていた待賢門院判官代・藤原通憲が雅仁親王の乳母夫で、皇子様がひどく今様に興味を持っているようだが、自分は他の仕事が忙しくて十分に皇子様に今様を教え奉る事が出来ないから、音曲の専門家である資賢殿にぜひ皇子様を指導していただきたい、との事だった。

 資賢は鳥羽上皇の妃で絶世の美女との誉れが高い待賢門院の御所にはじめて来たため、そわそわとしはじめた。さすが白河法皇の鍾愛の養女だけあり、御所の庭も御殿も贅が尽くされ、光り輝くような威容を誇っていた。行きかう女房達も美女揃い、資賢はそちらに目線をやる事が出来ず、どぎまぎと下を向いていた。

 ・・・と、そこに細い、高い歌声が聞こえてきた。

 仏は常に いませども
 うつつならぬぞ あはれなる
 人の音せぬ 暁に
 ほのかに夢に 見えたまふ

 池の方に振り向くと、十歳位の童が石組みの上に座って謡っていた。
 つややかな黒髪、少し上がり気味の目じり、切れ長の瞳・・・衣は薄い丁子色の正絹の直衣に浮線綾を織り込んでいる。肌はきめ細やかで光沢があり、ほのかに光がにじんでいるようだった。

 (まるで天人の童子を見ているような・・・。愛らしい上に、どことなくなまめかしい。)

 資賢の視線を感じた童は、ゆっくり振り返った。黒い濡れたような瞳が資賢の瞳を射て、顔を少し傾けた。雷に打たれたように資賢の腹の辺りに衝撃が走った。
 
 「誰じゃ・・・?」
 「私は・・・」

 「宮様!こんな所にいらっしゃってはいけません!」

 同じ位の年齢の子供が走ってきた。通憲の息子・澄憲だ。父親について朗詠を謡いに来たのを何度か見かけている。父に似て目から鼻に抜けるような怜悧さと男らしい輪郭は父親にそっくりだ。
 
「澄憲殿・・・?という事は、こちらの御方は、四宮様ですか。道理でお美しい方で・・・。」

 資賢は再び雅仁をまじまじと眺めた。雅仁は恥ずかしそうに資賢の方を盗み見た。
 
 「父君・判官代通憲殿はお元気ですか?」
 「はい。あいかわらず休日は書蔵に籠もって何かを熱心に書いておりますよ。」
 「そうですか・・・。父は通憲殿がこられなくなってから、優秀な弟子が一人減ったと嘆いておりますよ。」

 「澄憲!さっきからまろが、誰かと訊いておるのに、この者は答えようとしない!」
 四宮は、澄憲の袖を掴んで資賢をにらんでいた。

 資賢はにっこり笑って、体を曲げ、雅仁の背の高さと同じ高度に下げた。雅仁の長く濃い睫が自分の頬に当たりそうであった。雅仁の大きな目が資賢の目をのぞき、くすぐったい感じがした。

 「ああ・・・申し訳ございませんでした。私は源資賢と申します。源有賢の嫡男でございます。」
 「ああ、そなたが判官代の言っていた、まろの今様の師か。よろしく頼むな。」

 ぞんざいに言って雅仁は目を逸らした。

 それが源資賢と、後の後白河天皇である四宮・雅仁親王との初めての出会いであった。


 数日後、通憲と資賢は御所の一角で面談をしていた。
 「澄憲殿は本当に出家してしまうのですか・・・?」
 資賢は身を乗り出して通憲に問いかけた。
 「そうです。」
 「なぜ・・・。長男の俊憲殿は在俗のままではありませんか。」
 「俊憲は重子との子とは言え嫡男だし、物の役に立つ仕事をして朝子に気に入られているようなので、何とか人並みの地位にはつけてやれるかもしれない。ただ、澄憲は、重子との間の三男。北の方の朝子の子ならまだしも、重子との子供では、所詮、能力があってもそれ相応の地位につける事は難しいですからな。」

(ああ・・・重子殿は通憲殿の昔からの妻ではあるが、北の方ではないからなぁ・・・。)
 「それなら早くから出家させて、自分の能力を十分に発揮させられる環境においてやるのも、父心。」

 通憲は四宮と一緒に庭で今様を謡っている澄憲の方にちら、と優しげな視線を送り、資賢に視線を戻した。
 「澄憲は声が良いので、比叡山の声明を学び取ってきて歌の好きな宮様にお教えして差し上げる、と健気に約束しておりますよ。」
 「しかし、澄憲殿は四宮様の乳母子でしょう・・・?本来、四宮様の乳母子としてお仕えするはずだった朝子殿とのお子様が夭折なさってから、一歳年上の澄憲殿が兄の様にご面倒を見てこられたとうかがっております。」
 「その澄憲殿が山に上った後、宮様がお淋しく思われないでしょうか・・・?」

 「そう、私が資賢殿に宮様のご指導をお願いしたのもそれなのですよ。」
 通憲はわが意を得たりとばかりに資賢の目をのぞきこんだ。資賢は通憲の目の光にけおされて、目を伏せた。
 「資賢殿はお優しいお方ですからな。澄憲出家後の宮様のお淋しさも癒していただきたい。」
 「私に出来る事でしたら・・・。」

 ふと、資賢は数日来気になっていた事を通憲に問いただしておきたい気持ちになった。
 「思ったのですが・・・。」
 「宮様に今様をお教えすることは光栄の至りです。けれども、今様をお教えすることにこんなにお時間を割いてよろしいのでしょうか?宮様は、和歌や漢詩、和漢の歴史などもっと必須の学問に時間を割かなくてはならないと思うのですが・・・。」
 
 通憲の表情がゆがみ、資賢はあわてた。
 「いや、こんな事、判官代様は百も承知なさっておられますよね。日本一の大学生様ですから・・・。」

 通憲は脇息に体をもたせかけて、大きなため息をついた。
 「宮様に貴族に必須の教養を身につけていただくために、私もいろいろ努力してみましたよ。絵巻を使って漢文に親しみを持たせようとしたり、歌で仏教の教理を説明してみたり・・・。」
 通憲は大きなため息をついた。
 「そうしたらことごとく本来学ぶべき事よりも、入口の芸能に興味を持たれるばかり。」
 資賢は通憲に引かれて、ため息を一緒についていた。
 「はぁ・・・。」
 通憲は急に低い声になり、つぶやいた。
 「だから私は宮様の教育よりも他の事に勢力をつぎ込む事にしたのです。」

 資賢が聞きとがめるより早く、通憲は大きな声を出した。
 「あああ、余計な事をしゃべりすぎましたな。それではわれわれの大事な宮様のご指導、よろしくお願いいたします。」

 「は・はぁ・・・。」


 (今様、今様か-。)
 ここは資賢の邸宅。資賢は待賢門院御所から帰る道すがら、牛車の中でずっと考えていた。

 今様は、今から三百年の昔・一条天皇の御世から流行しだした庶民の芸能だ。かの有名な「枕草子」にも書かれている。七・五・七・五のかたまりを規則として、仏教の教理や、庶民の生活を節につけて謡う。美濃の青墓の遊女達の中で堪能な者が多いとも聞く。

 私も家に音曲を習いに来る公卿の方々から、いくつか今様を習った。彼らは遊女達から習ったとおっしゃっていたな・・・。

 資賢は一度、同僚と一緒に摂津・江口の遊女の舟に遊びに行った事を思い出した。資賢についた遊女は、下品に腰を振り、男女の間を暗示する今様を舞い謡った。

 若ければ

 むろん幼い頃から厳しい稽古を積んできた資賢の目からしたらお遊び以外の何者でもない。しかし異様な力を持った芸能だという感想を持った。
 その後の遊女との戯れを思い出し、資賢は軽く微笑んだ。

 「確かに、今様は楽しい。楽しいですよ。けれど、ね・・・。」


 初めての講義の日。
 四宮の目がきらきら輝いている。資賢は、そんなやる気にあふれた宮を見て、少し荷が重く感じている。
 「えーと・・・」
 「まずご自分の得意な今様をお一つ謡ってみて下さいませ。」
 「うん!」

 舞え舞えかたつむり・・・

 「どう、どう?」 
 「ふぅ・・・ん、なるほど・・・音は外れておりませんな・・・」
 (だが何となく危なっかしい・・・)

 「では・・・苦手な今様を謡ってはいただけないでしょうか?」

 今様

 「は・・・宮様のお声はお美しいですね。これは母宮様のお血筋によるのでしょうね。ご兄弟も従兄弟の方々も皆、今様や催馬楽に長じておられますからね・・・。」
 「ただ・・・高音が危なっかしいのと、拍子が所々ずれておられる。」

 「そうか!分かった!どうやったら上手になる?」

 「宮様は、唱歌(しょうが)という言葉は聞いた事がおありになりますか?」
 「ああ、何となく・・・。音曲の家の子弟が、ものごころつく前から親や師匠に習うものだろ?」
 「そうです。手で拍子を取りながら、龍笛や笙、篳篥の旋律を謡うのです。私たちはそれを完全に会得してからようやく楽器を演奏する事が許されるのです。」

 「宮様にも、唱歌を私について謡っていただきます。それを完全に会得してから、今様を謡っていただきます。」
 「そうすれば、おそらく、音律も拍子もしっかりしたものになるでしょう。」

「私が唱歌を一節唄いますので、私の後についてお唄いくださいませ。そうですね、まずは篳篥の歌がよろしいでしょう。篳篥は最も人の唄う音程に近い楽器ですので。」

ツゥツト・・・

 宮は熱心に聞いていた。
 資賢「いかがいたしましたか。お気に召さなくても、素晴らしい今様をお謡いになりたいなら、練習はしていただかなくてはなりません。」

 宮「うむ・・・これをまねしたらよいのだな。」

まねする

 資賢(一度聴いただけで覚えてしまうとは・・・。すごい記憶力の御方だ・・・。)

 宮「どうだ?まろの唄は。」
 資賢は驚きを隠せず、上ずった声で言った。
 「私の唄ったものを一度聴いただけで覚えてしまわれるなんて、すばらしいですね。」

 「そうか。で、歌自体は?」

 「おそれながらまだ御精進が必要と思われます。」
 「うむ。そなたは真の音楽家じゃ。」

 宮は、いきなり手をついて資賢に深いお辞儀をした。
 「まろの指導を頼むぞ。そなたのような専門的な指導こそがまろの真に求めていたものじゃ。そしてそなたの指導は歯に衣着せない。」

 資賢は、あわてて宮を制止した。
 「どうかお顔をお上げください。私ごときが宮様のご指導に上がること自体が非常に光栄な事なのです。感謝申し上げなくてはならないのは、むしろ私の方です。」
 「・・・先ほどは遠慮のない言葉を申し上げて大変申し訳ございませんでした。」

 宮は顔を上げた。
 潤んだ目が美しい。資賢は再び心をわしづかみにされたような気がした。

 「いいのじゃ・・・。そのままで・・。」
 資賢は雅仁の瞳に捕らえられたまま、恍惚として応えた。
 「宮様さえよろしければ、仰せのままに・・・。」

 宮はすぐに姿勢を戻して資賢に命じた。
 「さて、唱歌の指導を続けてくれい。」

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 数日後、雅仁は資賢が教えた唱歌の試験を受けていた。

 ツゥツゥ・・・・

 宮は顔を真っ赤にして必死で唄っている。いつも音程が低くなってしまう箇所では、瞳を右上に向け、首を上に延ばし、何とか乗り切ろうとしている。

 (なんて微笑ましい・・・)
  資賢は、失礼と思いながらも、ほほ笑んでしまった。
 この何日かで、資賢と雅仁の間には兄と弟のような親密さが生まれていた。乳母の紀伊局が夫・通憲の子供を身ごもって里下がりをしてから二人の距離はますます縮まったように思えた。

 雅仁が唱歌を唄い終わった。判定を求めるかのように、資賢の方に視線を投げてくる。
 資賢はもったいをつけて咳払いをし、おもむろに合格を告げた。
 雅仁の瞳が輝く。

 
 次の曲をたっぷり一刻ほど練習した後、雅仁は脇息にもたれながら、資賢に話しかけた。
 「前から聴いて見たいと思っていたのだが・・。今日一生懸命練習したら資賢の唄を聞かせてくれるか?」
 「もちろんです!何なら今からでも・・・。」

 「いや。美味しいものは先に食べてはつまらない。今日すべき稽古を終わらせてからだ」

 雅仁は小さい口をきゅっと結んで、稽古の続きを促すような仕草をした。

 資賢(かわいいなぁ・・・。)
 資賢は、まだ十才なのに、音楽に関しては一人前に振る舞おうとしている雅仁をたまらなく愛しいと思った。

 稽古が終わった後、資賢は今様を一曲唄った。かわいい宮様が聴いてくださっていると思うからか、その日の資賢は声の伸びが格段によく、高音も気持ち良いほど響いた。草木も資賢の今様に感応しているようで、うれしそうに揺らいでいるように見えた。

 雅仁は感嘆のまなざしで見上げていた。

 宮「すごいなぁ。さすが音曲の家で幼い頃から修行を積んできただけはある。声の伸びが違う。」

 資賢「お褒めに預かり光栄です。ただ、ここまでに至るには長年の厳しい訓練・・・血を吐くような訓練が必要です。」
 宮「ふぅ・・・ん。分かった。まろも、資賢のようにがんばる!」

 資賢「え・・・?」
(今上帝の同母弟であり、先帝の后腹の四宮である、何不自由ないこの方が、何ゆえ下賤の芸能である今様にこれほど打ち込まれるのだろうか?)

→ずっと自分は何となく孤独感を感じていた。楽しかった頃にはいつも今様があった。(母とかね)母の兄弟達。今様を謡っていると楽しかった頃を思い出す。今様を謡っているとほめられる。今様を謡っていると自分が極楽浄土にいるような気分になる。自分が大好きな神様や仏様にめでられるような気がする。


 「そのようなことはなりません!今様なんかのせいで御体を壊されたら、私が父院や母宮からどんなおとがめをうけるか・・・。」

 宮「資賢・・・。」
 雅仁は絶句した。
 そして唇を震わせた。
 「今様「なんか」と言うな!まろにとっては本当に大切なものなのだ!そなたはまろのこんな思いをわかっていると思っていたのに!」

 資賢は雅仁の気迫に飲まれ、黙った。

 宮「・・・それにまろが体を壊したとて、お二人はそなたの事をとがめやしない。お二人がそこまでまろの事を気にかけているもんか。まろはお二人にとってどうでもいい存在なんだ。」

 資賢(宮様・・・?)

 宮「・・・今日はもう帰ってもよい。」

 資賢は一礼して顔を上げた。宮は後ろを向き、遠くを見ていた。その後ろがひどく淋しそうに見えて、資賢は抱きしめたくなる衝動を抑えるのに苦労した。


 自邸に戻ってから資賢は格子を締め切り、御簾を下げて座り込んだ。
 資賢の心は激しく動揺していた。

 (どうしよう・・・私は宮様を怒らせてしまった。私の不用意な言葉のせいで・・・。宮様は次の稽古のために私を呼んでくださるだろうか・・・)

 (もし呼んでくださらなかったら、どうしよう!私は宮様のお顔を見ないと生きていけない。)
 (私は一体どうしたのだろう・・・。宮様は高貴なお方、私が簡単にお手を触れていい存在ではないのに・・・。宮様に淋しそうにされると私は自分の分を忘れてしまいそうになる・・・。)


(しかし・・・なぜ宮様はあんな事をおっしゃったのだろう・・・?)
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数日後、資賢は管弦の授業を受けた後に、父に質問された。

 「四宮様の稽古はどうだ?うまくいっているか?」
 「は、はぁ・・・昨日までは・・・でも、もう呼ばれないかもしれません・・・」

 「なぜだ?」
 「私の不用意な言葉で宮様の気分を害してしまったのです。」

 資賢は父に先日あった事を話した。

 「そうか・・・そんな事が・・・」
 「四宮様の側近になるのはかなわぬかもしれんな。」

 「はい・・・」資賢はうなだれた。
 「父上は音曲の道のお陰でみごと一院(鳥羽院)の近臣となられましたが私は不肖の息子で申し訳ございませぬ・・・。」

 有「いや・・・むしろその方がよかったかも知れぬ。」
 「おいたわしいが四宮様は一生日陰の皇子。おそらく次の皇位は一院と得子様の間にお生まれになった皇子様に引き継がれることになるだろう・・・。そなたはその皇子様に気に入られさえすればよいのだ。」

 「われわれの祖先である源雅信様は左大臣となり位人臣を極められたが、入内すべき一の姫・倫子殿が御堂関白藤原道長殿の北の政所となられてしまった。倫子殿の末は摂関家の嫡流としてときめいておられるが、元の宇多源氏であるわれわれの筋は大納言階級に落ち込んでしまった。」

 「菅原孝標女が書いたという更級の日記には、われわれの 代前の祖、資通殿のことが書かれておるのは知っているか?」

「はい。」

「このころから音曲家を出す家として名が売れてきたのよ。」

父は源の音曲家の歴史についてとうとうと語り続けた。


資賢「はぁ・・・。」
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(さすが政局をうまく立ち泳いできた父上だ・・・。的を得た助言。)
(しかし・・・。まろ自身が宮様のもとから離れる踏ん切りがつかない。宮様に嫌われたらあきらめがつくのか・・・?)

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 次の日、資賢は四宮に呼ばれた。
 (とうとう断られるのか?)
と、資賢は観念した。が、もし資賢から稽古をうけないと言うことだけを告げるつもりなら、使者を遣わせば終わるはず。わざわざ宮様御自らお断りになる必然性は全くない。

 (と、すればまだ私から稽古を受ける気でいてくださっている・・・。)
 資賢の胸は喜びで打ち震えた。

 女院御所に参上して、四宮様の御座所に入ると、宮は下を向いてふくれていた。

 「資賢」
 資賢はどぎまぎして、大きな声で答えた。

 「は、はいっ。宮様。」
 「この間は済まなかった。急に取り乱したりして・・・。」

 「い、いえ、とんでもない。私が宮様の大事な今様を冒涜したからいけなかったのです。」
 「・・・本当にそう思っているか?」

 宮は上目使いに資賢を見た。その愛らしい様子に資賢は抵抗できなかった。そして、私が抵抗できないことを知っていてこんな表情をする宮様はずるい、と思った。

 資賢は今様へのさげすみの心が、表情にでないよう念じながら、
 「天地神明にかけて。」
と誓った。
 宮の顔がぱぁっと輝いた。


 その日の稽古はいつになく熱が入った。大きな声で唄い、宮様のおっしゃる冗談に笑い、資賢は高音をいかにしたら楽に出せるかを宮に伝授申し上げた。

 気づいたら夕暮れがあたりを覆っていた。

 「こんなに遅い時間になってしまいました。私はおいとましなくては・・・。」
 「資賢、帰ってしまうのか?行かなくてはいけない所があるのか?」
 「いえ、ございませんが・・・。もう宮様もお疲れになられたと思いますので・・・。」

 「行く予定がないのなら、御所に泊まって行け。」

 資賢の顔が真っ赤になり、胸がとどろきはじめた。
 「え?よろしいのでしょうか?」
 「紀伊が里下がりしてしまってから、夜が退屈なのじゃ。一度資賢とも一晩中今様について話したいと思っておったし・・・。」

 宮はそっぽを向きながら、ささやいた。

 資賢には断ることなどできなかった。

 夕暮れの中、御簾と格子を上げさせて、四宮と資賢は外を眺めていた。

 「・・・まろが今様を好きになったのは、いつ頃だったかなぁ。」
 「母宮の胎内にいた時から今様を聴いていたからなぁ。」

 「女院様も今様がお好きですからね・・・。」

 「お陰で最近は、遊女かねを一晩中取り合った。」
 「母宮がかねを呼び寄せて今様ばかり唄わせておられるので、母宮にお願いして聴かない間はまろの所に来させたのだ。それが二、三日続いたので、かねには「もう勘弁してくださいませ。これ以上続いては、体が持ちません」と苦情を言われてしまった。」

 宮はふっと寂しそうな表情をした。
 「・・・今様の話をしたら、母宮は現(うつつ)の世界に戻っていらっしゃる。。」
 「母宮の心の中を占めておられるのは、ほとんどが曾祖父白河院の御思い出、その次が今上の主上(崇徳天皇)、三番目は父院(鳥羽院)。」
 「残りのほんの少しの空間に、姉宮(上西門院統子)様とまろがいるだけなのさ。」

 「・・・・・・。」
 資賢は、父から聞いたことのある、待賢門院とその養父である白河院とが密通して、主上が誕生したという世間の噂を思い出していた。しかし、そんなことを宮に言い出せるはずもなく、神妙なそれでいて悲しげな複雑な表情をしていた。

 「父院は新しい女性の事で頭がいっぱいだし、主上は政務でお忙しくてまろをかまってくださるはずもないし!」
  
 「乳母殿は・・・?宮様を慈しんではくれませぬのか・・・?」

 「紀伊はまろに優しくしてくれるさ。澄憲も。」
 「でもやっぱり家族が大事なんだな。紀伊は判官代が大好きだし。澄憲は山に登ってしまったし・・・。判官代は自分の出世の事しか考えていない。あやつの思う通りになってやるもんか。」
 「宮様・・・。」
 「本当にまろのことを大事に思ってくれるのは、そなたとおばば殿だけだ!」
 「宮様・・・!」
 資賢は感動のあまり、声が震えた。

 「そなた・・・ずっとまろのそばにいてくれるな・・・?まろを一人にしないでくれ・・・。ずっと一緒にまろと今様を唄おう・・・!」
 宮はにっこりと笑った。


 その夜、資賢が寝ていると、小さい足音が近づいてきた。ぼんやりとした意識の中で、宮によく似た声が聞こえ、一緒に寝る許可を求めたような気がした。資賢は自分の願望が夢に出てきたのだと思い、衾をあけた。
 小さないい香りのする柔らかい体がするっと横に入ってきた。
 資賢は、嬉しくて、隣の童子をきつく抱き締めた。
 耳元で、童子の笑い声が聞こえた。まるで宮が喜んでくれたような気がして、資賢は頬に口づけた。

 次の朝、甘美な夢に包まれて、心地よく目を覚ました資賢は、衾が乱れているのを発見として愕然とした。かすかに残り香も残っている。

 「あの童子は宮だったのか・・・?」
 私は昨夜一体何を宮にし申し上げたのか、考えて、体の奥から震えが起こり、歯の根があわなくなった。
 
 宮に謝らなくては!と、資賢は急いで束帯を着込んで宮を探しに行った。

 宮はのんびりと庭で菊を見ていらっしゃった。
 息せききって駆けつけて来た資賢をのんびり見やった。
 「資賢・・・どうしたのじゃ?」

 きっと夢じゃよ。
それよりきれいな菊じゃ。
和歌を今様にのせてうたおうではないか。
菊を星に見立てた和歌を唄う。



今様を聴き、天人が降りてくる。 
それを二人で迎える。

その思い出を胸に抱いて、資賢は微笑みながら生涯を閉じた。
 

(終わり)

2016.6.27


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