赤染衛門(あかぞめえもん)


<基本データ>
*平安時代中期の女房(藤原道長正妻・源倫子女房、上東門院彰子女房)・歌人
*生没年:未詳 天徳年間(九五七~六一)~長久二年(一○四一年)頃? 
*実父:平兼盛 *養父:赤染時用(あかぞめときもち) 
*夫:大江匡衡
*子供:大江挙周(おおえのたかちか)、江侍従
*良妻賢母の誉れが高い。
*八十歳になるまで歌壇で重きをなした。
*家集『赤染衛門集』
*『女房三十六人歌合』『小倉百人一首』
*『栄花物語』前編の作者という説がある。

<年表>
天徳年間(九五七~六一)の生まれか?

※藤原清輔 著『袋草紙』によると、赤染衛門の母は平兼盛と結婚している時に衛門を身ごもったが、妊娠中に兼盛と離婚。一人で娘を産んだ。兼盛が引き取ろうとしたが、母が拒否した。(管理人:一体兼盛は彼女にどんなひどい事をした?)訴訟の間、たまたま担当であった検非違使の赤染時用と母が密かに情を交わして、時用は、兼盛は娘と会うことはできないという判決を下した。

天延年間(九七三~七六) 十代半ば頃 大江為基(匡衡の従兄弟)との交際を経て、大江匡衡と結婚。源雅信邸に出仕、長女・倫子に仕える。

(管理人:この辺りの恋歌のやり取りを見ていると、衛門は二人の素敵な男性に熱烈に思われてモテモテな雰囲気です。私は『家集』を見るまで衛門は匡衡とひっそりと結婚をして、彼以外の男性とは積極的に接していないと勝手な思い込みをしていたので、この色めいた雰囲気に驚きました。
そして彼女は為基、匡衡から熱烈求愛を受けていた頃と同時期に、源時叙(みなもとのときのぶ・倫子の同母弟)からも恋歌を贈られていました。
結婚してからも、匡衡は度々、衛門の浮気を疑う歌を詠んでいます。か~な~り、魅力的な女性だったのかな?・・・しかし『家集』は自選の可能性がかなり濃いのです。だったら衛門は何を訴えたかったのかな。・・若い頃はすごくもてたのです!という事かな?)

天延二年(九七四)~貞元元年(九七六) 十代の終わりごろ? 姉妹に通って来ていた藤原道隆が来なかったので、姉妹に代わって歌を詠んだ?

長保三年(一○○三) 四十台半ば頃 夫・匡衡が尾張守になったのに従い、尾張に同行。

寛弘六年(一○○九) 夫・匡衡が尾張守になったのに従い、尾張に同行。

長和元年(一○一ニ) 五十代半ば頃 夫と死別。数年後出家。

長元元年(一○三三) 七十代半ば頃 倫子七十賀の屏風歌を召される。

同八年(一○四○) 八十代前半 関白左大臣家歌合に詠進。

長久二年(一○四一) 八十代前半 弘徽殿女御歌合に詠進。

<エピソード>
*『紫式部日記 48段』
中宮様や道長は、赤染衛門の事を「匡衡衛門」と呼んでいます。(管理人:女房名が夫とセットになってるよ~。周りから本当におしどり夫婦だと思われていたのですね。実際そうですけれど。)
歌は格別に優れていると言うのではありませんが、実に由緒ありげで、歌人だからといって何事につけても歌を詠み散らすという事はありませんが、世に知られている歌はみな、ちょっとした折の歌でも、それこそこちらが恥ずかしくなるような詠み振りです。

*公任の上表文作成に苦慮する夫に助言した話(原典未確認。『平安時代史事典』による。)

*挙周の病平癒を祈って住吉に歌を奉り効を得た話 『古今著聞集176』
大江挙周、和泉守の任が解けてから、病になった。住吉の御祟りであるという事を聞いて、母・赤染衛門は、
「かはらむと いのる命は おしからで さてもわかれんことぞ悲しき」
と詠んで、みてぐら(御幣)に書いて住吉に奉ったならば、その夜の夢に、白髪の老翁がこの幣を取るのを見て、病が治った。

同じ話は、『赤染衛門集』にもあり。落ちまではかいていませんが。

*夫の親族の和泉式部と歌をやり取りしていた。『赤染衛門集』
*清少納言とも親交があった。『赤染衛門集 157』

*藤原隆家が女をめぐって暴力沙汰を起こしたとき、その女にしれっと和歌を送って、隆家に和歌で反撃されたお話が、『赤染衛門集』にあります。
→直接の親戚ではないのに、こんな事にさりげなさを装って首を突っ込んでくるなんてかなりの好奇心の強いおばちゃん!隆家もかなりいらいらした口調で歌を返しているのが何だかかわいいわ。まだまだ青いな~という感じ。

面白いので下に引用します。

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隆家の中納言のおぼしける女に、男しのびて文やりたりけるを、聞きつけて「使ひを捕らへて打ちなどして、文をば取りて破(や)りすてられたり」とききて、女のもとにつかはしし

385 いかなりし あふせなりけむ あまのがは ふみたがへても さわぎけるかな by赤染衛門
(訳:どのようなお二人の仲なのでしょう。手紙を持ってくる先が違っていたというだけで大騒ぎになるなんて。)
(管理人:衛門は隆家の女が間男をしていて、それが隆家に見つかって間男の使いが懲らしめられたという事実を知っていながら空とぼけてこんな歌を当事者に詠みかけています。すごい好奇心。今ならさしずめ梨/本さんレベルの積極性。「逢瀬」の「瀬」は「天の川」にかけているそうです。また「ふみ」は「文」と「踏み」をかけています。)

かへし、中納言(隆家)

386 そらごとよ ふみたがへず あまのがは さしかづきてぞ かたうたれにし
(訳:嘘ですよ。手紙は間違えてはおりません。(使者は)手紙を届けたご褒美のかづけものをいただいて肩を打たれたのです。)
(管理人:うっせーよ、このおばはん!これが真実じゃ~!という雰囲気で女に代わって歌を返す隆家。キャラ立ってますね~。
一応、「そらごと」の「空」は、「嘘」の意味と「天の川」にちなんだ縁語をかけているそうです。こちらも、「ふみ」も「文」と「踏み」をかけています。)


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<和歌>
やすらはで 寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの 月をみしかな 『後拾遺集・恋ニ・680』

参考:『千人万首』「赤染衛門」、『平安時代史事典』赤染衛門、『袋草紙』136頁、『紫式部日記』、『和歌文学大系 赤染衛門集』本文、解説
2008.10.15 葉つき みかん 


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