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額田王(ぬかたのおおきみ)
<基本データ>
*飛鳥・白鳳時代の女官、歌人 *父:鏡王 *姉:鏡女王 *娘:十市皇女(大海人皇子による) *夫:大海人皇子→天智天皇 

*生没年未詳ではありますが、『創られた万葉の歌人-額田王-』で、大化元年(645年)に15歳で元服した大海人皇子の添い臥しに上がったという考えが示されていました。この時代、添い臥しと言う制度はあったかは疑問ですが、額田王は大海人の初めの妃なので、制度としてはなかったとしても大体添い臥しの様な結ばれ方をしたと思われますので、大海人の皇子との結婚が15歳から19歳の間に行われたとすると、彼女の生年は西暦626~630年辺りと考えられます。

<年表>
*年齢は、生年を626生まれと仮定して計算しました。

斉明四年(658年) 30歳 斉明天皇の紀温泉行幸に随行し、
「秋の野のみ草刈り葺(ふ)き宿れりし宇治の宮処(みやこ)の仮廬(かりほ)し思ほゆ」の歌を詠む。

斉明七年(661年) 35歳 熟田津で、
「熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな」の歌を詠む。

天智六年(667年) 41歳 近江大津宮遷都の時、
「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや」の歌を詠む。

天智七年(668) 42歳 蒲生野遊猟に参加し、大海人皇子と
「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」の歌を詠み交わします。

天智十年(671)年 45年 天智天皇の崩御後、
「かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊に標結(しめゆ)はましを」の歌を詠む。

天武七年(678年) 52歳 娘の十市皇女に先立たれる。

持統年間、60代になり、弓削皇子と贈答歌を交わします。これが彼女が記録に残る最後です。

<エピソード>

*大きな儀式や宴の時に必ず歌を詠むように期待された、いわゆる「宮廷歌人」の先駆者的存在だと位置づけられています。

<歌>
君待つと 我が恋ひをれば 我が宿の 簾動かし 秋の風吹く
参考史料:国史大事典「額田王」、梶川信行『創られた万葉の歌人-額田王-』はなわ新書、千人万首「額田王」

2003.9.30. 葉つき みかん


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