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僧正遍照(そうじょうへんじょう)



<基本データ>


*平安初期の僧、歌人 *生没年:弘仁七~寛平二(816-890)  *俗名:良岑宗貞  *号:花山僧正  

*父:大納言・良岑安世 *子:素性法師 *六歌仙、三十六歌仙 *多選家集『遍照集』 *勅撰集入集歌は計36首

<年表>
承和十二年(845) 30歳 従五位下に叙せられ、左兵衛佐となる。蔵人→左近少将

嘉祥二年(849) 35歳 蔵人頭の要職に就く。

嘉祥三年(850)正月 36歳 従五位上に叙された。三月二十一日、寵遇を受けた仁明天皇が崩御すると、装束司の任を果たさず出家。
*比叡山に入り、慈覚大師円仁より菩薩戒を受け、台密の修行に励む。

貞観十年(868) 53歳 創建された花山寺(元慶寺)の座主となる。

貞観十一年(869) 54歳 仁明天皇の皇子常康親王より譲り受けた雲林院をその別院とする。

元慶三年(879) 64歳 権僧正 

仁和元年(885)十月 70歳 僧正。同年十二月、七十の賀を光孝天皇より受ける。

寛平二年(890) 75歳 正月十九日、死去。

*この方について、私は爽やかで潔いイメージを持っています。基本的には現世に執着を持たず、飄々と暮らしているのですが、風流心は忘れない。35歳で仁明天皇が死亡した事によりさっと出家してしまったところは潔いですし、その後に小野小町と交わした歌は艶っぽい。出家したからと言って、堅苦しく道心を捉えず、生活そのもので仏教を実践していた方だと思います。あの時代において、自在な精神を持っていた方だと思います。「大鏡」の舞台である雲林院や、花山院に関係する花山寺に関わっていて、そこでも気になる存在です!私はこの方の歌と生き方が好きです。

<エピソード>

<資料>出家後に小野小町と交わした歌
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石上といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けて、まかり帰らむとて、とどまりて、

「この寺に遍昭あり」と人の告げ侍りければ、物言ひ心見むとて、言ひ侍りける   

小野小町  岩のうへに旅寝をすればいとさむし苔の衣を我にかさなむ

返し 世をそむく苔の衣はただ一重かさねばうとしいざふたり寝む(後撰1196)
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訳:
(小町が)大和の石上という寺に詣でて、日が暮れたので、夜が明けてから帰ろうと、泊まったところ、

「この寺に遍照がいます」と人が告げましたので、「物をいいかけて風流の心を見よう」ということで、言いました。

 
小野小町 石上ではないが、岩の上に旅寝をすると、とても寒いので、あなたの苔の衣(法衣)を私に貸してください

返し(遍照) 出家した法衣は一重ねしかありません。だからと言って貸さなければ冷淡だ。さあ、二人で寝ようか。
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出家者がこんな歌を詠むなんて!と憤慨しないで下さい。小町も遍照も冗談だと分かりきって応対しています。小町も遍照もともに仁明天皇に近く仕えた身、お互いに気心の知れあった同士のやりとりです。私はむしろ出家の身にこだわらずこんなさばけた歌を詠んだ遍照に好感を感じます。

<歌>
はちす葉の濁りに染まぬ心もて なにかは露を玉とあざむく

千人万首「遍照」を参考にしました。

2003.7.11. 葉つき みかん


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