FC2ブログ
01-hyakunin-075-f-mototoshi.jpg

小倉百人一首 第七十五番 藤原基俊
律師光覚維摩会(ゆいまゑ)の講師の請を申しけるを、たひたび洩れにければ、法性 寺入道前太政大臣に恨み申しけるを、しめぢの原のと侍りけれども、又その年も洩れにければ、よみてつかはしける

契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり(千載1026 )

【通釈】(詞書)律師光覚が維摩会の講師を請い願ったのに、たびたび人選に洩れたので、法性寺入道前太政大臣(藤原忠通)に不平を申したところ、「しめぢの原の(委せておきなさい、の意)」と返答があったけれども、その年もまた洩れてしまったので、(忠通に)詠んで送った歌

(歌)「なほ頼めしめぢが原のさせも草」と、貴方はあれほどはっきりお約束してくださいました。私は忠通様のお言葉を命の綱にしておりましたのに、裏切られました。ああ、こんなふうにして、今年の秋もむなしく過ぎてゆくようです。

【語釈】

*律師光覚 基俊の子。

*維摩会 奈良の興福寺で、十月十日から七日間、「維摩経」を講賛し、供養する法会。六五七年、藤原鎌足が山階寺を建立し、翌年、僧・福亮(ふくりょう)を招いて講賛させたのが最初。南京(奈良)三会の一つ。この講師に選ばれるのは名誉な事とされた。

*法性寺入道前太政大臣:藤原忠通。

*しめぢの原の:基俊の依頼に対し、忠通が答えた言葉。。清水観音の歌と伝わる「なほ頼めしめぢの原の…」(下記参照)を踏まえ、「まかせておきなさい」と請け合ったわけである。
清水観音御歌「新古今集」(釈教・1916)

なほ頼め しめぢが原の させも草 我が世の中に あらむかぎりは

訳:私を頼みにし続けよ。たとえあなたがしめじが原のさせも草(よもぎ)の様に思い焦がれる事があっても。

*契りおきし:あなたが約束しておいてくれた。作者が藤原忠通を通じ、息子を維摩会の講師にしてほしいと頼んだのに対し、忠通が請け負ってくれたことを指す。「おき」は「露」の縁語。

*させも:させも草。ヨモギの別称という。「さしも」(あれほど)の意を掛ける。

*露:恵の露。忠通の言葉を尊いものとして、このように表現した。

*あはれ:感動詞

*いぬめり:「往ぬ(ナ変・終了)」+「めり(推量)」

【補記】『基俊集』には「九月尽日、惜秋言志詩進殿下、光覚豎義事、有御約束遅遅比、しめぢがはらのと被仰」の詞書がある。

【解説】 短い中に色々な技法と逸話と引き歌が散りばめられた歌です。歌学者の名に恥じない歌です。ただ、ちょっと湿っぽい…。これが同時代の歌人にちょっとうざがられた所以でしょうか。

綺麗に詠まれた情景歌ではなく、嘆願の歌を百人一首に採ってしまう定家のちょっとした意地悪さを感じます(^_^;)

それから藤原忠通さんの適当な面まで残しちゃって…。

と言うか、これ、千載集に採られていますが、選者の藤原俊成(定家の父)さんは、忠通さんの息子さんの九条兼実さんに仕えているのに、これを採っちゃったなんて・・・いいんでしょうかね?

藤原基俊さんは、永久四年(1116)、五十七歳の時に、雲居寺結縁経後宴歌合で判者を勤めてから、藤原忠通に親近し、忠通主催の歌合に出詠したり、判者を勤めたりするようになる、との事なので、この辺で詠まれた歌だと思います。

情報が多すぎて、イラスト1枚に収めきれない気がしたので、4コママンガで描いてみました♪

【基本データ】
藤原基俊(ふじわらのもととし)

*平安時代後期の歌人・漢詩人・歌学者
*法名:覚舜
*生没年:康平三年(1060)~永治二年(1142) 享年 八十三歳
*父:右大臣 藤原俊家(藤原頼宗の息子)
*母:高階順業女
*兄:権大納言 宗俊
*姉:全子(藤原師通の北の方、忠実母)
*弟:参議 師兼、権大納言 宗通
*名門の出身でありながら、官途には恵まれなかった。極官は、従五位上左衛門佐。

*家集:「基俊集」
*中古三十六歌仙 *堀河百首の作者の一人。
*弟子:藤原俊成。彼に「古今伝授」を行う。
*万葉集次点(訓点)者の一人。
*漢詩にも優れていた。→『新撰朗詠集』を編纂。『本朝無題誌』に漢詩が採られた。
*古今集を尊重し、伝統的な詠風は当時にあって異色。歌風は保守的で優雅だが、創造性に欠ける。革新的な源俊頼と対立。
*漢詩論の用語「幽玄」「余情」を和歌の判詞に初めて用いた。

詳しい略歴はこ ちらをクリック。

参考:平安時代史事典、千人万首「藤原基俊」、鈴木日出男 他『原色 小倉百人一首』(文英堂) 葉つき みかん 2013年5月15日


| HOME |