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小倉百人一首第六十番 小式部内侍

「和泉式部、保昌に具して丹後国に侍りける頃、 都に歌合侍りけるに、小式部内侍歌よみにとられて侍りけるを、 定頼卿、局のかたに詣で来て、 『歌はいかがせさせ給ふ、丹後へ人はつかはしてけんや、 使まうで来ずや、いかに心もとなくおぼすらん』など、 たはぶれて立ちけるを、引き留めてよめる 」

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず天の橋立

『金葉集・雑上・550』

【通釈】

「(小式部の母の)和泉式部が(夫の)藤原保昌に付いて丹後国(現在の京都府北部)にいました時、都で歌合がありました時に、小式部内侍が参加歌人に選ばれました所、
定頼卿が、(小式部の)局にやって来て、
『歌はどのようになさいますか、丹後へ使者はやりましたか、
使者は戻ってきませんか、どれほど心細くお思いでしょう』とか、
からかってから立ち上がったのを、(小式部が)引き留めて詠みました。」

大江山を越え、生野を経て行く道が余りに遠いので、まだ丹後にある天橋立も踏んでもいませんし、丹後にいる母からの手紙を見てもおりません。

【語句】

*「和泉式部・・(中略)・・丹後国に侍りける頃」:寛仁四年(1020)~治安二年(1023)の間。小式部は西暦997年頃の生まれと推測されるので、大体小式部24歳~27歳の頃のいつか。

*「大江山(大枝山)」:丹波国桑田郡(京都府)にある山。山城国と丹波国の国境にあたる。現在の京都市西京区の中にある。

*「いく野」:「生野(京都府福知山市)」と「行く」との掛詞。
※和泉式部が暮らしていた丹後国へは、大江山と生野を経て行く。

*「ふみ」:「踏み」と「文(ふみ)」との掛詞。
※ここで、小式部は丹後に行った事もなければ、母からの手紙を見てもいない、母とは交渉を持っていない事を強調しています。

*「踏み」は後に出てくる「橋」の縁語。

*「天の橋立」:丹後国与謝郡(京都府宮津市)にある景勝。日本三景の一つ。

※第四句と第五句は倒置法。

【解説】
定頼のからかいに対して、たんかを切ったような威勢のいい歌ですね。

当時、小式部の歌が優れているのは、有名な歌人である母・和泉式部が代作しているから、という噂がありました。
それを確かめるためか、単に気になる女房・小式部にちょっかいをかけるためかは分かりませんが、ちょっと一言多い父君・公任氏のDNAを受け継ぐ、定頼くん(当時、参議 兼 右大弁。当時25歳位)がわざわざ局に来て、上のような戯れの言葉を小式部にかけました。

おそらく同僚の女房達や他の殿上人達もその場にいたでしょう、小式部は衆目の中で馬鹿にされては私の面目に関わる!と当時の女性にしては思い切りがよく、御簾から出て、定頼の袖をむんずと掴んで、即興で素晴らしい歌を詠んだのでしょう。

上の解説でお分かりの通り、この歌は、掛詞、縁語、倒置法という和歌の技巧を巧みに織り込んだ秀歌です。
また、地名を三つも織り込んでいながら、流れが流麗でうるさい印象を受けません。

その上、意味も二重にかけられていて、「私の歌は正真正銘の自作よ!母に代作してもらっているわけではないわ!」という自分の主張もしっかり盛り込んでいます。

清々しくなるほどの心地よい歌です。

『袋草子』『古今著聞集』では、この後の定頼の反応として、直衣の袖を振り払って逃げたとの事です。定頼はこの逸話のおかげでちょっとした道化役を担っています。

ただ、定頼の伝記での説明でも書いたように、小式部がやり込めた相手が高名な歌人の定頼だからこそ、話も広まって、小式部にかけられた疑念が広く晴らされたという事もありますし、陰でこそこそ言うだけじゃなくて、代作の疑惑を当人に晴らす機会を与えたという意味でも定頼さんの行動は評価されるべきだと思います。


<ミニストーリー>

藤原道長の栄華の花が咲き初めた平安中期。

今上(後一条)天皇の母・太皇太后彰子の殿舎の一角―内侍・小式部の局―で、小式部は同僚の越後の弁に熱弁を振るっていました。

小式部は25歳。母の和泉式部譲りの華やかな顔立ちを紅潮させている。
「全く、もう失礼しちゃうわ!宰相(藤原定頼)様ったら!人前で私の事を侮辱して!」

小式部よりは2、3歳年下の越後の弁は、知的な眉を曇らせながら、小式部の怒りを聴いている。最近母の紫式部が亡くなって落ち込んでいたようだったが、時折笑顔も見せるようになった。

小式部の怒りは続く。
「わざわざ私の局に来て、『丹後に使者はおやりになりましたか、使者はお帰りになりましたか、さぞ心配でしょう』なんておっしゃるのよ!まるで歌合に出す歌を私が母に代作してもらっているかのように!
だから私は宰相様の袖を掴んで、即興で歌を詠んでやったわ。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず天の橋立

それを聞いて宰相様は袖を振り切って逃げていかれたの。あーせいせいした!」

それまで黙って小式部の話を聞いていた越後の弁は、静かに口を開いた。
「でも・・・考えようによっては、人前で代作の疑いを晴らす事が出来たわよね?」

小式部は、いつも穏やかな越後の弁の思わぬ反応に戸惑った。

越後の弁は続けた。
「実は・・小式部が傷つくと思って言えなかったけれど、内裏中で、小式部の歌が上手いのは、お母様の和泉式部様が代作されているという噂が広まっていたの。」

小式部の誇り高い顔がますます赤く染まった。
「なっ・・・!!」

「もちろん、私は小式部と常に接して、その才気と御前で詠まれる歌をいつも見ているからそんな噂は根も葉もないことだと思っている。」

小式部の瞳から大粒の涙がこぼれ出してきた。
「何で・・何で私はお母様程の歌才がないと思われているの・・・。同じく偉大な親の子供である越後の弁も、宰相様にもそんな疑いはかかってはいないのに・・・。」

越後の弁の瞳からも涙がにじんできた。
「素敵過ぎるのよ・・・。小式部が・・。皆、妬ましいのよ・・。」
「教通様という素晴らしい御方の寵を受けながら、どんな貴公子も魅了する小式部が・・。」
「私も小式部が大好きだから、宰相様があの事件の後から上の空になってしまう気持ちも分かるし、責められない・・。」

小式部は何かに気づいたように濃い睫を振るわせた。
「弁・・・。」

小式部は越後の弁のつややかな黒髪を優しく撫でた。
「ごめんね・・。私は弁の悲しさを気づいてあげられなかった。」
「弁はお母様も亡くなって、自立して生きているよね・・。それに引き換え、母上は丹後にいるけれども、元気で、私は母上に甘えている。だから周囲に母上に代作させていると見えてしまうのよね。」

越後の弁の嗚咽が大きくなった。
「大丈夫よ。私は教通様一筋。
弁の良人(いいひと)の宰相様を取るなんて事、ありえないわ。
お母様が亡くなられてから唯一の心の支えの御方ですものね。
そんな大事な人の悪口を言ってごめんね・・。」

越後の弁は涙の下からひと言。
「いいのよ・・・宰相様のひと言多いのはお父様の四条大納言(公任)様譲りだから・・・。」

それを聞き、小式部は思わず噴出してしまった。
越後の弁も小式部の笑い声につられて笑い出した。
小式部は自分の懐紙で弁の涙を拭きながら、言った。

「さ、宮様の御前へ行きましょう!」

越後の弁はうなずき、唐衣を羽織り、二人は立ち上がった。

(終わり)



【略歴】
<基本データ>
*平安時代中期の女官・歌人 *生没年:長徳二年(996)の翌年頃?~万寿二年(1025) 享年28歳位? *父:和泉守・橘道貞 *母:和泉式部 *恋人:堀河右大臣・頼宗、二条関白・教通、藤原公成、藤原永範(?) *友達(管理人設定。『宇治拾遺物語』では恋人との事。):四条中納言・藤原定頼 *子:静円法師(父:教通)、頼忍阿闍梨(父:公成)、娘(?)
*勅撰集4首入集。 *女房三十六歌仙 *百人一首

詳しい伝記はこちらをクリック。
参考:千人万首「小式部内侍」、平安時代史事典「小式部内侍」、
『袋草子』、『古今著聞集』、『宇治拾遺物語』


線画:コピック0.05ミリ 色塗り:Photoshop Elements,Paintgraphic2  単の素材:月宿海渡時船
かさねの色目 小式部:裏山吹 定頼:柳

2007.6.17 葉つき みかん


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