FC2ブログ
01-hyakunin-040t-kanemori.jpg

小倉百人一首 第四十番 平兼盛

「忍ぶ恋」

忍ぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(『拾遺』622)

<通釈>
「(テーマ)忍ぶ恋」

隠していたのに私の恋心は表情に出てしまったのだなぁ。周りの人が「何か物思いをしているのですか」と私に聞くほどまでに。

<語句>
*「色」:視覚的に認識可能なもの。ここでは顔色・表情などの意。
*「や」+「思ふ」→係り結び

<先行歌>
読人不知「古今集」
思ふには忍ぶることぞまけにける色にはいでじと思ひしものを
  「奥義抄」に引く出典不明の古歌
恋しきをさらぬ顔にてしのぶれば物や思ふと見る人ぞ問ふ

<解説>
1万ヒット記念のアンケートで 5位を取った歌です。
なだらかな調べの中に、ほのかな恥じらいを含んだ珠玉の歌です。

この歌は平兼盛が52歳の時、天徳四年(九六〇)内裏歌合に右方で参加し、二重番目に、壬生忠見の「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか」とつがえられ、どちらも名歌のため、判者の藤原頼忠が勝負をつけられず、補佐役の源高明に判定を譲りました。

けれど高明も勝敗の判断を下せず、村上天皇の御様子を窺った時に、天皇が「しのぶれど・・・」とつぶやいたため、勝ちを収めました。

たしかに、壬生忠見の歌も味わうと名歌ですが、調べの上ではこちらの方が勝っているように思われます。

負けた壬生忠見は、ショックの余りそのまま病にかかり死んでしまったと、「沙石集」には書かれていますが、これは後世の作り話のようです。

イラストでは、読み札では兼盛と、背景に彼の属した右方の州浜(すはま)を描きました。天徳四年内裏歌合では二十組の歌が戦わせられたのですが、歌は趣向のこらされた州浜に書き込まれていました。

右方は青と緑色が基調となっていました。

「新編国歌大観」の「天徳内裏歌合」の項では、州浜の形状が書かれた日記が引用されています。

その記述は漢文のため、私は完全に理解できず、私の描いた州浜は沈香の下机と覆いの布を欠いてしまいました。

右の州浜の形状を日記引用と岡野玲子「陰陽師」7巻の天徳内裏再現部分で補って描写してみます。

州浜は、沈香(じんこう)の下机の上に浅香(せんこう)の華足(けそく)の机を重ねた上に置かれています。形は庭の池の形をかたどっています。
州浜には沈香の山、鏡の水、銀で作られた柳の枝、人形鳥獣が置かれている。紙に小さい字で歌が書かれており、柳の枝に結び付けられている。

それを、柳の枝を刺繍した青い綾の布で覆っている。

以上です。

そうそう、余りに詠んだ歌が美しいため、管理人は平兼盛は初々しい美青年のまま生涯を送ったというイメージをもっていましたが(私だけ?)、調べて見ると彼の生涯は結構生臭い、人間くさいエピソードが多く残っています。それは後ほど、略歴の部分で軽くご紹介します。


<ミニストーリー>

 平安時代中期の永観三年(985)、77歳の平兼盛は自邸で源重之と酒を酌み交わしていた。
 円融院の紫野御幸における歌会で兼盛が執筆した和歌序が、院のお褒めにあずかったので、昔からの歌仲間である重之と小さな宴を開いていたのだ。
 総白髪に皺で覆われた顔は、幸せそうに赤らんでいる。切れ長の涼しげな目に、少し上がった眉毛。面長の顔とがっしりした顎の名残はかすかに残っている。
 向かい合う重之はかなり年下で、45歳位。こちらは兼盛とは違い、丸顔で温和な表情をしている。尊敬する先達の栄誉に興奮気味である。

 二人は同時にかわらけの酒を飲み干し、息を吐いた。

 「わしは、本当に年をとったな・・・。旨いはずの酒も、過ぎると体にこたえるわい。」
 
 重之が答えた。
 「先日いただいた歌でも、そのような事をおっしゃっておられましたが・・・。まだまだお若いですよ。」
 
 兼盛は、思い出すように目を細めた。
 「おぅおぅ、そういえば「暮れてゆく」の歌(註1:下参照)を送ったな・・・。覚えていてくれたのか。」
 重之は床に置いてある酒の肴をぼんやりとながめながらつぶやいた。
 
 「兼盛様の歌は、全て頭の中に入っております。兼盛様は歌の神の化身の様な方ですから。」

 
 兼盛は、目を大きく見開き、酒で赤くなった顔をますます赤くして、冷や汗を流しながら、言った。
 「化身だなんて、なんと畏れ多い・・・。わしは歌に取り憑かれたただの哀れな男さ。」

 
 兼盛は目をつぶり、ぽつり、ぽつりと話し出した。
 「わしは幼いころから、歌が友達だった。」
 「歌を詠んでいれば淋しくなかったし、上手い歌を詠めば、皆が褒めてくれ、人が周りに集まってきた。」

 「分かります。私も幼い頃は、そうでした。」
 重之はあいづちを打った。

 「長じてからは、歌のお陰で貴伸に取り立てられ、屏風歌を詠んだり、恋歌の代作をした。非常に名誉に思ったし、得意になってもいた。」
 「絶頂期は、天徳内裏の歌合わせ。二十番、壬生忠見殿との渾身の対決だった。」

 「もはや伝説となっている対決ですね・・・。私も元服したての頃、人づてに聞いて興奮しました。」
 重之は熱っぽく言った。。
 
 「判者の実頼殿と高明殿が勝敗を決められず、緊迫した空気の中、ふと帝がわしの句を口ずさまれた時は、うれしさの余り身体が飛び上がりそうになった。」

 兼盛は急に口ごもった。
 「ほんとうに恥ずかしい事だが・・・。歌の上手く詠めない者を内心で馬鹿にしていた時もあった。」
 「きっとこの傲慢さが原因だったのだろうな、家族の縁は薄かった。」 
 「若いころは歌さえ詠めば簡単に意中の女性が手に入ることに有頂天になって、妻を泣かせたな。」

 「とうとうあれは、わしの元から去って、一人で娘を産んでしまった。」
 「わしは自分のあれへの仕打ちを後悔して、やり直そう、娘と一緒に暮らそうといっても、あれは頑として拒否した。」
 「そして、訴訟沙汰になったときに、担当の検非違使が、あの男-確か赤染時用(あかぞめときもち)とかいう男-だったのだよ。」
 兼盛は悔しそうに唇をかんだ。
 
 「あれは時用と所帯を持ち、わしの娘と三人で暮らし始めた・・・。」

 重之は元気づけるように兼盛に酒をついだ。兼盛はそれを一気に飲み干した。
 「わしがいくら娘を渡してほしい、せめて顔だけでも見せてほしいと頼んでも、無駄だった・・・。」

 重之は心のこもった暖かい声で話しかけた。
 「兼盛様は子供がお好きですからね。どんなにかお辛かったでしょう・・・。」

 兼盛は自嘲的にかすかに笑った。
 「あの時は辛くて歌も詠めなかった。」

 御簾の間からこぼれ落ちた月光が兼盛の横顔を照らした。
 「風の便りに娘は大江匡衡殿と結ばれたと聞いた。幸せに暮らしているだろうか。」

 「匡衡殿との間に子供を二人産み、源雅信卿の屋敷の大君(倫子)の元で女房として仕えておられるそうです。かなり頼りにされているようですよ。・・・そしてさすが兼盛様のお血筋。上手の歌詠みとしてとおっているらしいです。」
 重之はおだやかに言った。

 兼盛はため息をついて言った。
 「顔も見れなんだ子だが、まさしくわしの子じゃなぁ・・・。」
 
 兼盛は重之に向き直った。
 「今まで、わしはこのまま一人で生を終わるのはなんと虚しいことかと思っていた、が・・・。」
 「・・・家族ではなく、自分の詠んだ歌につつまれて一生を終わるほうが、私らしいかもしれないな。」


 その独白に答えるかのように、重之は、「忍ぶれど・・・」の歌を優しい声で吟じはじめた。同じ歌を二度目に吟じはじめた時、ゆっくりと兼盛が重之に和した。

 唄い続ける二人を月の光がやさしく照らし出していた。


(註1)暮の秋、重之が消息(せうそこ)して侍りける返り事に

くれてゆく秋の形見におく物はわが元結の霜にぞありける(拾遺214)

(去っていく秋が私に残していった形見は、私の元結に降りた霜-つまり白髪であったよ。)

(終)

2007年10月27日 葉つき みかん

<略歴>

*平安中期の官人、歌人。*光孝平氏。*父、筑前守篤行。*娘:赤染衛門。
*歌人友達:大中臣能宣、源重之、恵慶法師
*家集「平兼盛集」
*三十六歌仙。*百人一首。

詳しい略歴はこちらから!


参考:「千人万首」平兼盛、「平安時代史事典」平兼盛
トップ サイトマップ 百人一首トップ




| HOME |