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小倉百人一首 第二十四番 菅家(菅原 道真)

朱雀院(宇多上皇)の奈良におはしましける時に、手向山にて詠みける

このたびは ぬさもとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 『古今集・き旅・420』

<通釈>
宇多上皇が奈良にいらっしゃった時に、手向山で詠みました。

この度の旅は、幣(ぬさ)をささげる事もできません。この手向をする山の錦織の様な紅葉を幣の代わりにささげますので、どうか神のお心のままにお受け取り下さいませ。

<語句>
*「このたび」:「この度」と「この旅」をかける。

*幣(ぬさ):木綿や錦の切れ端で作られた、神への捧げもの。旅行の際には、これを道々の道祖神に捧げて、旅の無事を祈った。

*「とりあへず」:「・・・あへず」は「完全に・・・しきれない」の意味。

*「手向山」:「神に手向けをする山」固有名詞ではない。

*「紅葉の錦」:紅葉の美しさを着物の錦織に見立てた表現。

*「まにまに」:「思うままに」


<解説>
この歌は、昌泰元年(898)十月に、54歳の道真が宇多上皇(33歳)の吉野宮滝行幸に供奉した時に詠まれた歌です。道真が大宰府に左遷される3年前、宇多上皇の支持を元に、権大納言兼右大将の職に就き、順風満帆の時でした。
この宮滝行幸は、宇多上皇が多くの歌人を引き連れて行った華々しい行幸でした。
京都から奈良までの道々、絶景がある所に立ち寄り、宴を開いて歌や漢詩を詠みあうというものでした。きっと、自分を信頼してくれる若い宇多上皇の横で、気の合う仲間達と酒を酌み交わしながら、漢詩や歌を詠む道真の顔は嬉しさに輝いていた事でしょう。

そんな得意の絶頂だった道真の一瞬を切り取りたくて、燃えるような紅葉を背景に紅葉の枝を神に捧げる道真を描きました。そして、取り札には、歌を詠む道真を満足そうに見つめる若き宇多上皇を描いてみました。宇多上皇は、光孝天皇の息子なので、ご興味がおありの方は見比べてみて下さいませ。

*宮滝行幸の詳細な日程は、「両槻会」サイト内、「第一回 両槻会講演資料 吉野宮滝への道」に載っています。


<ミニストーリー>

昌泰元年(898)年、十月、平安初期-

菅原道真は、宇多上皇の宮滝行幸を明日に控えていた。

昨年、右大将をかねた権大納言に任じられた道真は、自信に溢れた面持ちで妻の宣来子(のぶきこ)が明日着ていく衣に香をたきしめる様子を見ていた。

道真は五十四歳。若いころは痩せぎすだった体に、少し肉が付き、端正な容貌に穏やかさを与えている。双眸は若いころと同じように深く静かな知性を湛えている。

宣来子(のぶきこ)は道真の糟糠の妻である。道真が勉学に心身を捧げていた時、宣来子は淋しいなど一言も文句を言わず、静かに道真を支えていた。

もうすぐ五十の坂に達するため、さすがにしわは目立つようにはなってきたが、肌のきめ細かさと黒目がちの切れ長の目は匂やかさを保っている。

ふと、宣来子がつぶやいた。
「不安でございます・・・」
「あなたが遠くに行ってしまうようで・・・。」

道真は意外そうな顔をした。
「遠くへ?おかしな事を言う。今度の行幸は奈良の都の外れ、畿内だし、とても近い。」

「いえ、そういう意味ではなくて・・・」
宣来子は思い切ったように顔を上げた。

「亭字の院(宇多天皇)に重用されてからのあなたは、昔とは違って来ているように思えるのです。」
「衍(行の間に三ずい)子を帝(宇多院在位時)に入内させた時から、何だかおかしいと思っていましたが、次女を斉世親王に縁付かせたりして・・・。」
「あなたの行っていることは、藤原氏の外戚政治と変わりません。」

宣来子は道真の瞳を見据えた。
「昔の学問によって出世を目指そうとしていたあなたはどこにいってしまったのですか?」

道真はうろたえた。
「何を言っているんだ。衍子は帝の思し召しがあったから入内させたまで。斉世親王へは、わしの学問仲間の橘広相の孫だから嫁がせただけだよ。わしには外戚を狙う何の野望もない。」

「でも世間はそうは見ませんわ。菅家は、院の信頼を後ろ盾に、藤原氏に取って代わろうとしている、と・・・」

宣来子の言葉を道真は不機嫌にさえぎった。
「さぁ、もう黙りなさい。わしは行く用意で忙しいのだ。院とわしの間には信頼関係がある。わしが、私的な利益に基づく返答をしないとご存知なのだ。」
「だから跡継ぎを誰にするか決めるときにも、わしだけに相談してくださった。」

宣来子は、息をのんだ。(それが藤原摂関家の警戒感を強めた一番の原因なのです!)
それを言おうとしたにも関わらず、道真はもう話を聞く時間もないとばかりに、立ち上がった。

「主上との間にはまだ信頼関係は築けていないが・・・。まだ主上はお若い。当分は院のご指導に従ってまつりごとをなされるだろう。その間に追々(おいおい)・・。」

「なら、よいのですが・・・。」
宣来子はまた視線を落とした。香の煙が静かにくゆっていた。


翌日、妻に見送られて牛車に乗った道真は、昨日、妻に言われたことを反芻していた。

-私が藤原氏と同じことをやっている?まさか、そんな。
自分の一族の繁栄しか考えていない彼らと違って、私はいつも民の幸せ、この国の繁栄しか考えていない。その思いを共有してくださる院がもったいなくも私を高位に引き立ててくださっただけだ。

ガタンと音がして牛車が停まった。

院の御所に参上すると、若々しい表情をした院が出迎えてくださった。院は道真を簾中に呼び、来年の叙目では道真を右大臣に任じることを告げた。道真の頬にさっと赤みが走り、素早く後ろに下がって深く深く平伏した。



その日の道真は夢の中にいるようだった。

宮滝に向かう途中で燃えるような紅葉を見つけ、そこで休憩をする事になった。
昼食の割子を食べ、酒を飲みながら誰からともなく歌を詠み始めた。

道真も興に乗り、歌を詠んだ。

「このたびは 幣もとりあへず手向山 紅葉の錦 神のまにまに」

鮮やかな紅葉を神への幣にたとえる趣向は知的に洗練されていて、道真の歌はやんやの喝采を浴びた。

道真は、酒と幸せな自分の境遇と紅葉の赤に酔いしれて涙を流した。



昌泰四年(901)、正月。

道真は罪人用のみすぼらしい牛車に乗せられて、太宰府に連れて行かれていた。ぼろぼろの車輪のせいで、ひどく揺れる。それが五十代も終わりにさしかかっている道真の体に堪えた。

先ほど、道真は従者から、上皇様が自分の赦免を願って内裏に駆けつけたにも関わらず、天皇に面会する事が出来なかった事を聞いた。道真の目頭が熱くなってきた。
(上皇様・・・。何とももったいない・・・。私なんかのために。)
道真は手をあわせた。
(・・・上皇様が御在位の折りは、深夜までこれからのあるべき国の形を論じましたね。)

あの頃は楽しかった・・・。

気の合う仲間で集まって、いろんな所へ行幸もしました。
そう、あの宮滝の行幸の時。私は上皇様に、菅原氏初の右大臣としていただける事を聞かされ、得意の絶頂だった。

私の何がいけなかったのでしょう。一体何が・・・。


道真は三年前の宣来子の不安そうな顔を思い出した。道真の瞳の奥で何かが閃いた。

(そうなのだ!藤原氏は、自らの権力を、そして外戚の地位を奪おうとする氏を徹底的に排除する。長屋王に始まり、大伴氏、橘氏、源氏、近くは橘広相・・・。)

権力の絶頂で私の目は曇っていた。あれほど私の実となっていた歴史の知識も何の役にもたたなかった。

私の基盤はいかにもろいかを忘れてしまっていた。私を頂点にまで押し上げてくださった梯子である上皇様は、私の転落を止める力は持っていなかった。
そして今上には、紛れも無い藤原の血が流れておられる。時平と私とどちらに味方すると問われれば、答えは明らかであった。

いずれ梯子は外される。私は、それを自ら悟って政界を引退すべきだったのだ。
昨年、三善清行が私に辞職勧告の書を送ったのも、こんなぶざまななりをさらさないようにとの思いがあったのだろうか。
・・・あのときにはひどく無礼に感じたものだが。


道真はもう二度と目にする事もないかもしれない都の景色を目にしっかり焼き付けておこうと牛車の窓を開けた。
梅の白い花びらが夜空にひときわ映えて、輝いている。


ああ・・・。
梅の香りがする。
私の大好きな梅の香りが。

せめて梅の香りだけでも配所について来てほしい。栄華に目がくらんで政敵のしかける罠に気づかなかった哀れな老人をなぐさめてくれ。

道真は目を閉じて、牛車の壁に身を預けた。梅の香りは道真を包むようにいつまでも周りに漂っていた。

終わり


2008.4.26 葉つき みかん


<略歴>
<基本データ>
*平安初期の学者・政治家 *生没年:承和十二(845)~延喜三年(903) 享年:59歳
*通称:菅家、菅贈太政大臣
*父:菅原是善 *母:伴氏 *妻:島田宣来子(しまだののぶきこ) *子供:高視、宇多天皇女御、斉世親王室他
*友人:紀長谷雄
*漢詩文集:『菅家文章』『菅家後集』唐人の詩文に比して遜色ないものとされる。 *家集『菅家御集』
*著書:『類聚国史』(六国史の記事を部類別に編集したもの)
*『三代実録』を編纂。

詳しい伝記はこちらをクリック。

2008.4.26.  葉つき みかん  



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