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小倉百人一首 第二十三番 大江千里(おおえのちさと)

「月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」の歌からイメージされる情景を描いてみました!
大江千里は平安時代初期の文人官僚。
この歌は、宇多天皇の指示で、『白氏文集』の中にある漢詩『燕子楼』「燕子楼 中霜月の夜 秋来って 只一人の為に長し」を和歌に翻案したものです。


是貞のみこの家の歌合によめる

月みれば 千々に物こそ 悲しけれ 我が身ひとつの 秋にはあらねど(古今193)

〈通釈〉
月を見ていると、あれこれと際限なく物事が悲しく思われるなぁ。秋は誰にもやって来るもので、私一人にだけ訪れるわけではないのだけれど。


〈語釈〉

*是貞のみこの家の歌合:是貞親王家歌合(これさだしんのうけのうたあわせ)。『仁和二宮歌合』とも言う。

是貞親王は光孝天皇第二皇子。同母弟の宇多天皇が菅原道真に命じて『新撰万葉集』の編纂を企てた時、その撰歌機関となったものが、『寛平御時后宮歌合(皇太夫人班子女王歌合)』と『是貞親王家歌合』とであったと考えられる。

前者が一〇〇番二〇〇首であるのに対して、本歌合も五〇番一〇〇首に及ぶ大規模なものであるから、遊宴的な要素を伴った初期の晴儀歌合としては、ともに一日の興行では到底不可能なものである。『新撰万葉集』の上巻序文に「当今寛平聖主万機余暇挙宮而方有事合歌」とあるのが、場所は母宮や兄宮に借りても実質的な企画が宇多天皇の手に成ったことを物語っている。

合計八九首の現存歌のうち一一首が『新撰万葉集』の上巻に、五首が下巻に採られている。勅撰集に入撰するもの三〇首、『百人一首』に入るもの三首。藤原敏行・同興風・大江千里・紀友則・同貫之・壬生忠岑・文屋康秀・凡河内躬恒・在原元方ら、六歌仙時代から『古今』にかけての作品が多い。『新撰万葉集』編纂直前の寛平五年(八九三)九月以前の成立とみるほかはない。

*千々に:様々に。際限なく。

*物こそ悲しけれ さまざまな物事が悲しく感じられる。「もの」は自分を取り巻いている様々な物事。形容詞「物悲し」(なんとなく悲しい意)の強調表現と見る説もある。「こそ」「悲しけれ」は係り結び。

*我が身ひとつの秋:私一人だけの秋。白氏文集の「燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長」との関連を指摘する論者もいる。秋を悲しい気分で捉えはじめたのは平安時代初期、漢詩文の影響を受けてからの事であった。

*「千々」⇔「一つ」:漢詩に特有な対句の技法を和歌の表現として応用したもの。

〈参考〉「白氏文集」巻十五
燕子楼中霜月夜、秋来只為一人長
(燕子楼中霜月ノ夜、秋来只一人ノ為ニ長シ)

<解説> とても優しく物悲しい雰囲気をたたえた歌です。
余りに和歌への噛み砕き方がうますぎて、漢詩の翻案とは思えません。
『源氏物語』の「花の宴」の朧月夜の口ずさみに使用された「照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の おぼろ月夜に しく物ぞなき」と並んで、平安時代の人々に愛唱されたのも分かります。
宇多天皇が和歌の興隆を目論んで(?)大江千里に漢詩から和歌への翻案を命じた事実はとても興味深く、もっと勉強を深めていつか小話にしてみたいものです。

<大江千里 略歴>

<基本データ>
*平安時代初期の文章博士・儒者・歌人。
* 生没年未詳。九世紀後半~十世紀初頭の人。
*父: 阿保親王男大江音人( 『紹運録』)または大江玉淵『大江氏系図』
*兄弟:少納言・大江玉淵(一説には父)、文章博士大江千古
*子供: 維明・維繁
*家集 『句題和歌』(別称『大江千里集』)。宇多天皇の勅命に応じ、『白氏文集』など漢詩の詩句を題とし、和歌に翻案した作を、漢詩集の部立に倣って編集したもの。漢詩句の表現や思想を和歌表現に摂取する試み。
*勅撰入集歌は計二十五首。中古三十六歌仙の一人。
*博覧で知られ、「貞観格式」の編者の一人。

詳しい略歴はこちら。

参考:平安時代史事典「大江千里」「是貞親王家歌合」
千人万首「大江千里」

2013年8月3日 葉つき みかん


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