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『我が身にたどる姫君』翻案「第五・六巻 アレンジ 後編」

5&6-18 田舎人

内裏、後涼殿の西の方で、大弐は市女笠で侍女を連れて、立ったままきょろきょろ。
通りかかった小舎人に、侍女が聞く。
「もしもし、新宰相の典侍殿のお局はどこですか」
小舎人は、「その辺りと聞いております」と指差した。

新宰相の局では、新宰相が休息を取り、衣服の中に扇で風を入れていた。
新宰相「ふー、暑い。
局に下がって扇で風を入れずにはおれないわ~」
侍女「もし、新宰相様はお出でですか。」
新宰相、けだるそうに目をやって、女童に、
「御用は何か、聞いておいで」と命じる。
女童、行って帰ってくる。
女童「百合宮様にお仕えしております大弐殿が、
申し上げたい事があるので参上なさいました、
との事です」
新宰相、怪訝な顔。
(おかしい。そういう事ならあらかじめ文があるはずだけど・・・
でもこの使いがあちこち歩き回るのも見苦しい。)

女童に、「新宰相君は、帝の御前にいらっしゃいますから、とお言い。」
といい、新宰相は、奥の場所に隠れた。

大弐と侍女は、新宰相の局に入り込んで座り込む。
大弐、女童に、「御所の辺りはやはり結構なものでございますわねぇ。
以前よりも一層田舎者になりまして、事情も存じませんで。」
「ここは、殿上人などがいつもお通りになりますか」
女童「時々は通られます」

外を、四位少将や、右兵衛佐が連れ立って、美しい声で、
「而於此経中(じおしきょうちゅう)」と謡いながら歩く。

大弐、御簾を引き寄せるようにして騒ぐ。
「まぁ素晴らしい、これは誰ですか、誰ですか」
女童、呆れて、「さあねぇ。殿方は大勢いらっしゃるから、見分けがつきません。」

新宰相、(これ以上騒がれたら困るわ・・・)
額髪を整えて、「はー、御前は暑かったわ・・・」と膝行して、出て行く。

大弐「まぁ、新宰相様、お久しぶり!とてもお綺麗になって!」
新宰相、にこやかに笑う。
大弐「ところで、とても変な事がございましてね。
宮様から、何かの機会に帝に奏上なさい、
とお言葉がありまして、
私をお使いにお出しになりましたので、
参内いたしました。」

新宰相、ため息をつく。
大弐、両手をバタバタさせて、訴える。
「・・・で、御匣殿様の唐櫃は、某の宮様からの伝領品で・・・」
「それで、大納言の君が突然、何も仰らずに出て行かれました。
人々が元居たお部屋を見てみますと、道具と言う道具は
全て運び出されておりまして・・・」
新宰相(こんな下世話な事、主上に奏上できないわ・・・)
新宰相「こうしてお仕えしておりますが、
こんな筋合いの話などを
主上に申し上げて聞き届けて頂くほどの
近しい関係ではございません。」
「また大納言の君は、長らく百合宮様とお暮らしなのですから、
何かお考えがおありの事でしょうよ。」

大弐、愕然とする。
(新宰相は、大納言の君の味方ばかりして・・・)
大弐、周りに聞こえよとばかり大きな声で、
「今の事態は常識では考えられない事ですから、
百合宮様がどうかしていらっしゃるのでは、
という風に受け取られはせぬかと
大層お気の毒でございますのでね、」
「御匣殿様の御遺産は、全て百合宮様に参るはずで
ございましたのに、宮様が伊勢にいらっしゃる間に、
大納言の君がそのまま居座られたと聞きました。」
「そうした証文なども皆取り隠されてしまいましたので、
はっきり白黒をつける方法もおありにならず、
とても御不憫でなりませぬ。」

新宰相、しーっ、と口に手をあて、
「そうした証文の事などは、
外から職事などに託して
奏上なさいましたならば、
主上は十分にお聞き取りなさいましょう。」

新宰相、そそくさと立ち上がって、
「ただ今はなかなかお暇が出ない用事がございましたのを、
ほんのしばらくと言って主上の御前を立って参りましたので・・・」

大弐、(失礼な・・・。さっきは主上のお近くに
お仕えしていないといったではないか)カチンと来て、
「それほどお暇がないのですか。
その御言葉は、首尾一貫しないようで」と、高笑い。
その笑いを後に聞きながら、新宰相、逃げていく。

大弐、外を見て、
(夜は更けたかしら・・・。
今夜はここで夜明かしをして帰ろうかしら。)
女童、こっくりこっくり寝る。
大弐(やはり帰ろう)と百合宮の御所に帰る。

5&6-19 わたのはらから


夜、新宰相は女帝の御前に参上した。女帝はまだ御寝みでない。
暗いので灯台が立っている。女房達は碁を打ちに参上した。
そこへ、御乳母の三位が参上して、新宰相の方を向いて、
「新宰相の典侍様の今晩のお客様はどなたですか」
新宰相「えっ・・・」
(まずい・・・聞かれていたの?)
「継母の縁者が突然訪ねて参りました。
隠れる事も出来ずにほとほと困ってしまって・・・」
三位「お若さ加減は本当に良くお声でわかりましたわ。
その方の申された事もみな、すっかり聞いております」
新宰相(ここは笑ってごまかすに限る!)
乾いた笑い。

三位「私自身で聞いたのではございません。
三笠野と申すいつもの口さがない女が、
『典侍様のお客様がこれこれだった』と
真似をしておりましたので、
それを聞いたのでございます」
新宰相、驚愕。
(三笠野ったら、余計なことを!)

三位「三笠野は、『新宰相様の親戚らしくなく、
貧相でみっともない人でした。
お客人はひどく腹が立ったらしく、
何か言い出しそうだと思って
聞いておりました所、
典侍殿は上手く逃げ出して
おしまいになりました』と言っておりました。」
新宰相、慌てて胸の前で手を振って、
「それ程の事もございません!」

三位「大弐が、『主上に奏上なさっておいてください』
と言っていたのですから、早く奏上なさいまし。
いかにもこの様な事は主上のお耳に入れるのがいいのです」
新宰相(そんな飛んでもない・・・)
「大部分は忘れてしまいました」と言って笑い出す。

三位「それでは私が申し上げましょう。
ああ、この事を早く大納言の君に話してあげたいものです。」
三位「かくかく、しかじか・・・」
女房達、大笑い。女帝、物を言わず、じっと聞いている。
女帝、悲しげな顔で、
(百合宮様は父院の実の御子でいらしただろうに。
あの御文と言い、大層残念だわ・・・。
今後もその人はこの様に笑い者として扱われるのかしら、
不憫な事・・・。そして、私も恥かしいわ・・・。
どうしてこんな人が私の妹なのかしら。)

三位、女帝の様子に気付き、
(あら、主上が御気分を害されている。
話をそらさなければ。)
「ところで、聞きました?中将様が・・・」

******************************************

内裏が大弐の話題で持ちきりの時、
麗景殿女御は・・・
「うっ」吐き気を催して、口を押さえる。
(まさか・・・懐妊・・・?)
(去年の八月からずっと里下がりをしているけれど・・・
一度だけ松風左大将と逢瀬を持った。
その時の・・・子?)
(手引きをしていた女房も死に、
私の立場も考えず逢いたいとばかり繰り返すあの人の冷たさも分かり、
あの人と関係を絶とうとしていた今になって・・・)
(とても院の子とごまかす事は出来ない。)
(どうしよう、どうしよう!)

麗景殿は必死に考えた。

母宮は、父・式部卿宮がお亡くなりになってから、仏間に御籠りになったまま。
母宮「阿弥陀仏のお迎えが遅くていらっしゃる~」
私の懐妊を気取られるはずはない。

兄上も何だか御自分の事で必死のようで、私の様子に気を留めておられない。
三条院様からも御文が来たけれど・・・

三条院「これまでになく長い御里住まいであるが、どうしているか?」
麗景殿「病気がいつまでも長引いて・・・」
三条院、返事を読んで
「可愛そうに。しかし、御忍びの外出はした事がないし、女御の参院を待つとしようか・・・」

有明が、麗景殿の部屋に御機嫌伺いに来た。

有明「病気だと聞いているが、大丈夫かい?」
麗景殿「ちょっと胸が苦しくて・・・」
有明「おや、ずいぶん厚い着物を着ているね。」
麗景殿「風に当たって体が冷えないように気をつけなさい、と薬師に言われたので・・・」
(本当はお腹の膨らみを隠す為だけど・・・)
有明「そうか・・・養生するようにな・・・」部屋を出ていく。
麗景殿(ほっ・・・気づかれなかった・・・)


5&6-20 青衣の女

ところ変わって、百合宮の御所。
新大夫の局(ああ、小宰相が百合宮様から下賜された
あの袿が羨ましい!)
(どうかして、御主人に気に入られて、
私をお邸の切れ者(※主人のお気に入り。権勢を欲しいままにする人。)にしてください!)と、神仏にお願い。

一方、百合宮は、
「ああ、お経を尊く読まれる三河の阿闍梨が
最近来なくて、気分が悪いわ・・・」
百合宮、暫くうとうとと昼寝。はっと目を覚まして、
「まぁ、怖い。あてきはどこ、あてき!」
あてき「はい!宮様。」
百合宮「中将の局へ行って見てごらん、今何を着ているか」
あてき、見る(青色だわ・・・)

あてき、御前へ戻って申し上げる。
百合宮「まぁ、気味が悪い。
たった今、青い着物を着た女房で、
額髪の美しい人が、
私の胸を押さえつけたと夢に見て、
はっと目が覚めたら、
こうして胸が痛いのよ」
「どうしよう、どうしよう」
小宰相、途方に暮れて「阿闍梨に知らせましょうか。」
百合宮「さぁねぇ、やって来るまで
生きていられそうにないけれど、
早くそう言ってちょうだい」
小宰相「はい」文を急いで書いて送る。
百合宮、小宰相にすがりついて、
「苦しい~苦しい~」とうめく。
あてき「阿闍梨様は外出されているそうです」
百合宮「何て事!」
「私の事を見ていた男が、
私を呪詛しているのかもしれない。
怖いわ!」
「小宰相、巫女の所へ行って、
この事を聞いてよ。
私が、と言ったら人が
聞き耳を立てるかもしれない。」
「あの下衆が呪詛されているかも、
という風にして、行ってよ、行ってよ!」
と、萩こそという樋すまし童を指さす。
小宰相、呆然としている。

新大夫(ここは、自分の働きを
アピールする絶好のチャンス!)
さっと百合宮の前に出て、
「主人の命令にはどんな事でもいたします。
私が出かけて尋ねて参りましょう」

新大夫、萩こそをつれて、鼓を叩く巫女の所へ。
新大夫「たった今、この子の気分が悪くなって・・・」
巫女、鼓を叩いて何かをうなる。
「はっ。わかった!」
「青い衣の女人が釘だけでも七箇所に打ったぞ~!」

新大夫は帰って、百合宮に耳打ち。
「青い衣の女が呪詛をしている様です・・・」
百合宮「案の定だわ。
そんな気がしていたのですもの。
その釘を抜くことだわ。
他の阿闍梨たちに修法をするように言って!」
新大夫、元気よく「はい!」

6ー12 日のくま川

小宰相は暑さと首の痛さでダウンした。
百合宮、寝ている小宰相に
「かわいそうに。
私が食事を口に入れてあげる。」
小宰相「そんな・・・畏れ多い。」
百合宮「いいのよ。」
小宰相(また青衣の女が現れるのが恐ろしい・・・)
百合宮「そうだ・・・今夜から新大夫も
一緒に寝るように。」
新大夫(やった!)

初め、百合宮は、新大夫と同じ衾で寝た。小宰相は一人分かれて寝る。
百合宮「かわいい新大(新大夫の略)」
新大夫「宮様・・・あっ・・・」
百合宮と新大夫の睦言を聞きながら、小宰相はほっとしていた。
(これで青衣の女の物の怪に祟られないで良くなるわ・・・)

しばらくして、小宰相の病気も治った。
百合宮「新大、こちらへ」
小宰相、気を利かせて、百合宮の部屋から出ようとするが、
百合宮「宰もここにいなさい。
三人で寝よう」
百合宮、小宰相、新大夫は三人で川の字になって寝た。
一人寝の淋しさのない百合宮は幸せそうな寝息を立てている。
小宰相(青衣の女に祟られなくなるし、
首も痛くならないし、
宮様にも優しくしていただける。
私は何て幸せ者なのだろう。)

ところで、ある月の明るい夜、新大夫の親族の源中将が百合宮の御所にやってきた。
女房達「まぁ何て上品な若公達・・・vv」
源中将(美しい女帝の御妹の百合宮様とは
どの様な御方なのだろう・・・)
源中将は、笛を吹いて、女房達の筝と合わせたり、歌を歌ったりして、女房達にキャーキャーと騒がれる。
二度ほどやってきて、百合宮の寝所に忍び入り、百合宮と契りを結んでしまった。

源中将はいきなり百合宮の御簾の中にガバッと入り、百合宮の手を取る。
源中将「宮様・・・以前からお慕いしておりました。」
百合宮、嬉しそうに、
「まぁ、いけませんわ、いけませんわ・・・」

それからしばらくして・・・源中将はため息をついていた。
(あのお美しく賢い女帝の御妹だからと
興味を引かれて関係を結んでみたが・・・)
(宮様は何て情の御深い御方だ・・・)
(この暑いのに、熊の毛皮(女陰を暗示)で
一日中くるまれているみたいに
べったりされるのは、うっとうしい・・・)

源中将は、百合宮がしなだれかかっている様子を思い出す。
(しかし・・・女帝とタイプは違えど
お美しい方だし、
情愛があって教養も備えた御方でもある。)
(何よりこのまま寄り付かなくなっては、
相手の御身分柄、お気の毒だ・・・)

(あんまり待たせて
辛い思いをさせないよう、
時々は顔を見せよう。)

御簾の中に入った源中将を見て、
百合宮「まぁ!中将様!」
「どうしてこんなに御無沙汰でしたの?
私、とても淋しゅうございました・・・」
すがりつく。

翌朝、まだ暗いうちに源中将は百合宮の元を出ようとする。
源中将(人目につかないうちに、
早く帰ろう・・・)
「今日は早朝から評定がありますので・・・」
百合宮、がばと源中将の袖を掴んで、
「もうお行きになってしまいますの?
私を置いて・・・」
とわんわん泣く。源中将、ため息。
(こんなではいずれ世間に浮名が流れてしまうだろう・・・
全くやりきれないなぁ・・・)

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源中将が百合宮にげんなりしていた頃・・・

<三十二年>

三条帝:二十八歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十八歳
藤壷女御(藤姫):二十八歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十六歳
麗景殿女御:二十六歳

松風中将:二十七歳
有明中将:二十七歳

月光一品宮:二十五歳
百合宮(前斎宮):二十四歳

葉山帝:十歳
二宮(東宮):九歳

忍草姫:一歳

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年も改まって・・・
産気づいていた麗景殿は、知り合いの民家で、たいそう可愛らしい女の子を産み落とした。

落ち着いた頃、麗景殿は、子供を抱いて女房達に見せる。
女房「まぁ、とてもかわいらしい赤ん坊。
どちらの方の御子様ですの?」
麗景殿、扇で口を隠して、すました様子で、
「知り合いのつてがあって、退屈を慰めるのに引き取りました。
皆、大切に育てる様に。」
女房達「はーい」
女一宮、赤ん坊をのぞき込んで
「かわいい・・・私の妹にしていい?」
麗景殿女御、ほほえんで
「いいですよ」

夜、麗景殿は胸を押さえて苦しんでいた。
(うっ・・・乳が・・・張る!)
麗景殿は張った乳をたくさん絞り捨てた。

父・式部卿宮の喪が明けた後、麗景殿はとても美しく着飾って三条院に参院した。
三条院は麗景殿と対面して、
(久しぶりに見ると、やはりこの人の美しさ・妖艶さは類ない・・・)

三条院は、女一宮に琴などをお教えになり、時々麗景殿女御のもとへもお渡りになる。

後涼殿はその様子を横目でみつつ、
(子供のいらっしゃる方は、やはり羨ましい・・・)


5&6-21 ものまねび

内裏、台盤所で、女帝の側近である丹波の内侍が、新宰相の所に来た大弐の口真似をしている。
「道具と言う道具はつまらぬ棹一本さえも・・・」
聞いている若い女房達、大爆笑。

その声が、御手水の間にも聞こえて来て、そこに控える中納言の典侍が、つい吹き出して笑い出した。
女帝、そちらに目をやる。
(ああ、また皆であの話をしているのだ・・・)
(若い女房達が笑うのはしかたないけれど、
古参の中納言典侍までも
百合宮方を嘲笑するのは困ったもの・・・)

女帝、中納言典侍に、
「この高笑いは本当に面白くないわね。
あのいつまでも言っているのは
百合宮様の御事でしょう。
殿上人などの耳にでも入って、
『あの皇子の御事を御所辺りでは
笑い話の種にして』などと
思われたらお気の毒でしょうに」

中納言の典侍、サーッと顔色が引いて、台盤所に顔を突っ込んで叱責。
「主上がご機嫌斜めですよ!
皆、御静かに!」
丹波内侍も顔色をなくした。それから、御所で二度と口真似をする人はいなくなった。



数日後、丹波内侍は台盤所の奥の襖にもたれて、しょんぼりとしながら扇をまさぐっていた。
兵衛の君、それを見て、
(あの方は、他の人よりも格別気位が高く、
華やかな美しい様子の人なのに、
あの一件以来、しょげかえって・・・)

そこへ、御簾の外から蔵人少納言が呼んだ。
「内侍はいらっしゃいますか。
源の朝臣が、詔書(※1)の復奏の件がございますとの
ことですが。」
兵衛君、呼ぼうとして、丹波の内侍の方へ顔を向ける。
丹波内侍(主上のもとに顔を出すなんて、無理無理!)
手で×の合図を出す。兵衛君、笑って(弁の内侍を呼んできましょう・・・)

弁内侍は詔書を女帝に渡した。女帝はそれを見て、何も書かずにすぐ返した。
女帝、小声で「内侍よ、文字は落ちていなかったか」といった。
弁の内侍はそれを蔵人少納言に伝え、詔書を返した。
蔵人少納言、詔書を読み直し、真っ青になり、冷や汗を流した。

蔵人少納言はこの件を民部卿に伝えた。民部卿は驚いて詔書を見た。
「外記(※2)を呼べ!
落ちている文字を一つ書き加えさせよ!」
外記、文字を加え、詔書は民部卿により再び女帝に。

女帝は文字を確認して、「可」と書いて返す。
弁の内侍から詔書を受け取った民部卿は、ほろほろと涙を流した。
「年を取ってボケてしまいましたので、
前に見た文書だからと油断をいたしまして、
詳しく見なかったのでございました。」
「私は六代の帝にお仕えして、
最後に素晴らしい明王に
お会い申したことですわい」

側に控えていた中納言典侍も弁の内侍も、皆、感嘆している。

※1:「詔書」:律令制で、天皇の詔(みことのり)を記した文書。改元などの臨時の大事の際に発せられた。中務省が作成し、天皇は日付のうちの一部に加筆する慣わしであった。古くは和文体で書かれ宣命と呼ばれ、平安時代以降は漢文体で書かれた。

※2:「外記」:律令制下の朝廷の書記。太政官に属し、少納言の下にあって、内記の草した詔勅の訂正、上奏文の起草、先例の考勘、儀式の執行などを司った官職。大外記と少外記があった。

5&6-22 変化の人

その日の夕方、頭中将は三条院に参上し、民部卿が女帝の学識に感嘆していた様子を奏上した。

三条院はにこにこして聞いている。
「あの民部卿は、主上は生半可な知識しか
御存じないとでも思っているのだろうか。
書物を読んだり、難しい箇所を
すぐに読み解く事では
主上にとうてい太刀打ちできまい。」
「それに、一度見た物は
いつまでも忘れない御方で
いらっしゃる。」

頭中将は興味深げな様子で院の話を聞いている。
三条院「入内なさった当初は、
三代集や物語など、世間普通にあるものは
暗記していらっしゃるのかと
思っていたところ、偏つぎ(※)をするというので、
『文選』を少しお貸ししたのだ。」
「少し興味をお持ちの様だったからね。」

三条院「朕が四・五巻読んでお聞かせした後、
残りは訓点を施した書物を
置いておいたのを、お一人で
ご覧になっていた様だった。」
「じきにお返しになられた書物を
見てみたら、所々主上の御手蹟で
註が書かれており、その読みが
全て正確にあっていた。」

三条院「ひどく口数の少ない方だけれど、
学問の方は、神仏が人の姿を借りられたのか、
とお見受けされるのだ。」
「世間通常の后の宮などと呼ばれるだけでは
もったいないから、朕にも考える所があり、
こうして珍しい事を思い立ったのだ。」

三条院「朕は故院から『群書治要(※)』という
漢籍を賜っていたが、
寛平の御遺戒に背いて、
在位中は面倒で見る事もしなかった。」
「朕はそれを譲位の時に主上に奉った所、
その本も昨年お返しになった。
人目のある時には漢籍など御覧になる事も
なかったが・・・」
「主上の前世は一体どの様な御方だったのだろう。」

頭中将、下を向いて冷や汗を流す。
(なるほど・・・
院が主上に御譲位なされたのを
不思議に思っていたが、
こういう訳だったのか・・・)

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そうしているうちに、嵯峨女院の一周忌も過ぎた。
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※偏つぎ:文字遊戯の一つ。漢字のつくりを示して、それに種々の偏をつけた文字を次々と考えさせ、行き詰ると負けになるもの。

※群書治要:中国・唐代の政治書。五十巻。太宗の命で魏徴らが編集。六三一年成立。経書や晋代までの正史、その他の古来の群書から、政治上の要項を抜き出して配列したもの。

5&6-23 近習女房

丹波内侍はあれ以来ずっと落ち込んでいる。
女帝はその様子を見て、
(大して重要でない事の為に、
彼女が落ち込んでいるのは
可愛そうだわ・・・)
(何とか元気付ける方法はないかしら・・・)
女帝、ふと傍らに置いてある何十個もの扇に目を留める。
(あれは昨日父院から頂いた
母女院様の御形見の扇・・・)

女帝「あの扇と、故女院様が
お作りになった御守袋を
入れた箱を取って」
女帝、御守袋を触りながら、故女院が丹精込めて作っていた様子を思い浮かべる。
(母宮が心を込めて作っていらしたわ・・・)

中納言の典侍、丹波の内侍に
「主上がお呼びですよ」
丹波の内侍、「は、はい」緊張した面持ちで御前に。
丹波の内侍は、容貌も姿も人に優れた若女房。鬢や額が何よりも人目に立って華やかで綺麗。笑みをたたえた口元はとても垢抜けがして感じがよい。萩かさねのうちぎに朽葉色の唐衣を着ている。

中納言典侍「その真面目くさった顔つきはなに。
人はそんなにも変わるものかしら。」
丹波、神妙に控える。
中納言典侍、守り袋を指さして、
「この中でどれがいい?」
丹波、中納言典侍の顔を見る。
中納言典侍「余り厳かな顔をしないで、
気をつけてお選びなさい。
五つばかり気に入ったのを。
主上はそれぞれに持たせてごらんに
なろうと仰せになるのです」
丹波、元気が出て、嬉しそうに一つ一つ脇へ寄せたり、振ってみたりして、本当に立派な物を五個、蓋に置いて差し上げた。

女帝、その中から一つをとって、扇を添えて御下賜。
丹波内侍、もらった扇を開いてみたり、かざしてみたり。
(こんなに立派なものもらえないわ・・・!)
恐懼の態で女帝に返す。
女帝「気に入らなくて返すのですか」
丹波内侍、感動。
(主上は私をお許し下さったのだ・・・!)
丹波内侍、顔を真っ赤にして、涙もほろほろとこぼして、扇を懐に引き入れて、すぐ御前を立とうとする。
中納言典侍「あの顔の赤さは嬉しいためか、
悲しいためか。
嬉しいのなら、嬉しいとでも
主上に申し上げたいものです」

丹波内侍、そのまま下がる。そして女帝の目から見えない廊下で、立ち戻って拝舞(※)するまねをする。
中納言典侍、それを見て、
(まぁ、拝舞とはね。
剽軽な丹波らしい感謝の表し方だこと。)
「主上、あれを」と丹波を指し示す。
女帝、膝行して廊下をのぞき込む。
平伏していた丹波内侍は立ち上がってびっくり。あわてて自分の局に戻ってしまった。

女帝、にっこり笑って、
「丹波内侍はすっかり元気が出たようね。
次は右近内侍を」
右近内侍が女帝の御前に入ってくる。十六、七歳で、器量も姿もとてもかわいい人。髪の裾もとても房々としている。紅の単衣に女郎花の唐衣。慎ましやかに参上してきた。
女帝、守り袋を指して、
「これはどれが良いと思う。」
右近内侍、自分の近くにあるものを五つ程取っておく。
中納言典侍「まぁ、ひどく遠慮深い人ねぇ。」
右近内侍、扇と守り袋をそっと懐に入れ、ほんの少し笑顔を見せて、去っていく。

女帝、中納言典侍にふと目をやる。
中納言典侍、おどけて、
「私は今でも殿方が好きでたまりませんから」
と、平やなぐいなどの武具が付いている御守袋を扇の上に置いた。
それを見て、新宰相、くすっと笑って
(ま、中納言典侍様は、
身持ちがお堅いのに・・・)
女帝、ふふっと笑って、
「取っておきなさい」
中納言典侍、扇を開けて見ていると、女帝は新宰相に、
「そなたはどうか」と聞く。

新宰相、中納言典侍の扇の上にあった守り袋を取って懐に入れる。
中納言典侍「まぁひどい。
おとなしい振りをしていて、
怖いのだから。」
新宰相「私一人ではどれがいいのやら
分かりませんもの。」
と、すましている。
中納言典侍「あぁ、どうせそんな事だと思っていたのよ。
こんな心がけの人を近くに置いておくなんて!」
女帝、「そう思っていたのなら、
どうしてそんなに油断していたの」と、笑う。
二人も笑う。

女帝(良かった・・・
大弐の来訪以来のごたごたで、
ぎくしゃくしていた雰囲気が
元に戻ったわ・・・)

※拝舞:叙位・任官・賜禄の際、謝意を表して左右左(さゆうさ:腰から上を、左、右、左の順に向けて拝礼する)を行う礼。

5&6-24 御はからい

その後も、相変わらず大弐は御所に入り込んで来ては、大声で、
「御所の内はだらしない事」と言い散らす。

女帝の御前で、三位乳母
「あの大弐がこんな事を言っていたそうですよ。
全く不愉快です。」
丹波内侍「そうですね。
こんな事が度重なると、
やっかいで人聞きも悪いし。」

女帝、その話を聞いてじっと考える。
(皆の言う事ももっともだ。
そして、大納言の君にとっても
不愉快な事だろう。)
(そもそも、百合宮の御所が
どうしようもないほど
不如意な暮らしぶりなので、
お付き女房がつい御所に足繁く出入りし、
その結果、世間の噂の種となって
騒がれてしまうのだ。)
(それは誰にとってもお気の毒なこと。)

女帝、決意を目に秘める。
(ただ余りにも放りっぱなしで
体裁の悪い御住居でなければ、
自然に愚痴や愁嘆もなくなるだろう!)

(故嵯峨女院から伝領された
所々の御荘園を百合宮に賜ろう。)

また大弐君が参内してきた。
三位乳母(また私の親友の大納言君の事を悪く言って・・・
主上のお慈悲を伝えるついでに、ちょっと懲らしめてやろう)
「ちょっと帝の女房が呼んでいると言って
大弐をこちらに呼んできて。
私の実名を伏せてね。」

三位乳母、御簾の中で待ち受ける。
大弐「何ですか。
私にお話とは・・・」
三位「主上が百合宮様の事について、
上京後の事がお気の毒だろうと
お思いになりまして、
その御意向を頭の弁が承って
仰せ下される事がございました。」
大弐、それを聞いて喜ぶ。

三位「ところで・・・あちらの大納言君は、
主上の御乳母の三位の君が
とても大切に思っていらっしゃいます。」
「その方の御事を少しでもおろそかに言う人
があると、三位君はひどく立腹なさるのです。」
三位の後ろで控えている人、声を殺して笑う。
大弐、冷や汗。

三位「先夜も、
新宰相の典侍の局に妙な事を
言う人があった。
滝口の武士などを呼ばせてぶたせよう、
などとおっしゃっておりました。」
「早く人に見られないように、
こっそりとお出でなさいまし。」
大弐、震え上がって逃げていく。
大弐が去った後、三位と女房たち、大爆笑。

大弐、帰る道すがらも、牛車の窓を開けて、人が捕らえにこないかと、振り返り振り返りしていた。

大弐、百合宮の御所にたどり着いて・・・得意げに百合宮に報告。
「いつも宮様に申し上げました事は、
首尾よく主上の上聞に達しました。
頭弁が主上の御意向を承って、
御沙汰がございますとか」
百合宮「大弐、でかした!」

翌日、勅使の蔵人の少納言が百合宮の御所に到着した。
蔵人少納言
「主上が、御上洛後はさだめし宮の内も
お気の毒な様子ではなかろうかと
案じておられました。」
「そこで、主上から故嵯峨女院より
伝領の荘園のいくつかを
百合宮様に賜られました。」
蔵人少納言、主上からの荘園の証文を置く。

百合宮、大喜び。蔵人少納言の後ろ姿を見送って・・・
百合宮「あの人の下襲は赤色ね。
色を許されている殿上人なのでしょう。
どうして裾が短いのかしら。」←また着物にこだわりが・・・
大弐「御所の主上はまさしく仏が
この世に現れておいでになったのでした。」
女房達も同意して、帝を誉めそやす。

百合宮「さて賜った荘園の管理はどうしよう・・・」
大弐「私の知り合いで、讃岐前司の某が
頂いた荘園に関わりがある者です。
そのものに管理させては?」

讃岐前司、御簾の外から百合宮に恭しく平伏。
「誠心誠意宮仕えをさせていただきます。」
百合宮の言葉を女房が伝えた。「大変結構」

大弐の局で、讃岐前司が大弐と睦びあっている。
讃岐前司、大弐に向かって、
「そなたのお陰でうまい汁にありつけそうだ。
百合宮様は、俺が少しくらい貢物をちょろまかしても
気付かなさそうな御方の様だ。」
「・・・しかし、宮様に気に入られるには、
どうしたらいい?」
大弐「そりゃあもう・・・」

次の日、讃岐前司は百合宮に絹、綾、沈(ぢん)、丁子、甘葛、麝香、檀紙、色紙、手箱、硯などいろいろな物を奉った。
軒先の忍草を払わせ、屋根も葺き替えて、雨漏りで濡れた跡も綺麗にし、埃や塵も払わせなどして、住居は申し分なく立派になった。

百合宮の女房達は、
「主上は本当に素晴らしい御方だ」と噂してがやがや言っている。
百合宮「あの勅使が訪れてきた時の妻戸口を『勅使の間』として置いておくように。
今度内裏からの勅使が来た時も、あそこからお通しするように。」
女房達「はい」

新大夫は、あちらこちらを見回って、百合宮に報告した。
「まぁ素晴らしい。
この御所は御門前は言うまでもなく、
あちらに見える辻からずっと、
今では馬や車に乗ることは思いも寄らぬ事でございます」

今や百合宮の御所の門前にはこういう立て札が立っている。
「元斎宮様の御所前では、下車、下馬して通るように!
徒歩の者は腰礼(こしうや:現在の御辞儀のこと)をすること!」

「徒歩で通り過ぎる者も、腰礼をこうして深くして通っておりますよ」
新大夫は腰を深く曲げて、通行人のまねをした。
百合宮、ご満悦の表情。
「新大、もう一度腰礼をなさい、腰礼をなさい」
新大夫は真似を何度もした。

5&6-25 御法の花

<三十三年>
三条帝:二十九歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十九歳
藤壷女御(藤姫):二十九歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十七歳
麗景殿女御:二十七歳

松風中将:二十八歳
有明中将:二十八歳

月光一品宮:二十六歳
百合宮(前斎宮):二十五歳

葉山帝:十一歳
二宮(東宮):十歳

忍草姫:二歳
***********************************************

翌年の秋、女帝は故・嵯峨女院の三周忌の御為に、清涼殿で法華八講(※)の儀式を行った。
そのために女帝は金泥の五部の大乗経を御自身でお書きになり、御自身の為の御仏像を御用意された。

藤壷皇后、女帝をみて、
(精進が重なったせいかしら、最近、主上少しお顔がお痩せになられた・・・)
(相変わらずお美しいけれど、近頃になって不思議な御光が御身に付き添っている気が・・・)
(もとから香ばしかった御召し物の御匂いも、より強くなってきている様な・・・)
(不思議な事だわ・・・)

説教の御聴聞の折り、藤壷皇后は女帝のお側にいる。
藤壷皇后、うとうとっとする。

藤壺皇后の夢の中・・・
藤壷皇后の目に、言いようもなく気高い様子の四天王が歩いていき、女帝の御座所の御簾の前をたいそう畏まって通り過ぎた様子が写った。

嵯峨女院の霊が、女帝の横に来て、ひどく御泣きになる。
「あらたまの みとせの月日 なほてらせ あまつ空には 君をまつとも
(もうあと三年間は天子として在位なさい。
私は天上であなたを待っているけれど。)」

女帝、部屋の外をじっと見詰めて、
「にほひそふ みのりの花に いそがれて かひなき月日 いかがとどめん
(日々に光彩の増す仏道に心がせかされて、
甲斐のない日々をどうしてこれ以上生きながらえましょうか。)」

藤壺皇后(どうしてその様な事を・・・)

そこで、藤壺皇后、はっと目覚める。
「夢!」
しかし、女帝は先ほどの夢の通りに物思いに沈んで外を見詰めている。

法華八講の五日間はすぐに終わった。

※法華八講:法華経八巻を八座に分け、普通一日に朝夕二座講じて四日間で完了する法会。


5&6-26 秋の調べ

八月十五日、中秋の名月。一点の曇りもない満月の夜。
関白邸にいた藤壺皇后は、女帝からの御文をもらった。
藤壺皇后、側の女房に「参内します。用意を。」

内裏では、女帝が参内した藤壺皇后を認めてにっこりする。皇后宮は物優しい様子で二間に控えている。
女帝は、御簾を少し上げて外をぼんやり眺めた。
藤壺皇后、その女帝の御様子を見て、
(何てお美しい・・・)
(でも、主上は夢の中での御歌の様に、この世はただ束の間とお思いになっていらっしゃるようにお見受けされる・・・)
(主上・・・どうかいなくならないで下さい!)←百合?
藤壺皇后はどっと涙をこぼして、
「いそぐらん みのりの花の にほひゆゑ むなしき月を 我やながめん
(帝は出家をお急ぎの様でございますが、
そのお美しい御面影をお慕いして、私は独り空しく月を眺める事でしょう)」

女帝は皇后の言葉を聞かない振りをしているが、御袖を目に押し当てて、肩を震わせる。

・・・次第に夜が更け、月は一層澄み切って、御庭先の前栽の露は、玉を緒に貫き連ねて掛け渡したように見える。

女帝「まぁ・・・何と美しい風情・・・」
「琴(きん)のことを持て」
女房「はっ」捧げて持ってくる。

女帝は琴を弾く用意をする。藤壺皇后は驚いて、
「前々から琴をお弾きになっていらっしゃいましたか?」
女帝「昔、嵯峨院がお教えくださいましたけれど、一向頼りない程度のままで止めてしまいました。」
「ひょっとすると思い出すことが出来るかもしれないと、この間からほんの試しに弾き鳴らしております」

そう言って、本格的に演奏を始めた。
殿上に伺候している人々、余りの素晴らしさにぼーっとなる。

露台(清涼殿の東、紫宸殿と仁寿殿との間にある屋根のない、板敷きの間)にいた松風、女帝の琴の音を聴き、固まる。
(これは女帝の琴だ。行幸の折、少し拝聴したことがある。
何と素晴らしい!)
(こんな琴の音を有明が聴かないでいるのは罪の深い話だ。)
随身にさらさらと書いた文を渡して、
「これを有明右大将に」

有明、邸で文を見る。
松風「まだしらぬ 雲井にひびく 松かぜの 秋のしらべを ひとりきくかな
(ついぞ耳にしたこともない
空まで響く松籟の秋の調べを
たった一人で聴いています)」
「これをお聴きになったら、あなたもどんなに心を乱される事でしょう」

有明、ピンと来る。
(何と!女帝が琴を弾いていらっしゃるのか?
牛車で行くのはじれったい・・・)

有明は馬に乗って御所に参上した。
有明、女帝の琴の音を聴いて、「これは・・・素晴らしい・・・」
有明、松風に向かってほろほろと涙をこぼし、
「よくぞ知らせてくれました」
松風「余りの見事さに関白にもお知らせ申し上げたいのですが、昨日勤行の為とかで、宇治へお越しになっていたのです・・・」
「女帝の琴はどなたのご伝授でどこにあったものかと驚いているのですが、せめてあなたといろいろお話ししたいと思いまして」

有明、胸を衝かれる。(松風・・・私と話したく思ったとは・・・嬉しい・・・)

女帝の琴を二人で並んで聴いている。
松風「私の下手な笛の音でも女帝の琴に吹き合わせてみたいけれど、
女帝が聴かれていた事を不都合に思って演奏をおやめになったら困るので、
我慢しています」
有明は、女帝の姿を見たい様子で、
「御簾は上げられていますが、月の光が差し込まないので、中まで見えませんね・・・」

一方、清涼殿では、
女帝、藤壺皇后宮に
「あなたが長年手馴らしていらっしゃる筝のおことを一緒に合わせて下さいませよ」
藤壺皇后、手を胸の前に突き出して、体を後にした。
「そんな・・・とんでもございません・・・」
「今夜の素晴らしい琴の音にあわせるなんて、とても私には・・・」

女帝「ながき世と ちぎりしことの ををたえば こよひの月を それとながめよ
(いつまでも長く御一緒にとお約束した御言葉に背いて、もし私が先に逝きましたら、今夜の月を形見と思って眺めてください)」

藤壺皇后、袖を目に当てて泣きながら、
「ををたえて しのばんことも いくよとて 空行く月の かけはなるらん
(主上の後に残された私が
いつまで生きていられるとお思いで、
先に逝かれてしまうのでしょう。)
つれないお言葉でございます」

女帝は、皇后宮の肩に手を回した。
「泣かないで下さい、皇后宮」

外の二人「あ、女帝は演奏をおやめになった。」
松風「せめて伺候していたとだけでもお耳に入れたいな」
二人で、南殿のすのこによりそって座り、笛を同じ調子で合奏。

その音に気付いた女帝、
(まぁ、見事な音色。松風、有明左右大将の音だわ。
二人揃って参内しているなんて珍しい事。)

女帝は奥にお入りになり、朝がれいの間で物に寄りかかって御寝みになったので、皇后宮は藤壺に帰った。


5&6-27 月の都

三条院が御帳台の中で寝ている。

夢の中・・・女帝が一時しのぎの御座所にいる。
三条院(どうしてまた、そんな所に・・・)
周りの景色は、春秋の花が美しく咲き満ちている。広い川があり、少し遠くに行幸用の物とは違った、宝玉造りの飾り立てた御輿が、女帝のお迎え用に待っている。

三条院、女帝に話しかける。「びっくりした。一体どうしたのか。」
女帝「色にいでん 秋のなみだの かひもあらじ 月のみやこに ちぎりたえなば
(月の都に迎えられて、
一旦あなたとの契りも絶えてしまえば、
秋の紅葉の血の色の涙も
何の甲斐もないことでしょう)」

三条院(何をおっしゃるのだ!)女帝の袖をひっぱって、ひどく泣いている。

三条院、ハッと夢から覚めると、涙がひどく流れていた。
三条院(ひどく胸騒ぎがする・・・)
「大僧正に帝の為の御読経をたくさんしていただくよう、伝えてくれ」

三条院は女帝に文を書いた。しばらくして女帝から返事があった。
(主上からはいつもと変らない様子の文が帰ってきたが・・・心配だ・・・)

5&6-28 雲井の道

八月二十日の頃、女帝より「相談したいことがありますので、そちらにうかがいます」との文が三条院に届いた。

女帝は三条院に行幸した。女帝は、三条院を一目見て、泣き崩れた。
三条院(度が過ぎて変だ・・・)
院は、女帝を支えながら、
(以前にも増してなよなよと上品で美しいご様子だ・・・
御袖の香りも以前より強くなって・・・)
(まるで天人が天下ったかのようだ・・・)
院は女帝をしっかり抱いて御帳台の中へ。

いつものように短夜は明けて・・・
三条院(このままこの人を手放してしまったら、もう会えないような気がする)
「もう一日滞在して下さるな?」
女帝、うなずく。

三条院(今日はこの上もなく主上が愛しく思える・・・)
「実は・・・おかしな夢を見てね・・・」
女帝、首を傾げる。

三条院は女帝に夢の話をする。
女帝は、ハッと顔色を変える。
(院にはこれ以上出家の事を隠し続ける事は出来ない・・・)

女帝「おほかたの すみはてぬ世を はかなさを 月の宮こに たれかかこたん
(人が永遠に生きていくことが
出来るわけがないこの世の儚さに、
月の都では誰が愚痴を申しましょうか)」
女帝は、ひどく涙がこぼれるのを隠す。

三条院「限あらん 雲井のみちは かはるとも 世々とたのめし 契たがふな
(限りのある御在世の間は、
例え離ればなれになっているにせよ、
何代経ても取り交わした二人の約束には
背かないで下さい)」

女帝、涙を流して、
「やすらひに いづるもをしき まきの戸に いく夜ありあけの 月かのこらん
(出ていくのがためらわれる
名残惜しい真木の戸に、
今後幾晩有明の月が残る
・・・もう後幾晩あなたに
お会いできる・・・でしょう。)」

女帝は膝行して、部屋を出ていく。
三条院、女帝の横顔を見ながら、はらはらと涙を流す。
「こころから 程は雲井の 月なれば かはらずすまん かげをこそまて
(自ら進んであなたを帝位に
つかせたのだから、
もうしばらく変わらぬ愛情で
一緒に住む日を待ちましょう。)」

女帝、三条院を下唇を噛みながら、涙の溜まった目で見つめ、きっと心を決めた様子で出ていく。

女帝は内裏にお戻りになった。

三条院はぼーっとして、御帳台に入る。
女房達、顔を見合わせて、
「今日は後涼殿様のもとに御渡りにならないのね・・・」
「お珍しい・・・」

女帝、帰りの輿の中で、
(院の御夢といい・・・
皇后宮の独り言といい・・・)
(私の出家の志は
感づかれてしまっているようね・・・)
ふぅ・・・ため息をつく。

5&6-29 御遺言

女帝の御信頼を取り戻した、と確信した丹波内侍は、打って変わって自信満々、元気になった。
(私は、つまらない口真似のために、
身を滅ぼすべき人間ではなかったのだ!)
近くに居た女官に、
「ちょっとこちらの台盤の上を拭きなさい」
女官「はい」
女孺「丹波内侍様、本日は御機嫌が麗しい様で」
丹波内侍「わかる?
あ、そうそう南殿を綺麗に掃除してくれないかしら。
してくれたら私の唐衣をあげる。」

女帝の御前
中納言典侍「・・・と、丹波内侍は、御所の中に
塵一つ落ちていないよう
配慮を心がけております」
女帝(まぁ・・・なんと殊勝な・・・)
「丹波にもどこか所領を与えましょう」

丹波、それを中納言典侍から聞き、「えっ!主上が私に所領を・・・」
じーんと感涙する。

女帝の勤行中、丹波内侍が控えている。
女帝、丹波内侍を見て、涙をこぼしながら、
(ああ・・・私はもう長くはない・・・)
丹波内侍に向かって、
「あなたの母親が生きている間だけは、
尼にならない方がいいですよ」
丹波「?」
(主上からこれほど目をかけていただいている私。
なぜ尼になるような必要が?)
「どうしてそんな事がございましょう」
女帝、にっこりしながら丹波内侍を見る。女帝の目からは訳もなく涙がこぼれるので、涙を拭いて読経を続けた。

しばらくして、女帝は右近内侍の髪を撫でていた。
女帝「たいそう美しい髪ね・・・」
右近、恥かしそうに「幼い時は、畏れ多くも主上に髪を削いで頂きました・・・」
女帝、右近の黒髪を見ながら、
(私が死んだら、この子はこの美しい髪を
尼そぎにしてしまうのだろうか・・・)

右近内侍が局に下がった後、女帝は中納言典侍を見ながら、
(この人の世話も途中で終わりそうだわ・・・)
(御経や仏像の処理について
きちんと伝えておかなくては・・・)

そこへ、新宰相典侍が、女帝に頼まれた御写経を終わらせて、献上した。
女帝「まぁ・・・美しい筆跡・・」「新宰相」
新宰相「はい?」
女帝「この先、何があったとしても、
こちらの御経と、御仏の画像は
かき届けて下さいね」
女帝は新宰相典侍に目録を渡した。新宰相は、怪訝な顔をして、受け取った。

5&6-30 御国譲

翌日・・・
月影関白「主上からの勅使が?
私を始め、然るべき上達部が参内するように、と・・・」
急いで牛車に乗って内裏に向かう。
警護の随身、いかめしい。

関白「もう固関(こげん:大きな儀式や事変に当たって、朝廷から勅使を遣わして諸国の関所を警護させること。逢坂・鈴鹿・不破の三関を固めた)・警固の儀式の準備も整っていると・・・!」
藤壷皇后「これから、御譲位の宣命が発せられます」

関白「宮・・・東宮の御装束は・・・?」
藤壷皇后「昨日、主上からうかがって・・・用意してございます」

東宮は、女帝からの文を受け取り、紫宸殿に出てきた。

女帝は既に出家している。譲位の儀式の最中、扇の裾から見える肩のあたりの髪がすごく綺麗で、女神(松尾大社女神像)のよう。
内侍二人が宝剣と神璽の御箱を捧げて新帝のお供に参上する間、お入りになる女帝のお姿の清楚でお綺麗な事は例えようもない。
大将達、大殿、周りの人々は女帝の出家を知って、動転。そして感涙。

新帝の辞譲の表(旧主譲位の後、新主が奉るもの。譲位の儀式の一つである。)など新帝せんその儀式が終わってから女院(退位後の女帝)はそのまま承香殿にお移りになる。

女院の頭の中に昔の事が走馬燈の様に思い浮かぶ。
東宮は、女院自身の御意向に従い、女院の御養子である三条院の二宮となった。

女院(私の事を心から慕ってくれるかわいい藤壷皇后宮・・・
二人の子が帝と東宮になったのだから私がいなくなっても大丈夫ね・・・)

新帝は十一歳、東宮は十歳、女院は十六歳で三条院に入内して、皇后にたち、二十一歳で即位して、今二十七歳。

5&6-31 異香のかおり

月影関白「何と!新女院の御道具、故嵯峨女院の形見の由緒ある御道具、遊び道具、方々の御荘園や然るべき文書を、そっくりそのまま新東宮に御移し申し上げると?」

頭弁「はい。前々から新女院から整理なさるよう御命令がありまして・・・」

月影関白「退位なさった今こそ、この様な物が必要となるのに・・・
きっと新女院はご存じないのだろう。
私から不賛成の旨を申し上げよう」

月影関白は新女院に対面した。
関白(準備が間に合わなかったとかで、差し向かいでお話下さっているが・・・
なんだかこの世の人ではない光が加わっているようで、まぶしい・・・
御香も、承明門の辺りまで漂っていて、官人達が驚いていたし・・・)

関白「東宮様への御道具委譲の件、私は不賛成でございます。退位後の今こそ、この様なものは必要です」

新女院、首を傾げて
(関白には体の不調の事は言っていませんでしたものね・・・)
「思う子細があって。今日は吉日だそうですから。」


5&6-32 法華経

藤壷皇后(今日は何だか胸騒ぎがする・・・)
女房「新女院は朝から御湯殿にお出ましになって、身を清めていらっしゃるらしいわ」
女房2「これから特別なお勤めが始まるのかしら・・・」

月影関白が藤壷皇后の間に参上した。
「新女院は、私がお止めしたのに、全ての財産を東宮様にお譲りしてしまった・・・」

藤壷皇后(ああ!やはり!)
ぱっと立ち上がり、
「新女院のもとに参ります!」
関白、きょとん
「一体どうしたのだ?」

新女院の御座所、音もなく静まり返っている。周りの者はせんその儀に歩き回ったので、疲れてうとうとしている。新女院は脇息に寄りかかって、法華経の八巻の末尾の方を持っていた。

藤壷皇后宮、そばにすっと寄って座る。
(女院様は法華経を全て暗記していらっしゃるのによりにもよって八巻の末尾をお持ちとは・・・。いよいよ往生されようとしていらっしゃるのかしら?まさか・・・。)

新女院、皇后宮の方を見て、少し赤くなって笑う。
(この人には何もかも気づかれてしまうわ・・・)
「たちかへる 雲井はいくへ かすむとも 君ばかりをや おもひおこせん
(天上に帰ってゆく途中の雲が
幾重に霞んでいても、
あなただけにはその彼方から
思いを馳せることでしょう)」

藤壷皇后宮、涙に濡れて、
(この方は、今まさに天上に上っていこうとなさっているのだわ・・・そんなのは、嫌!)
「花の色は かすみも雲も へだつとも こひんよなよな にほひおこせよ
(花のような美しいあなた様は
霞や雲が間を遮りましょうとも、
私の恋い慕う夜々には、
どうかお便りを下さいませ。)」

新女院、皇后宮の歌を聞き終わる間もなく、崩れ落ちる。藤壷皇后、その手を捉えて、
「もしもし、女院様、聞こえますか?」
「女院様ー!!」

人々、起きてきて大騒ぎ。
泣きながら新女院を囲んで、僧正を呼んできて、皆で読経。

「新女院、御崩御」
頭弁が聞き、空を仰ぐ。
(女院様が私にああお命じになられたのは、
こう言う事を予期しておられたのか・・・)

一方、三条院では、
三条院(今日は朝から慌ただしかった・・・)

昨夜は、女帝の香りが残っていて、ひどく胸騒ぎがして、夜居の僧に勤行を命じて、寝殿に一人でいた。

と、突然蔵人が女帝の突然の御譲位を伝えてきた。

急いで女帝に文を出して訪ねたら、
「もはや儀式は始まりました。
今日までも帝位に居りましたのは、
本当に奇妙な事で、不本意な事でございました」
という返事が来た。

何となく嬉しくなって、
(それではこれからはいつもお側に連れ添ってさしあげよう)と思った。

それから、後涼殿の部屋にいって、
「全くにわかな御譲位の事を聞いて、びっくりして」
と話した。
後涼殿の顔が一瞬曇ったが、気にしまい。

回想から我に戻った三条院に、女房が報告しに来た。
女房「御譲位の儀式に列席された公卿の方々が、こちらに来られました」

三条院「おお。その中に宰相中将はいるか?
話を聞きたいものじゃ。」
宰相中将、御簾の外で、
「全く珍しい儀式でした・・・」

しばらく話を聞いた後・・・
使者「大変です!大変です!」
三条院「どうした?内裏からの使者の様だが。通せ。」
使者「新女院、にわかの御崩御!」
三条院、頭の中が真っ白になり、倒れる。

5&6-33 なりゆくさまざま

突然女帝が譲位、崩御された事を聞いた百合宮、
「何ということ!
あのような御立派な方が!
この世には、神も仏もいないのか!」

しかし、女帝の配慮のおかげで、御所の中は女帝の生前と同様に、毎日思う存分に遊び戯れていた。

百合宮は、物惜しみとかけちな気持がないのが長所。
「さぁ参詣に出かけよう」「さぁ供養をしよう」
と、殲法、御仏の供養、散華の花、捧物など、思いつくままにした。

中将は性格に憎らしい所があって、人と張り合ったり、勘ぐり、長喋り、悪口ばかりが好きであったが、器量はそれほど悪くなくて、容姿なども由緒ありげに、格好がついていた。
台盤所や局などで、いながらに宮の御物の怪になると言って、びしびしと打ち叩かれたが、時々祟りを恐れて、百合宮から品物を賜ったりした。
小宰相が宮を出た時には、意地悪にも「谷には春も(紫上の台詞?)」と大声で詠じた。
最後には御所を追い出された。

小宰相は、百合宮の御所を出て、優雅な生活に落ち着いた。時々は百合宮を訪ね、参上してお目にかかった。
散華の華や捧物はお仕えしている人と同等に進上。
尾張の勅旨田の糸を百合宮が大づかみに取って小宰相に渡して、小宰相はそれで単を織らせて、百合宮に献上した。
百合宮と小宰相は申し分のない御間柄。
小宰相は、設計は風流ではないが、ひっそりとした隠れ家を作って、里として出入りしている。男の主人も欲しがらないので、家の中は騒ぎもなく落ち着いた暮らしで、すっかり老人になるまで過ごした。

新大夫は、百合宮の設計で、宮の御邸の向かいに、雛屋の様に磨き上げた私宅を設けて、某の阿闍梨、前少将、美作介が夫として住んだ。
亭主運が余り良くなく、添い遂げない人が多かった。しかし、百合宮の御寵愛だけは、年月が経っても全く衰えないで生涯を終わった。

人は心がけ次第で、身の上は良くも悪くもなるものだ。また、場所柄と言う所に気をつけなくてはならない。

第五・六巻 アレンジ 終

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。


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