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『我が身にたどる姫君』翻案「第五・六巻 アレンジ前半」

5&6-1 静かなる御代

<二十九年>
三条帝:二十五歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十五歳
藤壷女御(藤姫):二十五歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十三歳
麗景殿女御:二十三歳

松風中将:二十四歳
有明中将:二十四歳

月光一品宮:二十二歳
百合宮(前斎宮):二十一歳

葉山帝:七歳
二宮(東宮):六歳

********************************************************

女帝の即位の翌年、水尾女院が御崩御になった。
女帝はため息をついた。
(母宮様の叔母様で、特別喪に服する様な間柄ではないけれど・・・)
(大嘗祭の御禊は延期した方がいいわね・・・)
(なるべく早く退位したいけれど、しかるべき行事を終わらせてからにしたいわ・・・)

そうこうしているうちに、女帝の在位は足かけ三年となった。女帝の徳が行き届いているからか、天変地異も起こらず、泰平な御代が続いている。

人々「帝は何と行き届いたお方だ・・・」
「御譲位なさるのがもったいない・・・」

藤壷皇后宮が参上した。
「主上、父・月影関白が司召(つかさめし)の事でおうかがいしたい、との事です」
女帝「そうね・・・こちらにいらっしゃるようにお伝えして」
藤壷皇后、はっとする。
(白いお召し物を着られた姿が何とお美しい・・・。
私はこの方のお側にずっといることができて、幸せだわ・・・)

女帝、目を閉じながら、
(司召の事は三条院様に御相談しようとしたのですけれど・・・)
三条院の回想「あなたはこの上もなく利発で、行き届いたお人柄だ。この私より何倍も。
・・・だから、司召などのしかるべき政治向きの事や、朝夕の御所の中の年中行事も、あなたの御心のままに行って下さい。」

月影関白は御簾の外から奉上した。
「こんどの播磨国司には、この者をあてたいのですが・・・」
女房が取り次いだ。
女帝「・・・この者は、昨年百姓達から年貢の不正を告発された者ではないか。関白はそこの所も考慮に入れて推挙しているのか?」
月影関白「そ・それは存じませんでした。」

藤壷皇后、月影関白、舌を巻く。

三条宮で、三条院「そうか・・・帝は素晴らしい政治を行っているのか・・・」
月影関白「皇后宮によると、主上は誰に対しても分け隔てをなさらないので、人々は常に気持ちよくお仕えされているようです」

二宮の事から、もとから女帝は藤壺皇后宮とは親しく言葉を交わしていた。
従来にも増して、内裏住まいをしている間には、またとなく仲のいい御姉妹がいらっしゃるかのように信頼申し上げている。
藤壺皇后宮が女帝の許に参上しない日はない。毎日いくらかの時間は御側に座っている。

藤壺皇后宮は行き届いて理知的な御性格。父の月影関白が毎日参上できない代りに、今から何事によらず、女帝は藤壺皇后宮に申し付ける。
あたかも帝が御二方いらっしゃるよう。

女帝は、御手水を手伝わせるなどの雑用以外には、身近に召使を置いて雑談したり、ふざけたりなど少しもしなかった。
女帝は召使を分け隔てしない。

女帝は、近頃では東宮や二宮を朝夕召す。それにつれて、二人の御乳母達も毎日御前に参上する。

嵯峨院、嵯峨女院の女房達は、皆御前に参上している。人は多いが、皆節度を守り、さりとて堅苦しくなくお仕えしている。

上達部や殿上人、左右大将は、女房の詰め所である台盤所のあたりまでは身分に応じて毎日伺候。

月影関白殿のみ、御手水の間や朝餉(あさがれい)の間に伺候。それ以外の男は立ち入らせない。
しかし、用件がある蔵人などは、やむを得ず朝餉の間の長押の所まで参上して遠慮なく奏上した。

上達部を初め、卑しい連中まで、自分だけは規定を破っても大目に見てもらえようと油断して、手を抜くことはできない。
男女ともにいつまでも果てしなくおしゃべりしあったり、ふざけたりすることもない。蔭で一人こそこそと悪口を言う習慣もなくなった。

全ての事は公明正大で、秘密は何一つないように、と女帝はいつも気をつけている。

5&6-2 除目の夜

<三十年>

三条帝:二十六歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十六歳
藤壷女御(藤姫):二十六歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十四歳
麗景殿女御:二十四歳

松風中将:二十五歳
有明中将:二十五歳

月光一品宮:二十三歳
百合宮(前斎宮):二十二歳

葉山帝:八歳
二宮(東宮):七歳

**********************************************************

除目の夜は、嵯峨女院がお越しになって、女帝と御席を並べている。
典侍や内侍が女帝の御姿を几帳で隠している。しかし、御後姿や、御袖の上までは隠していない。

節会の折にも、御椅子に座している御姿を遠く隔たった御階のもとの人々にも知らせる必要があるので、御衣の褄や袖など照り渡る日光の下に輝くばかり。

三条院の御代には、帝は後涼殿で日がな一日暮らすことがあった。今上の女帝は何事もテキパキと処理して、御髪をお梳かしになるのまでも少しも時間をおかけにならない。

この話を三条院が聞いて、
(全く自分勝手だとは思うけれど、女帝にお逢いしたい・・・)
(そして藤壺皇后宮にもお逢いしたい・・・)
(近くにいていつでもお逢いできる時には何とも思わなかったが・・・
今は女帝の側で生き生きと輝いている・・・)

「こころから 袖にやどりし 月も日も 雲井のよそに 恋ひやわたらん
(自分の袖の中のものであった月も日も・・・藤壺皇后宮も女帝も・・・
自ら求めた事ながら、今では遠く離れて恋い慕い続ける他はないのか。)」

女帝に熱っぽく文を書く院を、横から後涼殿が不安そうに見ている。



5&6-3 初霜

初霜の降りた夜明け、女帝は寝床で髪をさわっていた。
(冷たい・・・)
三条院を思い出して、
(これほど長く一人寝が続いた事はなかった・・・)
女帝が一人じっと考えているうちに、夜が明け、外で滝口の武士が時刻を奏する声や、忙しく行き交う沓の音が聞こえる。

女帝 「あけぬなり 我が身ひとつに ながき夜の 袖にしらるる 秋のはつしも
(私だけは寝られない長い夜も明けたようだ。涙に濡れた袖の様子に秋の初霜が降りたことも分かった。)」

朝餉の間の御格子を上げて、女帝は庭に植えられた撫子に霜の降りた様子をじーっと見ている。

女房の兵衛佐、三条院の文を持ってくる。
「院からの御文です。」
女帝、御文を見て、
(まぁ・・・美しい紅の紙・・・辺りに映る程だわ・・・)

三条院の歌 「夜もすがら ちぎりておきし 秋の霜 わすれぬ袖の 色をみせばや
(夜通し契りを交わして将来を約束した朕の、
あなたを忘れる事ができないこの気持ちを、
血の涙に染まった袖の色にお見せしたいのです)」

「身にかへて おもふ心を しらせても あひみぬ恋を えこそしのばね
(命に代えてもとまであなたを愛している気持ちをこうしてお知らせしたところで、お会いできない恋の苦しさは我慢できません)」

女帝、しんみりと(淋しい気持ちなのは、私だけではなかったのだわ・・・)

三条宮に、女帝からの返事が届いた。
女房「主上からの御返事です」
三条院「おお!」

女帝 「色かける 秋を我が身に そめしより 袖には霜の むすぼほれつつ
(私にお飽きになったことが分かりました時以来、
私の袖にはいつも涙で霜が結ばれております)」

「身をかへて のちにもいかが わすられん またあともなき 世々のためしを
(帝になりましてからも、どうしてあなた様の御事が忘れられましょうか。
他には例もなく、後々まで引き合いに出されるような二人の仲ではございますが。)」

三条院は肩を落とした。
(やはり主上は、朕が位を投げ捨て、後涼殿と一緒に暮らす道を選んだことを恨んでおられるのだ・・・)
(しかし恋しい・・・)

三条院、ぼーっと初霜の降りた庭を見ている。
後涼殿、後ろから淋しそうな表情で院を見ている。
(院は、私の為に位を降りられたことを後悔しておられる・・・)

5&6-4 豊の御禊(とよのみそぎ:天皇即位後、大嘗祭の前日に行われる賀茂川での潔斎)

うらうらと晴れた日に御禊が行われた。
三条院の御桟敷は特別入念に作られている。深雪女院、後涼殿中宮、月光一品宮などの御出衣の数々は、紅葉かさね、菊のかさねも彩りを尽くして、素晴らしい。

三条院は荘厳を極めた女帝の御輿が通るのを淋しそうに見ている。
「けふはまた われしもものを おもふかな とよのみそぎの よその日かげに
(今日はまた朕一人物思いをする事だ。
御禊の行列をよそながらに見ていると)」

女帝は、賀茂河原の仮宮に着いた。月影関白、院からの使いを丁重に晴れがましく扱う。

女帝は三条院に返事を書く。

「かけざりし みそぎのなみに 袖ぬれて 神代あやしき 身のちぎりかな
(思いもかけなかった即位の後、
今日御禊の波に袖も濡れて、
昔の御縁も不思議に思われてなりませぬ)」

嵯峨院は、嵯峨女院と同車で御禊を見に行く。殿上人、蔵人ばかりが供をし、網代車三両を二条大宮の辺りに停める。他の車は畏れ多いので退く。



5&6‐5 嵯峨の行幸

その年の冬、嵯峨院へ行幸がある。嵯峨院は、女帝を待ちかねていた。
三条院(こういう折りがないと、女帝に御対面になれない・・・)
(自分で招いた事とは言え、なんと辛い日々だった事か・・・)

雪が申し訳程度にちらついて、曇りがちな空。山の松蔭。
荘重な音楽の音、御輿をお迎えする間の素晴らしさ。

庭は左右の大将の御下がさねで彩られる。寝殿の御階に御輿を寄せる。
内侍二人が御佩刀や神璽のはこを取る。
嵯峨院は袖で涙を押しぬぐっている。

女帝は母の嵯峨女院と対面した。女院は出家の慎みも忘れて、几帳を横に押しのけて、感動の再会をした。

音楽が始まり、日暮れの頃、女帝は三条院と御対面した。

二人は何も言えず感極まった表情で見詰め合う。抱き合って御帳台に入る。

空が白んでくる。三条院と女帝、二人でまどろんでいる。
三条院「おや、東の空が白んで来ている。まだ宵の口かと思っていたのに・・・」
三条院、指貫に袿を着て、自分で妻戸を開けて外を見る。

外は真っ白な雪。幔幕、楽屋、龍頭げき首の舟にも雪が真っ白に積もっている。

気付いたら女帝が横に寄り添う。三条院、女帝の方を見て、
三条院 「おもひきや ふりにし雪の きえかへり 草葉はつかに わかるべしとは
(昔からのあなたとの契りなのに、
死ぬような思いをしながら、
こんな仮初めの逢瀬だけでお別れしなければならないとは、
予期した事があったでしょうか)」

女帝 「わかれける ちぎりのほども しら雪の ふりにしかたの いふかひぞなき
(あなたとお別れした運命もどういう事か分かりませんが、
昔の事は今更言っても甲斐がない事です)」

女帝「すっかり夜が明けてしまうと面映いので・・・」膝行して部屋を出て行く。
三条院、女帝の顔をじっと見詰める。
(何て可愛らしく美しいのだ・・・。なぜ私は自らこんな事をしてしまったのか・・・)

三条院、何かに気づく。「御乳母の三位を呼べ」
三位が来て、側に控える。

三条院「変に季節が合わない様な気がするが・・・昨夜はまだ宵のままで夜が明けてしまった。」
「今日は東の方角を避けなければならない日だった。帝は今夜こちらにお泊りになるのがよろしい、と嵯峨院に奏上しなさい」
乳母、ぽっかーんとしている。が、はっと気付いて笑い出す。
三位「いかにも御言葉の通り、床に就いたかと思うと、すぐに夏の夜の様に夜が明けた気持ちがいたしました。」

三位、嵯峨院と嵯峨女院の前で奏上。
嵯峨院(三条院はなんと嬉しい事を・・・)涙を落として、
(なぜ方角がお悪い事に気付かなかったのでしょう。どうして主上が御所にお帰りになれよう。早くその旨を主上に仰せ付けなさるがよろしい。)
三位、にこ!と笑って、「かしこまりました!」

月影関白も、渡殿(三条院の部屋)に現れた。嵯峨院は三条院にほのぼのとした表情で言う。
「妙な事ですね。こうなれば、お泊りになるのがよろしゅうございます。」
月影は、ピンと気付いた。
(皆で、主上をお引き留め申し上げている・・・主上は皆に愛されておられるのだな・・・)
笑い出して、「特に憚りがない時でも、二日三日と御滞在になる事は前例がない事がありましょうか。」
「しかし、明後日はまた御忌日(陰陽道で、縁起の悪い神が支配するという日。外出、帰宅、結婚などを忌む。)でございますから、御所へのお帰りは明日のよし、主上は仰せられました。」
関白はそういってそのまま御宿直所に帰った。左右大将を初め、皆退出した。

女帝、嵯峨院の興趣に富んだ庭、豊かな野辺を見て、落ち着いている。
(まるで昔に帰った様に気持がのんびりとしているわ・・・)
三条院と女帝、以前よりもぴったりと重なるように寝た。

翌朝、既に日が高くなっている。三位が起こしに来る。「主上、院・・・」
女帝、ぱちっと目を開ける。「まぁ、本当にひどく寝坊をして・・・」
三条院、切なげに女帝の後姿を見送る。典侍が神璽のはこを捧げ持つ。

嵯峨院、居間で寛ぐ女帝を見て、
(今日の御装束は昔の姫宮でいらした頃の様に可愛らしい。昔の様に、お膝に座らせて差し上げたいものだ・・・)

夜、様々の管絃の遊びがあった。とても広い池の水面が遠くまで見えて、十一日の月が一点の曇りもなく、澄み渡っている。

名手である嵯峨院は琵琶、三条院は御笛、月影関白殿は筝(そう)、式部卿宮は和琴、松風左大将は笙、有明右大将は拍子、大層有名で年取った修理大夫は篳篥。
女帝は琴(きん)。
皆で「あな尊(とうと)」を演奏。

女帝、(この遊びが終わったら内裏に帰らなくてはならないのだわ・・・)気分が乗らず、やめてしまう。それに連れて、嵯峨院の琵琶の音も止む。

三条院は元の部屋に戻り、嵯峨院は式部卿宮と久しぶりの対面をする。
式部卿宮、つまらなさそう。(なぜ兄院の子だけが帝に・・・?まろの娘は院に放って置かれているのに・・・?)

女帝が嵯峨院を出るとき、寝殿の御階に御輿を寄せて、鈴の奏(行幸の際、供奉の先払いの為、振り鳴らす鈴と官印とを、出御の前に下賜されるよう奏上する事。少納言あるいは少将がこの任に当たった。)を行う。その様子を見ながら、嵯峨院の心に冷たい風が吹く。外の風も冷たい。
嵯峨院は、女帝が帰るとき、名のある琵琶で、名手の故皇后宮から伝えられたものを、女帝に引き出物として与える。

女帝が帰った後、嵯峨院はひどく落ち込む。
(三条院は、我が子孫を皇位に就けたいという朕の願いを汲んで、女帝を即位させてくれた。ただ、却ってそのために、我が子と自由に会えなくなるとは・・・)
女帝の供奉に狩衣(帝の洛外への供奉は狩衣が普通)で従っていた松風左大将、有明右大将、未の時刻になったので、三条院行幸供奉用の直衣(京での日常に用いる)に着替えて帰ってきた。
様々の出衣の取り合わせが見事。

5&6-6 花かつみ

三条院は、三条宮に帰ると・・・一夜の内に後涼殿中宮への御寵愛がつのられたようだ。
三条院「二・三日逢わないと、ますます美しさが増したようだ」
後涼殿「院・・・」
三条院、渋い顔で(しかし・・・藤壺皇后宮はなぜ三条宮に移らない・・・?)

三条院、月影関白に向かって、
「なぜ藤壷皇后宮はこちらに移ってこないのか。
御部屋も立派に御用意してあるのに。
そのお気持ちが情けない。」
月影関白、ぽっかーん・・・。
(院は・・・わが娘にした仕打ちを忘れてしまったのか・・・
我が甥ながら情けない・・・。ま、院だし、角を立てず・・・)
「明日にでも御移りになりましょう」

しかしまだ藤壷皇后宮は移らない。
三条院、怒気を含んで「関白!」
月影関白「暑いさなかですから、何かと。水尾女院の一周忌が過ぎてから・・・」

まだ、まだ藤壷皇后宮は移らない。三条院は月影関白を呼びつけ、ジリジリしてにらむ。月影関白は涼しい顔をして、
「昨日、皇后宮は参内なさいましたばかりで、その明くる翌朝では」

関白邸で、月影関白は藤壷皇后宮と向かい合っている。
「また、院はそなたの転居の事を仰せだったぞ。
・・・かくかくしかじかのように申し上げておいたが」
藤壷皇后「感謝しますわ、父上。」
月影関白「私としてもそなたが院にされた仕打ちは、悔しくてな。」
(・・・といってももう一方の娘に示してくれる御愛情は、有り難く思うが・・・)

藤壷皇后、自室でぼんやりと考えにふける。
(院は、あんなにお美しい主上よりも、後涼殿中宮様を選ばれたのだ・・・
後涼殿中宮様はどれほどお美しいのか・・・
私は十分に拝見したわけではないけれど、その様な中宮様のお美しさに私が肩を並べられるはずもない。)

(しきたりもあり、宿運が強くて私が氏を継がねばならなくなったからこそ、院にお仕えしたけれど、院も退位された今・・・)
藤壷皇后、首を振る。
(院の転居のすすめは、私への愛情からではない。
きっとまた父上に気を遣って仰せられたのだろう。)

(そのお言葉を信じて、御所にあがって、冷たく扱われ、
それに対して憎らしそうにひねくれた事を少しでも口に出したら、
ますます私が馬鹿で気に食わない女だということになるだろう。)

(殿(月影関白)が私を大事にお世話してくださる御様子や、
葉山東宮や二宮の御行末を考えれば、私は人に圧倒される様な身分でもあるまい。)
(そう考えたら一人寝が最善の道だわ!)

5&6ー7 年かえる春

女帝(さぁ、嵯峨院への行幸も終わったし)
御簾を通して、学者に命じる。
「年が明けたら譲位を行う。よい日を勘案して奏上するように」
学者たち驚く。
「月や星の光にも不思議な事が多く現れました」
「御譲位は飛んでもないことです」
女帝「とにかく私はそう決めたのです!」

<三十一年>

三条帝:二十七歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十七歳
藤壷女御(藤姫):二十七歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十五歳
麗景殿女御:二十五歳

松風中将:二十六歳
有明中将:二十六歳

月光一品宮:二十四歳
百合宮(前斎宮):二十三歳

葉山帝:九歳
二宮(東宮):八歳

*******************************************************

年が明けた春、使者が女帝のもとに慌てて報告に来た。
「葉山東宮様、御患い!」
女帝「えっ・・・」
月影関白は頭を抱えた。「ああ・・・何ということだ・・・」
朝廷は様々の御祈祷を無数に行った。
三条院と関白は口を揃えて、女帝に迫った。
「帝の御譲位を天照大神が御惜しみ申されるからこそ、このような事が起こるのです。
御譲位は決してなさってはなりません!」

女帝は悲しげな目をして、「・・・そう。では中止します。」
女帝は空を見上げる。

水尾女院が亡くなってから後、入道宮は後涼殿中宮の御側にいらっしゃって、中宮や深雪女院とともに楽しく暮らしている。

関白邸では、女四宮は憤慨している。
「全く、入道宮は我が世の春を謳歌していらっしゃるわね。」
「それに引き換え私の娘は・・・夫の三条院様に蔑ろにされて、可愛そうに・・・」
(そしてあの人は入道宮の味方ばかりして!)
女四宮は月影関白の後姿を睨んだ。

女房が深雪女院に女四宮の意向を報告した。
深雪女院「別に三条院は藤壺皇后宮を蔑ろにしているのではないのに・・・」
(私亡き後、この娘たちが心配だわ・・・。若い頃の入道宮様の様に苦労を強いられるかもしれない。)
(私の生きている間に娘たちの行く末を確固としたものにしておきたい・・・)

深雪女院は顔を上げて、決意を秘めた声で言った。
「女二宮を松風左大将に差し上げましょう」

月影関白からそれを聞かされた女四宮、
「えっ・・・女二宮様を、うちの左大将に・・・?」
「まぁ!深雪女院様も私達の事を大切に思ってくれているのですね!」
女四宮は、にっこにことご満悦になった。

松風左大将は女二宮をまじまじと見て、満足げな表情をしている。
(何とお美しい・・・天にも昇る気持だ・・・)
(麗景殿様への思いを忘れてしまいそうな程だ・・・)

有明中納言は、(それでは月光一品宮は私のもとへ降嫁されるのだろうか?)ドキドキ

深雪女院「そして、月光一品宮を・・・かつて私がいた皇太后宮(※独身の皇女を優遇する為に定められた非妻の皇太后の位を与えた)の位に立たせましょう」
月光一品宮に想いを寄せる男達はショックを受けた。

麗景殿女御は里で娘を相手に淋しく暮らしていた。
(女帝も、藤壺皇后宮も、昔は御威勢が良かったのに、今は院と離れ離れで暮らしておられる・・・)
(一人で後涼殿女御と張り合うように三条院に参院しても・・・)

その様子を聞いた女帝は、
「まぁ・・・麗景殿様はその様に御淋しくしておられるの・・・」
(父方をたどればこの方も御従姉妹・・・おいたわしい・・・)
女帝は、麗景殿女御に御封や官爵を差し上げた。


5&6-8 諒闇

女帝(ああ、何とか退位できる手立てはないものか・・・)
内侍が、深刻な顔で女帝に何かを報告した。

女帝、悲壮な様子で、身を前に乗り出した。
「えっ?母女院が御病気?危篤ですって!?」
しかし、そのまま空を仰いだ。
(ああ、でも帝は気安く御見舞に行けない・・・)
(どうか、次の行幸まで御無事で・・・)
女帝は手を合わせて強く祈った。

「嵯峨女院、御崩御!」

女帝は見るのも辛いほど気落ちしている。
(ああ、私が帝位に就いていたばかりに、母の死に目にも会えなかった・・・)
女帝はぼんやりと庭を眺めた。
(でも、こんな時に譲位をしては、ますます世間を騒がせてしまう・・・)

嵯峨院は、最愛の嵯峨女院の死後、すぐに出家した。
それに続いて、深雪女院も、女二宮を降嫁させ、月光一品宮を皇太后位に就けて安心したのか、出家した。
深雪女院(やっと二条院の御菩提を弔える・・・)
入道宮と仲良く並んで、勤行の日々を送っている。


5&6‐9 五月雨の夜

五月雨の日、百合宮の住居で、有明右大将は牛車から降りて、きょろきょろと周りを見ていた。唐傘を持ち、広袴を履いた供を二人連れている。有明は、さっと木陰に入る。

百合宮様は嵯峨院と御匣殿のお子様。女帝の異母妹に当たる。
新しく女帝の御代になって、斎宮から退下され、上京し、生家にお戻りになっていた。
生家では、御母君の妹・大納言の君が尼となって修行していた。

有明(儀式の折りにふと見えた女帝の面影が忘れられぬ・・・
後涼殿様への思いが叶わぬのは無理もないが・・・
せめてこの辛い思いを慰めるためにも・・・)

(百合宮様は、女帝の異母妹だから、少しは似通っているだろうか・・・)有明は中をのぞき込んだ。

「きゃははは・・・」女房達の声

有明(ん?静かな物寂しい雰囲気かと思ったのに、意外・・・)
寝殿の南正面に灯が赤々と見えている。
有明(格子に穴が開いているのに後から修繕してふさいでいないから、丸見えではないか・・・)
穴に目を近づける。
(前の方では女房四・五人がふざけあって真っ赤に上気している・・・)

障子一つを隔てて・・・赤々と輝く灯のもとに、女性二人が絡み合っている。
有明(同じ年恰好の若女房が二人、どちらかが主人なのだろうか・・・)
「あん・・・」
有明(これから暑くなるのに、薄衣を頭から引き被って・・・)
女性二人、ぴったり相手の首に手を巻きつけて、眠っている。
ごそごそっ・・・
「うう・・・ぐすっ・・・」
「ふふふっ・・・そこはいけませんわ・・・」

有明(何をしているのだ、これは・・・。
女同士でもこのような交わりがあったとは・・・) 
(しかし、こちらには全く興味がない。
・・・帰ろ。)

有明はそのまま帰った。


それから遡る事三年・・・女帝が即位し、百合宮が上京した頃・・・

嵯峨院で、女房
「人が、百合宮様は、お父上の嵯峨院様のもとにおいでになるのだろうか、と噂しております」
嵯峨院「百合宮は生家で不自由なく暮らして居るのだろう?・・・まだ一度も見たことのない人だから、それでよかろう。」
「こんな世間離れした山里住まいの中に、見も知らぬ人が同居するのも具合が悪い。」
女房(お嫌そうな御様子・・・
もうこれ以上申し上げるのはよしましょう)
嵯峨院、ふと考えて
「・・・でも、大納言の君にとっても一人同居人が増えたのは何かと不都合であろう。
勅旨田を一箇所位やりなさい。」


5&6‐10 怪しき風

百合宮の叔母の大納言の君は、宮を引き取らないという嵯峨院の意向を聞き、憤懣していた。
(院の御意向はわかってはいますけれど・・・)
(あの場面(百合宮の女房との御乱行)を見てどれだけ衝撃を受けたか!)
「全くばかばかしい。
この年になってあんな女に付き合って、
こちらまで悪い評判を立てられては大変!」
一心不乱に念仏を唱える。

一方、百合宮は、
(全く大納言の君には腹が立つわ・・・)
(父院は、「私を進んでお世話するように」とのご意向なのに、
まるで他人の様によそよそしく、仏間にこもりきり。)
(着る物は母君の御生前から仕えていた老女にいいつけて、
私とは一目も会おうとしない!)

百合宮の表情はけろっと明るくなった。
(でも!)
「今まで伊勢で自由な暮らしに慣れてきたから、
此処では七面倒くさい事になるかと思ったら、
放って置かれてとても結構だわ」
女房達「そうでございます」

百合宮の新参女房の小宰相は、あの時の百合宮のお相手です。
彼女は三・四年前、百合宮の御乳母の遠縁だと言う事で出仕して来ていました。

女房「小宰相さん。
あなたの同母兄の兵衛佐様がこちらを訪ねて来たわよ」
小宰相「え!すぐ行きます!」
百合宮の耳が大きくなった。

小宰相と兵衛佐の対面の間。
御簾の外で、兵衛佐が小宰相に話しかける。
兵衛佐「お前と会うのは幼い頃以来だな。
以前からそなたの事は気になっていた。
前斎宮様と一緒に上京して来たと聞き、
矢も盾もたまらなくなって会いに来てしまった。」

小宰相、嬉し涙にくれながら、
「うれしゅうございます」
兵衛佐「遠く離れて噂に聞くばかりだった
母上が亡くなられ、
本当の肉親はお前一人。
父上は継母の言うなりだし・・・」
「何とかしてお前を世間に出してやりたいものだ。」
小宰相「兄上・・・」
百合宮、うろうろとやってきて、小宰相の耳元に囁きかける。
「あなたのお兄さん、かっこいい?」
小宰相「そんな、とんでもない・・・」

兵衛佐、気付いて「他に人がいらっしゃるのですか」
百合宮、小宰相をつつき、「いないと言え言え」
小宰相「誰もおりません」
兵衛佐「それでは、誰と物を仰っているのですか」
百合宮「風が吹いたのですと言え言え」
小宰相、困りきって「風が吹いたのです」
兵衛佐、ふっと笑って、「妙な風でしたね」
と言い、「跡なきかたに行く舟も」と口ずさんで、物思いに沈んだ風情で、柱に寄りかかって座る。

百合宮「えーい!」と小宰相を後から思い切り突き飛ばす。
小宰相「きゃあ!」御簾の合間から飛び出す。
兵衛佐、呆れて「これはまたどんなに風が吹くことやら」
百合宮、ホホホホ・・・と高笑いをして、奥に逃げ込む。

小宰相、顔を真っ赤にして御簾の中に入る。
兵衛佐、哀れむような目で妹を見て、(こんな職場で勤めねばならぬとは可愛そうに・・・)
「あなたの事はお気の毒に思っていますが、
我ながら不甲斐ない身の程が残念な事です」
兵衛佐、出て行く。小宰相、心の中で恥かしく情けなく思う。

兵衛佐は、馬に乗りながら決意した。
(妹よ。いつか兄が力を得たら、あの化け物のような前斎宮から、必ず救い出してやるぞ!
待っていろよ!)

百合宮「さぁ、お兄様も帰られた事だし・・・」
百合宮、小宰相に抱きつく。

百合宮、小宰相の首をきつく巻いて、一緒に寝る。
小宰相、瞳に涙を浮かべながら、
(兄上とゆっくりお話ししたかったのに・・・
宮様が邪魔をされて・・・)
小宰相「ああ苦しい。ちょっとの間、緩めてください。」
百合宮「いや・・・なんて淋しいこと言うの。」
ぎゅう、と腕を締めて、頬に頬をつけて離れない。
小宰相「あ・・・宮様・・・」

ガラッと大きな音で、百合宮の部屋の襖が開く。
そこに、華やかな様子の中将の君が恐ろしい顔で仁王立ち。
小宰相(中将の君様!私が来るまで、百合宮様の御寵愛を独占していた女房!)
中将の君、じろっと二人をにらんで、襖を手荒に閉め、
「うつればかわる世の中を(※「源氏物語」紫の上の歌)」を長々と詠じて、御簾をバタンと下ろして、自分の局へ帰っていった。

百合宮、めそめそして、手で着物をいじくりながら、
「まぁ困ったわ。怖いわ。ああまでしていい事かしら。
世の中って暮らしにくいものねぇ・・・」
小宰相(側で聞いているのも辛い・・・)
小宰相「私は局に下がっておりましょう。」
出て行こうとする小宰相の袖を百合宮がはっしと掴む。
百合宮「あなたまでも私を見捨てなさるの・・・!」
小宰相の手を取って引き寄せ、めそめそと泣く。

百合宮、両手をお椀の様にして溜めた涙を見て、
「まぁ。涙がこんなに溜まったわ。
尼君から来ていたお菓子皿に入れてみよう。」
皿が一杯になった。
百合宮「まぁ辛いわ。あなたに何を話そうかわからなくなったわ。
もっとこっちへこっちへ」
小宰相を引き寄せる。小宰相は不本意な表情ながら百合宮に抱き締められる。

百合宮「かわいい小宰相。
それじゃ、私の言うことに背かないわね?
言う通りにするわね?誓いをお立てなさい。
私も立てよう。」
百合宮は小宰相に一日中取りすがっていた。

中将の君は、日が暮れるまで局にいて、今夜も参上しない。
小宰相と百合宮は昨夜のまま臥せっていた。さすがに夜になると、小宰相が起き出した。
小宰相「お食事を持って参ります」
百合宮、小宰相を押さえて、泣きそうになった。
「このままここにいて。
私の言う通りにするんでしょ」
小宰相、渋々寝る。

翌朝、百合宮の御前に女房達がいる。中将の君、離れた縁側で数珠を持って、物思いに沈んでいた。と、ぷいと立って出て行った。
女房達ため息をついて、「まぁ大層御機嫌が悪くて困ったものね。どうしたものかしら。」

百合宮、顔をしかめて(面倒な・・・)
立って「小宰相、こちらへいらっしゃい」
小宰相「は、はい」
二人で襖の奥に入り、襖を閉めた。

5&6-11 もの羨み

兵衛佐、自室で一人ぼんやりと物思いにふける。
(初めて聞いた妹の声・・・感じ良かったな・・・)

幼い頃に父上が母上を追い出された。それ以来一度もお会い出来ずに亡くなってしまった母上・・・。
私の官職が低い間は、父上と継母の御意向を慮って、会いたくてたまらなかったけれど、会いにいけなかった。
ある時、人づてに、母上が亡くなられ、妹が伊勢に宮仕えに出たと聞いた。
この上もなく母上が可愛がっていたらしい妹だから、父上と継母の間に産まれた妹達よりもしみじみと愛しく気の毒に思っていた。

その妹にやっと会えたというのに!
兵衛佐の頭に、高笑いをしている百合宮に抱えられて、困っている小宰相の映像が浮かぶ。
(どうにかして情けない有様を人目にさらすような事にはさせたくない!)
兵衛佐はこぶしをぐっと握り締めた。

(でも、今の私にはこれ位しか出来ない!)

兵衛佐は、風流な手箱に美しい檀紙や薄様、お香を入れて、「珍しく会うことが出来て、嬉しかった」という文を添えて、小宰相に送った。

百合宮の御所に兵衛佐からの使者が来て、
「申し上げたい事がございます」
小宰相、御簾から匂欄に出て、
「何の用ですか」
使者「治部卿様の御宅の兵衛佐様から」と手箱を差し出す。
百合宮、ぱっと表情が変わって、御簾の中から
「早く早く、すぐこちらへ、とお伝えしなさい」

百合宮と小宰相の目の前には兵衛佐からの手箱が置いてある。
小宰相、兄からの文を読みながら、嬉しくて涙をこぼす。
横で、百合宮、真っ先に箱を開ける。
女房、それを見て(まぁ、百合宮様ったら、受取人は小宰相様なのに・・・)

百合宮、箱をいじくりながら、
「まぁ、面白い下絵だわ。薄様の箔の置き方も上手なこと。」
百合宮、薄様の紙を胸に当てて、上を向いて、
「ああ羨ましいこと。
知り合いになる運命の人はこうして巡り会うものなのね。」
「どうして私には誰一人こうして訪ねては下さらないのかしら。」
「帝のお心も本当に嫌ね。
何かにつけ、私はこんなに思っているのに、
たった一人の妹をさえ、訪ねて下さらないとは・・・」
ぶつぶつと文句を言っている。

大納言の尼上、そーっと百合宮の御前に膝行してくる。
百合宮「あら、叔母上様、お珍しい・・・」
大納言「嵯峨院の三位の君の所へ昨日便りを差し上げました所、
私は近頃は御所に伺候しております。御所は嵯峨院よりは近い距離ですから、
良ければこちらへいらっしゃい、とご返事がございましたので、
これから御所へ参上します」
と言って、部屋を出て行こうとする。

百合宮、大きな声で、
「まぁ、お羨ましいこと。
きっと帝にもお会いになるのでしょう。
ご姉妹は大勢もいらっしゃらないのに、
どうして私をこんなにお見捨てなのかしら。
こんな気持でいる事だけでもお伝えしてくださいね。」

大納言、頭を振りながら、
「さあねぇ。自然とお目にかかる事もございますから、
そのうち適当な機会がございましたら、
申し上げましょう」
(この場からなるべく早く立ち去るに限る!)
サッと出て行った。
百合宮「行っちゃった・・・」


5&6-12 古りたる人

御所、女帝の御前。女房が、「大納言の尼君がいらっしゃいました」
女帝「まぁ、私が幼い時に可愛がってくれた御匣殿の妹が・・・通しなさい」

大納言尼が三位と話す様子を女帝が見て、微笑んでいる。
大納言尼、女帝の方をチラッと見て、
(御即位されてから益々美しさが増して・・・)
(微笑んでいらっしゃる御口元など、故皇后宮にそっくり・・・)
(もし、故皇后宮が帝の御姿をご覧になられたら、
どんなにかお喜びになられたでしょう・・・)
ふっと、百合宮の表情が大納言尼の頭をよぎる。
(同じ御姉妹とはいえ、これほど違うとは・・・)

大納言尼「そういえば・・・主上の御妹の前斎宮様の事ですが・・・」
女帝、ふと大納言尼に目を留める。
大納言尼「毎日、お一人で心細そうにお暮らしで・・・」
「今日参内いたします旨を申し上げました所、
ひとしお私について来たそうになさっていらっしゃいました」
上目遣いになって、
(できれば御所で預かっていただけたら・・・)

女帝、ほのかに口を隠しつつ、
「嵯峨院には皇子は大勢もいらっしゃらず、
大事な御方ですのに、いかにも妙にうとうとしくなさって・・・」

三位「お気の毒にはお思い申し上げておりますものの、
あなたが付き添っていらっしゃいますから、
まさか心配な事はあるまい、と安心しておりますのよ」
大納言尼、顔を青くして、冷や汗を流す。
「さぁ、どうでございましょう。
私もお勤めの暇もないほど
忙しくしております中にも、
最近すっかりボケてしまいまして、
前斎宮様の御前に上がることもございませんで・・・」

女帝(?何か様子が変だわ・・・)

5&6-13 大淀の松

大納言尼は自宅に帰って、百合宮の御前に出た。
百合宮「どうだった、どうだった。
主上はお会いになられましたか」
大納言尼、顔を伏せたまま、
「主上も、百合宮様の事をお気の毒に思われていた様でした。」
百合宮、手を組んで、
「まぁ、嬉しい事だわ。そう仰ったのなら、
その機会だけも逃さずに
御文を差し上げましょう、
差し上げましょう。」
大納言尼、苦い顔してその場を立ち去る。仏前に出ると、女房が百合宮の文を持ってくる。
女房「百合宮様のお言葉です。
主上への御文の事は三位の君に申し上げてください。
機会があったらこれからもきっとね、との事です」

大納言尼、文を持ち、眺めながらじっと考える。
(年寄の癖にでしゃばって、と先方でも私の事を
馬鹿な女と軽蔑なさるだろうが、
しかし百合宮様のお申し出を私が止められるはずもない)
大納言尼「承知いたしました」

女帝の御前、三位君が
「大納言尼君からの文に、百合宮様から主上への御文が同封されておりました。
お読みいたします」
三位「おほよどの 松にてとしは つもれども わたのはらから とふ人もなし
(お訪ね下さるのをお待ちしたまま年が積もって行きますが、
きょうだいといって訪ねて下さる方もありません。)
『雪間の草』で、是非お会いしたいのです、って・・・?」
(「松」に「待つ」、「わたのはら」に「はらから」をかける)
三位、首をひねる。
「これは・・・主上に行幸頂きたいとの事なのでしょうか・・・?
自分が出向かれるのが筋では・・・?」
女帝(変な文。尼上の様子が変だったのはこういう訳か)
「典侍、返事を書いて。
私が書くまでもない」

百合宮の御所、百合宮
「まぁ!主上からの御返事が来たって!」
百合宮、開く
典侍「珍しい御文は確かに主上のお目にかけました。
ただ、今は他の用事に手を取られておりますので、
いずれ後日に」
百合宮、詰まらなさそうな顔で、
「ふーん・・・情けない・・・代筆とはね。
形だけは本当の宣旨書き(※)とはいうものの、
そうまでして私を避けていいものかしら。
後日とあるけれど、いつの事か分かったものじゃないわ」

いかにもそのお言葉通り、それから後も御文は来ない。

しかし、年の暮れ、嵯峨院からも女帝からも女房の装束が届いた。
典侍の代筆で、
「一向珍しくもなく平凡な物ですが、
お仕えしておられる方達の
お召料に差し上げて下さいませ」

百合宮、大喜び!
百合宮、髪を耳はさみにして、縫い目や重ねの具合まで選んだりして女房に与える。
「主上が今まで走り書き一本の手間さえ惜しみなさったのは辛いけれど、
こうまで私の事を人数に入れて下さっていたとはねぇ。
私も自信がついてきたわ」

※宣旨書き:①宣旨の文章。宣旨書き。
②(宣旨は勅命により代筆したところから)代書すること。また、代筆した手紙。(全訳古語辞典)

5&6-14 もののけ

ある夜、百合宮と小宰相が二人で寝ていた。
百合宮「ひっ!」と言って飛び起きる。
小宰相「宮様、どうなさいました?」
百合宮、震えながら小宰相に抱きついて、
「中将の君が、私を悪く思っているーっ!」
「もののけがー、もののけがーっ!」
ぎゅーっと小宰相を強く抱き締める。

小宰相「落ち着いて下さいませ。
そこには何もおりませんよ。」
百合宮「小宰相には見えぬのか?
ひーっ、恐ろしい!」
百合宮は、南正面の妻戸を開けて、草の露がしどとに下りた庭に頭を抱えて臥せる。
小宰相「宮様!いけません!」
小宰相、百合宮の腕を掴んで、部屋に入れる。
小宰相「ね、こわくないですよ、
私が一晩中御側にお付き申し上げておりますから・・・」
百合宮「うん、きっとよ、きっと・・・」
小宰相、百合宮がすやすや子供の様に眠る横で、一人座ってため息をつく。

小宰相(ご主人様は私の事を大事にしてくださるけれど、私は私。
これ以上お勤めを続けられる気がしない・・・)

次の日、小宰相は局で一人物思いに沈みながら、脇息にもたれていた。
小宰相(いつ宮様にお暇の事を切り出そう・・・)
小宰相の頭の中で、「私のもとを離れないで、ね、ね」という百合宮の姿が浮かぶ。
小宰相(宮様はただ、お淋しいだけなのよね・・・
悪い御方ではない・・・)

そこに、百合宮の大きな声が聞こえてくる。
「おおい、おおい、小宰相はどこ?」
小宰相、立ち上がる。「宮様!」
百合宮「またもののけがーっ!」
小宰相、ため息。(全く、休む暇もない・・・)

そんなある日、兄の兵衛佐が、百合宮の御所を訪ねてきた。
兵衛佐、御簾の外に座る。
小宰相「先日の御文、大変嬉しゅうございました。」
兵衛佐、にこやかに「そうか、良かった。」ガサガサッ
兵衛佐「ん?また風が付き纏っているのか?」
百合宮の笑い声「くすくすっ」
小宰相(宮様は兄上が私をここから連れ出す事を警戒して、邪魔をなさっているのかしら・・・)
小宰相の胸はきゅんとした。

小宰相は、かすかに笑いながら、
「私のもとを離れない風ったら、
本当にうっとうしいわ」
兵衛佐(ん?先日よりは嫌そうでない声音だ・・・)
御簾の下から覗き込んでみる。

御簾の中では、ひどく派手な二重織物の百合宮が、紅梅重ねの女房装束を着た小宰相に絡み付いて、頬と頬をつけている。
二人は幸せそうにうっとりしている。
兵衛佐(・・・・・・。)
(妹はあの気違い前斎宮に惚れているらしい。何をしても無駄だ。)

兵衛佐は、とぼとぼと淋しそうに御所を後にした。
(全く俺には理解できない世界だ・・・)
兵衛佐はそれから、文だけを寄こした。

嵯峨女院が崩御され、世間が諒闇一色の時・・・

百合宮の御所内は、女房たちによる僧侶の装束の品評会で盛り上がっていた。
女房1「もののけ調伏の僧の袈裟、今日はこーんな風にまがってたわねーっ!」
女房2「きゃはは・・・もう一人の僧は、こんな変な扇の持ち方をしていたわよ!」
百合宮「全くそっくりだ、そっくりだ!」女房達を制しもせず、一緒に笑っている。

5&6-15 しみ深き扇

また、時は女帝即位から三年経った頃に戻って
・・・有明右大将が百合宮御所を垣間見た次の日は、五月雨が相変わらず降り続いていた。

女童のあてきが、扇を持ってきた。
「すごくいい香りのする扇が匂欄のもとに落ちていました」
百合宮「貸しなさい」あてきから扇を奪い取った。
百合宮「これは誰の扇かしらね。
どんな人が此処まで近寄ってきたのだろう」
「見られたかもしれないわね。まぁ恥かしい!
昔物語の様な気持がするわ」
百合宮、安芸という女房に向かって、頬を染めて、
「安芸、ゆうべ何かあったかしら。どうしたらいいの!」

安芸、真顔で、
「御格子を御下ろしした人でも落としたのでしょうか。
甲斐の大夫に尋ねてみましょう」
百合宮「馬鹿ね。どんな大夫にしろ、こんな特別な色の扇を持っている訳ないわ。
この素晴らしい香り!」

一方、百合宮付きの老女房、少納言は算盤を弾きつつ、局でため息。
(ふぅーっ。倉の反物が残り少ない・・・)
(御匣殿様の御遺産も大した事なかったし、
院から頂いた尾張の勅旨田からは貢物がはかばかしく納められてこない・・・)

(百合宮様は、伊勢では斎宮様と祀り上げられて、
衣食住には不自由されていなかったお暮らしに慣れて・・・)

少納言は百合宮の様子を思い出した。

百合宮「みっともない身なりをしないで、着る物はすぐに少納言におっしゃい!」
女房達「はい!」
女房1「私は新しい唐衣が・・・」
女房2「私は裳が破れてしまって・・・」
私は、倉から布が運び出されるのをボーゼンと見ていた。

百合宮の御前に少納言がいる時、
百合宮「少納言、言っていた服は出来た?」
少納言「はい、あそこで作らせております」
隅で装束を縫っている女房達を指差す。
百合宮「どれ、私が見てみよう」
「あれ、染めにむらがあるわ」
「ここに刺繍を入れて」
「御服よ!御服よ!」
百合宮は服に囲まれてうっとりしている。
少納言はその様子を見て、
(ああ・・・さすが服を司る御匣殿様の御子様・・・。
服が何よりも大好きでいらっしゃる・・・)

(昔、誰かの代理で御乳を差し上げた時には、
百合宮様も可愛らしくていらっしゃったのに、
どうしてこんなになられてしまったのでしょう・・・)

仏間で経を読む尼上の耳にも、百合宮の「御服よ!」の大声は聞こえてくる。
大納言尼「あーもう集中できない!」
ため息(ああ・・・気楽な山里があれば、
そこへ移り住みたい・・・)

百合宮、扇を手に持ちながら、
「それにしてもこの扇、誰のかしらね。
それを知りたいわ」
「見た人があるか、訪ねてみなさい。」
「どうでもいい事と思うでしょうが、
私はその時気を許して普段のままでいたのが恥かしいのよ」
「女の扇とは思えないから、怖いことも怖いしねぇ。」
「とはいっても、私を思っている人がいるのだったら、
それは訪ねてみたいものだわ」
「ああ、困ったなと思うともののけが起こるものだから、
またきっと病気になるに違いないわ。
ああいやだいやだ。」
百合宮、そう言って小宰相の体をつねって、すがりつく。
小宰相「いたっ!宮様、おやめ下さい!」
(いやなのは、こっちだわ・・・)

新大夫(これは、百合宮様の御機嫌を取って、気にいっていただく絶好のチャンス!)
すっと立って、お邸の御門の辺りにいつもかしこまっている仕丁を呼ぶ。
「ちょっとこちらへいらっしゃい」
仕丁「へ?わしですか」
新大夫「昨夜この南正面の西門の辺りに人がいなかったか」
仕丁「さぁ、どうですか。
雨が降りましたので、私は扉の陰で臥せっておりました。
人がそっと出て行きました時に寝ながら見ておりましたが、
高貴な御方が出てゆかれましたので、
黙ったままでおりました」

新大夫「高貴な御方とは、どのような御方?」
仕丁「真っ暗闇だったので、何者かは分かりません。
ただ御供にも広袴を着た人が二人伺候して唐傘を差し、
その他にも四・五人程おりましたので、
高貴な御方と思いましたのでございます」

新大夫「それからどちらへ行ったの」
仕丁「さぁ。それは聞いていても良く分かりませんでした。
御車は北の方へ走らせましたでしょうか」

新大夫は、百合宮の御前に走って戻る。上気した顔で、
「扇の持ち主の事を聞きだしました!」
百合宮「何ですって、新大夫。本当か。
こちらへ来ておっしゃい」
新大夫「仕丁が申します事には、かくかくしかじか・・・」
百合宮「何とまぁ頼りない。
だけど、いかにもありそうな事ね」
百合宮、急にそわそわする。
「どうしたものかしら。またやってきたら恥かしいわ。
どこへなりと行きたいわ。」
小宰相(嬉しそう。とても恥かしそうには見えないけれど・・・)

百合宮は、日が暮れるまで一日中この事を考えていらっしゃって、二度も三度も仰せになった。
百合宮「新大(新大夫の略)、門に錠をかけさせたいわね。
また恥かしい事が起きるといけない。」
百合宮は薫物の煙を盛んに立てて、けむい位の中でそう言った。
新大夫(宮様は薫物をこんなにたきしめて。
こりゃ、男の来訪を待ちわびているな~)
仕丁「あの~門に錠を差しましょうか?」
新大夫「いらないわ。そのままにしておいて。」

しかし、その人の影も形もないまま、数日が過ぎた。



5&6-16 死なぬ命

百合宮御所が男の扇で大騒ぎしていた頃、
深雪女院の出家に続き、気落ちしたように式部卿宮(二宮)もお亡くなりになっていた。


有明右大将は、自邸で座り込み、思いに沈んでいた。
(父宮がお亡くなりになってから、
空しい気持が続いている・・・)
(三条院にうかがって、せめて御簾の外からだけでも
後涼殿中宮様のお部屋を眺めたい!)←ストーカーだって・・・。

夕暮れ、有明右大将は三条院を訪れた。
三条院「え?有明右大将が?珍しい客もあるものだな」
二人は対面した。

三条院(昔は後涼殿の元へ押し入った故、疎んじておったが・・・。)
(今は父宮を亡くして、憔悴している様子。
朕も父院を亡くした折、そうであった・・・)
「どうか、気を落とさぬように。体をいとうて、政に精進してくれ。」
有明「はっ。」

有明は、奥に入る三条院の背中を見送る。
そして、深雪女院の部屋へ行き、御簾越しに嵯峨女院御崩御のお悔やみを述べた。

有明はふらふらと後涼殿中宮のいる対の屋へ歩いていた。
(つい、中宮の対へ足が向いてしまう・・・全く馬鹿げた事だ・・・)
御簾の中に三条院の影が見える。
有明(ああ・・・やはり・・・文さえも出せぬ・・・)
有明は、ぽろぽろと涙を流しながら、渡殿へ。

すっかり日も暮れて・・・
有明(こちらは、月光皇太后様のおられる御殿だ・・・)
廊下の妻戸が開いて、灯の明かりがちらちらと見える。
有明は、じっと隅に身を隠して、息を殺す。

有明(何と・・・障子の開いた所から宮の御前が隅々まで見える・・・)
月光皇后宮、脇息に寄りかかって勤行をしている。
念仏に合わせて数珠玉をくって送る途中で、緒にひっかかった玉を繰り直している手つきが美しい。
有明は息を呑んだ。
(美しい・・・筆舌に尽くしがたい美しさだ・・・)

ドヤドヤ
有明(あ!人の足音が!女房達だ!)
有明、怖くなって逃げながら、
(またそへて あと枕より せめよとや おもひにしなぬ いのちなりけん
(また寝床の後ろからも枕元からも責め立てようというのか。
どうしてこの苦しい恋に死なずにまだ命があるのだろう。))

有明、切なげに(後涼殿中宮様への思いで、月光皇太后様への恋は薄らいでいたが・・・
御姿を拝見してまた思いが燃え上がってしまった・・・)

有明、皇太后の部屋の続きにある大弐君の局にこっそりと入る。
大弐(この香り!有明右大将様だわ。全く困ったこと・・・)
有明は大弐に詰め寄り泣きながらかきくどいた。
「かくかくしかじかで、宮の御姿を拝見してしまった。」
「そのせいで、愛しいという気持ちが胸深く染み着いてしまったのは全くやりきれない。」
「今生の思い出に、せめてこんな物思いをしている人がいたとだけでも宮にお伝えください」
「それ以上好色がましい向きの事は、この世では思いも及ばぬに決まっています。」
「かえって最高の御位にお決まりになった後ならば、かわいそうにとのお言葉をかけてくださるのも、それほど類がないわけでもありますまい」

大弐(お可愛そうに・・・全くその通りだわ・・・)
「もえつくる けぶりもさらに およばぬは ためしにもにぬ 雲井なりけり
(恋に身を焼き尽くしておしまいになっても、
なお思いが届かないのは、
世間の例には似ておられない宮様の御事です。)」
大弐「皇太后様はひどく普通の人とは似ていらっしゃらない御性格でございますから、致し方ございません。」
有明「ためしなき 雲井のそらは たかくとも それよりたえじ けぶりともしれ
(例え世間に例がないほど宮様の気位は御高くとも、
私はあきらめないと御承知ください)」

話しているうちに夜が明けた。
有明「人に見られるといけないから・・・」
こっそりと出ていった。
大弐、しっとりと情事の後のしどけない姿で見送る。

有明、自室でぼんやりと夜明けを眺める。
はっと何かに気づく。(大弐の君に文を書かなくては!)
せっせと文を書く。

大弐、妻戸を押しあけて、外を見ながら、先ほどの余韻に浸る。有明からの使い、朝露を押し分けて、「有明右大将様からの御文です」
大弐、奪い取って読む。

大弐の瞳からぽろぽろと涙が。
(何とお可愛そうに・・・!一身を犠牲にしても、自分の気持ちを抑えられそうにないわ・・・!)
(有明様も、右大将という高官に上られたのだ。
若い頃の様に向こう見ずな振る舞いはされないだろう。
・・・御文くらいお目にかけたって構うまい。)

大弐、月光皇太后の御前に行き、近くに推参してさあらぬ態で文を取り出し、皇太后の眼前に置く。
大弐「有明右大将様は、宮様を心からお慕いになられていて、昨晩も宮様への恋心に苦しまれて、涙にむせかえっておられました。」

月光皇太后、ぱっと顔を赤く染めて、じっと大弐を見つめ、何も言わない。
大弐「やはりこれを」と、文の封を解いて、下に置く。
月光「変ね、誰の文なの」
顔を逸らして、知らない振りをする。
大弐(先ほど申し上げたのに・・・何て薄情なお方・・・)

大弐「有明右大将様が夕べ参上なさいまして、どんな隙がございましたのか、お勤めのございました間に、廊下の方が開いておりましたものか・・・」

月光、はっと気づく。(もしや、姿を見られて・・・!)

大弐、ほろほろと涙をこぼしている。
「ただ、もう私は今夜限りで死んでしまいそうだということだけも申し上げてほしい、と仰せでございました。」

月光、化け物を見るような目で、不快そうに大弐をじっと見る。
(この女は有明右大将に恋している・・・有明の為なら、何でもやりかねぬ・・・)
(私の信頼を裏切って、あんなどうしようもない男のいいなりになるのか!)
月光、つんと横を向いて、
「大将が申された事は、三位などを通じて、三条院に申し上げなさるがよい。私が聞いたとて何事が出来よう。」

大弐、自分に入り込んで、一人で涙を拭いている。ドヤドヤと他の側近女房達が参上してきたので、大弐は文を隠して立ち去った。

しばらくして、月光皇太后の女房達はこんな噂話をし始めた。
女房達「最近、皇太后宮様は、大弐の君への御信頼をなくされてしまったようね。」
「昔は特別に何事によらず打ち明けて、お使いになっていたのに」
「お湯殿の折にも、昔は大弐の君のみを奉仕させていたのに、最近は幼い頃から育てられた宰相の君をいつもお呼びになられるわ」

大弐「宮様。昔仰られた御用事の続きはいかがしたら・・・」
月光皇太后、目を伏せて顔を見ないようにしている。
大弐(嫌われてしまった!恐ろしい!)
ゾッと震えが来て、これ以上申し上げる事が出来ない。

大弐、横にいた大納言の君に取次ぎを頼む。
「どうか私の代わりに宮様にお伺いを・・・」
月光皇太后は、大納言の君の取次ぎも無視。

大弐は、下を向いて、
(案の定だ。今まで長年の間、恐ろしくて我慢して過ごしてきたのに。)

月光皇太后の周りでは、女房が集まってにぎやかに話している。
そんな時でも、大弐はその輪の外でため息をついている。
そんな様子を深雪女院は不審に思い、人が側に控えていない間、月光一品宮に質問した。
「宮、どうして大弐をひどく疎んずる気におなりなのですか。
女房達も変に思って驚いているではございませんか」

月光皇太后、冷たい目で、
「特に水臭い扱いをしている事もございません。
有明右大将がいつも大弐に親しくしておりますが、
彼が服喪中で同情しておりますせいか、
いつも涙までこぼしておりますのが煩わしくて・・・」

深雪女院(何か訳があったに違いない・・・
この子の考えはしっかりしているから・・・
これ以上何も言うのはやめよう。)

有明は、こんな事情も知らずに、心のたけを文に書き尽くす。
それを受け取った大弐、ため息をついて、
(はぁ・・・困る・・・私の辛さを分かってよ・・・)
今の事情を有明への返事に書く。

有明(そうか・・・宮様は大弐をひどく疎んじて、御側に御近づけにならないのか・・・)

有明「たぐひなく うきになげきの なぐさまば いくたびものを おもひやままし
(世にまたとない憂き目にあってこの嘆きがやすまるものならば・・・
何度辛い目にあっても、性懲りもなく恋心は消えないのだ。)」
「どうしたらいいのだ、どうしたらいいのだ」
有明は、床に突っ伏して、足をばたつかせた。

*******************************************************************
大弐への月光皇太后の無視っぷりはすさまじく、いじめの気配すら感じさせます。そこまで表現して月光皇太后の気性は強(こわ)いと言うことを示して、後につなげようとしているのでしょうが、実際にもこんな話は多々あったのでしょうね。主人の寵愛を失うと女房勤めは一気に辛くなるということを想像させるエピソードです。
それを引き起こした原因が自分にある事を全く悟らない有明・・・(汗)お坊ちゃま育ちで人の心をおもんばからないにも程があります。



5&6-17 物の具運び

有明右大将が月光皇太后への思いに身をよじっている丁度その時、
百合宮の叔母である大納言尼は、
友達の故嵯峨女院に仕えていた按察使の君から届いた文を読んでいた。

按察使君「女院様が亡くなられてからすぐ尼姿になって、
以前から住んでいた嵯峨の奥の庵に引きこもっております。
もの寂しいので、一緒にこちらに住んで、
話し相手になっていただけないでしょうか。」

大納言尼(これは・・・願ったり叶ったり。)
(やっとこの騒がしい生活から抜け出せる!)
感涙。

大納言尼は、按察使の君と十分に打ち合わせた上で、六月に引っ越した。

尼君の部屋から男達が勤行用の仏具や、御匣殿の遺品の脚の漆が少しはげた唐櫃などを持ちだそうとする。

女房達、大騒ぎ「これは一体どうした事なの!
お道具を運んではいけない!」
女房「あ、大納言の尼君」
大納言尼「故嵯峨女院にお仕えしておりました按察使の君が、尼になって小倉におり、私を話し相手として熱心に誘いますので、しばらくの間そちらへ出かけまして一緒に勉強しようと思いまして。
二十日程は向こうに滞在いたしましょうか」
百合宮、口覆いをしながら、うつむいて、
「これまで長年の間もお会いするのは「入りぬる磯(「潮みてば 入りぬる磯の草なれや 見らく少なく 恋ふらくの多き」:顔を見ることは少ない、の意味)」」になさっておられましたが、こちらは「芦垣(人しれぬ 思ひやなぞと 芦垣の間近けれども 逢ふよしのなき「古今拾遺」)」と思っていつも心を慰めておりましたのに。
心細い事。」

大納言尼「何事によらず少納言に申しつけてございますので、
これまでと変わる事もございますまい。
またほんの暫くでございます」
大納言尼、出ていった。牛車の中で、
(あーせいせいした。
もう百合宮の顔を見なくていいのだわ!)

百合宮の古参女房である伊予、常陸が百合宮の御前で、
伊予「本当におかしな事。
連日運ばれたお道具は皆あちらへ行ってしまった。
御匣殿の御遺産はみな御主人様の方へ差し上げるはずだと
聞きましたが。」
常陸「大納言の君は、ただ伊勢から上京されるまでの
宮のお留守役とだけ聞いていたのに」
伊予「唐櫃などを沢山持っていったけれど、
中には一体どんな物があったのかしら。」
百合宮、それを聞き、いらいらして、
「少納言に御訪ねなさい。
行ってよく見ておいで!」

伊予、常陸は大納言尼の部屋に行き、襖を開けてのぞき込む。「まぁ・・・」
部屋の中は品よく綺麗に掃除され、
しまっておくべき物はまとめて塗籠に置き、錠をちゃんとかけている。
それ以外には何もなく、上敷などもきちんと敷いて、棚などまで拭いてある。
小さい棹一本だけが、あちらへ送り届けるはずの品物として引き戸に立てかけてあった。

ガヤガヤと女房達、戻ってくる。
女房達「これはひどい。
一体どういう御家出なのか。
何一つ残っていない様でございますよ。」

年寄りじみた女房の大弐、それを聞いて、
「こんな事では宮様はこれからどうしてお暮らしになれるかしら。」
「嵯峨院も主上も、大納言の君に大切にかしづかれていると思し召して、
安心していらっしゃるのでしょうに。」
ある女房、爪弾き(※)をしながら、
「その内に主上達は大納言君の事をお耳になさるはず。
面白い事になるわよ。」
大弐、あっと何か思いついた様子で、
「実は、最近帝の側近としてお仕えしております、
新宰相の典侍は、私の叔母のまま娘なのです。」
「伊勢から上京してからは機会がなくて
まだ会ってはおりませんが、
出かけていって話してみましょう。」
大弐はためらうことなく内裏へ参上した。

※爪弾き:(つまはじき) 人差し指や中指を親指の腹に当て、強く弾く事。嫌悪、軽蔑、非難などの気持を表すしぐさ。(大辞泉)

第五・六巻アレンジ 前編 終

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。


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