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<ミニストーリー>

平安時代も終わりに近づきつつある嘉承二年(一一〇七)、七月、京の都。

小二条殿では、大宰権帥・大江匡房が書物を紐解いていた。匡房は六十七歳。知的な雰囲気を漂わせてはいるが、長年政治の荒波をくぐりぬけて来た存在感が周りの空気を重たく感じさせている。

「先生!」
学問の弟子である藤原実兼が庭を小走りでかけてきた。軽やかな狩衣を風になびかせている。
実兼は二十三歳。藤原南家の学者・季綱の次男である。

匡房はふと目を上げた。

「主上(堀河帝)が・・・主上が崩御されました!」
「何と・・・。」
匡房の目は大きく見開かれ、一瞬息が止まった。
「私のこの三十年は一体何だったのだ・・・。」

そう言って匡房は大きく息を吐いた。
―この年になって期待をかけていた若者達に次々と先立たれるとは・・・。

白河院に対抗し、政道を正してくれるよう頼みにしていた堀河帝と関白・藤原師通殿、このお二人が相次いで世を去られた・・・。

匡房は頭を抱えた。
「・・・少し一人にしておいてくれ。」
「・・・どうか気を落とされませんよう。・・・私は内裏に行って様子を見て参ります。」

匡房は実兼の後姿を見送り、目をつぶった。
夏の熱気が年老いた体にこたえる。



「・・・中納言殿・・・中納言殿・・・」
遠くから師通の声が聞こえてくる。
ふと、目を開けると、匡房は、宴の真ん中にいた。

―これは、二十三年前の応徳元(一〇八四)年の春に内大臣・藤原師通様のお邸で開かれた宴。
匡房は数年前から師通の学問の師となり、頻繁に邸に通っていた。


奥には内大臣・藤原師通がにこやかな顔で座っていた。
「中納言殿、もっと酒を召されよ。」
師通は、御年二十三歳。現関白である藤原師実様と北の方、源麗子様の嫡男であらせられた。
ふっくらとした白い頬にきらきらと輝く意思の強そうな瞳。太い眉毛。
堂々とした体躯に練り絹の直衣をまとっている。

父上の師実様が、宇治関白・藤原頼通様のわき腹の子だという引け目からかどことなく暗い影を背負っているように見受けられるが、それとは対照的に父方の摂関家嫡流の血筋と、母方の村上源氏の由緒正しい血筋の誇りを生まれながらに身にまとい、対するものをどことなく畏怖させるほどの輝きを放っている。

そんな息子のような年齢の彼から親しげに話しかけられた匡房は、満面の笑みで酒を受けた。

師通はとても飲み込みの早い生徒で、一度教えた漢文の内容は全て理解し、理解できない所は矢継ぎ早に匡房に質問を浴びせる。そんな師通に匡房は持てる知識を全て注ぎ込もうと熱心に教えていた。
―匡房の心がこれほどはずむのは後三条天皇の東宮時代に学問をお教え申し上げていた頃以来であった。

宴でともに酒を酌み交わすのは、源経信など、匡房と同じく師通に古今の知識を教える博士に文人。
酒が入ると、誰からともなく詩や歌を詠みだす。

その内の一人が、春に相応しい題を出した。
「『遥かに山桜を望む』というのはいかがかな?」
「おお、それはなかなかよろしい。出来た人から詠む事としましょう。」

匡房は風景が頭に浮かび、さらさらと一気に筆を走らせた。
師通はそれに気づき、「中納言殿、もう出来ましたか?是非読みあげてください。」

「・・・それでは愚詠から、失礼いたします・・・」

「高砂の 尾の上(へ)の桜 咲きにけり 外山(とやま)の霞 立たずもあらなむ」

師通や場に集まった人々は、目を閉じて何度か匡房の歌を口ずさんだ・・・。
師通は優しい目で匡房を見て、「儒学だけでなく歌にも堪能でいらっしゃる。素晴らしい師を持つ事ができた私は幸せです・・・」


―あの頃は私の一番幸せな時代であった。
それから十五年後の承徳三年(一〇九九)、師通殿は三十八歳の若さで亡くなられた。

・・・そして今、白河院政に対抗しうる最後の御方であった堀河の帝も・・・。

ふと、目を開けると、実兼がとぼとぼとこちらの方に歩いてくる。
匡房は聞いた。「どうしたのじゃ?」
実兼が答えた。「主上の御葬儀の準備で内裏はおおわらわです。全く仕事になりませんでしたので、先生の御様子が心配で戻ってまいりました。」

「東宮はどうしておられる?東宮の傍におつきしなくていいのか?」
実兼は東宮・宗仁親王が産まれたときから近侍している。

「そう・・ですね。先生も大丈夫な御様子ですし、これから東宮御所に行って参ります。」

匡房は実兼の肩をつかんで、目を見つめた。
実兼は匡房が急に真剣な様子になったので、驚いた。

「実兼、そなただけにしか頼めないのじゃ。東宮(後の鳥羽帝)をしっかり補佐しておくれ。」
「師通殿、主上亡き後、この国の今後を頼めるのはそなたしかおらぬ。わしはそなたにこの国を支えるのに必要十分な知識を授けたはずじゃ。」
実兼は戸惑って、「まだまだ先生には壮健でいて頂いて、国政を支えていただかなくては・・・」
匡房は実兼の言葉をさえぎった。
「わしには分かっておる。わしの命は五年も持たない。この老人の頼みを遺言だと思って聞いておくれ・・・」

実兼は匡房の訴えたい事が分かった。

―匡房は時々学問の合間にこんな事をつぶやいていた。
「(白河)院は聡明な御方だが、情により政治を動かされる傾向がおありになる。最愛の皇女であらせられた郁芳門院様がお亡くなりになられてから、その傾向に拍車がかかっている様に思われる。・・・院が行われる熊野詣でや、造寺・造仏に使われる費用の増加も気がかりじゃ・・・」

匡房は実兼に、院の暴走を止める為に何か手立てを講じる事を期待している・・・。実兼は、しっかりと匡房の視線を受け止めて、うなづいた。
匡房は安らかな笑顔になり、脇息に寄りかかった。

―四年後の天永二年、匡房はこの世を去った。

匡房の死から一年後、実兼は一粒種の通憲(信西)を残して、蔵人所で頓死した。
・・・この後、匡房の理想を受け継ぐ通憲(信西)が実権を握るまで、四十五年の年月が必要であった・・・。


参考文献:『平安時代史事典』「大江匡房」、『人物叢書 大江匡房』(吉川弘文館)、「千人万首 大江匡房」

2009.4.29  葉つき みかん  


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