<我が身にたどる姫君 人物紹介>

『我が身にたどる姫君』系図 ●深雪女院(=我が身女院) ●月影中将(=三位中将) ●水尾院 二宮 ●水尾院 女四宮 ●水尾院 女三宮 ●嵯峨院 ●嵯峨女院

 ●松風中将(=殿の中将) ●有明中将(=宮の中将) ●三条院 後涼殿の女御 ●三条院 藤壺中宮(大宮) ●三条院 承香殿皇后(女帝) ●悲恋帝 ●深雪院 一品宮 ●嵯峨院 前斎宮

「我が身にたどる姫君」総合表紙 


「我が身にたどる姫君」総合表紙

登場人物紹介

<前半:深雪姫世代>

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第一巻(1-53p) 
第二巻 
第三巻(前半)
巻第三(後半)


第二部(子供世代)は何らかの形で紹介したいと思いますが、今のところは4コマ連作を考えています。
でも、とりあえずゆっくり休みたいです。(第一部マンガ本編 2012年10月18日完成)

<後半:深雪姫達の子供世代>(ここからは4コマで)
(現在ラフシナリオのみ完成)

第四巻
第五巻+第六巻(時系列的に同時進行のため)
前編  後編
第七巻
第八巻(最終巻)





「3-13、わびしき目」

―二条宮、女四宮の部屋
「殿!お帰りなさい!」
女四宮は喜色満面で月影に抱きついた。
「ん?この香りは・・・」
女四宮は怪訝な顔をした。

「以前、姉宮様の御側に行ったとき、かいだ事があるわ・・・」

女四宮の頭の中でめまぐるしく思考が回転した。
(「月影はしばしば関白邸に赴く」→
「月影は女三宮付きの女房・中納言の君と親しい」→
「月影は初めは中納言の君との関係を隠そうとしていた」)

そして、何かに思い当たった様な表情をした。

(そうだったのね!月影様は姉宮様と浮気されていたのね!)

女四宮の瞳から涙がぽろぽろと流れてきた。
「ひどい、ひどい、殿はわずかの隙を見つけて、姉宮様の所に通っていたとは・・・」
「それをまた平気な顔をしてこちらへしゃあしゃあといらっしゃって・・・」

月影(またはじまった・・・弱った・・・)
困った様な表情で、頭をかく。

「殿はひどい御方!」
女四宮は、溢れる涙を袖でぬぐった。
(そして、そんなひどい殿を信じて愛していたなんて、私もなんて惨めな女なのだろう・・・)

「あれほど取るに足らない戯れ事でさえ、私にはさも隠し事などない振りをして話して下さったのに」
「姉宮様との事をしらばっくれていたなんて・・・」
女四宮はおーいおいおいと泣き、自分の袖で足りなくなったからか、月影の衣の袖まで使って涙を拭いている。

月影は、こうなってはどうしようもないとばかりに、空を仰いでいる。
(こんな様子を女房達に見られたらみっともないな・・・しかし、荒々しくしかりつけて良い様な身分の御方ではないし・・・)

************************************************************************
女四宮の気持、わかります。原作者はこういう女性側からの本音を書きたかったのではないでしょうか。


月影は女四宮の肩に手を置いて、なだめるようにいった。
「一体どうなされたのか。物にでもとりつかれなされたか。」 (←こんな事いう男って嫌い!心底で馬鹿にしているって事だもの。)

女四宮は月影の手をはねのけて、キッと月影を睨んだ。
「何をおっしゃる。あなたの言う事は実は嘘だったのですから、いやらしく、情けなく、その上不潔よ!」
「今すぐ私を水の中でも谷底へでも投げ捨てて、こんな嫌な目にあわせないで下さい!」

女四宮は月影に詰め寄った。
「たとえ生きていたとしても、こんな死んだも同然なら、本当に死んでしまった方がまし。
いっそ今晩あなたの手で殺してください!」

月影は女四宮の気迫に押されてうろたえる。

「ただ死んでしまうにしても、棄てられるにしても、その前にあなたが隠している事を全て私に白状なさい!」
わーっと女四宮は号泣する。

月影、ただ天を仰いで(こー言うときは、何言ってもあかん・・・)

(寝よ・・・)
と灯台の近くに肘をついて寝転んだ。

泣いていた女四宮は、(ん?)と月影が近くにいないことに気づいた。

女四宮は月影の姿を覗き込んだ。
灯火に照らされて目を閉じている横顔が美しい。
女四宮(何と御立派で清楚な御姿・・・)

女四宮は体の芯からぞくぞくっとし、顔を赤らめた。
(御側に寄りたい・・・)

女四宮はいつもの様に毅然とした麗しい態度で女房を呼んだ。
「たれかある」
女房「はい」
女四宮「その明かりをしばらく取りのけなさい」

女房「はい」
(またいつもの・・・宮様が月影様と睦びあう前の御合図だわ・・・お若い事。)
女房は伏し目がちにしずしずと明かりを運んでいった。

暗闇の中、女四宮は月影の上にぴょんと飛び乗り、月影の頬をぎゅっと強くつねった。
月影「いたたっ!!」

女四宮、悪戯っぽく「私の心の痛みはこんなものじゃございませんことよ!」

月影、内心ほっとして、(良かった・・・機嫌を直して下さった。)
女四宮の背中に手を掛ける。
「ハハ・・・もうこんな事はやめにして、寝ようではないか。」
そして、女四宮を急に引き寄せて口づけをした。
女四宮「きゃ」
「もう・・・こんな事でごまかそうとしたって・・・あ・・・」

―翌朝―
女房達が格子を開けに来た。が、女四宮は無視して寝ている。月影もその横で寝ている。

―昼・・・二人はそのまま・・・。
女四宮は月影にちゅvvとキスを。
月影はガバッ起き上がる。と、女四宮はその胸倉をがしっと掴む。

月影は冷や汗を流しながら、
「困ったな・・・某の評定のために参内しなければいけなかったのに・・・」

女四宮は怒ったような表情で、言い放った。
「それなら私をすぐに淵にでも川にでも投げ込んでから参内なさい」

月影は渋い顔をして、また横たわった。女四宮は嬉しそうにぴとっと抱きついた。

―また夜になった―
女四宮と月影は横たわったまま・・・

女四宮「・・・で、やはり姉宮様とは関係はあるの?」
(・・・また、はじまった・・・)
月影は、疲れたような顔をして起き上がった。
「いきなり何です。そんな事、あるはずがない。女三宮様は父上の北の方ですよ。」
「・・・どうしてそのような事を考えて、自分から苦しい思いをなさるのでしょう。」
女四宮はむっとした表情。

と、突然起き上がり、月影に馬乗りになり、人差し指を突き出して、胸に当てた。
「本当にない事ならば気持も休まるでしょうが、その袖の匂いは誰のものかはよく知っています。」

女四宮は月影の顔に顔を近づけて、詰問した。
「いつ頃から関係が出来たのですか。去年?今年?」

女四宮「―とすれば、来るのは嫌だと仮病をお使いになった人を無闇に呼び寄せて
この様に私を辛い目におあわせになる母宮こそ、大変ひどい方でいらっしゃる。」

女四宮のお小言はまだくどくどと続く。
月影は何も言えずに聞いている。

月影(だまっていれば華やかで愛らしい方なのに・・・残念だな・・・)

―翌日―
女四宮は、また月影にしがみついている。(月影様を今日も、また一歩も外へお出しすまい!)
月影、困った顔で「もう、いい加減仕事に行かないと・・・」
後で女房達が、「あらあら」と見ている。

女房が、月影に文を渡した。
「関白様からの御文です」
月影は、ほっとしたような顔で受け取り、じっと読んだ。

月影はしがみついている女四宮の方を見て、
「大事な用があるから来るようにとの事だ。全くあやしい用事じゃないよ。行っていいかい?」
といった。
女四宮はぷいと横を向いて、
「何を言っているのでしょう。まず、御自分の北の方の色めかしさをご承知なさいよ。」

月影は、(全く何を・・・女三宮様のみならず、父上まで侮辱して・・・)
とさすがにむっとした表情をした。

女四宮は、すっと月影を離した。
月影(ほっ・・・やっと開放された・・・)

―その半刻後―
月影は烏帽子直衣をばしっと決めて、女四宮に話しかけた。
「では行って参ります」

女四宮はにっこりと笑って、
「どちらへいらして、いつお帰りになりますか」と聞いた。
その様子が咲き誇る花の様に愛らしい。

月影は、(可愛いvv)と微笑みながら、
「すぐに戻って参りましょう。
むやみにお昼寝などなさるものではありませんよ」

女四宮は、月影の耳の側に口を寄せて囁いた。
「昼間はどなたと床を一緒になさるの」
月影は、頭にカチンと来て、思わず低い声で
「日増しにみっともなくおなりになるとは・・・」

女四宮は、ハッとして、顔を赤くした。
(また余計な事を言ってしまった!)

月影は赤くなってうつむいている女四宮を振り返って見つつ、出かけていった。
(本当におとなしくしていてくれたら、この上もなく可愛らしいのに・・・)

―関白邸―

月影は関白の御前に座った。
関白「深雪姫の事だが―」

関白「嵯峨尚侍の君の折は細かい事は母親に任せて大体の事だけ気をつけたものだ。」
「今度はその時の様に熱心に世話をする人もいないので、とても不憫なのだ。」
「やはりうっかりしている事もあるだろうから、そなたが細かに世話して指図して欲しい。」

(深雪姫の将来の後見を私にお任せになって下さった・・・!)
月影は頬を紅潮させて元気良く返事をした。
「はい!」

「3-14、司召(つかさめし)」

―正月、司召の除目が行われて、月影中納言は左大将を兼任する。

武官束帯でぱりっと決めて晴れやかな表情をした月影。
(やった。大臣まであと一歩だ。)

後で普通の殿上人達が、
殿上人1「関白殿の嫡男で、中宮腹の皇女を降嫁されているのだ。当然だよな~」
殿上人2「俺らには一生手が届かねぇ~」

―月影大将は関白邸に喜び申し(任官の御礼の挨拶)に来た。
御辞儀をする月影を、関白と女三宮が御簾の中で見る。

関白が、女三宮に囁く。
「大将を兼任して、我が子ながらますます立派になってきた。
な、宮はどう思われる?」

女三宮(殿は、何をおっしゃりたいつもりなのだろう・・・?)
女三宮は、関白の意図を図りかねて、複雑な表情で「本当に・・・」と答えた。

中納言の君は、寝殿から続く渡殿で両手をついて丁重に月影をむかえ、歌を詠んだ。
「さしはなれ ちぎりしみちは かはれども かげになれける みかさ山(※)かな」
(あなた様との間は隔たって、今では契りを交わした仲も変ってしまいましたが、思えば長く御庇護をお受けしていた事でした。)

月影は、中納言の君の袖を取って瞳を見つめ、歌を返した。
「さしはなれ ひとりかひなき みかさ山 なみだの雨は ぬれぬ日もなし」
(あなたと遠く隔たって、私は何の役にも立たない一人ぼっちの大将になってしまった。だから、涙に濡れない日はないのです。)

―月影大将は、深雪姫の入内の準備に忙しく、毎日関白邸に行く。

―二条宮

月影が女四宮の部屋に入ってくる。
「ただいまーあーつかれた」
女四宮、ぷーっと膨れている。

※三笠山:(天皇の御笠としてそば近くで警護にあたる意をかけて)近衛大将、中将、少将の異称。

女四宮は、泣きながら大声で「また今日も姉宮様とお逢いになったのでしょう!ひどい方!」
月影は、がくーっと肩を落とす。(本当にそうならどれだけいいか・・・)
「あー・・・今日は本当に疲れたんだ。ゆっくり寝かせてくれないか。」

月影は女四宮を放っておいて、ぐーっ、すぴーっと熟睡。
女四宮は悔しそうにべそをかきながら袖を噛んでいる。

(「浮気なぞしていない、私には宮だけです」と殿の口からはっきりとおっしゃっていただけたら、胸の憂さも晴れるのに・・・)


―水尾院は、何の執着もなく出家をされ、水尾に引きこもっておしまいになった。
水尾院、にこにこして「これで皇后宮の菩提を弔うのに集中できる・・・」

―関白は再び、皇后宮の追善供養を行った。
関白、女三宮と共に念仏を唱えながら、(北の方・女三宮の母皇后の為の供養なら、誰にも怪しまれず堂々と出来る・・・)

―内裏で、関白の元の北の方が落ち込んでいた。
「殿は最近、新しい北の方の事ばかり・・・昔の殿とは違ってしまった・・・」

側に座っている嵯峨尚侍が優しい声で励ました。
「母上。私がついておりますわ。どうかお気を落とさず・・・」

その様子を嵯峨帝が几帳の後から聞き、
嵯峨帝、すまなそうな表情で「関白殿がわが妹を大事にしてくださるのは良いのだが・・・」
「そのせいで尚侍の母上を悲しませるとは・・・」
「朕としても心苦しい・・・」

嵯峨内侍と母は驚いて帝の方を見た。「主上!」

嵯峨尚侍は帝の方を向き、「何もかも父の心から出た事。主上が御心痛される必要はございません・・・」
帝はほっとしたように、「そう思ってくれるとありがたい・・・」

帝と内侍がいい雰囲気になってきたので、母はそっとその場を外した。

― 一方、水尾皇后(元中宮)は―

水尾皇后(全くいまいましい。どうしてこれほど故皇后の子孫が幅をきかせているのか・・・)
(いえ、時期が来ればきっと事態は好転するはず。・・・我が子が帝になりさえすれば・・・)

「3-15、鏡の影」

―ある日、関白は女三宮にいった。
「実は私にはもう一人娘がおりまして、あなたととても似ているのです。」
「こちらに呼び寄せてお会いになってみませんか」

女三宮「ええ・・・」

―そして二人は対面

女三宮、驚いた様に「まぁ・・・」
深雪「まぁ・・・」

二人同時に(何と・・・良く似ていること・・・まるで鏡の中にいる自分の姿の様・・・)

女三宮、嬉しそうに頬を紅潮させて、首をかしげながら深雪に話しかけた。
「こんな不思議な事もあるのですね・・・」

深雪も、女三宮の顔をしげしげと眺めながら(ひと時も忘れえぬ母上の面影ともそっくり・・・)

(あ・・・)
深雪の頭の中でいくつかの断片がぱっちりとはまって、一つの答えが出た。

(キット・・・ワタシノハハウエハ・・・女三宮様ノハハウエサマト同ジナノダ・・・)

深雪は自分の体の中にゆっくりと重いものが沈んで行き、今まで根無し草の様に感じていた自分の足元が地面についたような気がした。
(私は父・関白と母・皇后宮様との隠し子・・・私の出生の秘密は、私の墓まで持っていかなくてはならない・・・)
(―父上と母上の名誉のために・・・!)

女三宮ははしゃいだ様子で深雪に話しかけた。
「あなたは余りに私に似ているので、まるで私の妹の様に思えるわ。」
「ぜひ、仲良くしてくださいませ。」

深雪はにっこりと微笑んで答えた。
「はい・・・喜んで・・・」
(口には出せないけれど、宮様は私の本当のお姉様なのです・・・)

―それから、関白が宮中の殿上に宿直する時は、女三宮は深雪姫のいる対の屋にお出でになって、二人はぴったりと寄り添っている。

月影が、深雪姫の入内の準備を指図している。
「衣はこちらに詰めて・・・」

その後で女房達が噂話をしている。
「北の方(女三宮)様は対の姫君(深雪姫)と大層仲睦まじくされているそうよ」
「いつぞやの夜は物語絵をお二人でご覧になりながら、一晩中話しておられましたね」
「お美しいお二人が並んでいらっしゃると、何となく迫力があって近づけませんでしたわ・・・」

「女三宮」の単語が聞こえると、月影の耳は知らず知らずにダンボの様に大きくなる。

―あるひどい吹雪の夕暮れ、月影大将は、深雪姫の入内の指図をして帰ろうとしていたが―

廂に出た月影、びゅっとひどい風に吹かれる。
「うわっ!!」
(ひどい嵐だ・・・牛車の中にいても耐えられそうにない・・・)
(しばらく休んで様子を見よう・・・)

―深雪姫の御前

月影は、深雪姫と几帳を隔てて話している。
月影「最近、こちらには女三宮様が頻繁にお出でになっていると聞きました。」
深雪「そうですね・・・畏れ多くも大変睦まじくさせていただいております。」

月影「そ、それでいつ女三宮様はこちらにお出でになるのでしょうか、どんな御用で・・・?」
「あ・・・」
月影の瞳からぽろ、と涙が零れ落ちる。

それを見た深雪(あ・・・兄上は女三宮様をお慕いしておられるのだ・・・)
(だから宮様によく似た私を形代にしてあんな事を・・・お可愛そうに・・・)
深雪は、月影に抱きしめられた時の事を思い出した。

深雪は、几帳の下から文を差し出した。
月影はそれを開き、頬を染めた。
(女三宮様の御筆跡!深雪姫への御返事か・・・)

女三宮の歌「おほぞらに ただよふ雪の きへかへり ふりにしことぞ いとどかなしき」
(大空に漂う雪の様な身の上の私は、今にも消えてしまいそう。母宮がお亡くなりになってから時間が経ってしまったことがとても悲しいです。)
月影は女三宮の面影を思い浮かべてますますぽろぽろと涙を流した。

そして、女三宮の文をすっと懐に入れた。

深雪(あ・・・それはいけない)
「女三宮様はとてもつつましい御方です。兄上に文を持っていかれては心配です。」

月影は、離すもんか!とばかりにギュッと懐を押さえて答えた。
「思い乱れる私の心を少しでも慰めてください。私がその御文を見るのがご心配なら。―野でも山でもふらふらとさまよい出てしまいそうな気持です。」
(時のまも まどふ心を なぐさめよ ふみみるみちの うしろめたくは)

月影「どうにかして父上の死後まで生きながらえて女三宮様にお逢いできたらと存じます。」
「私の気持を汲んでくださいますなら、やはり『かわいそうに』位はおっしゃっていただきたい・・・」

深雪はため息をついた。
(困った事・・・おかわいそうだとは思うけれど、冷静さが足りないわ・・・。こんな事女房にでも聞かれたらどうするの・・・)
(こんな兄上に入内の準備を任せておいて大丈夫かしら・・・)

深雪「風も止みましたし、夜も大層更けました。北の方も心配しておられましょう・・・」

月影はハッとして、「あ、ああ・・・そうだな」

(深雪姫の側を離れるのは名残惜しいが・・・)
月影は振り返り振り返りしつつ、対の屋を出て行った。

―寝殿、女三宮の部屋―
女三宮が脇息にもたれかかってぼんやりとしている。

女三宮、淋しげな顔。
(関白様は、時々私を見詰めながら、私の奥の誰かを見ていらっしゃる・・・)
―そして、無意識に、瞳を潤ませながら「ああ・・・本当にそっくりでいらっしゃる」とおっしゃる。

ある日、私は申し上げた。
「私は誰かに似ているのですか?」

関白は驚いて顔を青くした。
「わ・・・私は一体何をいったのだ?」
女三宮「本当にそっくりでいらっしゃる、と・・・」

関白は急に声を低くして、
「・・・きっと物の怪が言わせたのだろう。・・・大した事はない、忘れてください。」

女三宮(関白様は昔、私に似た方を愛されたのかしら・・・もしかして、亡くなられた深雪姫の母上?)
(そして私を可愛がって下さるのは、私がその方に似ているから?)

女三宮、突然、涙で顔をぐしょぐしょに濡らしながら、「あなたと離れたら一日も生きてゆけない・・・」と訴える月影を思い出し、カッと顔を赤くする。

(経緯はどうあれ、あの方の目は私だけを見ていて下さった・・・)

女三宮、御簾の外で人の歩く音がするのに気づいて、顔を上げる。

月影は、女三宮のいる寝殿の庭に歩いてきていた。
(深雪姫にうながされたまま、このまま帰って、女四宮にうるさく言われるのも閉口だ・・・。)

雪が深く積もっている、空が晴れ上がり、満月があたりを隈なく照らしている。

月影、寝殿の前庭に立ち、女三宮の方向をじっと見つめる。

(空を渡る月の光さえも見慣れてくると、それだけではいつも物足りない思いがするように、貴い関白北の方のあの方も、御姿を見かけるだけでは物足りない思いがするばかりです。)
「ひさかたの 空行く月の ひかりさへ なるればあかぬ 心地のみする」

外を見ていた女房達が、騒ぎ出す。
「月影大将様が、庭に立たれて月をご覧になっていらっしゃるわ!」
「素敵・・・」
「冴えた雪に反射した月の光に映えて、何とお美しい・・・」

それに気づいた女三宮、御簾の外を見て、月影の姿を発見。

女三宮は思わず涙を流してしまう。
そしてそれを女房達に見つからないよう、扇で顔を隠す。

―帰りの牛車の中で―

月影は、女三宮の文をしっかりと抱きしめながら考えていた。
(女三宮の文はいつももっていたいが・・・)
(うっかり落として、女四宮に見つかったら、それこそ大事(おおごと)だ。)
(漢籍の間に隠そう・・・女四宮は触れもしないから)
月影は二条宮の書斎に行き、漢籍の箱の中に女三宮の文を隠した。

月影は女四宮の寝室に入っていった。御帳台の中で、女四宮が淋しそうに寝ている。

「3-16、衣の隔て」

女四宮は、月影の気配に気づいた。が、ふっと目を逸らす。

「あぁ苦しい。ひどい風で体まで強張ってしまった・・・」
月影はそ知らぬ振りで、女四宮の横に入ってくる。
女四宮は、月影を横目に見ながら、体の向きを変えて、月影に背中を向ける。

(なんと・・・衣で垣根を作られてしまった・・・)
月影、苦笑いをしながら、「ねぇ、温めてくださいよ」と女四宮の肩に手を掛ける。

女四宮は、険しい目をしながら、そのままの体勢で肩に掛けられた月影の手をきつくつねった。

月影は冷や汗をながしながら、
「たまらない。どうしてこんなひどい事を・・・」

女四宮は冷たい声音で、「関白殿はお戻りになりまして?」
月影、険しい顔で(・・・まだ、疑ってるな・・・)

月影「もともとお出かけになったのなら、お戻りにもなるでしょうが・・・」
「昼間からずっと父上の御前で過ごして、とても疲れた・・・」

御帳台の外で、女房達が「また、はじまったわ。」「ねぇ・・・」と話している。

女四宮は起き上がって皮肉たっぷりに、「どなたの前でそんなに長い間ゆっくりしていらっしゃったのかしら」

と、いった直後、「あっ・・・」ポロッと涙が流れ出てきた。

「何をしていて、こんな時間まで帰らないのです?可愛げのない方ね!」
女四宮は、月影の手をつかんで、がぶっと噛み付いた。
月影「あいたたた・・・」

「また・・・一体何をなさるのです。困った人だ。」
月影、それにもめげず、女四宮を抱き寄せた。
女四宮、頬を染める。

が、女四宮は、どんっと月影を突き飛ばして、涙をぼろぼろと流しながら、タンかを切った。
「御立派な方の移り香がしみこんだ方は、一人でお休みになるものです!」

そして、だっと御帳台から出て行った。
それを見送る月影はため息をついた。
(はぁ・・・疲れてるのに・・・)

「ねぇ・・・宮・・・御機嫌を直して・・・」
月影は部屋の隅で泣いている女四宮の背中に手を伸ばし、優しくさすった。

女四宮は、涙に濡れた目で月影の方に振り向いた。
「私のこと、愛してる?」

月影はこくんとうなずいた。
「本当?」
女四宮は、嬉しさに頬を紅潮させ、両手を月影の首に巻きつけて甘えた。
月影、上に視線をさまよわせながら、(どうして姉妹でこれほど違うのだろう・・・)

―ある日、二宮は関白邸に遊びに来た―

二宮、女三宮の御簾を開けて、上機嫌で中に入ってくる。
「姉宮様~♪ご機嫌いかがですか?」

女三宮「まぁ、どういう風の吹き回し?」

女三宮、ため息をついて、「・・・確かに、関白邸には美人の女房は多いけど・・・」
二宮、憤然と言い放つ。
「何ですか、人聞きの悪い」

二宮(・・・とはいっても、東宮入内の前に、対の姫君を一目垣間見するのが目的だけどね~♪)

―深雪姫の側仕えの女房・中務の局

中務が二宮にしなだれかかっている。
二宮「ねぇ」

二宮、悪戯っぽい表情で
「・・・対の姫君を一目垣間見させてくれないかなぁ・・・」
中務(えっ・・・?)

中務、たしなめるように、
「何て事をおっしゃるのです!対の姫君(深雪姫)は東宮様に入内されるのです。思いをかけたとてどうしようもないでしょうに!」

二宮(しってるよ~ん)と口笛を吹いてうそぶく。

二宮は中務を抱き寄せて、左手で頬を優しく撫で、潤んだ瞳で中務の瞳を見詰めた。
「まろを大事に思ってくれるなら、尽力しておくれよ・・・」
中務はぽーっとなった。

中務「・・・一目見るだけですよ・・・」
二宮「うん♪見るだけ、見るだけ♪」

―ある夕暮れ、二宮は中務に言われた通りに対の屋の前栽の中に隠れた。
深雪姫が中務に勧められた通り、庭を眺めはじめた。

二宮(あ・・・あれはまさしく音羽の姫君・・・。ホクロの位置も同じ・・・)
(関白の隠し子だったとのか・・・)
(入内の直前に居所が分かるとは・・・)

二宮はワナワナと震え出した。
(どうしよう・・・一体どうしたら、姫君の入内を阻止できるだろう・・・)

(音羽の姫君を手に入れられなければ、まろは死んだも同然だ・・・)
(まろの身分も何もかもと引き換えにしてでも、音羽の姫君と暮らせる方法はないものか・・・)

二宮は真剣な表情をした。
(あっ・・・あの方法があった!)

―二宮の頭の中

『伊勢物語 第六段 芥川』
昔、摂政・藤原良房公の養女である高子姫が、在原業平と恋に落ちた。

しかし、高子姫は、時の帝・清和帝への入内が決まったため、業平と高子は二人で逃げようと決め、業平が高子姫をおぶって、邸から連れ出しました。(※)

(これだよ、これ・・・)
二宮、会心の笑みをもらし、両手で握りこぶしを作っている。

―その計画を中務が聞き・・・

中務、驚く「宮様!本気ですか?」

二宮、身を乗り出して、話す。
「本気にきまっておるだろう?―都合の良い隙はめったにないから、女三宮と対の姫君とお二人だけおいでの時に手引きをしておくれ。」
「いやもおうも言わせずに連れ出して、隠してしまおう」

中務、渋い顔をして、
「その『伊勢』の話も失敗に終ってるじゃないですか・・・」
(ナンカ不安・・・)

※物語の最後では、高子は、兄・基経によって、邸に連れ戻されてしまうのですが・・・。

「3-17、波のゆくえ」

―関白が宿直で内裏に泊まった夜―

中務の局で―

二宮(チャンスは今日しかない!)
イライライラ・・・「まろを手引きするのだ!」

一方、月影大将は―
(深雪姫の様子を見に行こう・・・)
こっそり
(女三宮の寝所に入り込める隙はないものか・・・)

深雪姫の御前―

月影「御機嫌いかがですか、女房達は装束の仕立てを順調にしておりますか。」

月影「今日は新しい調度を持って参りました。御覧になっていただけませんか。」

深雪、奥から「すみません、今日は無理です。朝から少し気分が悪くて・・・」
侍従「昼間からこちらで臥せっておられるのです。」

寝殿から来た女房「女三宮様からの御伝言です・・・」

月影、ドキン!
女房「ご気分が悪いとは存じておりますが、やはりこちらへお出かけになりませんか・・・との事です。」

月影「そうですか・・・お声をおうかがいするとそれほどお加減が悪くはなさそうなので、やはりお出でになってはいかがですか」
深雪(確かに気分は良くなってきたわ・・・)
深雪「そうね・・・後でおうかがいしますと伝えて。」

―深雪姫は、宰相の君と侍従を連れて、女三宮のいる寝殿へ渡った。

月影、侍従に「姫君のお加減に気を配っておくように・・・。そしてもう一つ頼みが・・・」
侍従「承知いたしました。」

月影、周りをきょろきょろ見て、人目につかない所に行く。

―夜も更けて

中務の曹司―

二宮が一人入り込んで横になっている。中務をイライラした様子で突っつく。
二宮「はやく!」

中務、単を脱ぎ滑らせて、抜き足差し足で出て行く。

中務、暗い渡殿を歩きながら、
(まさか自分がこんな事の手引きをするなんて・・・)
(でも、二宮様が御自分の御身分もお捨てになる覚悟なら、私も自分の身を捨てるばかりだわ!)

― 一方、月影大将は―
ビューと荒い風

月影(皆、寝静まったな・・・)
妻戸を開ける。
(鍵が開いてる…侍従は頼みを聞いてくれたようだな。)

―寝殿

御帳台の中で、女三宮と深雪姫は並んで寝ている。
月影、御帳台の後に隠れて、周りの様子をうかがう。

月影の向かい側、そっと襖を開け、もの優しげな男(二宮)が入ってくる。

月影(これは面倒な事になった・・・。こんな鉢合わせも世の中にあるものだったとは・・・)

二宮、灯をあおいで消して、御帳台に馴れ馴れしげに近寄る。

月影(一体何をする気だ・・・?)

二宮、そのまま深雪姫をお姫様抱っこして、部屋を出ようとする。

深雪、震えてうろたえている。

月影(何と、これは一体どうしたことだ!)

飛び出そうとする。はっと気づき、頭を振る。
(いかんいかん、私はここに忍んで来ているのだ。)

(しかし、深雪姫が連れ去られるのをみすみす見逃すというのか
―下手したら私の責任問題になるぞ)

「いや!」
深雪姫は部屋を出ようと御簾をめくろうとしている二宮から逃れようと、体を大きくひねった。
二宮「あ・・・そんなに暴れたら・・・」


どすん

二宮と深雪姫、部屋の端でもつれて倒れる。
二宮、深雪の夜具(かいまき)をひっぱって、母屋の外に出す。


視点は女三宮へ変化して・・・

女三宮、着物の前をあわせてガクガクと震える。
(全く・・・大将様・・・私を盗み出そうなどと恐ろしい事をなさる・・・)
(でも、あの大将様は私と深雪姫の区別がつかぬはずはない。)
(そのうち、間違えて深雪姫を連れてきたとわかって、彼女を解放するはず。)

(私が声さえ立てないで隠れていれば、何もかも無事に済むわ・・・)

― 一方、二宮達は母屋から出て、廂に―

二宮は深雪姫の側に座り込んで、袖をつかんでいる。
深雪姫はつーんと顔をそむけている。

二宮、座り込んだまま、
「あの音羽の里でお会いした時に、まろはあなたに永遠の愛を誓ったはずなのに、どうして突然身を隠してしまったのですか。」
「あなたは一生皇位に縁のない、まろを放っておいて、将来有望な弟の妃になろうとしていらっしゃる。」
「弟・東宮は将来たくさんの妃が入内して、あなたは一生苦労します。それよりまろの北の方となってください。・・・一生大切にします。」

深雪、顔をそむける。

(それではこんな乱暴な事をなさっているのは、音羽の里で一晩中私に寄り添っていた方・・・お兄様・・・?)
(信じられない・・・)
深雪、振り返り、二宮をきっと睨んで、

深雪「本当に呆れた方ですこと!」

二宮、ドキンvv(か・・・かわいい・・・)
(力ずくで、服をもぎ取ってしまいたい!)

二宮、周りを見まわす(でも、ここはひとけがありすぎる・・・)

二宮、深雪を抱きかかえ、肩に掛ける。
深雪「あっ・・・」(いや・・・お兄様・・・!)

二宮、手探りで渡殿の方へ。
廂の横で寝ている侍従に衣の裾が触れた。侍従、起きて寝ぼけ眼で外に出て行く二人を見る。
侍従(月影様が女三宮様を連れ出そうと?・・・いやまさか月影様がこんな乱暴な事をなさる訳は・・・)

二宮が妻戸を乱暴に開けて外に。
深雪の声「いやっ!」

侍従(じゃあ一体誰が・・・?)
目をごしごしとこすり、妻戸から渡殿の方を見る。

二宮、寝殿の外、渡殿で、深雪を左手で押さえ、衣を脱がそうとする。深雪はそれに必死で抵抗。

侍従(あれ・・・は・・・深雪姫様?)
侍従(あの男は、いつぞやの二宮だ!全くとんでもない事を!)

(姫様の危機!)
侍従、すごい勢いでちかづく。

侍従、二宮の右手にひしと取りすがる。
二宮、すごい目で睨む。
(何だこの女!いつぞやの尼君より段違いに憎らしい・・・)
侍従、必死で二人の間に割って入る。
「姫様!お早くお離れになって!」

深雪姫、解放されほっとして遠くに離れる。

侍従は息を切らせながら、両手を広げ、二宮と深雪姫との間を隔てている。
深雪姫は四つんばいになりながら、二宮から離れる。

二宮、姫の方に手を伸ばし、「姫・・・!行かないで下さい!まろのあなたへの気持が真実である事をお分かりになって下さい・・・!」

二宮、歌「あなたが姿を隠してからも、私はあなたをどうしてもあきらめきれなくて、何度も音羽の里に通い、むなしい一人寝の夜を重ねてきたのです」
「無明の長夜、あなたを恋する煩悩に苦しんで、夜を明かすのもいつもの事ですが、今夜もまた重ねて、辛い思いのありったけを味わいました。」
(あけぬ夜の おもひになるる さよ衣 かさねてうさの かぎりをぞ知る)

深雪、侍従と共に抱き合って震えながら歌を詠んだ。

「そのうち自然に思い当たられる事もございましたら、逢うにも逢えぬ二人の仲を、どなたが御恨みになれましょう」
(おのづから 思ひあはする 時もあらば みちなき夢を たれかうらみん)


― 一方、御帳台の横では、
中務が狸寝入り。
(二宮様は、首尾よく深雪姫を連れて、渡殿の方まで行かれたようだわ・・・)

中務は目を閉じたまま(私は何も知らない・・・)

ゴソッと物音。
中務(え?)
素晴らしい様子の男が横を通る。指貫の裾がふわっと中務の顔に当たる。
薫物の香りも尋常でなく素晴らしい。

中務(?????二宮様以外にも男が??)
(―私はほ~んとに、何も知らな~い・・・)
中務、夜具を引っ被る。


―御帳台の中で、女三宮起き上がり、
(大将殿はまだ自分の間違いに気づかれないのかしら・・・)
月影、囁く。「宮・・・」
三宮(えっ?じゃ、あの男は誰?)

月影、女三宮に抱きつく。
「宮・・・お逢いしたかった・・・」
女三宮、(いやっ!)もがいて逃げようとする。

女三宮は涙をこぼしながら、
(誰か助けて・・・深雪姫はなぜ戻ってこないの・・・)
(まさか私と大将殿の逢瀬に気を利かせて外に出たの・・・?)

(ここは、冷静にならなくては・・・私はもう昔の様な小娘じゃない・・・)

女三宮「だ・大将の君・・・」
女三宮はかろうじて月影の胸を押して、引き離した。
そして凛とした態度でいった。
「私は、昔とは違うのです。関白殿の北の方となった私は、いわばあなたの義理の母。」

月影、泣きながら、
「それが何だと言うのです。元はといえば、私の方が先に宮様をお慕い申し上げていた。」
「・・・宮様の御輿入れは、何も知らない院と父上がお二人だけで決められた事―」
月影、思い余って、また女三宮をきつく抱きしめる。
女三宮「あっ・・・」


女三宮の体に冷や汗が流れる。

月影(宮の鼓動と温もりが衣を通して伝わってくる・・・)
(もう・・・我慢できないっ!)

月影、女三宮を押し倒す。女三宮「あっ・・・大将様・・・いけない・・・」


月影、そっと御帳台から出てくる。後で女三宮、うなだれる。

(渡殿の様子はどうなっているだろう―)
月影、妻戸を開けて渡殿の様子を見る。

渡殿では、有明の月に照らされて、まだ二宮と深雪姫と侍従がいた。

侍従、手をすり合わせて、
「もう夜が明けてきました。人々も起き出して来ましょう。」
「関白様には、今日必ず、姫様の東宮入内を取りやめにして、
二宮様への御輿入れをお考えになるようお願いしましょう」

二宮「それは、まことか?」
侍従「本当です、本当です・・・ね、姫様」
深雪に向かってウインク。

深雪、慌ててうなづく。

侍従「どうか後生ですから、お戻りください。後はどのようにでもお望みどおりにいたしましょう。」
二宮、切なげな表情をして
(ここにいつまでいても、何も出来るわけは無い
・・・今回はこれほど姫の御側に近づけたことを慰めにするしかないな・・・)


二宮「では確かに頼んだぞ。後で文を出す。」

そっと出て行く。



その様子を見ていた月影
(良かった・・・侍従は上手く二宮をなだめて帰してしまったのだな・・・)

深雪、ガタガタ震えて涙を流す。
「こわかった・・・こわかった・・・」
侍従「お気持とてもわかります。
でも、このままでは人もきっと変だと思うでしょう。
何気ない振りをしておいでなさいませ。」
侍従、深雪の手を引いて、部屋に連れて行く。

―月影大将は関白邸を抜け出した。

大将、牛車に向かう道すがら、明け方の空をしみじみと眺める。
(女三宮様・・・どうして私の熱情を冷ますほどの欠点が一つも無いのだろう・・・)
(さ・・・邸へ帰ろうか・・・)

女四宮の泣き顔が浮かぶ。

(やめた。宮中へ参内しよ。)

―月影、宮中の宿直所でぼんやりと横になる。

昨夜の女三宮の様子を思い出しながら・・・
「あなたとは、夫婦の深い仲ではないけれど、昨夜の成り行きは、一体どんな前世の因縁によるものでしょう。」
「おりたちて わたらぬ川の みなかみに いかにむすびし なみの行へぞ」

「3-18、結ばぬ契り」

―翌日の夜、三条宮で

二宮がうつ伏して寝ている。
(姫・・・姫・・・なぜつれない・・・)
流れる涙で袖はひどく濡れている。

―明け方、二宮、うとうととする。

夢の中・・・薄暗い中で二宮が一人。
女房が文を二宮に渡す。「故・皇后宮の御文です」
二宮「母宮からまろに?」
開いてみる。

故皇后宮の文
「あなたの想っておられる方の素性をご存知でなくても、契りを交わそうとだけは想わないで欲しいのです。」
「おもひ草 もとの葉むけは しらずとも むすばんねとは かけずもあらなん」

二宮、衝撃を受けた表情(これは・・・どういう事だ・・・?)

パチ

二宮は目を覚ました。
「夢か・・・」

(そういえば、深雪姫はどうして母宮に瓜二つなのか・・・?)
(一体どういう御事情でお生まれになったのか・・・?)
(「みちなき夢」とはどういう意味だ・・・)

「わからぬ・・・」

―二宮「おっと侍従への文を書くのを忘れていたよ」

―関白邸・深雪姫の御前で、侍従は二宮からの文を受け取る。

侍従、「二宮様からの御文です」と深雪姫に見せる。
深雪、顔をほんのりと染めただけで何も言わない。
侍従、深雪姫の様子を見て、(当然よね・・・)

侍従「この御文の端に、ほんの一行だけ、お返事を」
深雪、袖で口を隠して横を向く。

侍従、にこっと笑って
(姫様のお考え、わかりましたわ!)
「ちょっとお借りします」
姫の硯箱を開いて、書き付ける。

歌「『あなた様が私の事をいくらお想いになりましょうとも、また御文を下さっても、
何の甲斐もないのは、前世の因縁がないからでございました』―と存ぜられます。」
「おもひても いひてもものの かひなきは むかしむすばぬ ちぎりなりけり」

それを受け取った二宮、がくーっと落ち込み、脇息にもたれこむ。
「なんときつい歌よ・・・それも侍従の代筆か・・・もう望みはない・・・」


―同じ頃、月影大将は関白邸を急いで出た。

月影(昨日、御所から父関白の御伴がてら、関白邸に戻った・・・)

月影、衣の香りを嗅ぐ。
(女四宮が移り香を責め立てるのも面倒だな・・・乳母の伊予の所で衣を替えようか。)

「3-20、つくりごと」

―伊予の局

伊予「まぁ!若様!」
月影「久しいな・・・」
月影、伊予の手伝いで着替える。

伊予「女四宮様とは御仲も睦まじいようで・・・乳母も嬉しく思っております。」

月影、ピン(そうだ!)

月影「その女四宮の事だが・・・実は昨夜、なじみの女房の局で夜を明かしてしまったのだ。」
伊予「まぁ・・・でも若様も召人の一人や二人・・・」
月影「で、女四宮は外泊にはとてもうるさくてね、最近ほとほと疲れてしまったのだ。」
「だから、今日帰ったら、女四宮には『昨夜はここにいた』と言っておこうと思ってね。」

月影「後で、女四宮に風邪などで気分が良くないという文を出してください。」
茶目っ気たっぷりに笑い、伊予の両手を握った。
伊予「はぁ・・・」

嬉しそうに帰っていく月影。それを見送りつつ、伊予は頬に手をやって
(お二人は仲睦まじいとばかり思っていたのだけれど・・・意外だわ・・・)


―二条宮

月影「帰りましたよ。あーくたびれた。」
女四宮、目をあわさずに、よそよそしくする。
・・・と、涙がこぼれはじめる。

(・・・また、はじまった・・・)
月影、苦しげな目つきをする。

そこへ、女房中将が参上。
「伊予の乳母様から、宮様へ御文です」
女四宮は、涙で目を濡らしながら、振り向いた。
「まぁ!殿の乳母から、何かしら?読みあげて!」

中将、文を持って読みあげる。
「畏れ多くも大将様にこちらにお越しいただきましたので、
気分も大分和らいでたいそう心強い思いを致しておりました。」

女四宮「まぁ・・・昨夜は殿は乳母の御見舞に行ってらしたの・・・」
月影は嬉しそうにうんうんとうなずく。

女四宮、にっこりと笑って、
「それならそうとおっしゃって下さればよろしいのに。変な所で殿は奥ゆかしいのね。」

女四宮、頬に手をやって
「あの乳母がねぇ・・・気分が悪かったろうに・・・」

月影、にこっと笑い(専ら伊予を病人にしておくに限る!)

「3-21、心の鬼」

― 十二月二十日過ぎ、深雪姫が東宮に入内した。

二宮「そうか・・・入内なされたか・・・」
(もう・・・二度とお会い出来ない・・・)
涙が出てくるのをそっと袖で拭く。

母皇后の姿
(何か良くわからないが、ただ事ではないらしい・・・
きっと姫君とまろとは、縁がなかったのだろう・・・)

冬の曇り空を見上げる。
(・・・しかし何だかむなしい・・・)

―内裏・梨壷

女房が先導「女御様はこちらです」
東宮、廊下を歩きながら
(関白がやっきになって年内に入内させた姫か・・・
美しいとは聞いているが、従妹だし、母宮と似たような感じかな・・・)

東宮、彼の入ってくる衣擦れの音を聞き、
後を振り返った深雪姫を見る。
東宮(ドキン!)

(か・・・かわいい・・・)ゴクン
東宮は唾を飲み込んだ。

にこっと姫が笑う。
東宮、ポーッとなる。

―年が明けて、尚侍の君が帝の中宮に立った

―三月、関白邸

関白が女三宮と居間で寛ぐ。

関白「東宮様は深雪姫を大層ご寵愛されているらしい。」

関白、にんまりとする。
「次の中宮も我が家からでるかな・・・」

女三宮、突然吐き気を催す。「うっ」

関白「どうした宮!?ご気分がお悪いのか?」

中納言の君
「昨年末からずっと御気分がお悪くて・・・
良くお戻しになられるのです。」

関白、じっと何かを考える。
「確か大将の産まれる前も・・・」
「宮の月のものは?」

中納言の君、じっと考えて「・・・あっ!」
「大殿、宮様、おめでとうございます!」

女三宮(懐妊・・・?私が・・・?)

―しばらくして、関白は参内した。

三宮、一人でお腹をなでながら、
(この子はどちらの御子なのかしら・・・)

女三宮、ふっと遠くを見る。
(女は、愛する男の子供を身ごもるという・・・)
(もし、この子が大将様の御子なら、今度こそ私は出家しよう。)

(あの風の夜、大将様がいらっしゃったのは、
私が心の中で大将様を求めていたからかもしれない。)

(関白様は心の底から尊敬申し上げているし、決して裏切りたくない。
でも、否定しても否定しても、私は心のどこかで大将様にも惹かれている。)

(私が俗世にとどまる限り、
私は私自身のそんな醜い面と付き合っていかなくてはならない。)
女三宮は床に倒れこんだ。

(・・・もう私は疲れた・・・)


同じ頃、大将の北の方(女四宮)も、東宮の御息所(深雪姫)も、懐妊が明らかになった。

―内裏で

嵯峨帝「ほぅ、女三宮も、女四宮も、東宮の御息所も同時に懐妊か!」

嵯峨帝は横に座っていた中宮の方を振り向いて、
「全く羨ましい事だ、なぁ、中宮。」

嵯峨中宮、にこやかに
「時が来れば、きっと私達にも授かりますわvv」

嵯峨帝
「そうだな・・・また今宵も上の御局で待っているように。」

中宮、ぽっと頬を染める。

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―世間は、今年開催される大嘗会の準備と北の方達や御息所の安産の御祈祷で大忙しです。

月影、空を見上げて(女三宮様の御子は、あの折の子なのだろうか―・・・)

第三巻 終わり

(続く)
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これで、第一部:深雪姫世代の話(第一巻~第三巻)は終わりです。
長い間おつきあいありがとうございました!


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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「巻三」 

はじめから御覧になりたい方は、どうかこちらの総合目次から御覧下さい。





(↑前半です)

「3-1、卯の花影」

月影(女三宮様…女三宮様…)

(まるで、私は卯の花影にしのび鳴く時鳥(ホトトギス)の様だ…)
(ただ、私の気持だけでもあの方にお伝えしたいのだけれど…)

(逢瀬の折、嫌がっていらしたな…)
(女三宮様に嫌われてしまっては、私はもう生きている甲斐もない…)

(いっそ、女四宮様と結婚してしまおうか…)

月影(でも、もしそうした後で少しでも女四宮様を軽んじたら、世間の物笑いにならないよう気を張っていらっしゃる中宮様がお許し下さるはずもなし…)

月影はごろんとまた寝床に寝転んだ。
「ふたみちに 物おもふ時は 枕より あとよりうたて 身をせむるかな」
(二つの道に悩んでいると苦しい恋の思いが枕元からも足元からもさんざんに我が身を責め立てる事よ)

「3-2、この事ゆえの病」

―内裏・中宮の殿舎

中宮はため息をついている。
(世間の人は、月影中納言の病気は、女四宮との御婚儀を逃れる為の口実と言う…)

中宮は無邪気にたたずんでいる女四宮を見た。
(女四宮…こんなに可愛いのに…)
(自分が生きている間に女四宮を中納言に、と帝に申し上げたばかりに、あれやこれやと穏やかでない目に会うことよ…)

中宮「関白を呼んで」
女房「は・はい…」

関白が参内した。
「いかがしましたか?中宮様。」

中宮、御簾の後ろで
「月影中納言の御病気はいかがですの?」

関白(ああ…やっぱりその事か…)
「はぁ…ひどく寝つくと言うのではないのですが、何となく気分が優れぬようで…ぼーっとして寝たり起きたりして過ごしております。」

中宮、ゆっくり扇を口に持って行きながら厳しい表情で
「…そう…本当にお気の毒な御病気のようですが…」
「―ただ、御婚儀逃れと世間話の種として笑われるのは、大層困った事です。」

「少しでも御病気がましな時がおありでしたら、たとえ寝たままでも女四宮のもとに通い初められたらよろしいのですが…」

関白、弱りきって
「はぁ…中納言にそう申し伝えておきます…」

中宮
「頼みましたよ!」

関白、帰宅の牛車の中で―
(中宮のあの威圧感にはわが妹ながら圧倒されるなぁ…)
(故父関白が大切に育てられた名残で、帝であろうと誰であろうと御自分の御意見が通らないはずはないと思っていらっしゃる…)

関白、帰宅して床についている月影中納言を見る。
(しかし、中宮の仰るとおり、中納言は大層失礼な事をして…)
(傍から見ているとさほど苦しげな病気でもなさそうだが、他に誰か好きな女でもいるのだろうか?)

関白は大きな声を出した。
「中納言!」
月影はびくっとして目を開けた。

関白は月影を叱責した。
「一体どういう気でそんなにふさぎこんでいるのか!『病は気から』という。寝てばかりいないで、努めて起き上がってみなさい!」
心の中でこう思いながら。
(お前のせいで、父は中宮様に圧力をかけられたんだぞ!怖かったんだから!)

月影は、衾を頭からかぶって、ブルブルと震える。

「3-3、移り香」

月影は、父が部屋を去ってから起き上がり、空を見上げた。
(父上も母上も可愛そうに、の一言もかけては下さらない…女三宮様も冷淡なままだし…)

月影の両目から涙が滝の様に流れてきた。
(もういっそ死んでしまいたい…!!)

―中納言の君の局

中納言の君、大量の月影からの文を目の前にして困った様子。
「まぁ、こんなにどっさり女三宮様への御文…」

中納言の君は、文を読んで、頬に手をやって涙を流した。
「女三宮様と逢えなかったら死んでしまうって…お可愛そうに…」
この甘えた文にも感動してしまうのは、月影への愛の故か。

中納言の君は覚悟を決めたような表情で、きっと前を見据えた。
(女三宮様に骨の髄まで嫌われてしまってもいい!また、月影様の手引きをしてさしあげよう…)

―女三宮の御前

几帳の後から、月影が微笑みながら現れる。「宮…」
女三宮「あっ…」

月影は、何も言わず、女三宮を抱えて、御帳台の中に連れて行く。
女三宮「いや…」

―しばらくして、御帳台の中。
烏帽子に袿、涙に濡れた顔の月影が、外から漏れ入った月光に照らされながら、同じく涙に濡れた女三宮の頬を撫でている。
女三宮は、素肌に袴袿を着たしどけない姿。夏物の薄物の袿に、女三宮の美しい黒髪が映える。
月影「御婚儀の日に頂いた、お優しいお言葉のみを心の支えにして生きてまいりました。」

月影「何てお美しい…」

女三宮は、情けなくて涙を流しながらもこう思うのを止められなかった。
(月影中納言様…なんて美しく男らしい…本当にあなたが正式の背の君であったら…)
しかし、女三宮は自分の気持が認められず、ふっと横を向いた。

月影は、激昂して横に向いた女三宮の顎をつかんで、ぐいと自分の方に向けた。
「どうして私がこんなにお慕い申し上げているのに、応えていただけないのですか!」

女三宮は、キッと月影の目をにらんだ。
(まだ分からないの?)

女三宮は、月影の胸を押して、自分から遠ざけた。
「気分が大変悪うございますので…本当にこんなでなければ…」

月影は思い余って、女三宮を激しく抱き寄せた。
「宮…」
「あ…」

女三宮
「いまはただ みきとばかりの 夢をだに わすれんのみぞ なさけなるべき」
(夢の様にお逢いした事をお忘れくださる事だけが、今となっては私へのお情というものでございましょう…)

月影中納言は、女三宮を抱きしめたまま悲痛な声で答えた。
「わするとて さてとぢむべき 夢路かは 後の世までも 絶えし逢瀬(あふせ)を」
(忘れるとおっしゃいますが、そのままでどうしてこの夢路を閉じてしまえましょう。後世までも絶えるはずのない、あなたとの逢瀬ですのに。)

御帳台の外から、中納言の君が月影の帰りを促した。
「中納言様、お出ましの用意を!三位の君がこちらに…」

月影中納言は、それを聞いたのにも関わらず、
(もう、どうなろうと構わぬ!これほど嫌な男と愛想尽かしをされているなら…)
決して離しはしまいと、ますますきつく女三宮を抱きしめた。

女三宮は、余りの痛さに「う…」と声をあげた。

女三宮は、月影をにらんだ。
(この人は…)
(皇女である私が男と絡み合っている姿を女房の目にさらそうというの?―こんなにも図々しくいやらしい御方だったのか…)

(この人と何度も契りを結ぶ私の宿命のつたない事よ…)
女三宮は、ドンと月影を突き飛ばして、御帳台の外に転がっていった。

しかし、月影は女三宮の髪を掴んだ。 ←ここも原作が源氏のパクリ。
女三宮は泣きながら
(あんまりだ、ひどい、ひどい…)

そして、人を呼ぶために手をパンパンと叩いた。

その音に気づいた女房達が、
「宮様、いかがなされました?」とドヤドヤと近づいてきた。

中納言の君は、(何て事を!)と驚き、女三宮の袿を持って体で女房達の視線から月影と女三宮を遮った。

「これほどまでに嫌われてしまった我が身のつたなさが良くわかりました…」
そう言って月影は、ぱっと女三宮の髪から手を離した。

そして、御帳台から、女房達が来た方向と逆の方に出て行った。
中納言の君は持っていた袿を女三宮に羽織らせた。

―帰りの牛車の中―

月影は、ふと自分の体が女三宮のまとっていた香りを発している事に気づいた。
(女三宮様の香りが我が身に残っている…)
月影は目を閉じて少し顔を上げた。胸は切なく締め付けられるようだ。

月影「かはりぬる つらさを憂しと 恨みても なほ移り香の なつかしきかな」
(お心変わりで冷淡になってしまわれたのを辛いと恨んでみるものの、やはりその移り香は懐かしくてたまらない…)

― 一方、女三宮は、脇息に体ごともたせかけて、深く沈みこんでいた。
(どれだけ月影中納言様を好きになっても、いずれあの方は女四宮の夫となる。)
(こんな風に時折私のもとに忍んで来て、都合のいい隠し妻の様に扱われるのは耐えられない…)

(何より、一人の男を姉妹で共有するなんて、おぞましい…)
女三宮はゾッと寒気を感じた。

(月影中納言様がこんなにやすやすと忍び込んで来るのも、彼に惹かれる気持が、私の防御を緩めるから…)

女三宮は、キッと顔を上げ、前を見据えた。
(―近いうちに、こんな自分の妄執を断ち切るために出家してしまおう。月影中納言様にも今まで以上に冷淡に接しよう。)

女三宮は月影の面影を思い出した。
(―中納言様、どうか私の事を嫌いになって、そして忘れて…)
(そうしたら私もあなたの事を忘れられるかもしれないから…)

「3-4、夕暮れの花橘」

―関白邸では、月影中納言の御病気平癒の御祈願ばかり、数え切れないほどおさせになる。

―そのうちに、四月、御阿礼(みあれ=賀茂祭、葵祭)の頃になった。
月影中納言は、烏帽子直衣の寛いだ姿で、右手に葵の葉を持ち、ぼーっと眺めている。

月影(毎年、葵祭の時に挿頭にする葵はいつもと同じだが、私には「逢う日(あふひ)」も名のみで甲斐もなく、その名さえも恨めしい。)
「けふごとに かざすかざしは それながら かひなき草の 名こそつらけれ」

―神事が過ぎて、女三宮は内裏にお戻りになる。

女三宮は少し沈んだ様子でうつむく。父・水尾帝は女三宮をニコニコと嬉しそうに眺めている。

水尾帝(女三宮はいつも通り美しいが…母宮が死去した心労で痩せたか…)
(それがより神秘的な雰囲気を添えている。)

水尾帝(今後、この可愛らしい人の身の振り方をどの様に取り扱ってあげたら良いだろう。)
(せっかちな水尾中宮のおかげで、女四宮と引き比べて女三宮は小さくなっておられる。)

―五月雨が降り始めた。

水尾帝(これでもし朕が退位などしたら、後ろ盾をなくして、この人はどうなってしまうのだろう…)


―関白邸、相変わらず月影は仮病で床に就いている。

月影(五月は婚儀が禁じられている月だ。少なくとも女四宮との結婚はないだろう…)
月影は現金にもぴょこっと起き上がった。

そして、父関白の居間にしずしずと行き、報告した。
月影「少し気分が良くなりました」

関白は満面の笑みを浮かべた。
「おお!良かった!」

関白は早速、二条宮に行き、中宮に月影の事を報告した。
「―との事です。来月にでも御婚儀を―」

中宮は沈思して、重々しく答えた。
「…いや、いいです。病み上がりの体にはきついでしょう。秋にでもなったらいずれとも決めたい」

そして、扇で口を隠して、考え深そうな表情をした。
(下手に動いて、また世間の人々の噂の種になってはたまらない。…婚礼を行うまではあらかじめ意向をもらすまい…)


―五月雨が一日中降った日の夕暮れ、関白邸―

月影は水尾中宮の思惑も知らず、鼻歌を歌いながら廊下を歩いていた。
(妹の嵯峨尚侍の様子でも見に行こうか~)

月影は嵯峨尚侍の部屋の御簾を上げて、中をのぞいた。
尚侍は、女房達と共に絵巻を広げて見ていた。

尚侍「あ、兄上、お加減は良くなりましたの?」

月影「あ、ああ、少しな…」

月影(撫子を様々の色に織り出してある袿にこぼれかかっている髪が黒真珠の様だ…)
(わが同母妹ながら絶世の美女…)
(わが鏡の中の姿とそっくりではないか…というのは思い上がりかな…)

―次は深雪姫の部屋をのぞいてみよう。
月影は深雪姫の部屋の御簾からのぞき込んだ。

月影(こちらは打って変わって几帳も鈍色(にびいろ)…)
(庭の橘の花の香りが香と交じり合って…かえってしみじみとした趣がある…)

座って寛いでいた深雪姫が月影に気づいて上を見上げて心配そうに聞いた。
「兄上…御病気は大丈夫ですの…?」

月影はドキッとして、ゴクンと息を飲み込んだ。

月影は深雪姫の側に座りながら考えていた。
(何度見てもはっとさせられるほどの美しさだ・・・)
(丁子染めの濃い色の喪服に丁子香がとても似合っている・・・)

「おや?手習いをしておられたのですか?」
月影は扇で深雪姫の書いていた紙を引き寄せた。 (←馴れ馴れしいっつーの!)

深雪姫は恥かしくて顔を赤くした。
その様子を月影は(横顔も可愛いな~)と眺めている。

深雪姫手習「夕暮れの はなたちばなに よそへても いづれの空の 雲とながめん」
(夕暮れ時、昔の人を偲ばせる花橘の香りにことよせて、亡き母はどの空の雲と思って眺めたら良いのだろう…)

月影(見事な筆跡…しかし、お顔だけではなく、筆跡まで女三宮様に似ていらっしゃるとは…)

深雪(何だか熱心に読んでいらっしゃる。恥かしい…!)
深雪はますます顔を赤くして、扇で顔を隠した。

月影は扇を持つ手が袿の袖からはみ出しているのを見て、
(御手まで美しい…まるで女三宮様と瓜二つだ…)

深雪のもう一つの手習
「のぼりけん いまはかぎりの けぶりとも かすめぬ空の うらめしきかな」
(母が亡くなられた時に、これがその荼毘の煙だと誰もほのめかしてくれなかったのが恨めしい。)

月影はふと顔を上げて
(音羽山の姫君に似ているからではないが…あの方の事もよくよく考えてみるとおかしな話だ…)
(女三宮様に似た人がそうそう何人もいるなんて…)

月影は涙ぐんで、つい歌を詠んだ。
「きえにけん 雲の行方は しらねども あはれうちそふ 夕まぐれかな」
(姿を隠した人の行方はわからないが、この夕暮れはひとしお哀愁がつのることだ…)

深雪は扇を外して、不思議そうに月影を見た。「姿を隠した人…?」

月影は涙を拭きつつ、微笑んだ。
「昔、音羽山でそなたとよく似た美しい姫を見かけてね…」

月影「その人はなぜか突然姿を隠してしまったのだが…」「今でも忘れられないのだよ」
深雪姫は扇の後ろで何かに気づいたような表情で「それは・・・」と言い出そうとした。

しかし、(いえ、これは決して言ってはいけないことなのだわ・・・)と、また顔をそむけた。

その横顔を月影はじっと眺めた。
(なんと女三宮様と似ていらっしゃる事か・・・)
(今だけ・・・女三宮様の形代としてそなたを眺めさせておくれ・・・)

―後日、雨の降る黄昏

「3-5、たゆまぬ関守」

―その頃、月影中納言と女四宮との御婚儀は音沙汰がなくなっていた。

月影は雨の庭を眺めながら考えていた。
(ずいぶん宮中に出仕していないな・・・一体どうなっているだろう)(←おお!やっと仕事をする気になったね!)

―内裏、月影中納言が出仕したことを蔵人が帝に伝える。

水尾帝、喜びの声で「おお!月影中納言が久しぶりに出仕したか。顔も見たいのでこちらへ参るようにと伝えよ」

月影、帝の御前に出て、神妙に挨拶した。「お久しゅうございます」

水尾帝、その月影の様子を見て(しかし、見れば見るほど美しく頼もしい様子よ・・・)
そして、悲しそうにため息をついた。
(いずれにしても朕の婿となるのだが、どうせなら女三宮の婿として見たかった・・・)

―十月になり神事が執り行われるので、女三宮は内裏から出なくてはいけなくなったが―

水尾帝は女三宮の袖をつかんで引き止めた。
「もうしばらくの事だから、職の御曹司(しきのみぞうし※)に留まっていなさい。少しでも離れていると淋しくて・・・」

―中納言の君の局

月影、嬉しそうに
「なに、女三宮様は職の御曹司にいらっしゃるのか?」
「職の御曹司は人目が少ない!またお逢いする事が出来る絶好のチャンス!」

中納言の君は目を伏せて顔を横に振った。
「・・・駄目です。手引きできません。」
月影「なぜだ!」

※職の御曹司:「職」は「中宮職」の略。中宮関係の事務をとる役所内の建物。しばしば皇后・中宮の仮の御座所となった。内裏の東南の端に位置する。


中納言の君「あれから女三宮様御自身が気を配って、必ず私以外に他の女房がいるようにされているのです。」
片頬に手を添えて、ため息をついた。
「全く油断のない関守の様な御方ですわ・・・」

月影中納言は肩を落とした。
「私はそこまで女三宮様に嫌われてしまったのか・・・」(←当然じゃ~!)

―そして二人の気持がすれ違ったまま―


「3-6、御婿取り」

シナリオはマンガの下にあります。

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―内裏・水尾中宮が側近の典侍と共に座っている。
と、中宮が扇を鳴らした。
中宮「典侍、行くぞ」と低い声で。典侍は真剣な顔でうなずく。

―女四宮様は、気分がお悪いという事で、宮中から二条宮へ退出した。
― 一緒に中宮も退出された。

―その夜、関白邸
中宮側近の典侍が月影中納言の前に来て、膝まづいていった。
「婿君のお迎えに参りました」

月影、驚いた表情で「えっ・・・」

月影、助けを求めるように横に立っていた関白を見る。「父上・・・」
関白はあらぬ方を見て、とぼける。
そして、にっこりと笑って「中納言、すぐに着替えておいで。あまり女四宮様をお待たせしても悪い。」

―月影中納言はしぶしぶ着替えて、牛車に乗り込む。がくーっと気落ちした様子。
月影、牛車の中で(とうとうこの日が来てしまった―)

―二条宮
中宮は、月影中納言が乗った牛車の到着する音を聞き、喜色満面で女四宮に話しかけた。
「宮。婿君がようやく来られたようよ・・・」

女四宮は、頬を染めて微笑んだ。

束帯を着た月影中納言が部屋に入り、女四宮と対面した。

女四宮は、ぽーっと頬を染めた。
(なんと美しい殿方・・・母宮様、グッジョブ!)
月影中納言も驚いた様子で
(なんと可愛く人懐こい感じの人だろう・・・)

しかし、少し頬に影を落としてこう考えた。
(女三宮様とは全く違う雰囲気だが・・・)
女四宮はその雰囲気に気づいて月影に聞いた。
「殿・・・?」

月影は我に返って首を振りこう答えた。
「何でもありません。」
そして、ふわっと女四宮をお姫様抱っこをして、御帳台に連れていった。

中宮、月影の沓を抱いて寝る。
「ほっ・・・何とか無事に済んだわ・・・」

※沓を抱く習慣の説明
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まだ夜明け前、月影はゴソゴソと起きはじめる。
女四宮、それに気づいて「・・・もう、お出になるの・・・?」
月影、淋しげに優しく微笑んで「宮様の夫になったからと得意顔で朝寝するのは畏れ多いですからね・・・」
女四宮は不満げに「ああ・・・そう・・・」

月影は外に出て、星空を見上げてため息。
目からは大量の涙が。
(逃げられなかったとは言え・・・何と言うことをしてしまったのか・・・)

月影は女三宮あてに文を書いた。
「恋ひわぶる いのちのせめて ながらへて あるにもあらぬ ねをもなくかな」
(あなたを慕って苦しみ抜いている命が長らえてしまったばかりに、生死も不覚なほどの悲しみに声を立てて泣いています。)

その文を受け取った中納言の君
(他の女との結婚初夜にこんな文を渡されても・・・)
(女三宮様にお渡しできる訳ないじゃない!!)

女三宮は熱心に何かを振り払う為に読経をしている。
しかし、ポロと片目から涙が一粒。
女三宮(悔しい・・・あんな男のせいで一粒でも涙を流してしまうなんて・・・)
(仏様・・・どうかあの人との縁が完全に切れますように・・・)

―月影は自室で脇息にもたれかかって落ち込んでいる。その後で関白が意気揚々と従者に指示。
「女四宮様のもとにこの後朝の文を!早く!」

―月影中納言と女四宮は予定通り三日目に所顕(ところあらわ)し(※)をして、正式な夫婦となった。

※(男が、通う女の家をあきらかにする意)平安時代、結婚した事を披露する事。普通、結婚三日目の夜に、女の家で宴を開き、婿と舅達が対面した。
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「3-7、あやしき心々」

―二条宮
女四宮、女房と共に絵巻物を見る。外で牛車が止まる音。
女四宮、頬を染めて元気良く「殿のお帰りだわ!」

「お帰りなさいませ~vv」
布袴姿の月影を手を広げて迎える女四宮。

女四宮、必死に話かける。
「あのね、今日はね、こんな事があったの」

月影、微笑みながら聞く。(不思議だ・・・)

(女三宮様を忘れたというわけではないが、女四宮様と向かい合っていると暗く沈んだ気持を忘れてしまう。)

月影(女三宮様が冬にひっそりと咲く百合の様なら)
(女四宮様は春ののどかな夕暮れに、八重山吹の花が咲き誇っている様だ)
(何も知らない子供の様でなく、見るべき所はきちんと見て、皇女らしく誇らしげに振舞われる。)

(しかしながら、聡いだけにこんな事もあった・・・)
―別の日・二条宮

突然女四宮がガシッと月影の衣をつかんで、
「中納言様、私に隠し事をしては嫌でございます!」
月影、狼狽して
「・・・な、何の事?」

女四宮、必死な様子で月影に訴える。
「お互いに隠し事をせず、心の底まで許しあう、それが本当の夫婦だと母宮様から教わりました。」
「私以外にご寵愛なさっている方がいらっしゃったらどうか私にお教え下さい。」
「決して怒りませんから」

月影、あたふたして
「・・・え~・・・いや~・・・あの~・・・本当に怒りませんか?」

女四宮、自信をもった口調で
「ええ!男たるもの召人の一人や二人いるのが普通だと母宮様がおっしゃいました。」
「それに何と言っても私は北の方。そんな女の事で動揺しませんわ!」

月影、その女四宮の様子に気おされて
「じゃあ、言います・・・。まずは侍従・・・」

女四宮、詰問口調で
「侍従って、どこに仕えている侍従?」

月影「妹の女房で・・・」
(何やってんだオレ・・・)と自嘲気味に思いながら。
女四宮は、「ふむ、ふむ」と月影の陳述を紙にメモ。

しばらくこんな問答が続き・・・

女四宮「・・・で、これで終わり?」

月影、苦笑いして「はい・・・」
(中納言の君は、言えないな・・・。言ったらすぐに女三宮様とつながってしまう・・・)
月影の耳がぴくぴくと動く。

女四宮、じとっと月影をにらんで
「・・・女三宮の所の中納言の君は?」
月影、びくぅっと飛び上がる。

女四宮、月影ににじり寄って
「・・・調べはついているのよ・・・どうして言わないの?何か理由があるの?」
女四宮、はっとして
「もしかして・・・それが婿入り前に仮病を使った理由?」

女四宮の両目から涙がじわっとにじんできた。
「中納言の君は・・・そんなに素晴らしい女なの?」

(こうなるとやっかいだ!)
月影、大慌てで「ち・・・ちがうちがう、取るに足らない女です!」と弁明。激しく耳が動く。

女四宮、涙声で叫ぶ。「嘘よ!月影様は嘘をつかれると必ず耳が動くの!」

月影(えっ?)と思わず耳を両手で隠す。

女四宮、ひっくひっくとせき上げながら
「本当に大したことない女?私が一番?もしそうなら神にかけて誓って。」

月影、女四宮を抱きしめながら、困った様子で
「天照大神にかけて、宮様を一番愛しております。」
女四宮「本当?本当ね!」

―そして大抵こんな後は三日三晩お側から離れる事をお許しにならないのだ。

女四宮、御帳台の中でごろにゃーんと月影になつく。
月影、烏帽子袿でため息。(出仕もできない・・・)

月影、やっと宮中に出仕。
―陣定(じんのさだめ※)に参加―

(続く)
※「仗儀(じょうぎ)」:内裏の陣の座に公卿が集まって行った政務についての評議。今の内閣における会議、閣議のようなもの。
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この女四宮のキャラ設定、ほぼ原作通りです。会話もキャラに添うように作りました。
いやはや、二宮に並ぶほどのキャラ立ちぶりに、原作を初めて読んだ時目が丸くなりました。


上卿「今年の受領功過(ずりょうこうか※)の定めについて・・・」
月影、上の空で、女四宮が「今日はお早く帰っていらしてねvv」という様子を思い出している。

月影、ぶんぶんと頭を振る。
(我ながら恋しい女三宮様以外の女性にどうして愛が分けられるのか、けしからぬ事だ・・・)(←その前に仕事に集中せい!)

―こうして時が経っていった―

月影、自室で烏帽子袿姿で脇息にもたれかかり、思いにふける。
(女三宮様・・・どれだけ文を書いていないだろう・・・)
(文を書きたいけれど、女四宮様にきっと見つけられてしまう。)
(・・・そうしたら女三宮様にもご迷惑がかかる・・・)

―三条宮

暗く落ち込む女三宮を、中納言の君が見ている。

※任期が終る受領の業績を判定する政務。特に所定の貢進の完納、公文の遺漏なき提出と正確な記載について審査された。除目に先立ち、また除目の途中で、陣定において議定された。(『講談社学術文庫 御堂関白記現代語訳』頁388)
現代の組織に当てはめてみたら、内閣が知事の勤務評定をするようなもの。
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中納言の君(最近全く月影様から御文が来ない・・・)
(人の心は何とまぁ情けなくも思いがけないものだわ・・・)

女三宮、雑念を払うように読経に集中している。
中納言の君(以前はあれほど仰っておられたのに、結婚されてからはパタリとやんで・・・)

中納言の君、目を閉じる。
(月影中納言様を女三宮様のもとへ手引きしたのは間違いだったわ・・・)

「3-8、さめぬ夜の夢」

―秋になり、故皇后宮の喪も明けた。

内裏で、水尾帝がにこにこしながら、宮中に戻った女三宮を眺めている。
水尾帝(皇后宮にますます似てこられて、一段とお美しくなったことよ・・・)

― 一方、関白殿は自邸で勤行に余念がない。
関白(皇后宮が無事、蓮のうてなの上に生まれ変われますように・・・)

関白(ああ・・・月日がたつほどますます鮮やかに皇后宮の面影が匂い立つ・・・)

―ある八月の月が大層明るい明け方―

関白は、勤行の途中、脇息にもたれてうとうとしていた。
烏帽子に袿、手には数珠を持っている。

・・・と、(関白殿・・・)と故皇后宮の声が関白の耳に聞こえてきた。
関白殿は驚いて、顔を上げた。(皇后宮の御声!)

すると、目の前で若い頃の皇后宮が大層思い乱れた様子で浮かんでいらっしゃる。
どことなく影が薄く、切なげな瞳をされていらっしゃる。

関白は目の前の事実を信じられず、「どうして・・・」以外の言葉がない。

皇后宮は涙をこぼしながらこうおっしゃった。
「さめぬ夜の 夢のちぎりの かなしさを この世にさへも そへてみるかな」
(無明長夜の闇の夢の中でのあなたとの契りの悲しさが、子供の世代になっても続いているのを見る事です・・・)

皇后宮「あなたの御心遣いはめったにないものと感謝申し上げておりましたけれど、あなたとの契りのせいで大変辛い思いをした一生でございました・・・」

皇后宮は目を閉じて、袖を口元に持って行き、つぶやいた。
「私と同じ様に思い悩んでいる人の様子を見るのが、とてもつろうございますから、慰めてやってくださいませ・・・」

そうおっしゃって、皇后宮はぼうっっと消えていかれた。
関白は手を伸ばして、「皇后宮!お待ち下さい!」と引きとめようとした。

・・・そこで、関白は目を覚ました。

(今のは夢だったのか・・・)
関白は、上を向いて、ひとしきり涙を流した。

関白(・・・しかし、あの皇后宮の御言葉はどういう意味なのだろうか・・・)
(子供の世代になっても・・・?)

関白ははっとして、(まさか、深雪姫に何か?)
廊下を走って行き、深雪姫の部屋の御簾を開いた。
深雪姫は朝の御手水を使っている。

深雪姫はぽかーんと関白を見上げた。
「どうなさったの?父上・・・こんな朝早くに・・・」

関白はほっとして、「いや・・・何でもない・・・」

関白の思案は続く。
(東宮様の事は私がしっかり御後見をすると御約束したし、恋の悩みを持たれているとも見えない・・・)
(二宮様に関しても、恋の悩みは持っておられなさそうだし・・・いや、そもそも二宮様はお悩みになるのか?)
(では、女三宮様の御事だろうか・・・?)
(しかし、女三宮様に私は何も出来るわけはなし・・・)

関白、首をひねって、
「わからぬ・・・」

「3-9、御国譲り」

―水尾帝の御譲位は八月に決まった。次の帝には東宮(嵯峨帝)―皇后宮腹の一宮がお立ちになられる。
次の東宮には水尾中宮腹の兵部卿宮(三宮)がお立ちになった。

水尾中宮は、誇らしげに言い放った「とうとう私の時代よ!」

水尾帝は二宮を御前にお呼びになって、心配そうに見ている。
(二宮が心配だが・・・今回も皇后宮腹の皇子を東宮に立てることは世間が許さぬし・・・)
(せめて位階を進めて封禄官爵を与えよう。)

―当の二宮は、従者から帝が位階を進めてくださった事を聞くと、
何の関心もなさそうな表情で「位階が上がった?あっそ。」

急に真剣な表情になり、ビシッと従者を指差して
「それより、まろにとって大事なのは音羽の姫君の行方じゃ。」
「あの姫は一体どこに行ってしまわれたのじゃ・・・」

しんみりと肩を落とし、ぼーっと空を仰いだ。

従者1「二宮様は、あの夜以来腑抜けの様になってしまわれた・・・」
従者2「心配だよ・・・」

従者1「以前は、この女が駄目ならすぐ次の女に関心が移られていたのに・・・」
従者2「今度は一体どうされたのだろう・・・」

―水尾院は女三宮を連れて三条宮に移られた。

―関白の姫君(便宜的に嵯峨尚侍と呼びます)の嵯峨帝への入内は、八月中に決まり、関白家はその準備に大童。
指図する女房、縫い物をする女房、調度を整える女房があわただしく行き交っています。

―八月末に嵯峨尚侍が入内、藤壺にお住まいになられ、嵯峨帝の御寵愛を一身に集めておられます。

関白、水尾中宮の御前で御簾越しに「深雪姫の東宮への入内も同時にしたいのですが・・・」

水尾中宮はホクホクとした表情で、
「帝と張り合うように見えるのも良くないので、十月にでもしましょう」と返事をした。

―三条宮では

水尾院が、仏間で女三宮と共に読経をしている。
水尾院(退位して、やっとゆっくり仏道修行が出来るようになった・・・)
(―いずれ出家したいが・・・気にかかるのはこの女三宮の事・・・)

(一体どの様な身の振り方が、女三宮にとって一番幸せで安心できるだろう・・・)

「3-10、山道の絆(ほだし)」

―あるのどかな夕暮れ―
―関白が、三条宮の水尾院を訪ねた。

水尾院、伏し目がちに・・・
「位を譲って、心残りになる事はなくなりましたが、女三宮の事が出家の足かせでして・・・」
「御子息の月影中納言を婿にと望んでおりましたが、中宮がわざわざ思い立たれた事をこちらから言い出すことが出来ませんで・・・」

院、関白を見詰めて、
「そこで・・・改めて女三宮をあなたの大勢おいでになる奥方の列に加えていただけませんでしょうか・・・」

関白、ドキン!(院が女三宮様の私への降嫁と私による後見を望んでおられる!)
(皇后宮の御言葉の意味はこれだったのか・・・)

(回想:皇后宮「慰めてやってくださいませ・・・」)

関白、焦りながら真剣な顔で考える。
(女三宮様は皇后宮様にさぞ似ていらっしゃる事だろう・・・)
(皇后宮様もあの夢の中でお認め下さっていらしたようだし・・・) (←自分の都合のいいように解釈しすぎでは?)

関白、恭しく頭を下げて「謹んでお受けいたします。」
院、喜色満面「おお!良かった!」

院(今日、明日にでも出家したい・・・)
女房達に「なるべく早く婚礼の準備を進めるように!」
女房達、嬉しげに「はい!」

―何も知らされていない女三宮は・・・
(三条宮の中が騒がしいのはなぜかしら?二宮が結婚でもするのかしら?)
と首をひねっていた。

「3-11、千賀の塩釜」

― 十月二十日 ―
水尾院は、女三宮を呼んでこう言った。
「宮や、今日そなたは関白殿のもとに輿入れするのだよ」

女三宮は混乱して、「え・・・?」「どういう事ですの、父院様・・・。」

水尾院は晴れ晴れした表情で、
「私が心置きなく出家できるように、関白殿にそなたの後見を頼んだのだよ。」
「関白殿は快く引き受けて下さった・・・」

女三宮はその言葉を聞いて頭がくらっとなった。

水尾院、しんみりと
「関白殿は立派な御方だ。二十歳位年上とは思えないほどお若く見えるし・・・」
「そなたもきっと気にいると思う。朕が女なら輿入れしたい位じゃ。」

女三宮、何とか崩れ落ちそうな体を支えながら、「は・・・はい・・・」
(月影様の御父上と私が・・・?ち・ちょっと待って、頭が混乱して・・・)

―女三宮の気持と関係なく儀式は進んでいく。
女三宮は夢の中にいる様な気持で関白邸の寝殿に入った。

―月影中納言の母であるもとの北の方は、身分の高い女三宮に寝殿を譲って、対の屋に入る。

月影中納言母、沈んだ様子でため息をつく。
(中年になってこんな憂き目を見るなんて・・・)

―二条宮

水尾中宮「何と!兄上が女三宮を北の方に!」
水尾中宮はいまいましげな表情をし、扇を口元へもっていった。
(先手を打って女三宮と月影中納言の婚儀をつぶして、
女三宮を後見のない不安な状態にしようとしていたのに)
(院にまんまとしてやられたわ!)
(それを受ける兄上もずいぶんと若作りですこと!)

―女四宮の部屋にいた月影に、従者が耳打ち。
月影、さっと表情を変え、「えっ?女三宮様が」
(父上の・・・北の方に・・・?)

―関白邸、元北の方の御前で、女房が憤慨している。
「あちらは女三宮様を下にも置かぬおもてなしぶりですとか。
天下の関白様も若い女に腑抜けにさせられては・・・」

元北の方は「お黙り。はしたない・・・」と制する。

―寝殿では―

関白がしどけない姿態の女三宮を眺めて・・・
(皇后宮様と生き写しの御姿、御顔立ち、御声、物腰・・・)
そして、単一枚の女三宮の体を抱きしめて髪を一房取り、頬ずりした。
(そしてこの肌触り、冷たい髪・・・)

(・・・まるで皇后宮様を抱いているようだ・・・)

―女三宮は、関白の胸に頬を乗せて横たわった。
(月影様よりすこし優しく抱きしめられる腕(かいな)、厚い胸板、月影様と同じ男らしい眉・・・)

女三宮は頬を染めて微笑んだ。
(月影様の事を忘れることはできないけれど、関白様も素晴らしい御方・・・)
(それに何より、胸にもたれていたら、今まで感じたことのない安心感が・・・)

(お父様、私を関白様の北の方にしてくれてありがとう・・・。私、何とかやっていけそう・・・)

―翌朝―

月影は関白の部屋に来て、女房に「父上は・・・?」と聞いた。
女房、神妙に「・・・まだ、宮様の所で休まれておりまして・・・もうすぐ起きてこられると思うのですが・・・」

月影、やりきれない表情をする。

関白、晴れ晴れとした表情で居間に出てくる。
「おお!待たせたな」

月影、思わず父をぎっと睨んでしまう。
関白、(え・・・)と驚く。

月影、我に帰り、頭を下げる。

関白、真剣な表情で考える。
(―今こそ、月影のおかしな行動に合点がいった。―月影は女三宮を慕っていたのだ。)
(もう何度か通じたのかもしれない。宮は初めてではなかった。)

関白の頭の中でまた皇后宮の言葉が響いた。
「あなたとの無明長夜の契りが・・・」

関白、一人になって頭を抱える。
(院に頼まれたとは言え、我ながら軽はずみな事をしたものだ・・・)
(この年になって女の事で息子から恨まれるとは・・・)

(―とはいえ・・・)
部屋に入ってきた関白を見つけて、女三宮が嬉しそうに振り向き「殿!」と言う。

関白(一晩でも宮と離れているのは我慢できない・・・)
関白は女三宮をお姫様だっこする。女三宮、安心しきって体を委ねる。

月影は寝殿を背中に向けつつ、名残惜しそうに後を振り向いて歌を詠んだ。
「あさましや あまのつり舟 こぎかへり はてはみなるる ちかのしほがま」
(何と言うことだ。あの方を求めて船出してから、漕ぎ帰って見ると、
見慣れた邸内のごく「近く」にあなたがいらっしゃるとは。)

―二条宮

月影は女四宮と共に部屋で寛いでいる。しかし時々深いため息をついて、涙を溜めながら空を仰いでいる。
その様子を女四宮が見て・・・
(どのような事が殿の御心を占めていらっしゃるの?)
女四宮は思い切って聞いた。
「何を考えていらっしゃるの?」

月影はさりげなくごまかしていった。「何でもないよ。」

女四宮は、月影の袖をガシッとつかんで詰め寄った。月影、少しぎょっとする。
「うそ。誰か他の女の事を考えていらっしゃるのでしょう。」
月影、振り払おうとぶんぶんと袖を振りながら、
「だから、違うって。」

女四宮、わっと泣き崩れる。
「なら、証明して下さいませ!」
「私の事が好きって、一番って、おっしゃって下さい!」

そして、わーんわんわんと号泣。
月影、女四宮を見て、(もう、しょうがないなぁ・・・。)

月影、女四宮を抱きかかえて御帳台に連れていく。

―翌日、関白邸・中納言の君の局

月影が中納言の君に迫っている。「・・・だから、何とか宮様のもとへ手引きしてくださいよ。」

中納言の君、激しく反駁。
「とんでもございません!そんな事が見つかったら私は関白様にどんなおとがめを受けるか・・・」

中納言の君「仮に関白様に見つからなくても、人として恐ろしい事ですわ!」

中納言の君は毅然と言い放った。
「私には、宮様に父・息子両方と通じさせるなんて言う恐ろしい事は出来ません。」
「―以前は、宮様は独身でしたから、ご協力いたしましたけれど・・・」

月影はそれ以上は何も言えず、がくーっと肩を落とした。
(それじゃあ私の気持のやり場はどこにあるのだ・・・)

「3-12、水の音」

―時雨が激しく木の葉を散らす夕暮れ―

月影は関白邸の寝殿の廂で立って外を見ていた。
(寝殿―こちらに女三宮様はいらっしゃるのだ・・・)

月影は悲しげな表情をした。
(とはいえ、父上と結婚されてからは、直にお目にかかるのも難しくなる一方だ―)
月影は座り、下に流れる遣り水に目をやった。

月影の両目から涙が溢れてきた。
月影は袖で目を押さえ、匂欄にもたれかかった。

月影(近頃は、昼となく夜となく あなたを思う涙に袖も濡れているのに、その上遣水の音までもが、恨みがましく聞こえて、いっそう涙を誘われる。)
(時わかず しぐるるころの 袖にまた かごとがましき 水の音かな)

月影はふらっと立ち上がった。
(深雪姫の御様子も見に行くか・・・)

深雪姫の部屋は、女房達の話す華やかな声が御簾の外まで漏れてきている。
月影(こっちは前よりも仕える女房が多くなって陽気な雰囲気だな・・・)

月影は深雪姫の部屋の御簾を上げた。

深雪姫は月影の姿に気づき、少し顔を上げた。
月影はそんな深雪姫の様子を見て、どきっと胸を高鳴らせた。
(何て美しいのだ!)

(菊の花の色を様々に押して織り込んだように見える二重織物。その上に同じ色の小袿を重ねている・・・)
(取り繕わない御髪、目元が不吉なほど華やかだ・・・)

月影の目から大粒の涙がぽろぽろと落ちてきた。
(ああ、何てあのつれない方と良く似ておられるのか・・・)

深雪は訳が分からず、(何でお泣きになっていらっしゃるのかしら?)と頭の中で疑問符が一杯になった。

月影は涙を流しながら、「あなたともしこの世でお目にかかれなくなったら、どんなにか心細いだろうかと思っているのですが・・・」
「・・・あなたはそうはお思いにならないようですね」

深雪はますます訳が分からず(どうしていつも恋人への恨み言の様な事をおっしゃるのだろう・・・)と考えた。
女房達は遠くできゃぴきゃぴと盛り上がっていて、月影の異様さには気づいた様子はない。

深雪、不安げな表情で「・・・どうしていつもそんな風にばかりおっしゃるのでしょう・・・」

(ああ、その気配、女三宮様そのものだ・・・!)
月影の両目から滝の様に涙が溢れ出してきた。
************************************************************************
妄想と現実の区別がつかないお兄ちゃん、その二。今回は際どい事をしてしまう。私でもちょっと引いてしまいました。

月影はしゃがみこんで、ずい、と深雪姫に近寄った。
「どうしても忘れられない夕べの空に見た御方に、あなたは良く似ておられます。
美しいあなたはあの方と縁続きという訳でもないのに。」
「身にしめし 夕(ゆふべ)の空に 似たるかな よそふる色の ゆかりならねど」

深雪姫は月影を避けるようにのけぞった。

月影はそれに構わず、涙を流しながら、
「どんなにか変だとお思いになる事でしょう。あなたを見ると、その方を思い出し、思いを鎮める事ができなくなるのです。」

月影「あなたに怪しからぬ事をするつもりはございません。」
「ただ、あの方と似たお顔とお声で、『ああ可愛そうに。思えば成り行きも分からぬままに、儚い契りだったことよ』とでも、慰めていただきたい」

深雪姫は、怒涛の様に話す月影についてゆけず、ぽっかーんとしている。

「そのお言葉にすがって、何とかこの世に生きていきましょう。」
月影は突然、深雪姫を抱きしめた。

(な・・・一体どういうつもり?)
深雪姫は気色が悪くなり、袿の中に顔を埋めて、避けようとした。

月影は涙を流しながら、なおも訴える。手で、優しく深雪姫の髪を撫でながら。
「いかにも納得のいかないのは当然です。今までこの事は心の中に閉じ込めておりましたが、切なく思い余った私の心の中を訴える相手もなく・・・あなたを信頼して申し上げました。」
「せめてただ一言、『かわいそうに』とでも・・・。馬鹿な男と御恨みにならないでください。」

深雪姫はただ震えるのみ。

月影(ああ・・・女三宮様と同じ香りを使っておられる・・・)
「私の魂が入り込んでしまった人の袖に、あなたの袖をなぞらえると、返って切ない思いがつのるばかりです。」
「たましひの いりにし袖に よそへても なかなか物ぞ いとどかなしき」

月影はようやく深雪姫を離した。
深雪姫は震えながら、ついっと横を向いて歌を詠んだ。
「契りをこめた妻でもない私が、どうして浮かれ出たあなたの魂を引き止める事ができるでしょう。」
「むすぶべき つまにもあらぬ さごろもに うかれんたまを いかがとどめん」

月影はその横顔にも見惚れている。(何と美しい・・・)

と、後からドヤドヤと女房達が近づいてきた。
「もう暗くなってしまったわ」「早く格子を閉めないと!」
月影はハッと我に帰った。

月影はすっと立ち上がり、
「奇妙な事とお思いでしょうが、それだけの訳もあるのだろうとお思い下さって、情をおかけ下さい。
決して怪しからぬ振る舞いはいたしませんから。」

そう言って部屋を出て行った。
深雪姫はほっとして、力が抜けたようにへたり込んだ。
(兄上、何だかこわい・・・)


****************************************************
今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「巻八」

8ー1 昔の教え

東宮は七月に即位した。
藤壷大宮(今度こそは、先帝の様な事が起こらないよう、私が気をつけていなければ!)
その横で、帝が目を伏せる。
(余りにあっけなく亡くなられた兄上・・・。世間では、故・月光皇太后様への想いが遂げられなかった故としきりに噂している・・・)
(今度は母宮をそんなお辛い目にお合わせしないよう、女色には気をつけ、ひたすら世の政治を正しくして、民が安らかに過ごせるよう努力しよう!)

(朕の即位にあわせて入内した按察使大納言の姫君や式部卿宮の姫君は余りぱっとしない御容姿だけれど・・・)
(契りを結んだのも前世からの縁。余りうとうとしくしてはかわいそうだ・・・)

帝は交互に二人を上の御局に召された。


8ー2 玉敷く庭

ある日、帝が急に重病に倒れられた。
藤壷大宮(前代に引き続いて、何て事!私の徳が至らないためかしら?)
「典薬頭を呼びなさい!そして、僧正や阿闍梨に力の限り祈祷をさせなさい!」

月影関白、藤壷大宮、心配そうに帝の顔をのぞき込む。

帝、寝床の中で涙を流しつつ、
(こんなに健康にも政治にも女色にも気をつけているつもりだったのに・・・母宮に御心配をおかけしてしまうなんて・・・)

ー 八月十五日夜、清涼殿の上の御局。
格子も上げたままで、脇息にもたれかかり、藤壷大宮は月を見ている。

藤壷大宮(あれは八月十五日の事だった。女帝がおっしゃったお言葉や琴の音色までが、たった今の出来事の様な気がする・・・)
藤壷大宮、涙を流して、袖で拭う。そして、脇息にもたれかかったまま、うとうとする。

藤壷大宮の目に、女帝の在りし日の姿が見える。大宮の表情が晴れやかになる。
女帝はちょうど外にでようとし、藤壷大宮に気づき、振り向く。
女帝、昔よりも自信ありげに、少し困ったように言う。
「君ゆゑは いたらぬかたも なきものを なに人しれぬ 袖ぬらすらん
(あなたの為に、私はあらゆる事に気を配っているのですから、
どうしてそんなに人知れずお泣きになる必要がありましょうか。)」
「ともすると泣いてばかりいらっしゃる御様子は困りましたね。」
そして、女帝は少し顔を傾かせた。

藤壷大宮、嬉しげに女帝のお召し物の褄を引っ張ろうとする。

女帝 
「あか月を たましく庭に まつ人を ふかきにごりの 袖はかわかず
(あなたが無明長夜を抜け出して来られる日を、
玉を敷いた極楽でお待ちしています。
それなのにこの濁世でいつも泣いていらっしゃるとは。」
「お会いすることをお考えなさいませ。俗世の色を早く捨てて」

女帝、藤壷大宮の手から、袖をぱっと取って出ていく。

藤壷大宮「帝・・・」と言い、袖を顔に当てて泣く。

と、藤壷大宮、ゆっくり目を開ける。
(・・・夢だったのね・・・)
藤壷大宮、悲しげな表情をする。
涙をこぼしながら空を見ると、満月は一点の曇りもない空に澄み上っていて実に静か。

藤壷大宮、急いで帝の御寝所に行く。
帝、元気そうな御様子で座り、涙にくれている。

松風左大臣、伺候していた人々、うとうとと一斉に眠ってしまっていた。

藤壷大宮「帝、御体の具合は・・・」
帝「全く問題ありません。・・・今、先々帝が朕の夢にお出でになって・・・」
藤壷大宮「私の夢にもお出でになりました。」

帝は母の顔を見詰めながら、
「朕の在位は三十六年間とはっきりおっしゃって、
『もし今後も御身にいささかでも故障があったら、これを煎じてお飲みください』とおっしゃって、
一房の御花を・・・」
帝は神璽の箱を指差した。藤壷大宮はそちらを見た。

神璽の箱の上に、綺麗な花が置かれている。
藤壷大宮(女帝が残してくださった霊薬だわ!)
「水晶の容器を作って、納めなさい!」

水晶の中に花が入れられた。

三条院はそれを聞き、にこにこ。
「なんとめでたい事よ。女帝が帝の御病気を治して下さったとは・・・」

8-3、柞原(ははそはら)

―九月頃、松風左大臣は春日大社に御参詣になった。
春日明神から、次の様な御神託があった。

「ははそはら やへたつきりは へだつとも たづねててらせ 秋の夜の月
(母親は深い霧で遠く隔てられていようとも、
なおその彼方に捜し求めよ。)
ぼやぼやしているではないか」

松風(春日様は、私には他にも子がいるので探せとおっしゃっている・・・。はて?全くそんな心当たりはないが・・・)

今の北の方・女二の宮との間に何人かの若君を儲けた他に、召人との間には子はできていないし・・・。
昔熱烈に愛し合った三条院の麗景殿女御との間にも、子はなかったはずだが・・・。
私と女御との間を取り持ってくれた女房が亡くなってしまってからは、女御と連絡を取る手立てがない・・・。

―当代の斎宮には、三条院と麗景殿女御との女一宮がお決まりになった。

麗景殿(忍草姫君を潔斎の場である野宮に一緒に連れて行きたいけれど、決まりがやかましくてそれも難しい・・・)
(昔安心して忍草姫君を預けた母宮はなくなられているし、私が育ててきたようなものだから、乳母もいないも同然だし・・・)

(忍草姫君を女一宮の側に置いておいて、女房風情の身分と思われるのもしゃくだし・・・)
(どうかして、実父の松風左大臣様に譲り渡してしまいたい・・・。でも、今頃になって言い出すのも気が引けるし、全く音信不通・・・どうしたものかしら・・・)

麗景殿は、後ろ髪を引かれつつも、忍草姫君を邸に置いて、女一宮とともに野宮に移った。

ー 一方、松風は・・・何とかして麗景殿女御の邸に人目を忍んで近づいた。

松風(ん?女御が野宮に移ったのに、人の声が聞こえるぞ?)
(渡殿の辺りに若い人が大勢いる気配が・・・もう一人女主人がいるのか?)
(んん?昔こちらに通い詰めていた時に、召人ではないがよく話を交わしていた少将の声が聞こえるぞ・・・よし、試しに・・・)

松風は扇を鳴らした。

少将(あら、有明右大臣様がいらっしゃったのだわ)
少将、妻戸を開ける。

松風「本当に意外だという気がなさるだろうが、思いがけず前を通りかかった機会に昔話もしたくてね」

少将(あ!これは有明様の声ではない・・・誰?あ・・・松風左大臣様!)
(でもなぜこんな所まで・・・?)

少将「ひどく年寄りになってしまいましたせいか、昔の事もおぼつかなくて・・・」
松風、笑いだして、
「私をお忘れとは残念ですな。「水の白波(※)」というあだ名を付けてくださったほどですのに・・・」

少将(あ、松風様が新妻の女二宮様のもとにいそいそと帰られるのを皮肉ってつけたあだ名を覚えていらっしゃったのね。)
「ホホホ・・・それくらいの事は気がつきましたわ。まあお気の毒様。簀の子では失礼なようですわね。」

松風(肝心な事を聞く前に、大騒ぎされたら、困る・・・)
「そんな座り場所の事よりも、私がおたずねする事にごまかさないで答えてください。」
少将「もちろんおたずねをはぐらかしたりはいたしません。」

松風、真剣な顔をして、
「こちらにいらっしゃるのは誰ですか。女御様は初斎院に御移りになったと聞きましたが。」

少将(またまずい事を・・・)
すました顔で「こちらには誰もおりません」
松風「これがはぐらかさないということになりますかねぇ。」腕を組んで、首を傾げる。

そして、灯のともっている所を指さして、
「あの灯の見えるところ、あれは?誰かいらっしゃるようですがねぇ。」
少将(まぁ、御姿が見えてしまったのかしら・・・)冷や汗をかく。
「あの方は・・・故斎宮(麗景殿の母宮)の叔母君様が、後に残してお亡くなりになりました方でございます。」
「故斎宮様が大変御かわいがりになってらしたので、女御様が母宮様のご意向にお添いになって、大切にお世話されている方でございます。」

松風(全く機転の利く女房だ・・・こちらとしても粘らねば・・・)
「おいくつほどでいらっしゃるのか。まじめにこの方の素性をお話ください。」
少将、目をそらして
「さぁ、最初からお世話していた方ではございませんので、何歳でしょうか。」

松風「どうも情けない。そういう口の下から嘘がばれるじゃないか。長い年月の間にもあなたのお声を忘れていないのは殊勝な事とお思い下さいよ。」

少将(ああ・・・昔、松風様が明けても暮れてもお通いになっていた頃を思い出すわ・・・)
少将の胸はきゅんとなった。
「まだ、お小さい程度・・・十二、三(年表見て計算)歳頃でございます」

松風(あ!十二、三年前といえば、女御との御仲が絶えた頃・・・)
(あの頃、女御は長患いをされていたっけ・・・)
(私の子を懐妊していたとは、思いも寄らなかった・・・)
(本当に私の子かどうか確かめてみたい!)

松風「その姫君を見せて下さい。故斎宮の御叔母君が後に残して置かれたという人なら、女御殿は格別気にはしていらっしゃらないだろうから、私にあなたがお見せになったところで、それほど罪が重いことにもならないでしょう」

少将、笑いだして、
「どなたの御子にしたところで、私の一存ではどうにも」

松風「なんと憎らしい。実によく分かったよ。・・・それでは、その子は女御の御姫君だね」
少将、手で松風を制するようにして、
「こんなおっしゃり方は昔と変わっていらっしゃいませんわね」
松風「いかにも簀の子は失礼とおっしゃった通りだから、お部屋に入るのは許していただけるはずだな」
と、戸を引き開けて入った。
少将「あらいやだ、絶対にー」

松風、障子を引き開けて、中を覗く。
少将、笑いながら側に来る。

忍草姫君は、灯影のもとで、草子を読みつつ、首を傾げている。

松風、ドキンとする。
(なんと、御髪のかかり具合や、御顔が女御様にそっくり・・・)
(でも、鏡に映る自分の面影とも似通っている・・・)
(まさしくあの姫は、私と女御様との御子・・・)
松風の目に、涙がにじんでくる。

松風、少将に
「女御殿などには、今夜の私の気違いじみた振る舞いを決してお聞かせにならないように。もしそんな事があったら私が言い訳しよう。」
「思いがけず通りかかったところ、少将の君が引っ張り込んで、女御殿の御姫様を見よ見よといわれた、というつもりだよ」
少将、困った顔をして、
「全く、松風様ったら・・・」


8ー4 忍ぶ草

松風、帰りの牛車の中で
(何と可愛らしく育ったものか・・・!)
(何でもいいからただ盗み出してしまいたいが・・・)
(女御殿に事情を確かめてからの方がいいかな・・・)

翌朝早く、松風は野宮に参上した。
おーしー、おーしーと先払いの声がする。

女房「先払いの声ですわ。兄上・有明右大臣様のお越しですわね」
麗景殿、うなずく。
前駆「松風左大臣様のおなーりー・・・」
麗景殿、えっ?と驚いている表情。

松風、のんびりと辺りの景色を見渡してから、野宮の上達部が伺候する部屋に入る。

女房達焦って、
「誰がお返事申し上げればいいかしら、誰がいいかしら」

側近女房が麗景殿に
「普通の人では御失礼でしょうから、どうか女御様御自身が・・・」

麗景殿は激しい動悸を押さえながら答えた。
「わかったわ・・・」

麗景殿、御簾にき帳を添えて、応対。
女房「女御様が御応対なさいます。」

松風、美しい様子でしずしずと出てくる。麗景殿、その姿を見て、顔を真っ赤にしてうつむく。
麗景殿「思いもかけず、畏れ多いお運びと承りまして驚いております」

松風、じーんとする。
(ああ、あの声、昔のままだ・・・)

松風「三条院と同じ邸におられるなら、院も女院もお世話してくださるので、御安心だと存じておりましたが、めでたく初斎院(※)に御移りになりましてからは、心細いだろうと御心配しておりました。」

松風「早速にお伺いしたいと存じながら、つい取り紛れてしまいまして・・・」
松風、御簾の中の様子をうかがう。
(女房は大勢お仕えしているのだろうか、また女御様とお会いできるのだろうか・・・)
松風 「露ふかき みち行ずりの ふるさとに 人のしのぶの草を みしかな
(露のしどとに下りた通りがかりの昔なじみの場所で、
あなたがこっそり育てていらっしゃる姫君を見つけたことです)」
「私に隠していらっしゃったとは情けない・・・」
松風の目から涙がこぼれる。

御簾の中で麗景殿は息をのんだ。
(松風様は、忍草姫君をお見つけになったのだ・・・!)
「こととはで かれにし軒の しのぶ草 露きえずとも たれかたずねん
(訪れても下さらないで
お別れしたままのあの子の事を、
たとえ生きておりましょうとも、
誰が訪ねて下さるものですか・・・)」

(あ・・・涙がこぼれてしまう・・・女房達に見つかっては大変・・・)
麗景殿は膝行して奥に隠れた。

松風、その気配を聞き、
(女御様は奥に入ってしまわれたか・・・)
松風、立って空を見る。時雨がさっと降ってきて、木の葉が落ちる。
松風、笛を心のままに吹いて、御簾の中に向かって歌を詠んだ。

「うきふしは いふかひもなし ふえ竹の よのまにとはん しるべだにせよ
(いやな思い出は今更いってもはじまらないが、
せめて夜間に訪れたいからその手引きをしてください。)」

麗景殿、その歌を聞き、
(人に聞かれては・・・でも嬉しい・・・)
麗景殿は、呉竹の風流な枝に、同色の雁皮紙の大層柔らかいのを美しく飾り付け、下女を通して、松風の御随身に渡した。

松風、麗景殿の文を開いて読む。
麗景殿 「こゑたてて うきなもらすな ふえ竹の よのまのみちは ことかよふとも
(お口に出していやな噂を漏らさないでくださいませ。
たとえ夜の間に言葉を交わすことがありましても。)」

ー 麗景殿女御の邸

少将、思いにふける。
(あれからどうなったのだろう・・・女御様に私がしかられやしないかしら・・・)

使者が反物や蒔絵の器物などどっさり贈り物を持ってくる。
「松風左大臣様より、御文と贈り物です」

松風の文「そなたのおかげで、忍草姫君とも会えた。これは少しだが私からの感謝の気持ちとして・・・。」
「今晩伺うから、姫君の出立の準備をしておくように。」

忍草姫君と松風の対面。忍草姫君嬉しげ。
松風は、忍草姫君を女二宮へ、亡くなった女性の遺児だといって紹介した。
女二宮「若君達ばかりで、退屈していたけど、新しく姫ができて、世話のしがいがあるわ!」

8ー5 蛍雪

しばらくして、松風左大臣の姫君・忍草姫君が入内した。
帝、忍草姫君を見て、息をのむ。
(何という美しさだ・・・朝夕側にいたいが・・・)
ぶんぶんと首を振る。

帝(いかんいかん!先帝は女の事で命を落とされたのだから!)

帝は、バランスを取って、順番に女御達を上の御局に呼んだ。

帝は、毎日夜が明けるとすぐ、大極殿や豊楽院の修繕に精を出し、
古いしきたりを再興し、絶えているものを継続させようといつも考えている。
御代変わりが続き、院達や宮々が多くいるので、御荘園の数が多くて国々が迷惑がったため、その幾分かは削ったり停止させた。たとえば、故女帝が帝に奉献した荘園などは、すべて止めさせた。

その頃、嵯峨院が崩御した。
帝は、年老いた上達部が亡くなったら、後任を任命せず、無駄な人員を削減した。
贅沢な行いはつつしみ、
学才がある人には手厚く庇護を与えた。
大学寮や勧学院が再興され、家柄が高い家の子供達も、勉学に励むようになった。
宗教界においては、最高の名僧を登用。

月影関白が死去し、松風左大臣は大将を兼任のまま、内覧(※)をした。

※内覧:平安時代以降、太政官から天皇に奏上する文書を、摂政・関白または宣旨を受けた大臣が前もって読んで処理する事。また、その処理をする役職。


8ー6 初瀬詣で

有明右大臣は、三十八歳になった。
(私は独身のまま、一生を終わるのかな・・・)

有明は、祈願の件があり、長谷寺に参詣するついでに、奈良で二、三日過ごした。
そこで、ある小柴垣の家の中をかいま見した。

従者「ここは、巳講(三会巳講師の略。宮中の御斎会、薬師寺の最勝会、興福寺の維摩会の三会の講師を務めあげた僧をいう。有識三綱の一つ。)僧の家です。」
有明「ふーん・・・」

有明、突然目を大きく見開いて、愛らしい女性を見詰める。
(おお!何と美しい!若い頃の松風に似た女性がこんな所にいるなんて・・・)

有明、声を震わせながら、
「あの娘は・・・?」
従者「巳講僧の妹の尼君が長年育ててきた娘だそうです。」
有明「・・・ぜひ、尼君にお会いしたい・・・」

尼君は几帳を隔てて、有明と対面した。
尼君「昔、私は月影関白様のもとに、中臈女房としてお仕えしておりました。ある時、関白様のお情けをうけ、あの子を懐妊いたしました。」

「私は北の方(女四の宮)様の嫉妬深さはよく存じておりますし、その頃は水尾女院様もいらっしゃったので、私はお二人にどんな仕打ちをうけるかと、恐ろしさに体が震えてきて・・・」
「生まれた女の子は病気で死んだ旨を関白様に申し上げて、ここに逃げて来ました。」

有明「そのような事が・・・」
(あの姫は松風の異母妹・・・だからあんなに似ているんだ・・・)
有明「あの姫は確かに関白様の御娘なのですね」
尼君「もちろんです!私が男女のちぎりを結んだのは、後にも先にも関白様ただお一人です!」

有明、にっこり笑って、
「なら、私の北の方として迎えるのに何の不都合もない。姫を私の北の方としていただけるでしょうか。大事にいたします。」
尼君「!」口を押さえて、喜んで涙ぐむ。

有明右大臣は、その娘を北の方に迎えた。
有明(後涼殿中宮の耳に入るのは困るし、世間の人が面白おかしく噂するのも嫌だが・・・)

北の方、うれしそうに振り向いて「殿!!」
勢いよく抱きつく。
有明、北の方をしっかり抱きしめて
(ああ、何とこの上もなく愛しい人よ・・・!!)

8ー7 幼な心

<四十三年>
三条帝:三十九歳
後涼殿女御(涼瀬姫):三十九歳
藤壷女御(藤姫):三十九歳
麗景殿女御:三十七歳

松風中将:三十八歳
有明中将:三十八歳

百合宮(前斎宮):三十五歳

二宮(東宮):二十歳
三宮:十歳

忍草姫:十二歳
初花姫:九歳

*********************

藤壷大宮の三宮は、東宮として十歳を迎えた。

三宮は、三条院に遊びに来た。「父院!」
三条院「おお!東宮か、こっちへおいで!」
三条院、髪を撫でて、
「こんなに大きくなって・・・母宮はお前の小さい時を朕に全く見せてくれなかったからのぅ・・・。」
後涼殿、初花宮をつれてくる。

初花宮、嬉しそうに「父院!」
後涼殿「東宮様、いらっしゃっておりましたか」
東宮、初花宮をじっと見て、
(とってもかわいらしいな・・・)
「ねぇ、父院、宮と遊んできてよろしいでしょうか」

三条院(先帝は、叔母の月光皇后宮に恋いこがれて命をおとしたが、東宮と初花宮は異母兄妹どうしだし・・・。まさかそんな事は起こらないだろう・・・)
「おお、いいぞ」
東宮「やった!」

東宮、三条院の壷庭で、花を摘み、冠を作って、初花宮にかぶせる。

初花宮、にこっと笑って、
「わぁ!東宮様、ありがとう!」
かわいく、東宮を上目遣いで見る。
東宮、ドキッ・・・(なんで、私はこんな気持ちになってしまうのだ・・・)

ぶんぶんと頭を振って、
(いかんいかん、異母妹にこんな気持ちを感じては・・・)

三条院、藤壷太皇太后、後涼殿皇后がそろって四十歳になるので、皆がこぞって四十の賀の準備をしている最中ー

月光皇太后がお亡くなりになってから嘆き続けておられた深雪女院が崩御した。
それにより、四十の賀は中止となった。

<四十四年>
三条帝:四十歳
後涼殿女御(涼瀬姫):四十歳
藤壷女御(藤姫):四十歳
麗景殿女御:三十八歳

松風中将:三十九歳
有明中将:三十九歳

百合宮(前斎宮):三十六歳

二宮(東宮):二十一歳
三宮:十一歳

忍草姫:十三歳
初花姫:十歳

********************************************

そして、翌年、三条院が突然病に倒れ、危篤となった。

三条院、後涼殿皇后を枕元に呼んで、
「後涼殿、ずっと朕のそばにいてくれて、ありがとう。」
後涼殿、泣きながら、三条院の手を握る。

三条院「ただ一つ心残りなのは、朕がそなたに子を与えられなかったこと。」
後涼殿、目を張り裂けんばかりに見開く。
(院!初宮が院の子でないと気づいていらっしゃったの?何て事!)
三条院「姫花宮の様子を見ていた時、ふと気づいたのだ。」
「朕が藤壷大宮のもとに長く滞在していたときに、あやつにまた押し入られたのだな。可哀想に・・・。それに気づいてから、朕は極力そなたから離れないようにした。」
後涼殿「申し訳・・・」
三条院、後涼殿を手で制して、
「そなたにも、姫宮にも罪はない。悪いのはそなたを長い間一人にしておいた朕なのだ。」
「・・・が、深雪女院もいない今となっては、そなたを一人残していくのも心配だ。姫宮がいてくれてよかったかもしれぬ・・・。」
「先に極楽で待っているぞ・・・」

周りの人達が大慌てで院の手に五色の糸を巻きつけ、それを阿弥陀如来の像と結びつけた。
三条院は念仏を唱えながら往生した。

後涼殿、三条院の体にすがりつき、
「院、院・・・!」と泣き叫ぶ。

その頃、有明右大臣は乳母にささやいていた。
「三条院崩御のごたごたの内に、初花宮を盗み出してしまおう」
乳母、半泣きで
「そんな・・・恐ろしゅうございます・・・そして、後涼殿様があまりにも御不憫で・・・」
有明「今を逃したらいつ初宮を自分の手元におけるか!」
「いずれ落ち着いたら必ず初花宮は後涼殿と会わせるから。」
乳母「本当でございますね・・・!」

有明、初花宮の部屋に向かいながら、
(ある時、初花宮を垣間見し、その瞬間自分の子だと確信したのだ。
院のもとから私の子を取り戻してやる・・・)

初花宮の部屋
乳母「宮様、お起き下さい。母宮がお待ちですよ。」
初花宮、目をこすって、
「ん・・・」

有明、初花宮をふわっと抱き上げる。
初花宮(え・・・?母宮のお香りと違う・・・)
有明「やっと会えた。わが娘よ・・・」

後涼殿の部屋で、後涼殿が一人で泣いている。
女房「大変です!初花宮様のお姿が、急に消えました!」
後涼殿「何ですって!」後涼殿、倒れる。

後涼殿(院のみならず初花宮までいなくなってしまって・・・。私はこの先どうやって生きていったらいいの・・・)
(死んでしまいたいけれど、自殺したら罪深くなり院と同じ蓮の上にはいけない・・・。)
(私にできることは出家して院の菩提を弔い、初花宮の無事を祈ることだけ・・・)

後涼殿は出家した。
東宮「何と!初花宮まで亡くなられてしまったとは!」
後涼殿「はい。風邪かと思っていましたら、悪い病気だったようで・・・」
(本当の事はどうして言えよう・・・)
東宮「皇后宮様・・・お痛わしゅうございます・・・」
(あの可愛らしかった初花宮が・・・これ以上そばにいたら、私がけしからぬ心を抱いてしまうから、御神仏が御隠しになってしまったのか・・・何とも悲しい事だ・・・)

・・・と、そのうち、有明右大臣が、出自の明らかでない御娘を大切に育てていらっしゃるという噂が世間に広まった。
有明「そうか・・・そんな噂が・・・何とか世間体を繕えないかな・・・」
従者「北の方を、長年邸に仕えてきた女房だったということにして、姫君もその間に出来た子だという噂を流させたらいかがでしょうか?」
有明「それはいい・・・早速頼む!」

初花姫君(=初花宮)の部屋
初花姫君、ひっくひっくと泣いている。
「母宮様・・・淋しいよぅ・・・」
有明が入ってくる。
初花姫君「あ・・・父上・・・」
有明「ごめんな。母宮の所から急につれてきてしまって。でも、そうでもしないと母宮は決してそなたを渡してくれなかっただろうから・・・」
初花姫君、有明を見上げて
「私の父上は院・・・じゃないの・・・?」
有明、ぐっと息を飲み込んで、
「・・・これにはいろいろ事情があるのだが、とにかくそなたの父は私なのだ。さ、並んでごらん。」

二人、並んで鏡に映る。
有明「・・・よく似ているだろう・・・」
初花姫君(本当だ・・・瞳の色なんか、そっくり・・・)

有明「ところで・・・そなたを東宮様の女御として、入内させることにした。」
初花姫君、どきっとする。
「えっ?兄上様に?」
有明「しーっ、滅多なことを・・・。そなたは私の娘。東宮様とは兄妹でも何でもない。初花姫君は、今まで兄上と思っていた方の所へ入内するのは、嫌かい?」

初花姫君、顔を真っ赤にして、
「い、いえ、とんでもない!」
(ああ・・・愛しい兄上様と結婚できるなんて!夢のよう!)
有明、ちょっと淋しげに、
「初花姫君はもしかして、東宮様をお慕いしているのかい?」

初花姫君、こくんとうなずく。
有明「じゃあ・・・そなたが院の姫宮だったことは決して言ってはならないよ。全く別人として入内するのだ。そうしなければ・・・」
初花姫君、ごくんと息を飲み込んで、真剣な目で有明を見る。
(父上も母宮様も、院をたばかった大罪人となり、私も東宮様のお側にいれなくなる・・・)

初花姫君の瞳からまた涙が流れてきた。
「なら・・・もう二度と母宮様にはお会いできないのかしら・・・」


内裏では、藤壷大宮が空の月を見て、女帝を思いだして、涙を流す。
(故女帝様・・・院は極楽へ旅立たれました・・・もうお会いになられたでしょうか・・・)
女帝の面影「この世の色をのみ・・・」

藤壷大宮、すっと前を見据えて、
(私は院が崩御されても、髪を下ろさず政(まつりごと)を見ている・・・)
(故女帝からしたら、この世の煩悩に執着しているとお見えになるでしょう・・・)
(でも、今の主上がもう少ししっかりするまでは、引退できないわ!)

8ー8 妹背山

<四十五年>
後涼殿女御(涼瀬姫):四十一歳
藤壷女御(藤姫):四十一歳
麗景殿女御:三十九歳

松風中将:四十歳
有明中将:四十歳

百合宮(前斎宮):三十七歳

二宮(東宮):二十二歳
三宮:十二歳

忍草姫:十四歳
初花姫:十一歳

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新年が明けて、先帝の喪が明け、東宮の御元服が行われた。
有明は、初花姫君の御裳着の式を急いで準備し、腰結い役として松風左大臣を呼んだ。


松風、有明と共に酒を飲みながら、
「なんと、そんな姫君がいたとは・・・なぜ私に一言も教えてくれなかったのか。」
有明「そなたこそ、忍草中宮の事を長年隠していたではないか」
松風「ま・まあな・・・」
頭をかく。

有明「ところで、初花姫君を東宮に入内させたいと思ってな、そなたに協力してもらえないかと・・・」
松風「何と!初花姫君を東宮様に!」
「しかし、その姫君は言っちゃあ悪いが、素性もはっきりしないような元家女房の北の方との娘なのだろう?」
「いくらそなたが右大臣だとて、立后は難しかろう・・・まずは尚侍にいれて様子を見てみては?」

有明「・・・いや、実は、姫はある高貴な方との子で、北の方は、月影関白様の落とし種でそなたの異母妹なのだ。決して素性は卑しくない。」

松風、驚いて「・・・それは、どういう事だ?」

有明「昔、美しく高貴な方をお慕いしていた。その方は人妻で、私など相手にしていただけなかったが、人目を忍んで熱心に通い詰め、ある時、思いを遂げた。」
「その方はそれからも私に冷淡で、全くお会いする機会はなかったが、あの一回の逢瀬で、姫を身ごもったらしい。」
「その方は姫を夫との子として育てていたようだが、夫が死に、彼女も出家するとの事で、残された実娘が不憫で、邸に連れてきてしまったのだ。」

松風「・・・姫の事は良くわかった。では、北の方は・・・?」
有明「実は、初瀬参りの途中、奈良に立ち寄って垣間見をした時・・・」

有明は北の方との出会いを、松風に説明した。

松風、涙を流して「今までそうと知らなかったとは・・・」

松風「私が少年だったころ、邸で北の方の母君を見たことを思い出した。器量なども悪くはなく、とても感じのいい人だった。」
「ひどく物を思い詰めて、渡殿の戸口で沈み込んでいたのを見つけた私は、何も言えず、彼女をただ見つめていたのだ。」
「彼女は袖を顔に押し当てて、私に背を向けて泣き伏し、こんな歌を口ずさんでいた。」

「おもひわび よものあらしに まよひなば とまらぬ露を 人もしらじな
(私が困り果てて、四方の嵐の中にさまようようになったら、
あとに遺った子の事をあの方は構っても下さらないだろう。)」

松風「私は不審に思って、彼女の背をゆすぶってみたところ、振り向き私の姿を見て、目は真っ赤に泣きはらしていたものの、少し微笑んで、

「このままお目にかからない事になってしまいましたら、大人になってから思い出してくれるかしら。」と言った姿が切なくて、胸が詰まった。」

松風「妙なおあいこの事を言うようですが、実は忍中宮の母は、故・式部卿宮(二宮)の御落胤の方でしてね。・・・彼女はもう早くに亡くなってしまったのだが・・・」
(有明に本当の事をあかしたら、麗景殿様がひどく気まずい思いをなさるだろうから・・・故・式部卿宮様もこの位は許してくださるだろう・・・)

有明、感動して涙を流す。
(松風も私の異母姉妹と縁を結んでいたとは・・・私達は何という深いつながりをもっているのだ・・・)

松風「もしよろしければ、北の方と対面させてはくれないだろうか。我が妹と聞いて、急に顔を見たくなってしまった。」
有明、涙を拭きながら「どうぞ、どうぞ!」

松風、部屋に入る。北の方、几帳の端から少し顔を出す。
松風(何という美しさ・・・妹の藤壷大宮に今少し愛嬌を添えたような・・・)
(独り寝が跡形もなくなったのも無理はない・・・)

北の方も、(兄上・・・)と感動して泣いている。

8ー9 初草

まもなく有明は松風と協力して初花姫君を東宮に入内させた。

東宮、初花姫君の顔を見て、どきっとする。
(院の姫宮にうり二つだ・・・。まるで彼女が私の為に生き返ってくれたかのよう・・・)

東宮と初花姫君、二人並んで手習いをしている。女房達、遠くに座って控えている。
東宮、初花姫君の後ろからこっそりと話しかける。
「変な事だけれど、あなたがどう言う訳か以前慕わしく思った方の御様子にうり二つでいらっしゃるのがいっそう嬉しく懐かしくて・・・」

初花姫君、どきん!(東宮様も私の事を・・・)
嬉しくて涙がこぼれる。

東宮(あ、泣かしてしまった・・・。そんな他の女の事を言われて、嫌な気がしたのかな。)
東宮、ドギマギしながら、言い訳する。
「あ、そんな変な意味じゃなく、妹宮の事なのですが・・・」
「どんな御縁がおありだったのですか。初花宮といってお亡くなりになった方は、あなたの御様子にほんの少しも違う所がおありでなかった。」

初花姫君、ますます涙を流す。(それは私なのです、私なのです!)
そして淡い墨付きで歌を書いた。

「よそへては これもはかなく きえねとや 草葉の露の おきまがへけん
(露ばかりも とおっしゃいますのは、
その亡くなられた方と同じように
私も儚く死んでしまうとの暗示ではないでしょうか)」

東宮、その字を見て(淡い墨付きも似ておられる・・・全く不思議だ・・・)
東宮、初花姫君の歌の横に歌を書き付ける。
「はつ草の ながくをむすべ おきとむる 露のひかりは それとみゆとも
(行末永くあなたとの縁を続けていきたいのです。
例え儚くなった人の姿に似ていようとも。)」

初花姫君、東宮に抱きつく。
東宮、初花姫君の髪を撫でながら考える。
(小野の里のあたりに、心細くお住まいの後涼殿皇后宮。その方の慰めに、亡くなられた姫宮によく似ておられるこの姫をお目にかけたいなぁ・・・)



<おまけ>

8ー10 小宰相

初花姫君・・・今は有明右大臣の御息所には以前百合宮に仕えていた小宰相が仕えている。
有明の北の方が無難な女房を探していたので、有明の御乳母である小宰相の叔母が、百合宮に「私の代わりに仕えてほしい」と言った。
百合宮が小宰相の手を引き寄せたり、涙を注ぎかけたりしながらも、渋々退出のお許しがでた。

小宰相は誰の目にも好もしい申し分のない人で、御息所の御用向きの事を大人らしい分別で指図をしたり、来客に会ったりなどした。

小宰相の兄・兵衛佐(ほっ・・・。叔母様さすが。よくぞあのきちがい宮のもとから連れ出してくれた。)
兵衛佐は学問を積んで、今上の帝から目をかけられ、蔵人弁と呼ばれていた。妹の為にも細かく目を配り、兄妹お互いに仲良くしていた。

小宰相は百合宮に時々、御文などは差し上げた。

百合宮(有明右大臣家は今、東宮様の舅でとても威勢がいいと言う・・・。なんとかお知り合いになりたいわ・・・そうだ!)
(風流な文を書いて、小宰相がそれを右大臣家の方々に「風流な御文で・・・」とか見せたら、私の趣味の良さが広まるわ!)

百合宮、何とも言えないいい匂いのする紙に墨色も取り繕って文を書く。
(これでどうだ!)

小宰相、文を読んで、「まぁ、いい香り・・・」たたんで、しまう。
(さ、御几帳や壁代が汚れていないか、女童、下女がきちんと仕事をしているか、点検しに行きましょう!)

風流な事にはとんと関心のない小宰相であった。

終わり

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これで、『我が身にたどる姫君』全て終わりです。
長らくおつきあい頂き、ありがとうございました!
皆さんはこの物語を読んでどんな事をお感じになられましたか?
私は不思議にも爽やかな読後感を感じました。登場人物の大半はひどく意地悪ではなく、それぞれがそれぞれなりに満足する結末を迎えたからではないかと思います。

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「巻七」

7-1 鴛鴦の毛衣

女帝の御葬儀の折、三条院御自身が嵯峨院にいらっしゃった。
嵯峨院「三条院御自ら参列など、とんでもない事です!」
三条院「朕はどうしても参列したいのです。させて下さい。」

三条院は御葬儀の後も嵯峨院から出ず、勤行に精進している。

嵯峨院、三条院のそんな様子を見て、涙を流す。
(院は娘の事をこれ程大切に想って下さっておられたとは・・・)

三条院、つがいの鴛鴦(おしどり)の羽根の上に、初霜が降りるのを見る。
行幸の折の明け方の女帝の面影を思い出す。
「かさねきる をしのけごろも ころもへず ふるきまくらと とこのくちぬる
(二人で袖を重ねあった
鴛鴦の毛衣の思い出ばかりが鮮やかなのに、
あれから幾日も経たないうちに、
もう旧枕・古衾となって
朽ち果ててしまったことだ。」

女帝に仕えていた人達は、全て嵯峨院に移ってきて、墨染めの衣に気替え、朝夕念仏をして女帝の立派さを偲んでいる。

ある日、女房が「月影摂政殿のお越しです」と報告。

三条院は、御簾越しに月影摂政と会う。
三条院「先帝が崩御されて、
ますますこの世は仮初めのものと
思い知った。
どうも政治には全く関心を持てない。
政治は藤壺皇后宮と相談して
執り行うように。
皇后宮は先帝の御意向を
良くご存知だから」
月影摂政「はっ・・・」

7-2 手枕

四十九日が明けた頃、夜に院は三条院に少し帰った。
三条院(いつもは真っ先に母女院や
後涼殿中宮の元に入るが・・・
今日はそんな気になれぬ。)
(女帝と共寝をした寝殿にまず入って、
女帝を偲びたい・・・)
褥は共寝をしたままにされている。三条院の目から、どっと涙が溢れる。
「しら露と 人はきえにし 床の上に それがうつり香  またにほひつつ
(白露の様に儚く逝ってしまわれた寝床の上に、
その人の移り香がなお匂い続けている。)」

三条院(今夜をここで明かすのも、
後涼殿に気の毒だとは思うが・・・)
夜が明け、空が白んで、人々が格子を上げに来る。
三条院(今日は母女院の方へも
御挨拶に行かなければ・・・)と、衣をのけた。
と、女帝の形見の髪が落ちているのを見つけた。三条院はそれを拾い、目をつぶって頬を寄せた。
「手枕の あだにとまりし あさねがみ これこそながき かたみなりけれ
(手枕を交わした床に空しく落ち残った朝寝髪・・・
これこそ亡き人をいつまでも偲ぶ形見の品だ。)」

三条院は母女院にご挨拶した。
深雪女院「本当に久しぶりに御顔を拝見する気がします。
こんなに長く離れていた事はなかったので・・・」

次に三条院は後涼殿中宮の部屋に行き、顔を見た。
後涼殿「院、お会いしとうございました。
こちらは一人では淋しすぎます。」
三条院は悲しげに微笑んで、
「あなたの事をこんなに深く思っているのでなければ、
こうして戻ってはこないでしょうに。
でも、忌中の間は勤行も心安くしたいと思いますから。」

三条院は、日が暮れてからまた嵯峨院に戻った。
後涼殿はその後姿を見送りながら、
(院はそんなに先帝の事をお慕いしていたの・・・
一番愛されていると思っていた私が
浅はかだった・・・)上を仰ぎ見て、
「世をてらす 露のひかりの きえしより うつろふきくの 色ぞつれなき
(世の中を照らしておられた
露の光・・・女帝・・・がお亡くなりになって以来、
院の御心の何と冷たくお変わりになったことか・・・)」

嵯峨院、三条院の牛車の到着した音を聞く。
「あれはどなたの車の音か?」
女房「三条院様です」
嵯峨院は驚き、また涙を流す。

その後、女帝の御法事が盛大に行われた。
そこに、藤壺皇后宮はほとんど真っ黒の喪服で出席した。
藤壺皇后(本当は私と先帝は従姉妹の間柄だから、
軽服(きょうぶく:薄ねずみ色)で良いのだけれど・・・
私と先帝は晩年はまるで姉妹の様に過ごしたし、
何よりも私が先帝のために濃い喪服の色を着たい・・・)
(だから重服(黒)に染めさせた。)

女帝の御猶子であった東宮は、本当の重服で、黒い色の喪服を着て過ごす。
女帝の一周忌も過ぎ、三条院も元の院へお戻りになった。

7-3 右大臣の姫君

新帝・葉山帝の即位の儀式があった。御母の藤壺皇后宮は、考えがあり、女院ではなく、太皇太后(太皇太后の別称は「大宮」なので、以後、藤壷大宮と呼びます)に上がった。
月影摂政「私も太政大臣に登るべきだろうが、
病気が完治してなくてな・・・」
「しかし、新帝の添臥として入内すべき姫を
松風左大将も有明右大将も
持っていないのがなんとも淋しい・・・」

その頃、右大臣は年頃の姫君を大勢持っていて、末娘を大層可愛がっていた。
右大臣、にこにこして、
「こんな折に居合わせるなんて。
私は運が良かった。」

右大臣は月影摂政邸に出かけて、御簾の外から摂政におうかがいを立てた。
「我が末娘を新帝に添臥として入内させて
よろしいでしょうか?」
月影、少し考えて・・・
「差し支えあるまい。
しかるべき方々がやがてお生まれになるだろうが、
それまでは良かろう。」
右大臣、ヤッター!と大喜び。せっせと準備に取り掛かる。

内裏、葉山帝、その話を聞いて、
「右大臣の姫が入内するのですか・・・」
(以前に右大臣の容貌を見た事があるが・・・
愛嬌はあるが、平凡な顔立ちであった。)
(父院の女御達の内で一番劣っていると言われた
麗景殿の女御・・・彼女と良く似ているらしい
有明右大将は、右大臣と比べ物にならないほど
華やかな顔立ちをしている。)

葉山帝、口を尖らせて、
「然るべき女性がいないなら、
必ずしも女御が入内しなくても
いいです」
藤壷大宮(まぁ、気が進まないのだわ・・・)

藤壷大宮はこの旨を父摂政に伝えた。

月影摂政「そうは言っても・・・
右大臣がその気になっておられる事を
今になって止めさせると言うのは
まことに酷だ。
そして、帝の添臥として、大臣の娘がいないと
格好もつかない・・・」
そして、おどけたように、自嘲する様に付け加えた。
「全く、近頃は私達の家でさえ、
帝にお似合いの年頃の娘を持つ事が出来ず、
帝の後見になるどころか、
次の東宮の準備役になり下がって、
帝に軽く見られ申すとは、
辛い話ですね」

藤壷大宮、ため息をついて、
(父上は、帝が自分の言う通りに
右大臣の娘を喜んで妻にしない事を
冗談ぽくこぼしているんだわ・・・
でも、無理やり入内させても
きっと二人の間は上手く行かないと思うわ・・・)

7-4 古りにし花

<三十四年>
三条帝:三十歳
後涼殿女御(涼瀬姫):三十歳
藤壷女御(藤姫):三十歳
麗景殿女御:二十八歳

松風中将:二十九歳
有明中将:二十九歳

月光一品宮:二十七歳
百合宮(前斎宮):二十六歳

葉山帝:十二歳
二宮(東宮):十一歳
三宮:一歳

忍草姫:三歳

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新年、正月の三日、葉山帝が御元服なさり、十四日に女御が参内なさった。
殿上人「右大臣殿は、華美を尽くして儀式を飾られているが・・・」
殿上人2「左右大将が参列されないので、見栄えがしないものですね・・・」

葉山帝、ため息をつく。
(ああ、亡くなられた先帝は、
とてもお優しい様子でこちらへ
いらっしゃったな・・・)
(お召し物の香りも
とても良かった・・・)
母大宮、そばにいて、葉山帝の顔を見て、にっこりする。
(母宮も大層きりっとしてお美しい・・・)

葉山帝(父院はそういう風で
お幸せでいらしたのだろう。)
(それに及ばない程度の人と連れ添ってゆくなんて、
生きていく甲斐がない!)

その夜、女御は上の御局に上がられ、帝と同きんされ、女御の母がフスマをかけた。
暗い中、二人が眠っている。女御、緊張して身じろぎ。葉山帝、眠ったふりをして、そっと手を握る。
(ほっそりと華奢な御様子だ・・・
かわいらしいなぁ・・・)
葉山帝、女御を抱きしめる。


翌日昼、葉山帝は女御の部屋にお渡りになった。
女御、頬を染めて、帝を見上げる。「主上・・・!」
葉山帝(どこと言って難のない顔形であるが・・・)
(才気も輝きも感じられない・・・)

葉山帝(年配の母大宮と比べても見劣りがする・・・
全く味気ないものだ・・・)
帝は、しょんぼりと朝餉の間で物思いに沈む。
乳母、そんな帝の様子を見て、
(いつになく沈んでいらっしゃる。
お珍しいこと。)
(え?涙を流していらっしゃる?)
乳母、藤壷大宮に、必死な様子で報告。
「主上が涙ぐんでいらっしゃいます。
とてもお痛わしい御事です。
御入内の翌日にこれはまた
どうした訳でしょう。」
藤壷大宮「まぁ・・・」(やはり・・・)

藤壷大宮、葉山帝の許に来て、
「どうしてしょんぼりとなさっておられるの。
御本でもご覧なさいませ」
葉山帝、大宮の方を見て、甘えるように、
「こうしておりますと、
いつもここへいらっしゃった
先帝の御様子が思い出されて来て、
恋しくてなりません。」
「東宮をとても御可愛がりに
なっておりましたが、
幼い頃からほんの僅かな事でも
差別なく、私も同じように
扱って下さったのが嬉しかったです。」

葉山帝、そのまま顔を伏せる。
「がそれも、あれ程のお美しさでなかったら、
こんな気持ちにはならなかったでしょう。」
藤壷大宮、呆れたように帝の顔を見て、また顔を上に。
(困ったことになったわ・・・。
女は顔だけじゃないのに・・・。)

女房「松風左大将様のお越しです」
松風、葉山帝の沈んだ様子を見て、びっくり。
(御入内の翌日なのに!
喧嘩でもなされたのか?)
葉山帝、下を見ながらほろほろと涙を流して、
「をりてなほ かはらずにほふ 花ならば 春のかひある 雲井ならまし
(右大臣の女御が私の妻となって、
先帝と同様にいつまでも美しいなら、
宮中も春を迎える甲斐があるでしょうに。)」

松風、それを聞いて、
(女帝はどれほどのお美しさだったのだろう・・・。
このお若い帝でさえもこれほどお心を惹かれなさったとは・・・)
(御在世の間にはっきりと見届ける事ができなかったのが悔やまれる!しかし・・・)
松風、少し厳し目な口調で、
「本日はおめでたい日。
涙を流すことは慎まなければなりません。」
葉山帝、ムッとして、
(松風は何やら小難しい事を言う・・・)

7ー5 御身の傷

一月の二十日余りに、葉山帝は三条院に行幸になった。
三条院(故女帝の行幸もこのようであった・・・)と、涙を流す。
三条院(お、そういえば大宮の行啓は昨日だと言っていたが・・・)
藤壷大宮からの文「風邪の具合が良くないので・・・」
(結局、帝と一緒に来たな・・・)
(前々から、帝の行幸の機会にお会いしたいと
何度も申し上げていたのに、
いつも朕を避けるような行動をされる・・・)

さっそく、三条院と藤壷大宮との御対面がある。
藤壷大宮「大層お久しぶりで・・・
とてもお健やかな御様子で、安心いたしました。」
三条院「大宮も相変わらずお美しい・・・」
(女帝と常に御一緒におられたからか、
前よりも自信がついて輝きが増したように
思える・・・)
(その手は女帝の最後を看取った手・・・)
三条院、じっと熱っぽい目で藤壷大宮を見る。
藤壷大宮、目をそらして、
(困ったわ・・・私はもう院とは
男女の関係になるつもりはない。
死ぬまで先帝の面影を大事にしたいの・・・)
「ああ、主上の御様子を見にいかなくては」
藤壷大宮は席を外した。
三条院(全く風情のない・・・
先帝はそんな格式張った態度ではなかったぞ)
周りを見て、
(真っ昼間に、こんなに人目が多くては、
しみじみと夫婦の語らいなどできやしない。)

葉山帝が三条院に拝賀の舞踏(拝舞)をし、返礼に院が帝に拝舞をする。月影関白は感動して、二人の様子を見ている。
葉山帝「管絃の遊びもないのですか?
時間があるので、深雪女院お祖母様の所へ御挨拶に参りましょう」
藤壷大宮、にっこり(ほっ・・・院から離れられる)
「そういたしましょう」
三条院、フンと鼻を鳴らして、不満げな表情。

葉山帝(十二歳)、深雪女院と月光皇太后(二十六歳)を見て、絶句。特に月光皇太后宮を頭の先から足の先までじろじろと見て、
(華やかに辺りまで溢れでるようなお美しさ・・・
世の中にはこんな御方もいらっしゃるのか・・・)
月光皇太后、見られて少し決まり悪そうにしている。
(お祖母様も、出家の御姿とも思えず、お美しい・・・)
深雪女院「どなたのことも、ただ母大宮と御同様に思し召しなされませ」
葉山帝、かしこまってうなずきながら、ちら、ちらと月光皇太后を盗み見る。
深雪女院(まぁ、本当に可愛らしい・・・
それでいて、賢そうにお話をきいていらっしゃる。
いつの間にこんなに成長なされたのかしら・・・)

そして、歓談している内に、夜が更けた。
三条院、そわそわとする。
(今夜こそ、大宮にお会いできる!)
女房達が還御の用意をしているのを見て、
三条院「ん?どうしたのだ?」
女房「大宮様が今夜中に還御なさるとの事で、
御用意を・・・」
三条院、泣きそうになって、
(何と言うことだ!
どこまで朕を避けるのだ!)
三条院、月影関白に詰め寄る。
「全くもって呆れた御振る舞いだ!
朕と大宮は歴とした夫婦ではないか!
これは関白の差し金か?」
月影関白(・・・・・・。)絞り出すように、
「とんでもない。
大宮はまだ御風邪が治りきっていないから・・・」
三条院「見た限りでは、治りきっている様に見えたが?」
月影関白、目を閉じる。
(許せ・・・娘よ・・・)

藤壷大宮の部屋で、大宮、ため息をついて、
(父関白は私と帝を置いて
一人帰ってしまわれた・・・。
どうやって院を防ごう・・・。
今夜は後涼殿様の所で
過ごして下さったらいいけれど・・・)
三条院、部屋にふっと入ってきて、明かりを吹き消して、大宮の横に座り、手を取る。

三条院「なぜ、朕をさけるのだ?
朕が嫌いになってしまったのか?」
藤壷大宮「とんでもございません。
・・・ただ、先帝の崩御後間もないですし・・・」
三条院「嘘おっしゃい。
先帝の御在世時から、朕を避けておられた。
退位するまではあんなに喜んで朕を受け入れてくれたのに。」

藤壷大宮の頭の中で、三条院の退位の時の様子がよみがえった。
(そう、忘れもしない。
退位された時に、院の御心の在処がわかったからなのよ・・・)
三条院は藤壷大宮を抱きしめ、衣の中に手を差し込んだ。
藤壷大宮「あっ・・・院・・・おやめ下さい・・・」
三条院「大宮・・・会いたかった・・・」

翌朝、御帳台の中、三条院は安心して藤壷大宮を抱いて寝ている。二人は袴を履き、衾のみを体に掛けている。
藤壷大宮、悔しそうに涙に濡れている。
(先帝との思い出を胸に、
もう男女の修羅の道とは無縁でいたかったのに・・・
女の身とはふがいないものよ・・・)
ズキッ・・・
藤壷大宮(院の御所行で、
私の体にも、心にも傷が付いてしまったような
気がする・・・)

それから三条院はいろいろと工夫して、藤壷大宮を七、八日間ほどひきとめて、御寵愛した。

後涼殿の部屋で、後涼殿、ため息。
(この何日間か、院は大宮様のもとへ
行かれたきり・・・。
そうよね、久方ぶりの逢瀬ですもの。)
(いずれ帰って来られるとは
わかっているけれど、
何だか都合のよい女として扱われているようで、
寂しい・・・)

一方、藤壷大宮も、頭をフル回転させている。
(どうやって院のもとから逃げだそう。
どうやって・・・)
三条院「え?もう出るのか?」
藤壷大宮「主上の事が心配ですから。
じきにまたこちらにうかがいます。」
三条院(もっと長くここに、と言いたいけれど、
言えぬ・・・)
恨めしげな目で、大宮を見る。

藤壷大宮、内裏への還御の車の中で、ほっとため息をつく。

内裏の朝餉の間で、葉山帝、月光皇太后の姿を思い出して、ため息をつく。
藤壷大宮(女御と会うのが辛いのかしら・・・
押しつけてしまって本当に可哀想に・・・)

7ー6 月日の色

四月、月影関白は太政大臣を辞し、女御の御父である右大臣が太政大臣に上がった。有明右大将(二十九歳)は右大臣に、松風左大将(三十歳)は左大臣になった。

有明右大臣の妹・麗景殿女御は、姫宮をつれて、三条院に入内した。
有明右大臣自身は、独身を通している。夜になると、月を仰いでは後涼殿にあこがれるばかり。
太政大臣、有明右大臣に、
「右大臣殿に、私の姫君を差し上げたいのですが・・・」
有明右大臣、ちょっと笑っただけで、何も言わず。
(あまつ空 みえし月日の 色ならで 袖にけぢかき かげはならさじ
(大空に見えた月や日の様な
光り輝く美人でなければ、
身辺に誰も近づけたくない。))

有明(松風が独身の時には二人でしみじみできたのに・・・)
(女二宮様を北の方にしてからは、
すっかり仲睦まじく落ち着いている。
・・・ああ、つまらぬものだ。)

7ー7 逃れぬ契

三条院行幸から三月ほど経ったある日・・・藤壷大宮、吐き気がこみ上げる。
「うっ・・・胸が・・・」
女房「まさか・・・大宮様、おめでたでは?」
藤壷大宮(そんな・・・まさか・・・
この年で懐妊なんて、恥ずかしい・・・)
「この事は秘密にしておくように。」
女房「何て事を仰います!
おめでたいことではございませんか!」
「すぐに月影関白様にお知らせして参ります!」
藤壷大宮「待ちなさい!待って・・・」

月影関白「何と!大宮が御懐妊!」
顔が明るくなる「この年でまた孫の顔が見れるとは・・・」
女四宮、にんまり「大宮の御宿運は何とお強い事・・・」

三条院、院は、女房の耳打ちを受けて、
「何と!大宮が御懐妊・・・」
(何と・・・これほどまで二人の宿縁は
切っても切れないものだったのだ・・・)
几帳の陰で、後涼殿はそれを聞いて、はっとして、また沈み込む。
(どうして私には御子ができないの?)
(大宮様には何年ぶりかの逢瀬でも子を授かるのに・・・
私は生まれた時同様、やはり祝福されない星の下で
生きなくてはならないの?)

内裏で、藤壷大宮、三条院からの文を読む。
三条院「御懐妊の事を聞きました。大層嬉しい。
また大宮の顔を見たいので
ぜひ三条院に退出してくるように。」
藤壷大宮、はっと息を出す。
(とんでもないこと。)
「関白邸へ退出します。車を用意して。」

月影関白邸へ藤壷大宮到着。
藤壷大宮(ああ・・・しつらいも昔の出産のままだ・・・
気持ちが落ち着く・・・)
(よもや院は臣下の家である
こちらへはいらっしゃらないだろう・・・)
月影関白「大変だ!院がこちらに!」
藤壷大宮「えっ・・・」

月影関白と三条院が対面。
月影関白「まさか院自らお出でくださるとは思いませんで・・・
大変むさ苦しい所で申し訳ございません・・・」
「しかし・・・この年になって院にここまで思われて・・・」
袖を目にあてる
「娘は幸せ者です・・・」

藤壷大宮も感動して目を潤ませて、
(本当に・・・まさかここまで来て下さるとは・・・
院の御心を疑っていた私が恥ずかしい・・・)
(そしてこの年で出産したら今度こそ死んでしまうかもしれない・・・そう思うと不安で・・・)
三条院、大宮の肩に手をかけて、
「この年でまた子を授かるとは。
滋養のある物を食べて、元気な子を生んで下さい。」
藤壷大宮「はい・・・」
今度は院に寄り添う。

7ー8 秋の露

三条院はしばしば関白邸で藤壷大宮とあっているので、三条院の建物は人少なである。その隙をねらって、有明右大臣が後涼殿中宮を求めて、周りをうろうろとしている。

有明(ああ・・・なまじ高い位にのぼったばかりに、
女房と語らって手引きしてもらう事もできない・・・)

有明、周りをうかがう。
(院が関白邸に足繁く通われているこんな折りにしか機会はないのに・・・)
(あ!鍵を掛け忘れた妻戸が!)

後涼殿の部屋、御帳台の中で目をぱっちりと開けて後涼殿が横たわっている。
(なぜ私には御子が授からないの・・・?)
後ろでガサガサと音がして、ふっと香りがする。
後涼殿(あ・・・あの時の男の匂いと同じ!)

後涼殿(まだ、私をつけねらっていたなんて・・・)
御帳台を出て、後ろに隠れる。
(どうしよう。一人になりたくて、
女房達を局に下がらせてしまったのが、
間違いだった!誰か・・・)

有明、後涼殿に後ろから抱きつく。
有明「ああ・・・お会いしたかった・・・」
後涼殿「いや・・・」と身をよじらせる。有明、後涼殿を御帳台に引きずっていく。後涼殿は泣いている。
(いや・・・二度までもこんな目にあうなんて・・・)
後涼殿「あ・・・あ・・・やめ・・・ぐっ・・・」
有明に口づけで口をふさがれる。

しばらくして有明が出ていった後、後涼殿は上半身裸のまま、涙に濡れた目で、力なくうつ伏せになっている。そして手をついて半身をあげ、有明の出ていった方向を恨みのこもった目でにらむ。

帰る牛車の道すがら、有明は夢見心地。
(ああ・・・何というお美しく可憐な姿・・・かぐわしい香り・・・)
(あの昔の逢瀬は今に比べると物の数ではなかった・・・
私の魂も体から抜け出て、後涼殿様のそばでとどまっている様に思える・・・)
「身にしみて むかししをれし 秋の露 またおきそへて きえやはてなん
(昔、悲しみに打ち萎れて骨身にしみる思いをしたが、
今再び秋に一層涙を流して私は死んでしまうのか。)」

有明(こんなにうつけた状態の時に
御所に行きたくはないが・・・)
(今日開かれる評定は、松風左大臣が参内しないから、
右大臣である私が一の上(管轄者)になって評定を采配しなくてはならない。)
(全くどうしよう・・・)

後涼殿中宮、悔しくて突っ伏して泣いている。
女房「院のお戻りです!」
後涼殿、はっとして衣を見る。
(あの男が無理矢理私の衣と交換した衣・・・)
(こんなものが見つかったらえらいことだ!)
「この衣をすぐに隠しなさい!」
後涼殿、鏡を見て、涙で前髪が丸くなっているのに気づき、櫛けずって整える。

後涼殿、昔と違ってにこやかに笑って三条院を出迎える。
三条院「良かった・・・何事もなかったようだな・・・
昨晩、妙に胸騒ぎのする夢を見たので、
心配で戻ってきたのだ・・・」
後涼殿、ドキッとして表情が固まる。
三条院(おお、久しぶりに見ると、後涼殿は相変わらず美しい・・・)
「今夜はこちらに泊まろうな・・・」

夜、御帳台の中で後涼殿を抱きしめて寝る三条院。後涼殿、目を開けたまま何かを考えている。

7ー9 皇子誕生

十月、藤壷大宮は男皇子を安産された。女四宮がさっそく抱き上げてかわいがる。

三条院、院がその報告を聞く。
「何と!男皇子であったか!
すぐそちらに行こう!」
後涼殿、ぎくりとする。使者、すまなそうに、
「大宮様は、まだひどく取り込んでおりますので・・・と御辞退されておりまして・・・」
三条院「何と・・・残念な事よ。
産まれたばかりの赤子の顔を見たいのに・・・」
後涼殿、「うっ・・・」近くの角盥に吐く。
三条院「どうした、中宮!」
「この三月ほど、気分が悪そうだったな・・・
もしや、まさか?」
後涼殿(まさか・・・懐妊?)

後涼殿は自分の部屋で横になりながら考えていた。
(きっとあの男との子だ・・・!
院とは何年契りを交わしてもそんな兆候はなかったもの・・・)
(親子代々、夫ではない男の子供を身ごもるなんて・・・
なんて宿命の元に産まれたの・・・?)

(母宮は、私を産んだ後、なぜかすぐに出家されたと聞いている・・・) (←ここは葉つきみかんの推測。原作には出家のタイミングは書いていない。)
(母宮・・・父上を愛しておられたのね・・・)

(だって私は、愛してもいない男の子を身ごもっても、
出家しようなんて、これっぽっちも思わない。)
(皮肉なものね・・・望まない密通の結果、
身ごもって初めて、
母宮と父上が愛し合った結果、私が産まれたと分かるなんて。)

三条院が後涼殿の様子を見に来た。満面の笑顔。
「藤壷大宮といい、そなたといい、めでたい事は続くものだな~」

関白邸で、藤壷大宮が「えっ?後涼殿様が御懐妊?」
(そうしたら院はあちらにつききりになって、
こちらへは来なくなる。やったわ♪)
(皇子を出産して、身軽になって、
気分もさっぱりしたけど・・・
また院が来られたらやっかいだから・・・)

月影関白がにこにことして、
「大宮、産後の肥立ちはどうかい?」
藤壷大宮、御帳台に苦しそうな振りをして寝ている。
「十年ぶりに出産したせいでしょうか・・・
ひどく苦しくて・・・」
月影、残念そうに
「そうか・・・ではでは院の行幸をお迎えする事は出来ないな・・・」

藤壷大宮(もう命を危険にさらす懐妊はこりごり。
惜しい命を無事に長らえて、
帝や東宮の行く末をしっかり後見して
政を見ていかなくては・・・!)

大宮は黙々と荷物をまとめはじめた。
月影「どうしたのか?急に荷物をまとめて。」
藤壷大宮「気分も良くなりましたので、
御所に参ろうと思います。
主上の御様子も気になりますので。」
月影「院と三宮の御対面は?」
藤壷大宮、にっこり
「院は、後涼殿様が御心配で、
一日中付き添っておられるそうですから。
三宮はすくすくと育っておりますので
御心配なくと申し上げて下さい。」

三条院「大宮は朕と皇子との対面もなしに、
御所に戻ると言うのか!」
(上皇である朕は帝の許しがなければ御所に入れないのを知っていて・・・
何と呆れた、しゃくな振る舞い・・・。
あの折のいじらしさは、一体どこへ行ってしまたのだ・・・)

<三十五年>
三条帝:三十一歳
後涼殿女御(涼瀬姫):三十一歳
藤壷女御(藤姫):三十一歳
麗景殿女御:二十九歳

松風中将:三十歳
有明中将:三十歳

月光一品宮:二十八歳
百合宮(前斎宮):二十七歳

葉山帝:十三歳
二宮(東宮):十二歳
三宮:二歳

忍草姫:四歳
初花姫:一歳

***************************************

その後、後涼殿が産気づき、女皇子を産んだ。
後涼殿(良かった・・・女皇子で。
今更男皇子を産んだ所で、
大宮腹の皇子達に警戒される
だけだから・・・)
三条院は女皇子を抱いて、
「おお、何と美しい女皇子だ・・・。」
後涼殿に見せる。
後涼殿(ああ・・・瞳の薄い茶色が、
あの男にそっくり・・・
最後まで、どうか院の子であるよう
祈ってきたけど・・・)
(でも、この子は紛れもなく私の子。
誰が父親であろうと、初めて授かった
可愛い可愛い私の子・・・!)
後涼殿の瞳から滝の様に涙が溢れてきた。

7-10 絵物語

<三十六年>
三条帝:三十二歳
後涼殿女御(涼瀬姫):三十二歳
藤壷女御(藤姫):三十二歳
麗景殿女御:三十歳

松風中将:三十一歳
有明中将:三十一歳

月光一品宮:二十九歳
百合宮(前斎宮):二十八歳

葉山帝:十四歳
二宮(東宮):十三歳
三宮:三歳

忍草姫:五歳
初花姫:二歳
**********************************************

内裏では、あの折の行幸で月光皇太后に一目ぼれしてしまった、葉山帝が、思いにふけっていた。
(何とかして、気楽な様子で、月光皇太后様の
御側にいることができたらなぁ・・・)

葉山帝、月影関白に
「三条院に二、三日の間でも行幸する事ができないものか。
父院に御笛の上達をお聞かせしたいのだ。」
月影「そうですねぇ。
二月ごろは公事も暇がありますので、
時機がいいと、院も仰せられておりました。」
葉山帝「では、早速行こう!
母宮も是非!」
藤壷大宮、少し微笑んで、
「いえ、私はようございます。
いつも朝夕主上に御付き添い申し上げていますので、
よそへの行幸の時までもご一緒させていただかなくても・・・」
月影(なぜ院にお会いしようとしないのか。
全く世間の女らしくなくておかしい事よ。)
藤壷大宮、帝と東宮を眺めて
(帝も東宮も御立派に育ったこと。
この御姿を先帝にお見せしたい事よ・・・)

藤壷大宮を御所に残して、三条院へ葉山帝の行幸が行われた。
蹴鞠や小弓の遊びが盛大に行われた。

葉山帝、直衣姿でニコニコとして深雪女院の部屋に入る。三条院も臨席している。
深雪女院、目を細めて、
「まぁ・・・少し会わないうちに、
何とまた大きく御育ちになられた事。」
葉山帝「ねぇ、女院様に皇太后様、
御所から朕愛用の笛や筝などを
取り寄せてあります。
皆で合奏いたしませんか?」
深雪女院「それはいい考えね。
早速いたしましょう。」

月光皇太后には筝、深雪女院には琵琶、葉山帝は龍笛を受け持った。
葉山帝(何とかして皇太后様に近づきたい!)
「笛はどこから吹き始めたら、
筝とぴったり拍子があいますでしょうか。」
月光皇太后に身をすり寄せる。
月光皇太后、微笑んで(まぁ・・・可愛らしい・・・)

月光皇太后「そうですね・・・
琵琶は四拍毎の一拍目に必ず入りますし、
女院様は正しく拍子を刻まれますから、
なるべく女院様の琵琶と息を合わせられたら
自然と筝にも拍子が合うと思います。」

葉山帝は月光皇太后の側でお話をしているうちに、瞬く間に時間が過ぎていく・・・。
三条院「ああ・・・朕はもう眠くなった。
寝殿に戻るとしよう。主上は?」
葉山帝「まだこちらでお話があるので・・・」
三条院「そうか・・・」

葉山帝「先帝が崩御なされる前は、
朕に、くれぐれも勉学に励んで、
立派に世を治めるように、と
仰っておられました。」
月光皇太后「まぁ・・・」
葉山帝「先帝が父院様からお借り受けになり、
お読みになった「群事治要」を朕も即位してから
合間合間に読むようにしております。
まだまだ先帝の足下の影にも及びませんが・・・」

月光皇太后(まぁ・・・幼いだけかと思っていたら
御年の割にしっかりしておられること。)
「「群じ治要」とは・・・」
葉山帝(宮から話しかけて下さった!)
(ああ、このまま先年でも過ごしていたい!)
(許されるなら、もっと宮の御側に寄って、
見事な御髪を掻きのけ申し上げたい・・・
そして、宮の御髪に顔を埋めたい・・・)
葉山帝は、月光皇太后の御顔をじっと眺めた。

蔵人、御簾の外から葉山帝に「少しこちらへお越し下さいませ。
院が主上に奏上なさる御用件がおありだそうです」
葉山帝、苦々しい顔になって、「すぐ参ります」
立っていって、すぐ戻る。そして月光皇太后の方を見て、にっこり笑う。

月光皇太后(まぁv何て可愛らしいこと)
「どうしてこんなに早く?」
葉山帝、皇太后の横にちょこんと座って、
「ただこうして居らせていただきたくて」
月光皇太后(可愛い。まるで新しい弟ができたよう・・・)

深雪女院、にこにことその様子を見て、
「主上がこちらのお部屋に来るのを
喜んで下さるので、
私もとても嬉しく思っております。」
「大宮様がなぜだかこちらにうとうとしく
なさっておられるのにも関わらず、
主上は無邪気な御様子でこちらを慕って下さる」
女院、女房に「さ、「源氏」と「狭衣」の絵巻物をもってきなさい」
絵巻物を月光皇太后と葉山帝の前に並べて、
深雪女院「今勤行をはじめたばかりですから、
とりあえずこれで」
といい、にっこりと笑って仏間に行く。

葉山帝と月光皇太后、並んで絵巻物を見る。
帝、一人の男君を指さして、
「この者は誰ですか?」
月光皇太后「柏木の君です。
これは、蹴鞠の時に偶然女三宮を垣間見てしまった場面です」
葉山帝「あぁ、この時から柏木の君は女三宮に
魂を奪われてしまったのですね・・・」
(この、朕が皇太后様に奪われてしまったように・・・)
うっとりと月光皇太后を見る。
(ああ、御所にこの様な方がいらっしゃったら、
どんなにか生き甲斐があるだろうに・・・)

夜間、葉山帝がこっそりと月光皇太后の部屋に来て、垣間見をする。
帝(もしかしら、皇太后宮の御帳台に入ることができるかも!)
女房、その帝に気づき、
(あら?主上がこちらをのぞいていらっしゃる・・・)
(よくこちらのお部屋に来られるし・・・
新中納言の君か、小宰相の君のような、
美しい女房をお気に召したのかしら?)

葉山帝(ああ・・・全く隙がなかった・・・)
がくっと肩を落として自分の部屋に帰る。

夢の様な三日間が終わり、葉山帝は御所に還御された。
葉山帝、鳳輦の中で
(こんな幸せな気分を味わった後、
どうして日を送ればいいのか・・・)

内裏で、女房が藤壷大宮に報告。
「大宮様。
三条院から還御された
主上の御様子がおかしいのです・・・」
「夜は御寝みになれないようですし、
昼間は日の暮れるまでぼんやりと
物思いに沈まれて・・・」
藤壷大宮「それは本当?」
帝を見に行く。
藤壷大宮(本当だわ・・・もしや物の怪では・・・)
「護持僧を呼んで!
祈祷をさせるのよ!」

7-11 あやかしの夢

三条院で、月光皇太后
(主上がお帰りになって、
何となく淋しいわ・・・)
深雪女院「宮もお淋しい?私も淋しくて・・・
宮は主上とたくさんお話しをされていたようですね。
御文など差し上げては?」
月光皇太后、にっこり。
「分かりました。母宮様。」

内裏、葉山帝はぼんやりしている。
典侍「月光皇太后様から御文です。」
葉山帝、ぱちっと目を開いて、
「な、何ですって!」

月光皇太后の文「この間お出で下さって
お話できたのは楽しゅうございました。
また是非お話したいですね。」
葉山帝、文を胸に抱いて、涙を流す。

三条院に戻って・・・その夜、月光皇太后は、御帳台の中で寝ている。
月光皇太后の夢の中で・・・

月光皇太后「主上・・・お久しぶりでございます」
葉山帝「宮・・・お会いしたかった・・・」
帝が皇太后に抱きついて、口付けをする。皇太后、うっとりと受け入れる。

月光皇太后、がばっと起きる。
「何・・・?この夢は・・・。」

また次の夜、月光皇太后の夢の中・・・

葉山帝と月光皇太后が上半身裸で、ぴったり抱き合っている。月光皇太后、帝の背中をしっかり抱き締めて、
「主上・・・愛しい御方・・・」と言って、泣いている。

月光皇太后、またもやがばっと起きる。頬を触ると、夢の通りに涙が流れている。
(何てこと!)自分の夢にゾッとする。
月光皇太后(どういう鬼神などがこうして夢に
現れるのだろう・・・
主上の御姿が夢に見えるのは何なのだろう・・・)
自分の心を集中させるように、一心不乱に読経する。

内裏では、葉山帝、月影関白へ
「三条院へおうかがいし慣れてみると、
残った用事ばかりたくさんあります。
引き続きぜひとも行幸したい。」
月影、顔をゆがませながら、
「そうですね・・・石清水八幡宮の臨時の祭が
終わった三月末頃に行幸をいたしましょうか・・・」
葉山帝「きっと、きっとだぞ!」

************************************************
ビックリするでしょうが、月光皇太后の夢の部分は原作通りです。
鎌倉時代に生きた原作者が、潜在意識でその人が望んでいる事を夢に見る、という事を分かっていたかの様な場面です。
フロイトを七百年近く先取りしています。



7-12 藻塩の煙

三条院で、女房「主上のお成りー」
月光皇太后、沈んだ様子で、
(あの夢の事があってから・・・
主上と御顔をあわせるのも気が思い・・・)

葉山帝、部屋に入ってくる。「宮!」月光皇太后と目を合わせて、ぱっと笑う。
月光皇太后、にこっと笑う。
(ああ・・・主上は今まで通りだわ・・・)
(あの怪しからぬ夢の通い路こそお笑い種だわ。
御本人はこんなでいらっしゃるのだから)

葉山帝は、月光皇太后の側で、一日過ごされる。
葉山帝(ああ・・・なんてお美しい、
そしてかぐわしい香り・・・)
深雪女院が、仏間から戻ってきた。
「ちょっと勤行を休んで、こちらに居らせてもらいましょう」
葉山帝(はっ!
女院がいらっしゃっては、
宮の御側に寄る事はできない!)
帝「自分の部屋に帰ります」

葉山帝、自分の部屋の御帳台の中で、脇息に寄りかかって、ぐったりと臥せる。
「いかさまに おもひさまして ながらへん 心にあまる むねのけぶりを
(どのようにしてこの恋慕の火を鎮めて
生き長らえたら良いのか。
心一つに収めきれない胸の煙よ)」

(ああ、やりきれない!)
葉山帝は自分の気持を吐き出すように笛を思いっきり吹いた。そこに居合わせた三条院、涙をこぼし、
「この上なく御上手にお成りでございますね。
朕はもうとてもかないますまい。」


夜になって雨が降り出したので、管絃の御遊びが中止になった。
葉山帝は月光皇太后の御部屋にそっと入った。仄かな灯りが灯る中、月光皇太后は御帳台の中で寝ており、御帳台の周りで女房達が臥せっている。
帝は深く寝入った女房たちを踏まないよう、そっと月光皇太后の御帳台の中に入った。
葉山帝(ほっ・・・気付かれなかった・・・)

葉山帝、月光皇太后の横に、すっと横たわる。月光皇太后、はっと気付く。
月光皇太后(主上・・・どうしてここに・・・!)
葉山帝、皇太后を抱き締める。
月光皇太后、気が動転して、
(いつもの変な夢を見ているのか。胸に手が載っているのでは・・・)
(目を覚まさなくては、早く・・・)

葉山帝、月光皇太后の胸に顔を埋め、袿を脱がす。月光皇太后、ガタガタ震える。
月光皇太后(何をなさるの・・・!怖い・・・!)
(でも、そんな事を言っているほど私はおぼこの小娘でもあるまいに。)
(それにしてもまさか御本心ではあるまい、
きっと他の人とお間違えになったのだろう、
私だという事を知っていただこう・・・)

月光皇太后、無理に起き上がって、
「変な事をなさる、私を誰だとお思いなのでしょう」
と、御帳台の帷子を持ち上げようとした。
葉山帝「何て事をなさる!」
と、強い力で腕を掴んで、乱暴に引き寄せた。

月光皇太后(何て強いお力・・・
あぁ、情けない、女の身に生まれて・・・
なぜ私はこんな時にも気を失っていないのか・・・)

葉山帝、涙を流しつつ、
「おもひいる 葉山しげ山 かきわけて なげきぞふかき みちはまどはず
(あなたをお慕いしてここまで来たのです。
邪魔者は多くても、私は人違いなどしません。)」
葉山帝、月光皇太后の様子を見て、
(何とお若くお美しい御気配・・・
震えていて、とても可愛らしい・・・)

葉山帝と月光皇太后は契りを結んだ。

月光皇太后、ただ涙にくれるのみ。
(今にも死んでしまいそう・・・
何も考えられない・・・)
(それでは、こういう主上の御心が夢にも見えたのだろう。
それを不審に思って主上をお厭い申さなかった
自分が浅はかであった・・・)
(女院が昔からあれほどに御用心しておられたのに、
私の身は一体どうなる事か・・・
たった今、死んでしまいたい・・・)

葉山帝、涙にむせ返りつつ、
「宮・・・お慕いしております・・・」
月光皇太后、涙に濡れた目でにらむ。
「このところすぐお側で
お目にかかっていたではございませんか。
それなのに俄かにこんな風にお心変わりなされるとは、
情けない事でございます」
葉山帝、うろたえて
「あまのやく もしほのけぶり こがれわび なれつるそでの かはりやはする
(あなたに恋焦がれて苦しい思いをしているだけで、
これまでの気持が変るはずはありません。)」
月光皇太后、また涙にくれる。

夜明けの寺々の鐘の音が聞こえてくる。

葉山帝、涙にむせ返りながら、月光皇太后の髪を撫でる。
「これまでにも増して、
これからどうやって一時でも
生き長らえていけるのでしょう・・・」
月光皇太后、その真剣な様子に、胸を打たれる。
(でも・・・皇太后と言う私の身分、
そして母女院のお気持を考えると、
とてもそのお気持に応える事など出来ない・・・)

外で、ゴソゴソと女房たちが身動きし始める。
月光皇太后、はっとそちらの方を見る。
葉山帝(外の人に気づかれはしないか、
とばかり心配なされている・・・)
悲しげな顔になり、素肌の上に羽織った皇太后のうちぎの袖をひっぱったりゆすぶったりして歌を読んだ。
「またや世に かかるかなしき 恋すると 人のとへかし うれへだにせん
(世間には他にもこういう悲しい恋をする人が
あるのかと、誰か私に尋ねてほしい。
せめて愚痴だけもその人にもらしてみたいのです。)」

月光皇太后、顔をそらしたまま。
女房たち起き出す。月光皇太后、冷たい声で「・・・もう女房達が起き出す時間です。」
月光皇太后、力を振り絞って、手でどんと帝を押し出して、「出るだけでも出てください!」という。
帝は仕方なく、そっと皇太后の御帳台から出ていった。

7ー13 名残の衣

葉山帝、涙に濡れて月光皇太后の方を振り返り振り返りしつつ、自分の部屋へ戻った。

月光皇太后、下を向いて手をついて・・・涙がぼとぼとっと落ちる。
(あれは・・・夢ではなくやはり現実の事だったのだ・・・!)
突っ伏しておいおい泣く。
(何と恥ずかしく、情けない目にあってしまったのか・・・)
(あぁ、女院に会わせる顔がない・・・!)
頭を抱えて、目をきつくつむって、
(どうしたらいいのかしら、
どうしたらいいのかしら・・・)
キッと表情を引き締め、床の上に起きあがって、冷や汗で濡れたうちぎを押しやる。
(私のような汚れた者が
この世に生きながらえる事こそ、
どなたの御為にも見苦しく苦しい事だろう。)
(本当にたやすい事だわ。
人は食べ物に目をくれなければ
死んでしまうものらしい。)
(これっぽっちも惜しいこの身なものか。)

ポロッと瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
(だめだめ、気を弱くしては。
涙で乱れた前髪を整えなくちゃ)
月光皇太后、自分で前髪を櫛けずって整える。

(あの、冷や汗でびっしょりのうちぎも隠さなくては・・・)
そして、寝た振りをして、帷子をあげて、小弁という幼い女童を「これこれ」と起こした。
月光皇太后「この着物をあの奥の小部屋に隠しなさい」
小弁「はい」

明るくなって、女房達が御格子をあげた。光りが入ってくる。
月光皇太后、御帳台の中に横になったまま、恐ろしさに体を震わせた。
(ああ・・・空に大きな目が十ばかりあって、
私の事を見下ろしているよう・・・)
(誰か助けて・・・!)
また涙が流れる。



7ー14 しのぶもぢずり

葉山帝、自分の部屋で横になりながら、涙を流す。
「としへぬる しのぶもぢずり しのびかね 色にみだるる けさのかなしさ
(長年の恋もこらえきれなくなって表に出してしまったが、
今朝は心も取り乱して悲しくてたまらない。)」

「時のまも たへずかなしき わかれかな 君にやあだの 身をばかへつる
(一刻でも別れていると耐えがたいほど悲しくなるのは、
儚いこの身と引き替えにあなたにおあいした為だろうか)」
(あぁ、宮様の御顔を一刻でも見ないとたまらない!)

月光皇太后の部屋に行く。皇太后の部屋、きちんと整えられていて、女房も大勢伺候。中央の昼の御座に月光皇太后、晴れ晴れとした表情で座っている。
葉山帝、嬉しく思っていつものようにすぐ近くにしゃがみこむ。
月光皇太后、恥ずかしそうにうつむこうとする、が・・・
(いいえ!
こんな小娘の様に慎ましい様子を見せれば、
なおさら見くびられてしまう!)
首をしゃんと伸ばして、先を見る。
葉山帝(御目をあわせては下さらないのか・・・)
淋しそうな表情。

葉山帝、女房に
「昨日の絵巻物を持ってくるように・・・」
二人で並んで見る。
葉山帝、絵を指さして、
「宮、こちらの場面を説明して下さい。」
月光皇太后「・・・・・・。」言葉少なに、袖で口を隠して、目をあわさない。
葉山帝、直衣の懐に手をやり、月光皇太后を見て、淋しそうな表情をする。
(これでは、人目がありすぎて、宮様に後朝の文を渡す隙もない・・・)

そのうち、深雪女院と三条院が来た。
深雪女院「昨日の絵巻物をまた御覧になっておられるのですね?
お気に召していただけたのでしょうか・・・」
葉山帝、ぼーっっと月光皇太后の顔を見て、心ここにあらず。
深雪女院、一段階大きな声で「主上!」
葉山帝、気づく。「は、はい女院様・・・」
三条院は嬉しそうに、にこにこして、
「主上は昨晩大層御上手に御笛をお吹きになりました。
女院様にも聴かせてさしあげなさい」
葉山帝、月光皇太后の方を見ながら、
「は・・・はい・・・」
「それでは宮様は御箏を・・・」
葉山帝、月光皇太后に箏を渡すときにふと手が触れる。

月光皇太后、葉山帝の手をぱん、とはねのけ、一瞬場が凍り付く。
月光皇太后(何と私は嫌な人間なのか・・・
私は決して主上の御事をお厭いしてはいないのに・・・
あんな事さえなければ・・・)
月光皇太后、泣き笑いをしつつ、
「ほんとに、変な気分に、急に」
といい、几帳を引き寄せて、物に寄りかかる。

深雪女院、驚愕して、立ち上がり、月光皇太后の方へ寄っていく。
「宮!どうしたの、どうしたの?」
月光皇太后、苦しそうに深雪女院を見上げて、胸を押さえ、気を失う。
「宮!」
三条院、びっくりして、
「護持僧に読経をさせなさい!」
女房達が集まってくる。

葉山帝、この様子を凝視。
(立場上、この場を立ち去るのが当然だが・・・
そんな事できるものか!
席を外せと人に言われるまではここに居よう!)

女房が深雪女院に報告。
「今朝がたからでしょうか、御気分がお悪いようでございます。
御少食なのはいつものこととは申しながら、
ほんの少しの物も御目にも留められませんでした。」
それを聞き、葉山帝驚いて、力の限り叫んだ。
「某の僧正、某の僧都を呼べ!
宮の為の御祈祷をさせるのだ!」

月影関白、その場を収めるため、
「こんなでない折りにゆっくりと管絃の御遊びをいたしましょう」
三条院「ひとまず御所にお戻り下さい」
葉山帝、二人に抱きかかえられるが、抵抗する。
(いやだ!
宮の御側から離れるのは!)
月影「主上の還御の御用意を!」
葉山帝、鳳れんの中で、
(宮!宮!)と涙にくれる。

しかし、着替えた後、葉山帝はすぐに三条院に戻った。御簾の中で、月光皇太后は苦しそうに寝ている。
葉山帝、深雪女院に
「御病気にはひどく突然でびっくりしましたが、
あれからいかがですか」
深雪女院「これまでこんな事はなかったものですから・・・
本当に変なのです。
今も大層お苦しそうで・・・」
月光皇太后、顔をしかめる。葉山帝、側に寄っていって、
「よりによって、こちらにおうかがい
しましたとたんに御発病とは・・・」
「御体の御かげんはいかがですか」
と、体をさぐろうとする。

深雪女院「主上、そのような事は、私にお任せ下さい」
といって、自分で月光皇太后の額を触る。
深雪女院「これならば別段の事はございません。」
葉山帝、心配そうな様子で、
「宮のお体が、大変気掛かりです・・・」
深雪女院(なかなか殊勝で可愛らしい事・・・)
月光皇太后、重たい瞼を明けて、葉山帝を見て、涙を流す。

月影関白が帝の還御をせきたてた。
「本日は夜行日(やこうにち:暦で百鬼が夜行する日で、夜間の外出を慎むべきとされる。)に当たっております!
暗くなる前にお早くお帰りになって下さい!」
葉山帝、月光皇太后の方を振り返り振り返りしつつ、出る。

内裏に帰った帝は、正気をなくして、ぼんやりと焦点の合わない目をしている。
藤壷大宮、それを見て、
(三条院で何か悪い物の怪に
憑かれてしまったのかしら?
心配だわ・・・)

7-15 落飾

月光皇太后は、あの日から二十日の間、全く食事に手をつけなかった。その結果、かなり衰弱してしまった。

月光皇太后「女院様」
深雪女院、涙に濡れた目で、「何ですか?」
月光皇太后、痩せた手で、髪を掻き寄せる。
「ぜひともまだ正気のあるうちに、これを」
深雪女院、はっと気付き、(もう、そこまで・・・)
「・・・天台座主に、出家に相応しい日柄を尋ねさせなさい」
しばらくして、女房「本日が、全く差し障りのない日という事でございます」

女房に助けられ、月光皇太后は座る。深雪女院、「それでは、これが最後なのね」
皇太后の髪をかき撫でながら梳かす。三条院も、その様子を見ながら、
(とてもお若く見えるのに、
とても残念な事だ・・・)
(しかし、出家したらその功徳で
容態が持ち直す事もある。
それに望みをかけて・・・)

内裏で蔵人弁が月影関白に報告。
「たった今三条院から参上いたしました。
にわかに月光皇太后様の御出家の事が持ち上がりました。
皇太后様ははやり御病気が重くていらっしゃるのでしょうか。」

殿上の間を通り過ぎようとした葉山帝、それを漏れ聞いて、顔を青くして、わなわなと震える。そして、ドッとそのまま倒れる。

月影関白「ん?何か物音が・・・」
外に出て、葉山帝が倒れているのを見る。
「主上!」

葉山帝、苦しそうな様子で寝ている。それをおろおろと見る藤壺大宮。背後にはいかめしい祈祷の声。
藤壷大宮
「この所ずっとほんの少しの
お食事にも目を留められず、
空ばかり眺めておられたから、
心配していたのです・・・」

藤壷大宮、帝を幼児の様に抱いて、
「たとえどんな鬼神のせいにせよ、
また定まった御寿命が尽きたにせよ、
また過去のどの様な罪の報いにせよ、
どうしてこういうことになるのか
理由を知りたいものです。」
「ただ、私を主上の代りに
召してほしい・・・!」

葉山帝、抱き締められながら、つらそうな表情をする。
(母宮様、違うのです、違うのです。
こうなったのは全て月光皇太后様への恋慕の情ゆえ・・・)


7-16 書きつむる文

夕方、葉山帝はほんのわずか目を開けた。
側に月影関白と松風左大臣が控える。
葉山帝、ぽろぽろと涙を流す。
(何と辛いことだ。
あんなにたやすい事なのに、
一国の帝として生を受けながら、
意のままにならぬとは・・・)

葉山帝、中納言の典侍を目で呼ぶ。
中納言典侍「何ですか、足をおもみしましょうか?」
帝、首を振る。
「女院は、朕が生き長らえた方がいいとお思いだろうか」
中納言典侍(?・・・御物の怪が言わせるのかしら・・・)
中納言典侍、耳に口を寄せて、
「申すまでもございません」
帝、切なげに
「おとどもそうか」
中納言典侍「そうでございます」

月影関白、二人の様子を見て、
(何を話しているのか・・・?)

帝「それでは三条院は」
中納言典侍「院もどうして御同様でいらっしゃらない
はずがありましょう」
帝、どっと涙を流して、
「それでは至極たやすい事だったはずなのに・・・」
涙を手で押さえる。

月影関白、中納言の典侍に帝の聞こえない所で、
「主上は何と仰せになったのか」
中納言典侍「・・・これこれこういう事を・・・」

藤壷大宮の部屋で、大宮が脇息に寄りかかり、休む。
月影関白、慌てて部屋に入り、大宮に
「こんな事がございまして。
誠に妙な事でございますな」

藤壷大宮(!)と何かに気づき、帝の部屋に走っていく。
そして、帝の耳に口を寄せて、大きな声で、
「何を考えていらっしゃるのですか。
例えこの世に許されるはずもない逆さま事で
ございましょうとも、
大殿などがこうして御健在でいらっしゃる間は、
お望みがどうしてかなわないはずがありましょう。」

葉山帝、少し起き上がって中納言典侍に、
「あの厨子にある手箱を開くように。」
中納言典侍、手箱を開いて持ってくる。
葉山帝、文を十ばかり出して、藤壺大宮の懐に押し込んで、
「これを月光皇太后宮にお見せして、
御返事を朕にお見せください」
と言い、衾を引き被った。

藤壷大宮、自分の部屋に戻り、がっくりと肩を落とした。
「まぁ大変。これこれしかじかでございましたとは。
本当にどんな策を立てたら良いのでしょう。」
月影関白も、困った顔で、
「いかにもこればかりは、主上の思し召しにもなりかねる事だ。
そういう事なら、深雪女院に御相談申し上げよう」

月影関白は三条院に向かった。


7-17 膝枕

月影関白が三条院に着いた時、月光皇太后の剃髪の儀式は終了していた。
月光皇太后、寝ながらほっとする。
(ああ、これで決して主上に添い臥される事はないわ・・・!)
(でも、たくさんの物語を見ても、契りを結んだ人が
懐妊もなしに終わる事はないらしい。
『源氏』の女三宮も、『狭衣』の女二宮も・・・)
(月日が経ってから、人の目にも付き、
自分も思いつめるらしい。) (←物語の読みすぎ、影響受けすぎ!)
(『狭衣』の女二の宮の様に
困ったことになって、女院に御心配を
おかけする位なら、このまま死んでしまおう!)

使者がバタバタ・・・と走ってくる。
「主上が俄かに御重態で、
三条院がうろたえておられます!」

月影関白、この機に深雪女院に近づいて行き、
「是非申し上げなければいけない事がございます」
深雪女院(?・・・普段は余り近くに寄らない関白が今日に限って・・・?)
「この几帳のすぐ側に」
関白、深雪女院の前に、ひどく真剣な表情で座る。
「内密なお話しなので、少しここから離れて・・・」

月光皇太后、ただならぬ雰囲気に、感づく。
(はっ!
さては情けない私の事なのだろう。
主上はなんと薄情な御方なのだろう。
あんなお年の祖父大殿にまでも
愚痴をおこぼしになったとは)
(ああ、あの時と同じ
強引ななさりよう・・・)

月光皇太后、深雪女院をしっかりと捕まえ、膝を枕にして動かせないようにする。
皇太后、激しく泣きながら、囁いた。
「もう今にもどうにかなってしまいそうですから、
『とにかく後で』と仰ってくださいませ」
深雪女院、月影関白に、
「もう少し落ち着かれましたら・・・」
月影関白、ため息をついて、控える。

月光皇太后(絶対離すもんか!)
涙を溜めた目で、キッと月影関白をにらんでいる。

夜も大層更けた。
月影関白(このままここにいたら、
三条院に、主上を放っておいて、
こちらに長居したと思われそうだし・・・)
(今は帰るしかない・・・)

月影関白は内裏へ帰った。

7-18 離れぬ身

内裏、葉山帝が臥している横で、藤壷大宮と月影関白が差し向かいになっている。
藤壷大宮「いかがでしたか」
月影関白、ため息をついて、
「御出家は遂げておしまいになりました。
全く隙がなくて、御用件を申し上げる事も
できませんでした。
明日はもう一度おうかがいいたしましょう。」

葉山帝、落胆。
(ああ・・・とうとう・・・)
「こちらへお越し下さい」

藤壷大宮、葉山帝の近くに寄る。
藤壷大宮「皇太后宮は形をおやつしになりましたとか。
本当に辛い事でございます。」
葉山帝「尼でいらっしゃろうとなかろうと、
世間普通の有様でお慕い申すのでしたら、
それによって気持が変る事もあるでしょうが。」
「どうした訳か、
ただただ明け暮れお会い申して
いとうございますから、
帝位を下りて、皇太后宮様のお側で
生きていとうございます。」
「やつされた御姿でも夫婦になる例は、
古の一条の帝と定子皇后宮(※)の例も
ございます・・・」

藤壷大宮(ここまで思いつめて
おられるのか・・・)涙を流す。


一方、三条院で、月光皇太后、目をらんらんと光らせて考える。
(どう転んだ所で、男女の仲とは厭わしいものらしい。
主上は、あんな不自然な言い方をして、
情けない御自身の御乱行の事を、
女院などが思い当たられでもなさったら
たまらない)

月光皇太后、目を強くつむって、
(どうかして息もするまい、
物も見るまい)
女房、月光皇太后の異変に気付き、
「宮様の御容態が・・・!」
深雪女院「早く、宮の御手に五色の糸を!」

僧正の読経を最後に聞きながら、月光皇太后は形だけは安らかな最後を迎えた。
深雪女院、三条院、泣いている。

内裏では、蔵人弁が大きな声で報告。
「月光皇太后様はとうとうお亡くなり遊ばされました。」
葉山帝の側で、藤壷大宮が苦々しい顔。
(何と思慮のない事・・・!
主上の御耳にでも入ったら・・・!)

葉山帝、大宮に向かって弱弱しい声で
「本当かどうかたずねさせてください」
横で聞いていた蔵人が、気を利かせて、
「はい」と立って行く。
藤壷大宮、その後姿に、「待って・・・」
蔵人はすぐ戻ってきて、
「まことの事でございます」

葉山帝
「やすみしる あまつ日つぎの たもつとも 人のいとはん 世にはのこらじ
(皇位を守ると言っても、
あの方が厭い捨てられた
この世には残っていたくない。)」
「たとえ空しい亡骸でも、あの方の御側に置いてください。
別世界で人間とは違う姿に生まれようと、
あの御方の御身の側を離れませぬ」

そう言って、葉山帝は崩御した。
藤壷大宮、月影関白は泣き崩れた。

第七巻 終わり

補足の八コマが描きたくなる位、悲しくて衝撃的な最後だった~・・・

****************************************************
今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「第五・六巻 アレンジ 後編」

5&6-18 田舎人

内裏、後涼殿の西の方で、大弐は市女笠で侍女を連れて、立ったままきょろきょろ。
通りかかった小舎人に、侍女が聞く。
「もしもし、新宰相の典侍殿のお局はどこですか」
小舎人は、「その辺りと聞いております」と指差した。

新宰相の局では、新宰相が休息を取り、衣服の中に扇で風を入れていた。
新宰相「ふー、暑い。
局に下がって扇で風を入れずにはおれないわ~」
侍女「もし、新宰相様はお出でですか。」
新宰相、けだるそうに目をやって、女童に、
「御用は何か、聞いておいで」と命じる。
女童、行って帰ってくる。
女童「百合宮様にお仕えしております大弐殿が、
申し上げたい事があるので参上なさいました、
との事です」
新宰相、怪訝な顔。
(おかしい。そういう事ならあらかじめ文があるはずだけど・・・
でもこの使いがあちこち歩き回るのも見苦しい。)

女童に、「新宰相君は、帝の御前にいらっしゃいますから、とお言い。」
といい、新宰相は、奥の場所に隠れた。

大弐と侍女は、新宰相の局に入り込んで座り込む。
大弐、女童に、「御所の辺りはやはり結構なものでございますわねぇ。
以前よりも一層田舎者になりまして、事情も存じませんで。」
「ここは、殿上人などがいつもお通りになりますか」
女童「時々は通られます」

外を、四位少将や、右兵衛佐が連れ立って、美しい声で、
「而於此経中(じおしきょうちゅう)」と謡いながら歩く。

大弐、御簾を引き寄せるようにして騒ぐ。
「まぁ素晴らしい、これは誰ですか、誰ですか」
女童、呆れて、「さあねぇ。殿方は大勢いらっしゃるから、見分けがつきません。」

新宰相、(これ以上騒がれたら困るわ・・・)
額髪を整えて、「はー、御前は暑かったわ・・・」と膝行して、出て行く。

大弐「まぁ、新宰相様、お久しぶり!とてもお綺麗になって!」
新宰相、にこやかに笑う。
大弐「ところで、とても変な事がございましてね。
宮様から、何かの機会に帝に奏上なさい、
とお言葉がありまして、
私をお使いにお出しになりましたので、
参内いたしました。」

新宰相、ため息をつく。
大弐、両手をバタバタさせて、訴える。
「・・・で、御匣殿様の唐櫃は、某の宮様からの伝領品で・・・」
「それで、大納言の君が突然、何も仰らずに出て行かれました。
人々が元居たお部屋を見てみますと、道具と言う道具は
全て運び出されておりまして・・・」
新宰相(こんな下世話な事、主上に奏上できないわ・・・)
新宰相「こうしてお仕えしておりますが、
こんな筋合いの話などを
主上に申し上げて聞き届けて頂くほどの
近しい関係ではございません。」
「また大納言の君は、長らく百合宮様とお暮らしなのですから、
何かお考えがおありの事でしょうよ。」

大弐、愕然とする。
(新宰相は、大納言の君の味方ばかりして・・・)
大弐、周りに聞こえよとばかり大きな声で、
「今の事態は常識では考えられない事ですから、
百合宮様がどうかしていらっしゃるのでは、
という風に受け取られはせぬかと
大層お気の毒でございますのでね、」
「御匣殿様の御遺産は、全て百合宮様に参るはずで
ございましたのに、宮様が伊勢にいらっしゃる間に、
大納言の君がそのまま居座られたと聞きました。」
「そうした証文なども皆取り隠されてしまいましたので、
はっきり白黒をつける方法もおありにならず、
とても御不憫でなりませぬ。」

新宰相、しーっ、と口に手をあて、
「そうした証文の事などは、
外から職事などに託して
奏上なさいましたならば、
主上は十分にお聞き取りなさいましょう。」

新宰相、そそくさと立ち上がって、
「ただ今はなかなかお暇が出ない用事がございましたのを、
ほんのしばらくと言って主上の御前を立って参りましたので・・・」

大弐、(失礼な・・・。さっきは主上のお近くに
お仕えしていないといったではないか)カチンと来て、
「それほどお暇がないのですか。
その御言葉は、首尾一貫しないようで」と、高笑い。
その笑いを後に聞きながら、新宰相、逃げていく。

大弐、外を見て、
(夜は更けたかしら・・・。
今夜はここで夜明かしをして帰ろうかしら。)
女童、こっくりこっくり寝る。
大弐(やはり帰ろう)と百合宮の御所に帰る。

5&6-19 わたのはらから


夜、新宰相は女帝の御前に参上した。女帝はまだ御寝みでない。
暗いので灯台が立っている。女房達は碁を打ちに参上した。
そこへ、御乳母の三位が参上して、新宰相の方を向いて、
「新宰相の典侍様の今晩のお客様はどなたですか」
新宰相「えっ・・・」
(まずい・・・聞かれていたの?)
「継母の縁者が突然訪ねて参りました。
隠れる事も出来ずにほとほと困ってしまって・・・」
三位「お若さ加減は本当に良くお声でわかりましたわ。
その方の申された事もみな、すっかり聞いております」
新宰相(ここは笑ってごまかすに限る!)
乾いた笑い。

三位「私自身で聞いたのではございません。
三笠野と申すいつもの口さがない女が、
『典侍様のお客様がこれこれだった』と
真似をしておりましたので、
それを聞いたのでございます」
新宰相、驚愕。
(三笠野ったら、余計なことを!)

三位「三笠野は、『新宰相様の親戚らしくなく、
貧相でみっともない人でした。
お客人はひどく腹が立ったらしく、
何か言い出しそうだと思って
聞いておりました所、
典侍殿は上手く逃げ出して
おしまいになりました』と言っておりました。」
新宰相、慌てて胸の前で手を振って、
「それ程の事もございません!」

三位「大弐が、『主上に奏上なさっておいてください』
と言っていたのですから、早く奏上なさいまし。
いかにもこの様な事は主上のお耳に入れるのがいいのです」
新宰相(そんな飛んでもない・・・)
「大部分は忘れてしまいました」と言って笑い出す。

三位「それでは私が申し上げましょう。
ああ、この事を早く大納言の君に話してあげたいものです。」
三位「かくかく、しかじか・・・」
女房達、大笑い。女帝、物を言わず、じっと聞いている。
女帝、悲しげな顔で、
(百合宮様は父院の実の御子でいらしただろうに。
あの御文と言い、大層残念だわ・・・。
今後もその人はこの様に笑い者として扱われるのかしら、
不憫な事・・・。そして、私も恥かしいわ・・・。
どうしてこんな人が私の妹なのかしら。)

三位、女帝の様子に気付き、
(あら、主上が御気分を害されている。
話をそらさなければ。)
「ところで、聞きました?中将様が・・・」

******************************************

内裏が大弐の話題で持ちきりの時、
麗景殿女御は・・・
「うっ」吐き気を催して、口を押さえる。
(まさか・・・懐妊・・・?)
(去年の八月からずっと里下がりをしているけれど・・・
一度だけ松風左大将と逢瀬を持った。
その時の・・・子?)
(手引きをしていた女房も死に、
私の立場も考えず逢いたいとばかり繰り返すあの人の冷たさも分かり、
あの人と関係を絶とうとしていた今になって・・・)
(とても院の子とごまかす事は出来ない。)
(どうしよう、どうしよう!)

麗景殿は必死に考えた。

母宮は、父・式部卿宮がお亡くなりになってから、仏間に御籠りになったまま。
母宮「阿弥陀仏のお迎えが遅くていらっしゃる~」
私の懐妊を気取られるはずはない。

兄上も何だか御自分の事で必死のようで、私の様子に気を留めておられない。
三条院様からも御文が来たけれど・・・

三条院「これまでになく長い御里住まいであるが、どうしているか?」
麗景殿「病気がいつまでも長引いて・・・」
三条院、返事を読んで
「可愛そうに。しかし、御忍びの外出はした事がないし、女御の参院を待つとしようか・・・」

有明が、麗景殿の部屋に御機嫌伺いに来た。

有明「病気だと聞いているが、大丈夫かい?」
麗景殿「ちょっと胸が苦しくて・・・」
有明「おや、ずいぶん厚い着物を着ているね。」
麗景殿「風に当たって体が冷えないように気をつけなさい、と薬師に言われたので・・・」
(本当はお腹の膨らみを隠す為だけど・・・)
有明「そうか・・・養生するようにな・・・」部屋を出ていく。
麗景殿(ほっ・・・気づかれなかった・・・)


5&6-20 青衣の女

ところ変わって、百合宮の御所。
新大夫の局(ああ、小宰相が百合宮様から下賜された
あの袿が羨ましい!)
(どうかして、御主人に気に入られて、
私をお邸の切れ者(※主人のお気に入り。権勢を欲しいままにする人。)にしてください!)と、神仏にお願い。

一方、百合宮は、
「ああ、お経を尊く読まれる三河の阿闍梨が
最近来なくて、気分が悪いわ・・・」
百合宮、暫くうとうとと昼寝。はっと目を覚まして、
「まぁ、怖い。あてきはどこ、あてき!」
あてき「はい!宮様。」
百合宮「中将の局へ行って見てごらん、今何を着ているか」
あてき、見る(青色だわ・・・)

あてき、御前へ戻って申し上げる。
百合宮「まぁ、気味が悪い。
たった今、青い着物を着た女房で、
額髪の美しい人が、
私の胸を押さえつけたと夢に見て、
はっと目が覚めたら、
こうして胸が痛いのよ」
「どうしよう、どうしよう」
小宰相、途方に暮れて「阿闍梨に知らせましょうか。」
百合宮「さぁねぇ、やって来るまで
生きていられそうにないけれど、
早くそう言ってちょうだい」
小宰相「はい」文を急いで書いて送る。
百合宮、小宰相にすがりついて、
「苦しい~苦しい~」とうめく。
あてき「阿闍梨様は外出されているそうです」
百合宮「何て事!」
「私の事を見ていた男が、
私を呪詛しているのかもしれない。
怖いわ!」
「小宰相、巫女の所へ行って、
この事を聞いてよ。
私が、と言ったら人が
聞き耳を立てるかもしれない。」
「あの下衆が呪詛されているかも、
という風にして、行ってよ、行ってよ!」
と、萩こそという樋すまし童を指さす。
小宰相、呆然としている。

新大夫(ここは、自分の働きを
アピールする絶好のチャンス!)
さっと百合宮の前に出て、
「主人の命令にはどんな事でもいたします。
私が出かけて尋ねて参りましょう」

新大夫、萩こそをつれて、鼓を叩く巫女の所へ。
新大夫「たった今、この子の気分が悪くなって・・・」
巫女、鼓を叩いて何かをうなる。
「はっ。わかった!」
「青い衣の女人が釘だけでも七箇所に打ったぞ~!」

新大夫は帰って、百合宮に耳打ち。
「青い衣の女が呪詛をしている様です・・・」
百合宮「案の定だわ。
そんな気がしていたのですもの。
その釘を抜くことだわ。
他の阿闍梨たちに修法をするように言って!」
新大夫、元気よく「はい!」

6ー12 日のくま川

小宰相は暑さと首の痛さでダウンした。
百合宮、寝ている小宰相に
「かわいそうに。
私が食事を口に入れてあげる。」
小宰相「そんな・・・畏れ多い。」
百合宮「いいのよ。」
小宰相(また青衣の女が現れるのが恐ろしい・・・)
百合宮「そうだ・・・今夜から新大夫も
一緒に寝るように。」
新大夫(やった!)

初め、百合宮は、新大夫と同じ衾で寝た。小宰相は一人分かれて寝る。
百合宮「かわいい新大(新大夫の略)」
新大夫「宮様・・・あっ・・・」
百合宮と新大夫の睦言を聞きながら、小宰相はほっとしていた。
(これで青衣の女の物の怪に祟られないで良くなるわ・・・)

しばらくして、小宰相の病気も治った。
百合宮「新大、こちらへ」
小宰相、気を利かせて、百合宮の部屋から出ようとするが、
百合宮「宰もここにいなさい。
三人で寝よう」
百合宮、小宰相、新大夫は三人で川の字になって寝た。
一人寝の淋しさのない百合宮は幸せそうな寝息を立てている。
小宰相(青衣の女に祟られなくなるし、
首も痛くならないし、
宮様にも優しくしていただける。
私は何て幸せ者なのだろう。)

ところで、ある月の明るい夜、新大夫の親族の源中将が百合宮の御所にやってきた。
女房達「まぁ何て上品な若公達・・・vv」
源中将(美しい女帝の御妹の百合宮様とは
どの様な御方なのだろう・・・)
源中将は、笛を吹いて、女房達の筝と合わせたり、歌を歌ったりして、女房達にキャーキャーと騒がれる。
二度ほどやってきて、百合宮の寝所に忍び入り、百合宮と契りを結んでしまった。

源中将はいきなり百合宮の御簾の中にガバッと入り、百合宮の手を取る。
源中将「宮様・・・以前からお慕いしておりました。」
百合宮、嬉しそうに、
「まぁ、いけませんわ、いけませんわ・・・」

それからしばらくして・・・源中将はため息をついていた。
(あのお美しく賢い女帝の御妹だからと
興味を引かれて関係を結んでみたが・・・)
(宮様は何て情の御深い御方だ・・・)
(この暑いのに、熊の毛皮(女陰を暗示)で
一日中くるまれているみたいに
べったりされるのは、うっとうしい・・・)

源中将は、百合宮がしなだれかかっている様子を思い出す。
(しかし・・・女帝とタイプは違えど
お美しい方だし、
情愛があって教養も備えた御方でもある。)
(何よりこのまま寄り付かなくなっては、
相手の御身分柄、お気の毒だ・・・)

(あんまり待たせて
辛い思いをさせないよう、
時々は顔を見せよう。)

御簾の中に入った源中将を見て、
百合宮「まぁ!中将様!」
「どうしてこんなに御無沙汰でしたの?
私、とても淋しゅうございました・・・」
すがりつく。

翌朝、まだ暗いうちに源中将は百合宮の元を出ようとする。
源中将(人目につかないうちに、
早く帰ろう・・・)
「今日は早朝から評定がありますので・・・」
百合宮、がばと源中将の袖を掴んで、
「もうお行きになってしまいますの?
私を置いて・・・」
とわんわん泣く。源中将、ため息。
(こんなではいずれ世間に浮名が流れてしまうだろう・・・
全くやりきれないなぁ・・・)

******************************************

源中将が百合宮にげんなりしていた頃・・・

<三十二年>

三条帝:二十八歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十八歳
藤壷女御(藤姫):二十八歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十六歳
麗景殿女御:二十六歳

松風中将:二十七歳
有明中将:二十七歳

月光一品宮:二十五歳
百合宮(前斎宮):二十四歳

葉山帝:十歳
二宮(東宮):九歳

忍草姫:一歳

*************************************************

年も改まって・・・
産気づいていた麗景殿は、知り合いの民家で、たいそう可愛らしい女の子を産み落とした。

落ち着いた頃、麗景殿は、子供を抱いて女房達に見せる。
女房「まぁ、とてもかわいらしい赤ん坊。
どちらの方の御子様ですの?」
麗景殿、扇で口を隠して、すました様子で、
「知り合いのつてがあって、退屈を慰めるのに引き取りました。
皆、大切に育てる様に。」
女房達「はーい」
女一宮、赤ん坊をのぞき込んで
「かわいい・・・私の妹にしていい?」
麗景殿女御、ほほえんで
「いいですよ」

夜、麗景殿は胸を押さえて苦しんでいた。
(うっ・・・乳が・・・張る!)
麗景殿は張った乳をたくさん絞り捨てた。

父・式部卿宮の喪が明けた後、麗景殿はとても美しく着飾って三条院に参院した。
三条院は麗景殿と対面して、
(久しぶりに見ると、やはりこの人の美しさ・妖艶さは類ない・・・)

三条院は、女一宮に琴などをお教えになり、時々麗景殿女御のもとへもお渡りになる。

後涼殿はその様子を横目でみつつ、
(子供のいらっしゃる方は、やはり羨ましい・・・)


5&6-21 ものまねび

内裏、台盤所で、女帝の側近である丹波の内侍が、新宰相の所に来た大弐の口真似をしている。
「道具と言う道具はつまらぬ棹一本さえも・・・」
聞いている若い女房達、大爆笑。

その声が、御手水の間にも聞こえて来て、そこに控える中納言の典侍が、つい吹き出して笑い出した。
女帝、そちらに目をやる。
(ああ、また皆であの話をしているのだ・・・)
(若い女房達が笑うのはしかたないけれど、
古参の中納言典侍までも
百合宮方を嘲笑するのは困ったもの・・・)

女帝、中納言典侍に、
「この高笑いは本当に面白くないわね。
あのいつまでも言っているのは
百合宮様の御事でしょう。
殿上人などの耳にでも入って、
『あの皇子の御事を御所辺りでは
笑い話の種にして』などと
思われたらお気の毒でしょうに」

中納言の典侍、サーッと顔色が引いて、台盤所に顔を突っ込んで叱責。
「主上がご機嫌斜めですよ!
皆、御静かに!」
丹波内侍も顔色をなくした。それから、御所で二度と口真似をする人はいなくなった。



数日後、丹波内侍は台盤所の奥の襖にもたれて、しょんぼりとしながら扇をまさぐっていた。
兵衛の君、それを見て、
(あの方は、他の人よりも格別気位が高く、
華やかな美しい様子の人なのに、
あの一件以来、しょげかえって・・・)

そこへ、御簾の外から蔵人少納言が呼んだ。
「内侍はいらっしゃいますか。
源の朝臣が、詔書(※1)の復奏の件がございますとの
ことですが。」
兵衛君、呼ぼうとして、丹波の内侍の方へ顔を向ける。
丹波内侍(主上のもとに顔を出すなんて、無理無理!)
手で×の合図を出す。兵衛君、笑って(弁の内侍を呼んできましょう・・・)

弁内侍は詔書を女帝に渡した。女帝はそれを見て、何も書かずにすぐ返した。
女帝、小声で「内侍よ、文字は落ちていなかったか」といった。
弁の内侍はそれを蔵人少納言に伝え、詔書を返した。
蔵人少納言、詔書を読み直し、真っ青になり、冷や汗を流した。

蔵人少納言はこの件を民部卿に伝えた。民部卿は驚いて詔書を見た。
「外記(※2)を呼べ!
落ちている文字を一つ書き加えさせよ!」
外記、文字を加え、詔書は民部卿により再び女帝に。

女帝は文字を確認して、「可」と書いて返す。
弁の内侍から詔書を受け取った民部卿は、ほろほろと涙を流した。
「年を取ってボケてしまいましたので、
前に見た文書だからと油断をいたしまして、
詳しく見なかったのでございました。」
「私は六代の帝にお仕えして、
最後に素晴らしい明王に
お会い申したことですわい」

側に控えていた中納言典侍も弁の内侍も、皆、感嘆している。

※1:「詔書」:律令制で、天皇の詔(みことのり)を記した文書。改元などの臨時の大事の際に発せられた。中務省が作成し、天皇は日付のうちの一部に加筆する慣わしであった。古くは和文体で書かれ宣命と呼ばれ、平安時代以降は漢文体で書かれた。

※2:「外記」:律令制下の朝廷の書記。太政官に属し、少納言の下にあって、内記の草した詔勅の訂正、上奏文の起草、先例の考勘、儀式の執行などを司った官職。大外記と少外記があった。

5&6-22 変化の人

その日の夕方、頭中将は三条院に参上し、民部卿が女帝の学識に感嘆していた様子を奏上した。

三条院はにこにこして聞いている。
「あの民部卿は、主上は生半可な知識しか
御存じないとでも思っているのだろうか。
書物を読んだり、難しい箇所を
すぐに読み解く事では
主上にとうてい太刀打ちできまい。」
「それに、一度見た物は
いつまでも忘れない御方で
いらっしゃる。」

頭中将は興味深げな様子で院の話を聞いている。
三条院「入内なさった当初は、
三代集や物語など、世間普通にあるものは
暗記していらっしゃるのかと
思っていたところ、偏つぎ(※)をするというので、
『文選』を少しお貸ししたのだ。」
「少し興味をお持ちの様だったからね。」

三条院「朕が四・五巻読んでお聞かせした後、
残りは訓点を施した書物を
置いておいたのを、お一人で
ご覧になっていた様だった。」
「じきにお返しになられた書物を
見てみたら、所々主上の御手蹟で
註が書かれており、その読みが
全て正確にあっていた。」

三条院「ひどく口数の少ない方だけれど、
学問の方は、神仏が人の姿を借りられたのか、
とお見受けされるのだ。」
「世間通常の后の宮などと呼ばれるだけでは
もったいないから、朕にも考える所があり、
こうして珍しい事を思い立ったのだ。」

三条院「朕は故院から『群書治要(※)』という
漢籍を賜っていたが、
寛平の御遺戒に背いて、
在位中は面倒で見る事もしなかった。」
「朕はそれを譲位の時に主上に奉った所、
その本も昨年お返しになった。
人目のある時には漢籍など御覧になる事も
なかったが・・・」
「主上の前世は一体どの様な御方だったのだろう。」

頭中将、下を向いて冷や汗を流す。
(なるほど・・・
院が主上に御譲位なされたのを
不思議に思っていたが、
こういう訳だったのか・・・)

*******************************************
そうしているうちに、嵯峨女院の一周忌も過ぎた。
*******************************************

※偏つぎ:文字遊戯の一つ。漢字のつくりを示して、それに種々の偏をつけた文字を次々と考えさせ、行き詰ると負けになるもの。

※群書治要:中国・唐代の政治書。五十巻。太宗の命で魏徴らが編集。六三一年成立。経書や晋代までの正史、その他の古来の群書から、政治上の要項を抜き出して配列したもの。

5&6-23 近習女房

丹波内侍はあれ以来ずっと落ち込んでいる。
女帝はその様子を見て、
(大して重要でない事の為に、
彼女が落ち込んでいるのは
可愛そうだわ・・・)
(何とか元気付ける方法はないかしら・・・)
女帝、ふと傍らに置いてある何十個もの扇に目を留める。
(あれは昨日父院から頂いた
母女院様の御形見の扇・・・)

女帝「あの扇と、故女院様が
お作りになった御守袋を
入れた箱を取って」
女帝、御守袋を触りながら、故女院が丹精込めて作っていた様子を思い浮かべる。
(母宮が心を込めて作っていらしたわ・・・)

中納言の典侍、丹波の内侍に
「主上がお呼びですよ」
丹波の内侍、「は、はい」緊張した面持ちで御前に。
丹波の内侍は、容貌も姿も人に優れた若女房。鬢や額が何よりも人目に立って華やかで綺麗。笑みをたたえた口元はとても垢抜けがして感じがよい。萩かさねのうちぎに朽葉色の唐衣を着ている。

中納言典侍「その真面目くさった顔つきはなに。
人はそんなにも変わるものかしら。」
丹波、神妙に控える。
中納言典侍、守り袋を指さして、
「この中でどれがいい?」
丹波、中納言典侍の顔を見る。
中納言典侍「余り厳かな顔をしないで、
気をつけてお選びなさい。
五つばかり気に入ったのを。
主上はそれぞれに持たせてごらんに
なろうと仰せになるのです」
丹波、元気が出て、嬉しそうに一つ一つ脇へ寄せたり、振ってみたりして、本当に立派な物を五個、蓋に置いて差し上げた。

女帝、その中から一つをとって、扇を添えて御下賜。
丹波内侍、もらった扇を開いてみたり、かざしてみたり。
(こんなに立派なものもらえないわ・・・!)
恐懼の態で女帝に返す。
女帝「気に入らなくて返すのですか」
丹波内侍、感動。
(主上は私をお許し下さったのだ・・・!)
丹波内侍、顔を真っ赤にして、涙もほろほろとこぼして、扇を懐に引き入れて、すぐ御前を立とうとする。
中納言典侍「あの顔の赤さは嬉しいためか、
悲しいためか。
嬉しいのなら、嬉しいとでも
主上に申し上げたいものです」

丹波内侍、そのまま下がる。そして女帝の目から見えない廊下で、立ち戻って拝舞(※)するまねをする。
中納言典侍、それを見て、
(まぁ、拝舞とはね。
剽軽な丹波らしい感謝の表し方だこと。)
「主上、あれを」と丹波を指し示す。
女帝、膝行して廊下をのぞき込む。
平伏していた丹波内侍は立ち上がってびっくり。あわてて自分の局に戻ってしまった。

女帝、にっこり笑って、
「丹波内侍はすっかり元気が出たようね。
次は右近内侍を」
右近内侍が女帝の御前に入ってくる。十六、七歳で、器量も姿もとてもかわいい人。髪の裾もとても房々としている。紅の単衣に女郎花の唐衣。慎ましやかに参上してきた。
女帝、守り袋を指して、
「これはどれが良いと思う。」
右近内侍、自分の近くにあるものを五つ程取っておく。
中納言典侍「まぁ、ひどく遠慮深い人ねぇ。」
右近内侍、扇と守り袋をそっと懐に入れ、ほんの少し笑顔を見せて、去っていく。

女帝、中納言典侍にふと目をやる。
中納言典侍、おどけて、
「私は今でも殿方が好きでたまりませんから」
と、平やなぐいなどの武具が付いている御守袋を扇の上に置いた。
それを見て、新宰相、くすっと笑って
(ま、中納言典侍様は、
身持ちがお堅いのに・・・)
女帝、ふふっと笑って、
「取っておきなさい」
中納言典侍、扇を開けて見ていると、女帝は新宰相に、
「そなたはどうか」と聞く。

新宰相、中納言典侍の扇の上にあった守り袋を取って懐に入れる。
中納言典侍「まぁひどい。
おとなしい振りをしていて、
怖いのだから。」
新宰相「私一人ではどれがいいのやら
分かりませんもの。」
と、すましている。
中納言典侍「あぁ、どうせそんな事だと思っていたのよ。
こんな心がけの人を近くに置いておくなんて!」
女帝、「そう思っていたのなら、
どうしてそんなに油断していたの」と、笑う。
二人も笑う。

女帝(良かった・・・
大弐の来訪以来のごたごたで、
ぎくしゃくしていた雰囲気が
元に戻ったわ・・・)

※拝舞:叙位・任官・賜禄の際、謝意を表して左右左(さゆうさ:腰から上を、左、右、左の順に向けて拝礼する)を行う礼。

5&6-24 御はからい

その後も、相変わらず大弐は御所に入り込んで来ては、大声で、
「御所の内はだらしない事」と言い散らす。

女帝の御前で、三位乳母
「あの大弐がこんな事を言っていたそうですよ。
全く不愉快です。」
丹波内侍「そうですね。
こんな事が度重なると、
やっかいで人聞きも悪いし。」

女帝、その話を聞いてじっと考える。
(皆の言う事ももっともだ。
そして、大納言の君にとっても
不愉快な事だろう。)
(そもそも、百合宮の御所が
どうしようもないほど
不如意な暮らしぶりなので、
お付き女房がつい御所に足繁く出入りし、
その結果、世間の噂の種となって
騒がれてしまうのだ。)
(それは誰にとってもお気の毒なこと。)

女帝、決意を目に秘める。
(ただ余りにも放りっぱなしで
体裁の悪い御住居でなければ、
自然に愚痴や愁嘆もなくなるだろう!)

(故嵯峨女院から伝領された
所々の御荘園を百合宮に賜ろう。)

また大弐君が参内してきた。
三位乳母(また私の親友の大納言君の事を悪く言って・・・
主上のお慈悲を伝えるついでに、ちょっと懲らしめてやろう)
「ちょっと帝の女房が呼んでいると言って
大弐をこちらに呼んできて。
私の実名を伏せてね。」

三位乳母、御簾の中で待ち受ける。
大弐「何ですか。
私にお話とは・・・」
三位「主上が百合宮様の事について、
上京後の事がお気の毒だろうと
お思いになりまして、
その御意向を頭の弁が承って
仰せ下される事がございました。」
大弐、それを聞いて喜ぶ。

三位「ところで・・・あちらの大納言君は、
主上の御乳母の三位の君が
とても大切に思っていらっしゃいます。」
「その方の御事を少しでもおろそかに言う人
があると、三位君はひどく立腹なさるのです。」
三位の後ろで控えている人、声を殺して笑う。
大弐、冷や汗。

三位「先夜も、
新宰相の典侍の局に妙な事を
言う人があった。
滝口の武士などを呼ばせてぶたせよう、
などとおっしゃっておりました。」
「早く人に見られないように、
こっそりとお出でなさいまし。」
大弐、震え上がって逃げていく。
大弐が去った後、三位と女房たち、大爆笑。

大弐、帰る道すがらも、牛車の窓を開けて、人が捕らえにこないかと、振り返り振り返りしていた。

大弐、百合宮の御所にたどり着いて・・・得意げに百合宮に報告。
「いつも宮様に申し上げました事は、
首尾よく主上の上聞に達しました。
頭弁が主上の御意向を承って、
御沙汰がございますとか」
百合宮「大弐、でかした!」

翌日、勅使の蔵人の少納言が百合宮の御所に到着した。
蔵人少納言
「主上が、御上洛後はさだめし宮の内も
お気の毒な様子ではなかろうかと
案じておられました。」
「そこで、主上から故嵯峨女院より
伝領の荘園のいくつかを
百合宮様に賜られました。」
蔵人少納言、主上からの荘園の証文を置く。

百合宮、大喜び。蔵人少納言の後ろ姿を見送って・・・
百合宮「あの人の下襲は赤色ね。
色を許されている殿上人なのでしょう。
どうして裾が短いのかしら。」←また着物にこだわりが・・・
大弐「御所の主上はまさしく仏が
この世に現れておいでになったのでした。」
女房達も同意して、帝を誉めそやす。

百合宮「さて賜った荘園の管理はどうしよう・・・」
大弐「私の知り合いで、讃岐前司の某が
頂いた荘園に関わりがある者です。
そのものに管理させては?」

讃岐前司、御簾の外から百合宮に恭しく平伏。
「誠心誠意宮仕えをさせていただきます。」
百合宮の言葉を女房が伝えた。「大変結構」

大弐の局で、讃岐前司が大弐と睦びあっている。
讃岐前司、大弐に向かって、
「そなたのお陰でうまい汁にありつけそうだ。
百合宮様は、俺が少しくらい貢物をちょろまかしても
気付かなさそうな御方の様だ。」
「・・・しかし、宮様に気に入られるには、
どうしたらいい?」
大弐「そりゃあもう・・・」

次の日、讃岐前司は百合宮に絹、綾、沈(ぢん)、丁子、甘葛、麝香、檀紙、色紙、手箱、硯などいろいろな物を奉った。
軒先の忍草を払わせ、屋根も葺き替えて、雨漏りで濡れた跡も綺麗にし、埃や塵も払わせなどして、住居は申し分なく立派になった。

百合宮の女房達は、
「主上は本当に素晴らしい御方だ」と噂してがやがや言っている。
百合宮「あの勅使が訪れてきた時の妻戸口を『勅使の間』として置いておくように。
今度内裏からの勅使が来た時も、あそこからお通しするように。」
女房達「はい」

新大夫は、あちらこちらを見回って、百合宮に報告した。
「まぁ素晴らしい。
この御所は御門前は言うまでもなく、
あちらに見える辻からずっと、
今では馬や車に乗ることは思いも寄らぬ事でございます」

今や百合宮の御所の門前にはこういう立て札が立っている。
「元斎宮様の御所前では、下車、下馬して通るように!
徒歩の者は腰礼(こしうや:現在の御辞儀のこと)をすること!」

「徒歩で通り過ぎる者も、腰礼をこうして深くして通っておりますよ」
新大夫は腰を深く曲げて、通行人のまねをした。
百合宮、ご満悦の表情。
「新大、もう一度腰礼をなさい、腰礼をなさい」
新大夫は真似を何度もした。

5&6-25 御法の花

<三十三年>
三条帝:二十九歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十九歳
藤壷女御(藤姫):二十九歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十七歳
麗景殿女御:二十七歳

松風中将:二十八歳
有明中将:二十八歳

月光一品宮:二十六歳
百合宮(前斎宮):二十五歳

葉山帝:十一歳
二宮(東宮):十歳

忍草姫:二歳
***********************************************

翌年の秋、女帝は故・嵯峨女院の三周忌の御為に、清涼殿で法華八講(※)の儀式を行った。
そのために女帝は金泥の五部の大乗経を御自身でお書きになり、御自身の為の御仏像を御用意された。

藤壷皇后、女帝をみて、
(精進が重なったせいかしら、最近、主上少しお顔がお痩せになられた・・・)
(相変わらずお美しいけれど、近頃になって不思議な御光が御身に付き添っている気が・・・)
(もとから香ばしかった御召し物の御匂いも、より強くなってきている様な・・・)
(不思議な事だわ・・・)

説教の御聴聞の折り、藤壷皇后は女帝のお側にいる。
藤壷皇后、うとうとっとする。

藤壺皇后の夢の中・・・
藤壷皇后の目に、言いようもなく気高い様子の四天王が歩いていき、女帝の御座所の御簾の前をたいそう畏まって通り過ぎた様子が写った。

嵯峨女院の霊が、女帝の横に来て、ひどく御泣きになる。
「あらたまの みとせの月日 なほてらせ あまつ空には 君をまつとも
(もうあと三年間は天子として在位なさい。
私は天上であなたを待っているけれど。)」

女帝、部屋の外をじっと見詰めて、
「にほひそふ みのりの花に いそがれて かひなき月日 いかがとどめん
(日々に光彩の増す仏道に心がせかされて、
甲斐のない日々をどうしてこれ以上生きながらえましょうか。)」

藤壺皇后(どうしてその様な事を・・・)

そこで、藤壺皇后、はっと目覚める。
「夢!」
しかし、女帝は先ほどの夢の通りに物思いに沈んで外を見詰めている。

法華八講の五日間はすぐに終わった。

※法華八講:法華経八巻を八座に分け、普通一日に朝夕二座講じて四日間で完了する法会。


5&6-26 秋の調べ

八月十五日、中秋の名月。一点の曇りもない満月の夜。
関白邸にいた藤壺皇后は、女帝からの御文をもらった。
藤壺皇后、側の女房に「参内します。用意を。」

内裏では、女帝が参内した藤壺皇后を認めてにっこりする。皇后宮は物優しい様子で二間に控えている。
女帝は、御簾を少し上げて外をぼんやり眺めた。
藤壺皇后、その女帝の御様子を見て、
(何てお美しい・・・)
(でも、主上は夢の中での御歌の様に、この世はただ束の間とお思いになっていらっしゃるようにお見受けされる・・・)
(主上・・・どうかいなくならないで下さい!)←百合?
藤壺皇后はどっと涙をこぼして、
「いそぐらん みのりの花の にほひゆゑ むなしき月を 我やながめん
(帝は出家をお急ぎの様でございますが、
そのお美しい御面影をお慕いして、私は独り空しく月を眺める事でしょう)」

女帝は皇后の言葉を聞かない振りをしているが、御袖を目に押し当てて、肩を震わせる。

・・・次第に夜が更け、月は一層澄み切って、御庭先の前栽の露は、玉を緒に貫き連ねて掛け渡したように見える。

女帝「まぁ・・・何と美しい風情・・・」
「琴(きん)のことを持て」
女房「はっ」捧げて持ってくる。

女帝は琴を弾く用意をする。藤壺皇后は驚いて、
「前々から琴をお弾きになっていらっしゃいましたか?」
女帝「昔、嵯峨院がお教えくださいましたけれど、一向頼りない程度のままで止めてしまいました。」
「ひょっとすると思い出すことが出来るかもしれないと、この間からほんの試しに弾き鳴らしております」

そう言って、本格的に演奏を始めた。
殿上に伺候している人々、余りの素晴らしさにぼーっとなる。

露台(清涼殿の東、紫宸殿と仁寿殿との間にある屋根のない、板敷きの間)にいた松風、女帝の琴の音を聴き、固まる。
(これは女帝の琴だ。行幸の折、少し拝聴したことがある。
何と素晴らしい!)
(こんな琴の音を有明が聴かないでいるのは罪の深い話だ。)
随身にさらさらと書いた文を渡して、
「これを有明右大将に」

有明、邸で文を見る。
松風「まだしらぬ 雲井にひびく 松かぜの 秋のしらべを ひとりきくかな
(ついぞ耳にしたこともない
空まで響く松籟の秋の調べを
たった一人で聴いています)」
「これをお聴きになったら、あなたもどんなに心を乱される事でしょう」

有明、ピンと来る。
(何と!女帝が琴を弾いていらっしゃるのか?
牛車で行くのはじれったい・・・)

有明は馬に乗って御所に参上した。
有明、女帝の琴の音を聴いて、「これは・・・素晴らしい・・・」
有明、松風に向かってほろほろと涙をこぼし、
「よくぞ知らせてくれました」
松風「余りの見事さに関白にもお知らせ申し上げたいのですが、昨日勤行の為とかで、宇治へお越しになっていたのです・・・」
「女帝の琴はどなたのご伝授でどこにあったものかと驚いているのですが、せめてあなたといろいろお話ししたいと思いまして」

有明、胸を衝かれる。(松風・・・私と話したく思ったとは・・・嬉しい・・・)

女帝の琴を二人で並んで聴いている。
松風「私の下手な笛の音でも女帝の琴に吹き合わせてみたいけれど、
女帝が聴かれていた事を不都合に思って演奏をおやめになったら困るので、
我慢しています」
有明は、女帝の姿を見たい様子で、
「御簾は上げられていますが、月の光が差し込まないので、中まで見えませんね・・・」

一方、清涼殿では、
女帝、藤壺皇后宮に
「あなたが長年手馴らしていらっしゃる筝のおことを一緒に合わせて下さいませよ」
藤壺皇后、手を胸の前に突き出して、体を後にした。
「そんな・・・とんでもございません・・・」
「今夜の素晴らしい琴の音にあわせるなんて、とても私には・・・」

女帝「ながき世と ちぎりしことの ををたえば こよひの月を それとながめよ
(いつまでも長く御一緒にとお約束した御言葉に背いて、もし私が先に逝きましたら、今夜の月を形見と思って眺めてください)」

藤壺皇后、袖を目に当てて泣きながら、
「ををたえて しのばんことも いくよとて 空行く月の かけはなるらん
(主上の後に残された私が
いつまで生きていられるとお思いで、
先に逝かれてしまうのでしょう。)
つれないお言葉でございます」

女帝は、皇后宮の肩に手を回した。
「泣かないで下さい、皇后宮」

外の二人「あ、女帝は演奏をおやめになった。」
松風「せめて伺候していたとだけでもお耳に入れたいな」
二人で、南殿のすのこによりそって座り、笛を同じ調子で合奏。

その音に気付いた女帝、
(まぁ、見事な音色。松風、有明左右大将の音だわ。
二人揃って参内しているなんて珍しい事。)

女帝は奥にお入りになり、朝がれいの間で物に寄りかかって御寝みになったので、皇后宮は藤壺に帰った。


5&6-27 月の都

三条院が御帳台の中で寝ている。

夢の中・・・女帝が一時しのぎの御座所にいる。
三条院(どうしてまた、そんな所に・・・)
周りの景色は、春秋の花が美しく咲き満ちている。広い川があり、少し遠くに行幸用の物とは違った、宝玉造りの飾り立てた御輿が、女帝のお迎え用に待っている。

三条院、女帝に話しかける。「びっくりした。一体どうしたのか。」
女帝「色にいでん 秋のなみだの かひもあらじ 月のみやこに ちぎりたえなば
(月の都に迎えられて、
一旦あなたとの契りも絶えてしまえば、
秋の紅葉の血の色の涙も
何の甲斐もないことでしょう)」

三条院(何をおっしゃるのだ!)女帝の袖をひっぱって、ひどく泣いている。

三条院、ハッと夢から覚めると、涙がひどく流れていた。
三条院(ひどく胸騒ぎがする・・・)
「大僧正に帝の為の御読経をたくさんしていただくよう、伝えてくれ」

三条院は女帝に文を書いた。しばらくして女帝から返事があった。
(主上からはいつもと変らない様子の文が帰ってきたが・・・心配だ・・・)

5&6-28 雲井の道

八月二十日の頃、女帝より「相談したいことがありますので、そちらにうかがいます」との文が三条院に届いた。

女帝は三条院に行幸した。女帝は、三条院を一目見て、泣き崩れた。
三条院(度が過ぎて変だ・・・)
院は、女帝を支えながら、
(以前にも増してなよなよと上品で美しいご様子だ・・・
御袖の香りも以前より強くなって・・・)
(まるで天人が天下ったかのようだ・・・)
院は女帝をしっかり抱いて御帳台の中へ。

いつものように短夜は明けて・・・
三条院(このままこの人を手放してしまったら、もう会えないような気がする)
「もう一日滞在して下さるな?」
女帝、うなずく。

三条院(今日はこの上もなく主上が愛しく思える・・・)
「実は・・・おかしな夢を見てね・・・」
女帝、首を傾げる。

三条院は女帝に夢の話をする。
女帝は、ハッと顔色を変える。
(院にはこれ以上出家の事を隠し続ける事は出来ない・・・)

女帝「おほかたの すみはてぬ世を はかなさを 月の宮こに たれかかこたん
(人が永遠に生きていくことが
出来るわけがないこの世の儚さに、
月の都では誰が愚痴を申しましょうか)」
女帝は、ひどく涙がこぼれるのを隠す。

三条院「限あらん 雲井のみちは かはるとも 世々とたのめし 契たがふな
(限りのある御在世の間は、
例え離ればなれになっているにせよ、
何代経ても取り交わした二人の約束には
背かないで下さい)」

女帝、涙を流して、
「やすらひに いづるもをしき まきの戸に いく夜ありあけの 月かのこらん
(出ていくのがためらわれる
名残惜しい真木の戸に、
今後幾晩有明の月が残る
・・・もう後幾晩あなたに
お会いできる・・・でしょう。)」

女帝は膝行して、部屋を出ていく。
三条院、女帝の横顔を見ながら、はらはらと涙を流す。
「こころから 程は雲井の 月なれば かはらずすまん かげをこそまて
(自ら進んであなたを帝位に
つかせたのだから、
もうしばらく変わらぬ愛情で
一緒に住む日を待ちましょう。)」

女帝、三条院を下唇を噛みながら、涙の溜まった目で見つめ、きっと心を決めた様子で出ていく。

女帝は内裏にお戻りになった。

三条院はぼーっとして、御帳台に入る。
女房達、顔を見合わせて、
「今日は後涼殿様のもとに御渡りにならないのね・・・」
「お珍しい・・・」

女帝、帰りの輿の中で、
(院の御夢といい・・・
皇后宮の独り言といい・・・)
(私の出家の志は
感づかれてしまっているようね・・・)
ふぅ・・・ため息をつく。

5&6-29 御遺言

女帝の御信頼を取り戻した、と確信した丹波内侍は、打って変わって自信満々、元気になった。
(私は、つまらない口真似のために、
身を滅ぼすべき人間ではなかったのだ!)
近くに居た女官に、
「ちょっとこちらの台盤の上を拭きなさい」
女官「はい」
女孺「丹波内侍様、本日は御機嫌が麗しい様で」
丹波内侍「わかる?
あ、そうそう南殿を綺麗に掃除してくれないかしら。
してくれたら私の唐衣をあげる。」

女帝の御前
中納言典侍「・・・と、丹波内侍は、御所の中に
塵一つ落ちていないよう
配慮を心がけております」
女帝(まぁ・・・なんと殊勝な・・・)
「丹波にもどこか所領を与えましょう」

丹波、それを中納言典侍から聞き、「えっ!主上が私に所領を・・・」
じーんと感涙する。

女帝の勤行中、丹波内侍が控えている。
女帝、丹波内侍を見て、涙をこぼしながら、
(ああ・・・私はもう長くはない・・・)
丹波内侍に向かって、
「あなたの母親が生きている間だけは、
尼にならない方がいいですよ」
丹波「?」
(主上からこれほど目をかけていただいている私。
なぜ尼になるような必要が?)
「どうしてそんな事がございましょう」
女帝、にっこりしながら丹波内侍を見る。女帝の目からは訳もなく涙がこぼれるので、涙を拭いて読経を続けた。

しばらくして、女帝は右近内侍の髪を撫でていた。
女帝「たいそう美しい髪ね・・・」
右近、恥かしそうに「幼い時は、畏れ多くも主上に髪を削いで頂きました・・・」
女帝、右近の黒髪を見ながら、
(私が死んだら、この子はこの美しい髪を
尼そぎにしてしまうのだろうか・・・)

右近内侍が局に下がった後、女帝は中納言典侍を見ながら、
(この人の世話も途中で終わりそうだわ・・・)
(御経や仏像の処理について
きちんと伝えておかなくては・・・)

そこへ、新宰相典侍が、女帝に頼まれた御写経を終わらせて、献上した。
女帝「まぁ・・・美しい筆跡・・」「新宰相」
新宰相「はい?」
女帝「この先、何があったとしても、
こちらの御経と、御仏の画像は
かき届けて下さいね」
女帝は新宰相典侍に目録を渡した。新宰相は、怪訝な顔をして、受け取った。

5&6-30 御国譲

翌日・・・
月影関白「主上からの勅使が?
私を始め、然るべき上達部が参内するように、と・・・」
急いで牛車に乗って内裏に向かう。
警護の随身、いかめしい。

関白「もう固関(こげん:大きな儀式や事変に当たって、朝廷から勅使を遣わして諸国の関所を警護させること。逢坂・鈴鹿・不破の三関を固めた)・警固の儀式の準備も整っていると・・・!」
藤壷皇后「これから、御譲位の宣命が発せられます」

関白「宮・・・東宮の御装束は・・・?」
藤壷皇后「昨日、主上からうかがって・・・用意してございます」

東宮は、女帝からの文を受け取り、紫宸殿に出てきた。

女帝は既に出家している。譲位の儀式の最中、扇の裾から見える肩のあたりの髪がすごく綺麗で、女神(松尾大社女神像)のよう。
内侍二人が宝剣と神璽の御箱を捧げて新帝のお供に参上する間、お入りになる女帝のお姿の清楚でお綺麗な事は例えようもない。
大将達、大殿、周りの人々は女帝の出家を知って、動転。そして感涙。

新帝の辞譲の表(旧主譲位の後、新主が奉るもの。譲位の儀式の一つである。)など新帝せんその儀式が終わってから女院(退位後の女帝)はそのまま承香殿にお移りになる。

女院の頭の中に昔の事が走馬燈の様に思い浮かぶ。
東宮は、女院自身の御意向に従い、女院の御養子である三条院の二宮となった。

女院(私の事を心から慕ってくれるかわいい藤壷皇后宮・・・
二人の子が帝と東宮になったのだから私がいなくなっても大丈夫ね・・・)

新帝は十一歳、東宮は十歳、女院は十六歳で三条院に入内して、皇后にたち、二十一歳で即位して、今二十七歳。

5&6-31 異香のかおり

月影関白「何と!新女院の御道具、故嵯峨女院の形見の由緒ある御道具、遊び道具、方々の御荘園や然るべき文書を、そっくりそのまま新東宮に御移し申し上げると?」

頭弁「はい。前々から新女院から整理なさるよう御命令がありまして・・・」

月影関白「退位なさった今こそ、この様な物が必要となるのに・・・
きっと新女院はご存じないのだろう。
私から不賛成の旨を申し上げよう」

月影関白は新女院に対面した。
関白(準備が間に合わなかったとかで、差し向かいでお話下さっているが・・・
なんだかこの世の人ではない光が加わっているようで、まぶしい・・・
御香も、承明門の辺りまで漂っていて、官人達が驚いていたし・・・)

関白「東宮様への御道具委譲の件、私は不賛成でございます。退位後の今こそ、この様なものは必要です」

新女院、首を傾げて
(関白には体の不調の事は言っていませんでしたものね・・・)
「思う子細があって。今日は吉日だそうですから。」


5&6-32 法華経

藤壷皇后(今日は何だか胸騒ぎがする・・・)
女房「新女院は朝から御湯殿にお出ましになって、身を清めていらっしゃるらしいわ」
女房2「これから特別なお勤めが始まるのかしら・・・」

月影関白が藤壷皇后の間に参上した。
「新女院は、私がお止めしたのに、全ての財産を東宮様にお譲りしてしまった・・・」

藤壷皇后(ああ!やはり!)
ぱっと立ち上がり、
「新女院のもとに参ります!」
関白、きょとん
「一体どうしたのだ?」

新女院の御座所、音もなく静まり返っている。周りの者はせんその儀に歩き回ったので、疲れてうとうとしている。新女院は脇息に寄りかかって、法華経の八巻の末尾の方を持っていた。

藤壷皇后宮、そばにすっと寄って座る。
(女院様は法華経を全て暗記していらっしゃるのによりにもよって八巻の末尾をお持ちとは・・・。いよいよ往生されようとしていらっしゃるのかしら?まさか・・・。)

新女院、皇后宮の方を見て、少し赤くなって笑う。
(この人には何もかも気づかれてしまうわ・・・)
「たちかへる 雲井はいくへ かすむとも 君ばかりをや おもひおこせん
(天上に帰ってゆく途中の雲が
幾重に霞んでいても、
あなただけにはその彼方から
思いを馳せることでしょう)」

藤壷皇后宮、涙に濡れて、
(この方は、今まさに天上に上っていこうとなさっているのだわ・・・そんなのは、嫌!)
「花の色は かすみも雲も へだつとも こひんよなよな にほひおこせよ
(花のような美しいあなた様は
霞や雲が間を遮りましょうとも、
私の恋い慕う夜々には、
どうかお便りを下さいませ。)」

新女院、皇后宮の歌を聞き終わる間もなく、崩れ落ちる。藤壷皇后、その手を捉えて、
「もしもし、女院様、聞こえますか?」
「女院様ー!!」

人々、起きてきて大騒ぎ。
泣きながら新女院を囲んで、僧正を呼んできて、皆で読経。

「新女院、御崩御」
頭弁が聞き、空を仰ぐ。
(女院様が私にああお命じになられたのは、
こう言う事を予期しておられたのか・・・)

一方、三条院では、
三条院(今日は朝から慌ただしかった・・・)

昨夜は、女帝の香りが残っていて、ひどく胸騒ぎがして、夜居の僧に勤行を命じて、寝殿に一人でいた。

と、突然蔵人が女帝の突然の御譲位を伝えてきた。

急いで女帝に文を出して訪ねたら、
「もはや儀式は始まりました。
今日までも帝位に居りましたのは、
本当に奇妙な事で、不本意な事でございました」
という返事が来た。

何となく嬉しくなって、
(それではこれからはいつもお側に連れ添ってさしあげよう)と思った。

それから、後涼殿の部屋にいって、
「全くにわかな御譲位の事を聞いて、びっくりして」
と話した。
後涼殿の顔が一瞬曇ったが、気にしまい。

回想から我に戻った三条院に、女房が報告しに来た。
女房「御譲位の儀式に列席された公卿の方々が、こちらに来られました」

三条院「おお。その中に宰相中将はいるか?
話を聞きたいものじゃ。」
宰相中将、御簾の外で、
「全く珍しい儀式でした・・・」

しばらく話を聞いた後・・・
使者「大変です!大変です!」
三条院「どうした?内裏からの使者の様だが。通せ。」
使者「新女院、にわかの御崩御!」
三条院、頭の中が真っ白になり、倒れる。

5&6-33 なりゆくさまざま

突然女帝が譲位、崩御された事を聞いた百合宮、
「何ということ!
あのような御立派な方が!
この世には、神も仏もいないのか!」

しかし、女帝の配慮のおかげで、御所の中は女帝の生前と同様に、毎日思う存分に遊び戯れていた。

百合宮は、物惜しみとかけちな気持がないのが長所。
「さぁ参詣に出かけよう」「さぁ供養をしよう」
と、殲法、御仏の供養、散華の花、捧物など、思いつくままにした。

中将は性格に憎らしい所があって、人と張り合ったり、勘ぐり、長喋り、悪口ばかりが好きであったが、器量はそれほど悪くなくて、容姿なども由緒ありげに、格好がついていた。
台盤所や局などで、いながらに宮の御物の怪になると言って、びしびしと打ち叩かれたが、時々祟りを恐れて、百合宮から品物を賜ったりした。
小宰相が宮を出た時には、意地悪にも「谷には春も(紫上の台詞?)」と大声で詠じた。
最後には御所を追い出された。

小宰相は、百合宮の御所を出て、優雅な生活に落ち着いた。時々は百合宮を訪ね、参上してお目にかかった。
散華の華や捧物はお仕えしている人と同等に進上。
尾張の勅旨田の糸を百合宮が大づかみに取って小宰相に渡して、小宰相はそれで単を織らせて、百合宮に献上した。
百合宮と小宰相は申し分のない御間柄。
小宰相は、設計は風流ではないが、ひっそりとした隠れ家を作って、里として出入りしている。男の主人も欲しがらないので、家の中は騒ぎもなく落ち着いた暮らしで、すっかり老人になるまで過ごした。

新大夫は、百合宮の設計で、宮の御邸の向かいに、雛屋の様に磨き上げた私宅を設けて、某の阿闍梨、前少将、美作介が夫として住んだ。
亭主運が余り良くなく、添い遂げない人が多かった。しかし、百合宮の御寵愛だけは、年月が経っても全く衰えないで生涯を終わった。

人は心がけ次第で、身の上は良くも悪くもなるものだ。また、場所柄と言う所に気をつけなくてはならない。

第五・六巻 アレンジ 終

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「第五・六巻 アレンジ前半」

5&6-1 静かなる御代

<二十九年>
三条帝:二十五歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十五歳
藤壷女御(藤姫):二十五歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十三歳
麗景殿女御:二十三歳

松風中将:二十四歳
有明中将:二十四歳

月光一品宮:二十二歳
百合宮(前斎宮):二十一歳

葉山帝:七歳
二宮(東宮):六歳

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女帝の即位の翌年、水尾女院が御崩御になった。
女帝はため息をついた。
(母宮様の叔母様で、特別喪に服する様な間柄ではないけれど・・・)
(大嘗祭の御禊は延期した方がいいわね・・・)
(なるべく早く退位したいけれど、しかるべき行事を終わらせてからにしたいわ・・・)

そうこうしているうちに、女帝の在位は足かけ三年となった。女帝の徳が行き届いているからか、天変地異も起こらず、泰平な御代が続いている。

人々「帝は何と行き届いたお方だ・・・」
「御譲位なさるのがもったいない・・・」

藤壷皇后宮が参上した。
「主上、父・月影関白が司召(つかさめし)の事でおうかがいしたい、との事です」
女帝「そうね・・・こちらにいらっしゃるようにお伝えして」
藤壷皇后、はっとする。
(白いお召し物を着られた姿が何とお美しい・・・。
私はこの方のお側にずっといることができて、幸せだわ・・・)

女帝、目を閉じながら、
(司召の事は三条院様に御相談しようとしたのですけれど・・・)
三条院の回想「あなたはこの上もなく利発で、行き届いたお人柄だ。この私より何倍も。
・・・だから、司召などのしかるべき政治向きの事や、朝夕の御所の中の年中行事も、あなたの御心のままに行って下さい。」

月影関白は御簾の外から奉上した。
「こんどの播磨国司には、この者をあてたいのですが・・・」
女房が取り次いだ。
女帝「・・・この者は、昨年百姓達から年貢の不正を告発された者ではないか。関白はそこの所も考慮に入れて推挙しているのか?」
月影関白「そ・それは存じませんでした。」

藤壷皇后、月影関白、舌を巻く。

三条宮で、三条院「そうか・・・帝は素晴らしい政治を行っているのか・・・」
月影関白「皇后宮によると、主上は誰に対しても分け隔てをなさらないので、人々は常に気持ちよくお仕えされているようです」

二宮の事から、もとから女帝は藤壺皇后宮とは親しく言葉を交わしていた。
従来にも増して、内裏住まいをしている間には、またとなく仲のいい御姉妹がいらっしゃるかのように信頼申し上げている。
藤壺皇后宮が女帝の許に参上しない日はない。毎日いくらかの時間は御側に座っている。

藤壺皇后宮は行き届いて理知的な御性格。父の月影関白が毎日参上できない代りに、今から何事によらず、女帝は藤壺皇后宮に申し付ける。
あたかも帝が御二方いらっしゃるよう。

女帝は、御手水を手伝わせるなどの雑用以外には、身近に召使を置いて雑談したり、ふざけたりなど少しもしなかった。
女帝は召使を分け隔てしない。

女帝は、近頃では東宮や二宮を朝夕召す。それにつれて、二人の御乳母達も毎日御前に参上する。

嵯峨院、嵯峨女院の女房達は、皆御前に参上している。人は多いが、皆節度を守り、さりとて堅苦しくなくお仕えしている。

上達部や殿上人、左右大将は、女房の詰め所である台盤所のあたりまでは身分に応じて毎日伺候。

月影関白殿のみ、御手水の間や朝餉(あさがれい)の間に伺候。それ以外の男は立ち入らせない。
しかし、用件がある蔵人などは、やむを得ず朝餉の間の長押の所まで参上して遠慮なく奏上した。

上達部を初め、卑しい連中まで、自分だけは規定を破っても大目に見てもらえようと油断して、手を抜くことはできない。
男女ともにいつまでも果てしなくおしゃべりしあったり、ふざけたりすることもない。蔭で一人こそこそと悪口を言う習慣もなくなった。

全ての事は公明正大で、秘密は何一つないように、と女帝はいつも気をつけている。

5&6-2 除目の夜

<三十年>

三条帝:二十六歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十六歳
藤壷女御(藤姫):二十六歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十四歳
麗景殿女御:二十四歳

松風中将:二十五歳
有明中将:二十五歳

月光一品宮:二十三歳
百合宮(前斎宮):二十二歳

葉山帝:八歳
二宮(東宮):七歳

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除目の夜は、嵯峨女院がお越しになって、女帝と御席を並べている。
典侍や内侍が女帝の御姿を几帳で隠している。しかし、御後姿や、御袖の上までは隠していない。

節会の折にも、御椅子に座している御姿を遠く隔たった御階のもとの人々にも知らせる必要があるので、御衣の褄や袖など照り渡る日光の下に輝くばかり。

三条院の御代には、帝は後涼殿で日がな一日暮らすことがあった。今上の女帝は何事もテキパキと処理して、御髪をお梳かしになるのまでも少しも時間をおかけにならない。

この話を三条院が聞いて、
(全く自分勝手だとは思うけれど、女帝にお逢いしたい・・・)
(そして藤壺皇后宮にもお逢いしたい・・・)
(近くにいていつでもお逢いできる時には何とも思わなかったが・・・
今は女帝の側で生き生きと輝いている・・・)

「こころから 袖にやどりし 月も日も 雲井のよそに 恋ひやわたらん
(自分の袖の中のものであった月も日も・・・藤壺皇后宮も女帝も・・・
自ら求めた事ながら、今では遠く離れて恋い慕い続ける他はないのか。)」

女帝に熱っぽく文を書く院を、横から後涼殿が不安そうに見ている。



5&6-3 初霜

初霜の降りた夜明け、女帝は寝床で髪をさわっていた。
(冷たい・・・)
三条院を思い出して、
(これほど長く一人寝が続いた事はなかった・・・)
女帝が一人じっと考えているうちに、夜が明け、外で滝口の武士が時刻を奏する声や、忙しく行き交う沓の音が聞こえる。

女帝 「あけぬなり 我が身ひとつに ながき夜の 袖にしらるる 秋のはつしも
(私だけは寝られない長い夜も明けたようだ。涙に濡れた袖の様子に秋の初霜が降りたことも分かった。)」

朝餉の間の御格子を上げて、女帝は庭に植えられた撫子に霜の降りた様子をじーっと見ている。

女房の兵衛佐、三条院の文を持ってくる。
「院からの御文です。」
女帝、御文を見て、
(まぁ・・・美しい紅の紙・・・辺りに映る程だわ・・・)

三条院の歌 「夜もすがら ちぎりておきし 秋の霜 わすれぬ袖の 色をみせばや
(夜通し契りを交わして将来を約束した朕の、
あなたを忘れる事ができないこの気持ちを、
血の涙に染まった袖の色にお見せしたいのです)」

「身にかへて おもふ心を しらせても あひみぬ恋を えこそしのばね
(命に代えてもとまであなたを愛している気持ちをこうしてお知らせしたところで、お会いできない恋の苦しさは我慢できません)」

女帝、しんみりと(淋しい気持ちなのは、私だけではなかったのだわ・・・)

三条宮に、女帝からの返事が届いた。
女房「主上からの御返事です」
三条院「おお!」

女帝 「色かける 秋を我が身に そめしより 袖には霜の むすぼほれつつ
(私にお飽きになったことが分かりました時以来、
私の袖にはいつも涙で霜が結ばれております)」

「身をかへて のちにもいかが わすられん またあともなき 世々のためしを
(帝になりましてからも、どうしてあなた様の御事が忘れられましょうか。
他には例もなく、後々まで引き合いに出されるような二人の仲ではございますが。)」

三条院は肩を落とした。
(やはり主上は、朕が位を投げ捨て、後涼殿と一緒に暮らす道を選んだことを恨んでおられるのだ・・・)
(しかし恋しい・・・)

三条院、ぼーっと初霜の降りた庭を見ている。
後涼殿、後ろから淋しそうな表情で院を見ている。
(院は、私の為に位を降りられたことを後悔しておられる・・・)

5&6-4 豊の御禊(とよのみそぎ:天皇即位後、大嘗祭の前日に行われる賀茂川での潔斎)

うらうらと晴れた日に御禊が行われた。
三条院の御桟敷は特別入念に作られている。深雪女院、後涼殿中宮、月光一品宮などの御出衣の数々は、紅葉かさね、菊のかさねも彩りを尽くして、素晴らしい。

三条院は荘厳を極めた女帝の御輿が通るのを淋しそうに見ている。
「けふはまた われしもものを おもふかな とよのみそぎの よその日かげに
(今日はまた朕一人物思いをする事だ。
御禊の行列をよそながらに見ていると)」

女帝は、賀茂河原の仮宮に着いた。月影関白、院からの使いを丁重に晴れがましく扱う。

女帝は三条院に返事を書く。

「かけざりし みそぎのなみに 袖ぬれて 神代あやしき 身のちぎりかな
(思いもかけなかった即位の後、
今日御禊の波に袖も濡れて、
昔の御縁も不思議に思われてなりませぬ)」

嵯峨院は、嵯峨女院と同車で御禊を見に行く。殿上人、蔵人ばかりが供をし、網代車三両を二条大宮の辺りに停める。他の車は畏れ多いので退く。



5&6‐5 嵯峨の行幸

その年の冬、嵯峨院へ行幸がある。嵯峨院は、女帝を待ちかねていた。
三条院(こういう折りがないと、女帝に御対面になれない・・・)
(自分で招いた事とは言え、なんと辛い日々だった事か・・・)

雪が申し訳程度にちらついて、曇りがちな空。山の松蔭。
荘重な音楽の音、御輿をお迎えする間の素晴らしさ。

庭は左右の大将の御下がさねで彩られる。寝殿の御階に御輿を寄せる。
内侍二人が御佩刀や神璽のはこを取る。
嵯峨院は袖で涙を押しぬぐっている。

女帝は母の嵯峨女院と対面した。女院は出家の慎みも忘れて、几帳を横に押しのけて、感動の再会をした。

音楽が始まり、日暮れの頃、女帝は三条院と御対面した。

二人は何も言えず感極まった表情で見詰め合う。抱き合って御帳台に入る。

空が白んでくる。三条院と女帝、二人でまどろんでいる。
三条院「おや、東の空が白んで来ている。まだ宵の口かと思っていたのに・・・」
三条院、指貫に袿を着て、自分で妻戸を開けて外を見る。

外は真っ白な雪。幔幕、楽屋、龍頭げき首の舟にも雪が真っ白に積もっている。

気付いたら女帝が横に寄り添う。三条院、女帝の方を見て、
三条院 「おもひきや ふりにし雪の きえかへり 草葉はつかに わかるべしとは
(昔からのあなたとの契りなのに、
死ぬような思いをしながら、
こんな仮初めの逢瀬だけでお別れしなければならないとは、
予期した事があったでしょうか)」

女帝 「わかれける ちぎりのほども しら雪の ふりにしかたの いふかひぞなき
(あなたとお別れした運命もどういう事か分かりませんが、
昔の事は今更言っても甲斐がない事です)」

女帝「すっかり夜が明けてしまうと面映いので・・・」膝行して部屋を出て行く。
三条院、女帝の顔をじっと見詰める。
(何て可愛らしく美しいのだ・・・。なぜ私は自らこんな事をしてしまったのか・・・)

三条院、何かに気づく。「御乳母の三位を呼べ」
三位が来て、側に控える。

三条院「変に季節が合わない様な気がするが・・・昨夜はまだ宵のままで夜が明けてしまった。」
「今日は東の方角を避けなければならない日だった。帝は今夜こちらにお泊りになるのがよろしい、と嵯峨院に奏上しなさい」
乳母、ぽっかーんとしている。が、はっと気付いて笑い出す。
三位「いかにも御言葉の通り、床に就いたかと思うと、すぐに夏の夜の様に夜が明けた気持ちがいたしました。」

三位、嵯峨院と嵯峨女院の前で奏上。
嵯峨院(三条院はなんと嬉しい事を・・・)涙を落として、
(なぜ方角がお悪い事に気付かなかったのでしょう。どうして主上が御所にお帰りになれよう。早くその旨を主上に仰せ付けなさるがよろしい。)
三位、にこ!と笑って、「かしこまりました!」

月影関白も、渡殿(三条院の部屋)に現れた。嵯峨院は三条院にほのぼのとした表情で言う。
「妙な事ですね。こうなれば、お泊りになるのがよろしゅうございます。」
月影は、ピンと気付いた。
(皆で、主上をお引き留め申し上げている・・・主上は皆に愛されておられるのだな・・・)
笑い出して、「特に憚りがない時でも、二日三日と御滞在になる事は前例がない事がありましょうか。」
「しかし、明後日はまた御忌日(陰陽道で、縁起の悪い神が支配するという日。外出、帰宅、結婚などを忌む。)でございますから、御所へのお帰りは明日のよし、主上は仰せられました。」
関白はそういってそのまま御宿直所に帰った。左右大将を初め、皆退出した。

女帝、嵯峨院の興趣に富んだ庭、豊かな野辺を見て、落ち着いている。
(まるで昔に帰った様に気持がのんびりとしているわ・・・)
三条院と女帝、以前よりもぴったりと重なるように寝た。

翌朝、既に日が高くなっている。三位が起こしに来る。「主上、院・・・」
女帝、ぱちっと目を開ける。「まぁ、本当にひどく寝坊をして・・・」
三条院、切なげに女帝の後姿を見送る。典侍が神璽のはこを捧げ持つ。

嵯峨院、居間で寛ぐ女帝を見て、
(今日の御装束は昔の姫宮でいらした頃の様に可愛らしい。昔の様に、お膝に座らせて差し上げたいものだ・・・)

夜、様々の管絃の遊びがあった。とても広い池の水面が遠くまで見えて、十一日の月が一点の曇りもなく、澄み渡っている。

名手である嵯峨院は琵琶、三条院は御笛、月影関白殿は筝(そう)、式部卿宮は和琴、松風左大将は笙、有明右大将は拍子、大層有名で年取った修理大夫は篳篥。
女帝は琴(きん)。
皆で「あな尊(とうと)」を演奏。

女帝、(この遊びが終わったら内裏に帰らなくてはならないのだわ・・・)気分が乗らず、やめてしまう。それに連れて、嵯峨院の琵琶の音も止む。

三条院は元の部屋に戻り、嵯峨院は式部卿宮と久しぶりの対面をする。
式部卿宮、つまらなさそう。(なぜ兄院の子だけが帝に・・・?まろの娘は院に放って置かれているのに・・・?)

女帝が嵯峨院を出るとき、寝殿の御階に御輿を寄せて、鈴の奏(行幸の際、供奉の先払いの為、振り鳴らす鈴と官印とを、出御の前に下賜されるよう奏上する事。少納言あるいは少将がこの任に当たった。)を行う。その様子を見ながら、嵯峨院の心に冷たい風が吹く。外の風も冷たい。
嵯峨院は、女帝が帰るとき、名のある琵琶で、名手の故皇后宮から伝えられたものを、女帝に引き出物として与える。

女帝が帰った後、嵯峨院はひどく落ち込む。
(三条院は、我が子孫を皇位に就けたいという朕の願いを汲んで、女帝を即位させてくれた。ただ、却ってそのために、我が子と自由に会えなくなるとは・・・)
女帝の供奉に狩衣(帝の洛外への供奉は狩衣が普通)で従っていた松風左大将、有明右大将、未の時刻になったので、三条院行幸供奉用の直衣(京での日常に用いる)に着替えて帰ってきた。
様々の出衣の取り合わせが見事。

5&6-6 花かつみ

三条院は、三条宮に帰ると・・・一夜の内に後涼殿中宮への御寵愛がつのられたようだ。
三条院「二・三日逢わないと、ますます美しさが増したようだ」
後涼殿「院・・・」
三条院、渋い顔で(しかし・・・藤壺皇后宮はなぜ三条宮に移らない・・・?)

三条院、月影関白に向かって、
「なぜ藤壷皇后宮はこちらに移ってこないのか。
御部屋も立派に御用意してあるのに。
そのお気持ちが情けない。」
月影関白、ぽっかーん・・・。
(院は・・・わが娘にした仕打ちを忘れてしまったのか・・・
我が甥ながら情けない・・・。ま、院だし、角を立てず・・・)
「明日にでも御移りになりましょう」

しかしまだ藤壷皇后宮は移らない。
三条院、怒気を含んで「関白!」
月影関白「暑いさなかですから、何かと。水尾女院の一周忌が過ぎてから・・・」

まだ、まだ藤壷皇后宮は移らない。三条院は月影関白を呼びつけ、ジリジリしてにらむ。月影関白は涼しい顔をして、
「昨日、皇后宮は参内なさいましたばかりで、その明くる翌朝では」

関白邸で、月影関白は藤壷皇后宮と向かい合っている。
「また、院はそなたの転居の事を仰せだったぞ。
・・・かくかくしかじかのように申し上げておいたが」
藤壷皇后「感謝しますわ、父上。」
月影関白「私としてもそなたが院にされた仕打ちは、悔しくてな。」
(・・・といってももう一方の娘に示してくれる御愛情は、有り難く思うが・・・)

藤壷皇后、自室でぼんやりと考えにふける。
(院は、あんなにお美しい主上よりも、後涼殿中宮様を選ばれたのだ・・・
後涼殿中宮様はどれほどお美しいのか・・・
私は十分に拝見したわけではないけれど、その様な中宮様のお美しさに私が肩を並べられるはずもない。)

(しきたりもあり、宿運が強くて私が氏を継がねばならなくなったからこそ、院にお仕えしたけれど、院も退位された今・・・)
藤壷皇后、首を振る。
(院の転居のすすめは、私への愛情からではない。
きっとまた父上に気を遣って仰せられたのだろう。)

(そのお言葉を信じて、御所にあがって、冷たく扱われ、
それに対して憎らしそうにひねくれた事を少しでも口に出したら、
ますます私が馬鹿で気に食わない女だということになるだろう。)

(殿(月影関白)が私を大事にお世話してくださる御様子や、
葉山東宮や二宮の御行末を考えれば、私は人に圧倒される様な身分でもあるまい。)
(そう考えたら一人寝が最善の道だわ!)

5&6ー7 年かえる春

女帝(さぁ、嵯峨院への行幸も終わったし)
御簾を通して、学者に命じる。
「年が明けたら譲位を行う。よい日を勘案して奏上するように」
学者たち驚く。
「月や星の光にも不思議な事が多く現れました」
「御譲位は飛んでもないことです」
女帝「とにかく私はそう決めたのです!」

<三十一年>

三条帝:二十七歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十七歳
藤壷女御(藤姫):二十七歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十五歳
麗景殿女御:二十五歳

松風中将:二十六歳
有明中将:二十六歳

月光一品宮:二十四歳
百合宮(前斎宮):二十三歳

葉山帝:九歳
二宮(東宮):八歳

*******************************************************

年が明けた春、使者が女帝のもとに慌てて報告に来た。
「葉山東宮様、御患い!」
女帝「えっ・・・」
月影関白は頭を抱えた。「ああ・・・何ということだ・・・」
朝廷は様々の御祈祷を無数に行った。
三条院と関白は口を揃えて、女帝に迫った。
「帝の御譲位を天照大神が御惜しみ申されるからこそ、このような事が起こるのです。
御譲位は決してなさってはなりません!」

女帝は悲しげな目をして、「・・・そう。では中止します。」
女帝は空を見上げる。

水尾女院が亡くなってから後、入道宮は後涼殿中宮の御側にいらっしゃって、中宮や深雪女院とともに楽しく暮らしている。

関白邸では、女四宮は憤慨している。
「全く、入道宮は我が世の春を謳歌していらっしゃるわね。」
「それに引き換え私の娘は・・・夫の三条院様に蔑ろにされて、可愛そうに・・・」
(そしてあの人は入道宮の味方ばかりして!)
女四宮は月影関白の後姿を睨んだ。

女房が深雪女院に女四宮の意向を報告した。
深雪女院「別に三条院は藤壺皇后宮を蔑ろにしているのではないのに・・・」
(私亡き後、この娘たちが心配だわ・・・。若い頃の入道宮様の様に苦労を強いられるかもしれない。)
(私の生きている間に娘たちの行く末を確固としたものにしておきたい・・・)

深雪女院は顔を上げて、決意を秘めた声で言った。
「女二宮を松風左大将に差し上げましょう」

月影関白からそれを聞かされた女四宮、
「えっ・・・女二宮様を、うちの左大将に・・・?」
「まぁ!深雪女院様も私達の事を大切に思ってくれているのですね!」
女四宮は、にっこにことご満悦になった。

松風左大将は女二宮をまじまじと見て、満足げな表情をしている。
(何とお美しい・・・天にも昇る気持だ・・・)
(麗景殿様への思いを忘れてしまいそうな程だ・・・)

有明中納言は、(それでは月光一品宮は私のもとへ降嫁されるのだろうか?)ドキドキ

深雪女院「そして、月光一品宮を・・・かつて私がいた皇太后宮(※独身の皇女を優遇する為に定められた非妻の皇太后の位を与えた)の位に立たせましょう」
月光一品宮に想いを寄せる男達はショックを受けた。

麗景殿女御は里で娘を相手に淋しく暮らしていた。
(女帝も、藤壺皇后宮も、昔は御威勢が良かったのに、今は院と離れ離れで暮らしておられる・・・)
(一人で後涼殿女御と張り合うように三条院に参院しても・・・)

その様子を聞いた女帝は、
「まぁ・・・麗景殿様はその様に御淋しくしておられるの・・・」
(父方をたどればこの方も御従姉妹・・・おいたわしい・・・)
女帝は、麗景殿女御に御封や官爵を差し上げた。


5&6-8 諒闇

女帝(ああ、何とか退位できる手立てはないものか・・・)
内侍が、深刻な顔で女帝に何かを報告した。

女帝、悲壮な様子で、身を前に乗り出した。
「えっ?母女院が御病気?危篤ですって!?」
しかし、そのまま空を仰いだ。
(ああ、でも帝は気安く御見舞に行けない・・・)
(どうか、次の行幸まで御無事で・・・)
女帝は手を合わせて強く祈った。

「嵯峨女院、御崩御!」

女帝は見るのも辛いほど気落ちしている。
(ああ、私が帝位に就いていたばかりに、母の死に目にも会えなかった・・・)
女帝はぼんやりと庭を眺めた。
(でも、こんな時に譲位をしては、ますます世間を騒がせてしまう・・・)

嵯峨院は、最愛の嵯峨女院の死後、すぐに出家した。
それに続いて、深雪女院も、女二宮を降嫁させ、月光一品宮を皇太后位に就けて安心したのか、出家した。
深雪女院(やっと二条院の御菩提を弔える・・・)
入道宮と仲良く並んで、勤行の日々を送っている。


5&6‐9 五月雨の夜

五月雨の日、百合宮の住居で、有明右大将は牛車から降りて、きょろきょろと周りを見ていた。唐傘を持ち、広袴を履いた供を二人連れている。有明は、さっと木陰に入る。

百合宮様は嵯峨院と御匣殿のお子様。女帝の異母妹に当たる。
新しく女帝の御代になって、斎宮から退下され、上京し、生家にお戻りになっていた。
生家では、御母君の妹・大納言の君が尼となって修行していた。

有明(儀式の折りにふと見えた女帝の面影が忘れられぬ・・・
後涼殿様への思いが叶わぬのは無理もないが・・・
せめてこの辛い思いを慰めるためにも・・・)

(百合宮様は、女帝の異母妹だから、少しは似通っているだろうか・・・)有明は中をのぞき込んだ。

「きゃははは・・・」女房達の声

有明(ん?静かな物寂しい雰囲気かと思ったのに、意外・・・)
寝殿の南正面に灯が赤々と見えている。
有明(格子に穴が開いているのに後から修繕してふさいでいないから、丸見えではないか・・・)
穴に目を近づける。
(前の方では女房四・五人がふざけあって真っ赤に上気している・・・)

障子一つを隔てて・・・赤々と輝く灯のもとに、女性二人が絡み合っている。
有明(同じ年恰好の若女房が二人、どちらかが主人なのだろうか・・・)
「あん・・・」
有明(これから暑くなるのに、薄衣を頭から引き被って・・・)
女性二人、ぴったり相手の首に手を巻きつけて、眠っている。
ごそごそっ・・・
「うう・・・ぐすっ・・・」
「ふふふっ・・・そこはいけませんわ・・・」

有明(何をしているのだ、これは・・・。
女同士でもこのような交わりがあったとは・・・) 
(しかし、こちらには全く興味がない。
・・・帰ろ。)

有明はそのまま帰った。


それから遡る事三年・・・女帝が即位し、百合宮が上京した頃・・・

嵯峨院で、女房
「人が、百合宮様は、お父上の嵯峨院様のもとにおいでになるのだろうか、と噂しております」
嵯峨院「百合宮は生家で不自由なく暮らして居るのだろう?・・・まだ一度も見たことのない人だから、それでよかろう。」
「こんな世間離れした山里住まいの中に、見も知らぬ人が同居するのも具合が悪い。」
女房(お嫌そうな御様子・・・
もうこれ以上申し上げるのはよしましょう)
嵯峨院、ふと考えて
「・・・でも、大納言の君にとっても一人同居人が増えたのは何かと不都合であろう。
勅旨田を一箇所位やりなさい。」


5&6‐10 怪しき風

百合宮の叔母の大納言の君は、宮を引き取らないという嵯峨院の意向を聞き、憤懣していた。
(院の御意向はわかってはいますけれど・・・)
(あの場面(百合宮の女房との御乱行)を見てどれだけ衝撃を受けたか!)
「全くばかばかしい。
この年になってあんな女に付き合って、
こちらまで悪い評判を立てられては大変!」
一心不乱に念仏を唱える。

一方、百合宮は、
(全く大納言の君には腹が立つわ・・・)
(父院は、「私を進んでお世話するように」とのご意向なのに、
まるで他人の様によそよそしく、仏間にこもりきり。)
(着る物は母君の御生前から仕えていた老女にいいつけて、
私とは一目も会おうとしない!)

百合宮の表情はけろっと明るくなった。
(でも!)
「今まで伊勢で自由な暮らしに慣れてきたから、
此処では七面倒くさい事になるかと思ったら、
放って置かれてとても結構だわ」
女房達「そうでございます」

百合宮の新参女房の小宰相は、あの時の百合宮のお相手です。
彼女は三・四年前、百合宮の御乳母の遠縁だと言う事で出仕して来ていました。

女房「小宰相さん。
あなたの同母兄の兵衛佐様がこちらを訪ねて来たわよ」
小宰相「え!すぐ行きます!」
百合宮の耳が大きくなった。

小宰相と兵衛佐の対面の間。
御簾の外で、兵衛佐が小宰相に話しかける。
兵衛佐「お前と会うのは幼い頃以来だな。
以前からそなたの事は気になっていた。
前斎宮様と一緒に上京して来たと聞き、
矢も盾もたまらなくなって会いに来てしまった。」

小宰相、嬉し涙にくれながら、
「うれしゅうございます」
兵衛佐「遠く離れて噂に聞くばかりだった
母上が亡くなられ、
本当の肉親はお前一人。
父上は継母の言うなりだし・・・」
「何とかしてお前を世間に出してやりたいものだ。」
小宰相「兄上・・・」
百合宮、うろうろとやってきて、小宰相の耳元に囁きかける。
「あなたのお兄さん、かっこいい?」
小宰相「そんな、とんでもない・・・」

兵衛佐、気付いて「他に人がいらっしゃるのですか」
百合宮、小宰相をつつき、「いないと言え言え」
小宰相「誰もおりません」
兵衛佐「それでは、誰と物を仰っているのですか」
百合宮「風が吹いたのですと言え言え」
小宰相、困りきって「風が吹いたのです」
兵衛佐、ふっと笑って、「妙な風でしたね」
と言い、「跡なきかたに行く舟も」と口ずさんで、物思いに沈んだ風情で、柱に寄りかかって座る。

百合宮「えーい!」と小宰相を後から思い切り突き飛ばす。
小宰相「きゃあ!」御簾の合間から飛び出す。
兵衛佐、呆れて「これはまたどんなに風が吹くことやら」
百合宮、ホホホホ・・・と高笑いをして、奥に逃げ込む。

小宰相、顔を真っ赤にして御簾の中に入る。
兵衛佐、哀れむような目で妹を見て、(こんな職場で勤めねばならぬとは可愛そうに・・・)
「あなたの事はお気の毒に思っていますが、
我ながら不甲斐ない身の程が残念な事です」
兵衛佐、出て行く。小宰相、心の中で恥かしく情けなく思う。

兵衛佐は、馬に乗りながら決意した。
(妹よ。いつか兄が力を得たら、あの化け物のような前斎宮から、必ず救い出してやるぞ!
待っていろよ!)

百合宮「さぁ、お兄様も帰られた事だし・・・」
百合宮、小宰相に抱きつく。

百合宮、小宰相の首をきつく巻いて、一緒に寝る。
小宰相、瞳に涙を浮かべながら、
(兄上とゆっくりお話ししたかったのに・・・
宮様が邪魔をされて・・・)
小宰相「ああ苦しい。ちょっとの間、緩めてください。」
百合宮「いや・・・なんて淋しいこと言うの。」
ぎゅう、と腕を締めて、頬に頬をつけて離れない。
小宰相「あ・・・宮様・・・」

ガラッと大きな音で、百合宮の部屋の襖が開く。
そこに、華やかな様子の中将の君が恐ろしい顔で仁王立ち。
小宰相(中将の君様!私が来るまで、百合宮様の御寵愛を独占していた女房!)
中将の君、じろっと二人をにらんで、襖を手荒に閉め、
「うつればかわる世の中を(※「源氏物語」紫の上の歌)」を長々と詠じて、御簾をバタンと下ろして、自分の局へ帰っていった。

百合宮、めそめそして、手で着物をいじくりながら、
「まぁ困ったわ。怖いわ。ああまでしていい事かしら。
世の中って暮らしにくいものねぇ・・・」
小宰相(側で聞いているのも辛い・・・)
小宰相「私は局に下がっておりましょう。」
出て行こうとする小宰相の袖を百合宮がはっしと掴む。
百合宮「あなたまでも私を見捨てなさるの・・・!」
小宰相の手を取って引き寄せ、めそめそと泣く。

百合宮、両手をお椀の様にして溜めた涙を見て、
「まぁ。涙がこんなに溜まったわ。
尼君から来ていたお菓子皿に入れてみよう。」
皿が一杯になった。
百合宮「まぁ辛いわ。あなたに何を話そうかわからなくなったわ。
もっとこっちへこっちへ」
小宰相を引き寄せる。小宰相は不本意な表情ながら百合宮に抱き締められる。

百合宮「かわいい小宰相。
それじゃ、私の言うことに背かないわね?
言う通りにするわね?誓いをお立てなさい。
私も立てよう。」
百合宮は小宰相に一日中取りすがっていた。

中将の君は、日が暮れるまで局にいて、今夜も参上しない。
小宰相と百合宮は昨夜のまま臥せっていた。さすがに夜になると、小宰相が起き出した。
小宰相「お食事を持って参ります」
百合宮、小宰相を押さえて、泣きそうになった。
「このままここにいて。
私の言う通りにするんでしょ」
小宰相、渋々寝る。

翌朝、百合宮の御前に女房達がいる。中将の君、離れた縁側で数珠を持って、物思いに沈んでいた。と、ぷいと立って出て行った。
女房達ため息をついて、「まぁ大層御機嫌が悪くて困ったものね。どうしたものかしら。」

百合宮、顔をしかめて(面倒な・・・)
立って「小宰相、こちらへいらっしゃい」
小宰相「は、はい」
二人で襖の奥に入り、襖を閉めた。

5&6-11 もの羨み

兵衛佐、自室で一人ぼんやりと物思いにふける。
(初めて聞いた妹の声・・・感じ良かったな・・・)

幼い頃に父上が母上を追い出された。それ以来一度もお会い出来ずに亡くなってしまった母上・・・。
私の官職が低い間は、父上と継母の御意向を慮って、会いたくてたまらなかったけれど、会いにいけなかった。
ある時、人づてに、母上が亡くなられ、妹が伊勢に宮仕えに出たと聞いた。
この上もなく母上が可愛がっていたらしい妹だから、父上と継母の間に産まれた妹達よりもしみじみと愛しく気の毒に思っていた。

その妹にやっと会えたというのに!
兵衛佐の頭に、高笑いをしている百合宮に抱えられて、困っている小宰相の映像が浮かぶ。
(どうにかして情けない有様を人目にさらすような事にはさせたくない!)
兵衛佐はこぶしをぐっと握り締めた。

(でも、今の私にはこれ位しか出来ない!)

兵衛佐は、風流な手箱に美しい檀紙や薄様、お香を入れて、「珍しく会うことが出来て、嬉しかった」という文を添えて、小宰相に送った。

百合宮の御所に兵衛佐からの使者が来て、
「申し上げたい事がございます」
小宰相、御簾から匂欄に出て、
「何の用ですか」
使者「治部卿様の御宅の兵衛佐様から」と手箱を差し出す。
百合宮、ぱっと表情が変わって、御簾の中から
「早く早く、すぐこちらへ、とお伝えしなさい」

百合宮と小宰相の目の前には兵衛佐からの手箱が置いてある。
小宰相、兄からの文を読みながら、嬉しくて涙をこぼす。
横で、百合宮、真っ先に箱を開ける。
女房、それを見て(まぁ、百合宮様ったら、受取人は小宰相様なのに・・・)

百合宮、箱をいじくりながら、
「まぁ、面白い下絵だわ。薄様の箔の置き方も上手なこと。」
百合宮、薄様の紙を胸に当てて、上を向いて、
「ああ羨ましいこと。
知り合いになる運命の人はこうして巡り会うものなのね。」
「どうして私には誰一人こうして訪ねては下さらないのかしら。」
「帝のお心も本当に嫌ね。
何かにつけ、私はこんなに思っているのに、
たった一人の妹をさえ、訪ねて下さらないとは・・・」
ぶつぶつと文句を言っている。

大納言の尼上、そーっと百合宮の御前に膝行してくる。
百合宮「あら、叔母上様、お珍しい・・・」
大納言「嵯峨院の三位の君の所へ昨日便りを差し上げました所、
私は近頃は御所に伺候しております。御所は嵯峨院よりは近い距離ですから、
良ければこちらへいらっしゃい、とご返事がございましたので、
これから御所へ参上します」
と言って、部屋を出て行こうとする。

百合宮、大きな声で、
「まぁ、お羨ましいこと。
きっと帝にもお会いになるのでしょう。
ご姉妹は大勢もいらっしゃらないのに、
どうして私をこんなにお見捨てなのかしら。
こんな気持でいる事だけでもお伝えしてくださいね。」

大納言、頭を振りながら、
「さあねぇ。自然とお目にかかる事もございますから、
そのうち適当な機会がございましたら、
申し上げましょう」
(この場からなるべく早く立ち去るに限る!)
サッと出て行った。
百合宮「行っちゃった・・・」


5&6-12 古りたる人

御所、女帝の御前。女房が、「大納言の尼君がいらっしゃいました」
女帝「まぁ、私が幼い時に可愛がってくれた御匣殿の妹が・・・通しなさい」

大納言尼が三位と話す様子を女帝が見て、微笑んでいる。
大納言尼、女帝の方をチラッと見て、
(御即位されてから益々美しさが増して・・・)
(微笑んでいらっしゃる御口元など、故皇后宮にそっくり・・・)
(もし、故皇后宮が帝の御姿をご覧になられたら、
どんなにかお喜びになられたでしょう・・・)
ふっと、百合宮の表情が大納言尼の頭をよぎる。
(同じ御姉妹とはいえ、これほど違うとは・・・)

大納言尼「そういえば・・・主上の御妹の前斎宮様の事ですが・・・」
女帝、ふと大納言尼に目を留める。
大納言尼「毎日、お一人で心細そうにお暮らしで・・・」
「今日参内いたします旨を申し上げました所、
ひとしお私について来たそうになさっていらっしゃいました」
上目遣いになって、
(できれば御所で預かっていただけたら・・・)

女帝、ほのかに口を隠しつつ、
「嵯峨院には皇子は大勢もいらっしゃらず、
大事な御方ですのに、いかにも妙にうとうとしくなさって・・・」

三位「お気の毒にはお思い申し上げておりますものの、
あなたが付き添っていらっしゃいますから、
まさか心配な事はあるまい、と安心しておりますのよ」
大納言尼、顔を青くして、冷や汗を流す。
「さぁ、どうでございましょう。
私もお勤めの暇もないほど
忙しくしております中にも、
最近すっかりボケてしまいまして、
前斎宮様の御前に上がることもございませんで・・・」

女帝(?何か様子が変だわ・・・)

5&6-13 大淀の松

大納言尼は自宅に帰って、百合宮の御前に出た。
百合宮「どうだった、どうだった。
主上はお会いになられましたか」
大納言尼、顔を伏せたまま、
「主上も、百合宮様の事をお気の毒に思われていた様でした。」
百合宮、手を組んで、
「まぁ、嬉しい事だわ。そう仰ったのなら、
その機会だけも逃さずに
御文を差し上げましょう、
差し上げましょう。」
大納言尼、苦い顔してその場を立ち去る。仏前に出ると、女房が百合宮の文を持ってくる。
女房「百合宮様のお言葉です。
主上への御文の事は三位の君に申し上げてください。
機会があったらこれからもきっとね、との事です」

大納言尼、文を持ち、眺めながらじっと考える。
(年寄の癖にでしゃばって、と先方でも私の事を
馬鹿な女と軽蔑なさるだろうが、
しかし百合宮様のお申し出を私が止められるはずもない)
大納言尼「承知いたしました」

女帝の御前、三位君が
「大納言尼君からの文に、百合宮様から主上への御文が同封されておりました。
お読みいたします」
三位「おほよどの 松にてとしは つもれども わたのはらから とふ人もなし
(お訪ね下さるのをお待ちしたまま年が積もって行きますが、
きょうだいといって訪ねて下さる方もありません。)
『雪間の草』で、是非お会いしたいのです、って・・・?」
(「松」に「待つ」、「わたのはら」に「はらから」をかける)
三位、首をひねる。
「これは・・・主上に行幸頂きたいとの事なのでしょうか・・・?
自分が出向かれるのが筋では・・・?」
女帝(変な文。尼上の様子が変だったのはこういう訳か)
「典侍、返事を書いて。
私が書くまでもない」

百合宮の御所、百合宮
「まぁ!主上からの御返事が来たって!」
百合宮、開く
典侍「珍しい御文は確かに主上のお目にかけました。
ただ、今は他の用事に手を取られておりますので、
いずれ後日に」
百合宮、詰まらなさそうな顔で、
「ふーん・・・情けない・・・代筆とはね。
形だけは本当の宣旨書き(※)とはいうものの、
そうまでして私を避けていいものかしら。
後日とあるけれど、いつの事か分かったものじゃないわ」

いかにもそのお言葉通り、それから後も御文は来ない。

しかし、年の暮れ、嵯峨院からも女帝からも女房の装束が届いた。
典侍の代筆で、
「一向珍しくもなく平凡な物ですが、
お仕えしておられる方達の
お召料に差し上げて下さいませ」

百合宮、大喜び!
百合宮、髪を耳はさみにして、縫い目や重ねの具合まで選んだりして女房に与える。
「主上が今まで走り書き一本の手間さえ惜しみなさったのは辛いけれど、
こうまで私の事を人数に入れて下さっていたとはねぇ。
私も自信がついてきたわ」

※宣旨書き:①宣旨の文章。宣旨書き。
②(宣旨は勅命により代筆したところから)代書すること。また、代筆した手紙。(全訳古語辞典)

5&6-14 もののけ

ある夜、百合宮と小宰相が二人で寝ていた。
百合宮「ひっ!」と言って飛び起きる。
小宰相「宮様、どうなさいました?」
百合宮、震えながら小宰相に抱きついて、
「中将の君が、私を悪く思っているーっ!」
「もののけがー、もののけがーっ!」
ぎゅーっと小宰相を強く抱き締める。

小宰相「落ち着いて下さいませ。
そこには何もおりませんよ。」
百合宮「小宰相には見えぬのか?
ひーっ、恐ろしい!」
百合宮は、南正面の妻戸を開けて、草の露がしどとに下りた庭に頭を抱えて臥せる。
小宰相「宮様!いけません!」
小宰相、百合宮の腕を掴んで、部屋に入れる。
小宰相「ね、こわくないですよ、
私が一晩中御側にお付き申し上げておりますから・・・」
百合宮「うん、きっとよ、きっと・・・」
小宰相、百合宮がすやすや子供の様に眠る横で、一人座ってため息をつく。

小宰相(ご主人様は私の事を大事にしてくださるけれど、私は私。
これ以上お勤めを続けられる気がしない・・・)

次の日、小宰相は局で一人物思いに沈みながら、脇息にもたれていた。
小宰相(いつ宮様にお暇の事を切り出そう・・・)
小宰相の頭の中で、「私のもとを離れないで、ね、ね」という百合宮の姿が浮かぶ。
小宰相(宮様はただ、お淋しいだけなのよね・・・
悪い御方ではない・・・)

そこに、百合宮の大きな声が聞こえてくる。
「おおい、おおい、小宰相はどこ?」
小宰相、立ち上がる。「宮様!」
百合宮「またもののけがーっ!」
小宰相、ため息。(全く、休む暇もない・・・)

そんなある日、兄の兵衛佐が、百合宮の御所を訪ねてきた。
兵衛佐、御簾の外に座る。
小宰相「先日の御文、大変嬉しゅうございました。」
兵衛佐、にこやかに「そうか、良かった。」ガサガサッ
兵衛佐「ん?また風が付き纏っているのか?」
百合宮の笑い声「くすくすっ」
小宰相(宮様は兄上が私をここから連れ出す事を警戒して、邪魔をなさっているのかしら・・・)
小宰相の胸はきゅんとした。

小宰相は、かすかに笑いながら、
「私のもとを離れない風ったら、
本当にうっとうしいわ」
兵衛佐(ん?先日よりは嫌そうでない声音だ・・・)
御簾の下から覗き込んでみる。

御簾の中では、ひどく派手な二重織物の百合宮が、紅梅重ねの女房装束を着た小宰相に絡み付いて、頬と頬をつけている。
二人は幸せそうにうっとりしている。
兵衛佐(・・・・・・。)
(妹はあの気違い前斎宮に惚れているらしい。何をしても無駄だ。)

兵衛佐は、とぼとぼと淋しそうに御所を後にした。
(全く俺には理解できない世界だ・・・)
兵衛佐はそれから、文だけを寄こした。

嵯峨女院が崩御され、世間が諒闇一色の時・・・

百合宮の御所内は、女房たちによる僧侶の装束の品評会で盛り上がっていた。
女房1「もののけ調伏の僧の袈裟、今日はこーんな風にまがってたわねーっ!」
女房2「きゃはは・・・もう一人の僧は、こんな変な扇の持ち方をしていたわよ!」
百合宮「全くそっくりだ、そっくりだ!」女房達を制しもせず、一緒に笑っている。

5&6-15 しみ深き扇

また、時は女帝即位から三年経った頃に戻って
・・・有明右大将が百合宮御所を垣間見た次の日は、五月雨が相変わらず降り続いていた。

女童のあてきが、扇を持ってきた。
「すごくいい香りのする扇が匂欄のもとに落ちていました」
百合宮「貸しなさい」あてきから扇を奪い取った。
百合宮「これは誰の扇かしらね。
どんな人が此処まで近寄ってきたのだろう」
「見られたかもしれないわね。まぁ恥かしい!
昔物語の様な気持がするわ」
百合宮、安芸という女房に向かって、頬を染めて、
「安芸、ゆうべ何かあったかしら。どうしたらいいの!」

安芸、真顔で、
「御格子を御下ろしした人でも落としたのでしょうか。
甲斐の大夫に尋ねてみましょう」
百合宮「馬鹿ね。どんな大夫にしろ、こんな特別な色の扇を持っている訳ないわ。
この素晴らしい香り!」

一方、百合宮付きの老女房、少納言は算盤を弾きつつ、局でため息。
(ふぅーっ。倉の反物が残り少ない・・・)
(御匣殿様の御遺産も大した事なかったし、
院から頂いた尾張の勅旨田からは貢物がはかばかしく納められてこない・・・)

(百合宮様は、伊勢では斎宮様と祀り上げられて、
衣食住には不自由されていなかったお暮らしに慣れて・・・)

少納言は百合宮の様子を思い出した。

百合宮「みっともない身なりをしないで、着る物はすぐに少納言におっしゃい!」
女房達「はい!」
女房1「私は新しい唐衣が・・・」
女房2「私は裳が破れてしまって・・・」
私は、倉から布が運び出されるのをボーゼンと見ていた。

百合宮の御前に少納言がいる時、
百合宮「少納言、言っていた服は出来た?」
少納言「はい、あそこで作らせております」
隅で装束を縫っている女房達を指差す。
百合宮「どれ、私が見てみよう」
「あれ、染めにむらがあるわ」
「ここに刺繍を入れて」
「御服よ!御服よ!」
百合宮は服に囲まれてうっとりしている。
少納言はその様子を見て、
(ああ・・・さすが服を司る御匣殿様の御子様・・・。
服が何よりも大好きでいらっしゃる・・・)

(昔、誰かの代理で御乳を差し上げた時には、
百合宮様も可愛らしくていらっしゃったのに、
どうしてこんなになられてしまったのでしょう・・・)

仏間で経を読む尼上の耳にも、百合宮の「御服よ!」の大声は聞こえてくる。
大納言尼「あーもう集中できない!」
ため息(ああ・・・気楽な山里があれば、
そこへ移り住みたい・・・)

百合宮、扇を手に持ちながら、
「それにしてもこの扇、誰のかしらね。
それを知りたいわ」
「見た人があるか、訪ねてみなさい。」
「どうでもいい事と思うでしょうが、
私はその時気を許して普段のままでいたのが恥かしいのよ」
「女の扇とは思えないから、怖いことも怖いしねぇ。」
「とはいっても、私を思っている人がいるのだったら、
それは訪ねてみたいものだわ」
「ああ、困ったなと思うともののけが起こるものだから、
またきっと病気になるに違いないわ。
ああいやだいやだ。」
百合宮、そう言って小宰相の体をつねって、すがりつく。
小宰相「いたっ!宮様、おやめ下さい!」
(いやなのは、こっちだわ・・・)

新大夫(これは、百合宮様の御機嫌を取って、気にいっていただく絶好のチャンス!)
すっと立って、お邸の御門の辺りにいつもかしこまっている仕丁を呼ぶ。
「ちょっとこちらへいらっしゃい」
仕丁「へ?わしですか」
新大夫「昨夜この南正面の西門の辺りに人がいなかったか」
仕丁「さぁ、どうですか。
雨が降りましたので、私は扉の陰で臥せっておりました。
人がそっと出て行きました時に寝ながら見ておりましたが、
高貴な御方が出てゆかれましたので、
黙ったままでおりました」

新大夫「高貴な御方とは、どのような御方?」
仕丁「真っ暗闇だったので、何者かは分かりません。
ただ御供にも広袴を着た人が二人伺候して唐傘を差し、
その他にも四・五人程おりましたので、
高貴な御方と思いましたのでございます」

新大夫「それからどちらへ行ったの」
仕丁「さぁ。それは聞いていても良く分かりませんでした。
御車は北の方へ走らせましたでしょうか」

新大夫は、百合宮の御前に走って戻る。上気した顔で、
「扇の持ち主の事を聞きだしました!」
百合宮「何ですって、新大夫。本当か。
こちらへ来ておっしゃい」
新大夫「仕丁が申します事には、かくかくしかじか・・・」
百合宮「何とまぁ頼りない。
だけど、いかにもありそうな事ね」
百合宮、急にそわそわする。
「どうしたものかしら。またやってきたら恥かしいわ。
どこへなりと行きたいわ。」
小宰相(嬉しそう。とても恥かしそうには見えないけれど・・・)

百合宮は、日が暮れるまで一日中この事を考えていらっしゃって、二度も三度も仰せになった。
百合宮「新大(新大夫の略)、門に錠をかけさせたいわね。
また恥かしい事が起きるといけない。」
百合宮は薫物の煙を盛んに立てて、けむい位の中でそう言った。
新大夫(宮様は薫物をこんなにたきしめて。
こりゃ、男の来訪を待ちわびているな~)
仕丁「あの~門に錠を差しましょうか?」
新大夫「いらないわ。そのままにしておいて。」

しかし、その人の影も形もないまま、数日が過ぎた。



5&6-16 死なぬ命

百合宮御所が男の扇で大騒ぎしていた頃、
深雪女院の出家に続き、気落ちしたように式部卿宮(二宮)もお亡くなりになっていた。


有明右大将は、自邸で座り込み、思いに沈んでいた。
(父宮がお亡くなりになってから、
空しい気持が続いている・・・)
(三条院にうかがって、せめて御簾の外からだけでも
後涼殿中宮様のお部屋を眺めたい!)←ストーカーだって・・・。

夕暮れ、有明右大将は三条院を訪れた。
三条院「え?有明右大将が?珍しい客もあるものだな」
二人は対面した。

三条院(昔は後涼殿の元へ押し入った故、疎んじておったが・・・。)
(今は父宮を亡くして、憔悴している様子。
朕も父院を亡くした折、そうであった・・・)
「どうか、気を落とさぬように。体をいとうて、政に精進してくれ。」
有明「はっ。」

有明は、奥に入る三条院の背中を見送る。
そして、深雪女院の部屋へ行き、御簾越しに嵯峨女院御崩御のお悔やみを述べた。

有明はふらふらと後涼殿中宮のいる対の屋へ歩いていた。
(つい、中宮の対へ足が向いてしまう・・・全く馬鹿げた事だ・・・)
御簾の中に三条院の影が見える。
有明(ああ・・・やはり・・・文さえも出せぬ・・・)
有明は、ぽろぽろと涙を流しながら、渡殿へ。

すっかり日も暮れて・・・
有明(こちらは、月光皇太后様のおられる御殿だ・・・)
廊下の妻戸が開いて、灯の明かりがちらちらと見える。
有明は、じっと隅に身を隠して、息を殺す。

有明(何と・・・障子の開いた所から宮の御前が隅々まで見える・・・)
月光皇后宮、脇息に寄りかかって勤行をしている。
念仏に合わせて数珠玉をくって送る途中で、緒にひっかかった玉を繰り直している手つきが美しい。
有明は息を呑んだ。
(美しい・・・筆舌に尽くしがたい美しさだ・・・)

ドヤドヤ
有明(あ!人の足音が!女房達だ!)
有明、怖くなって逃げながら、
(またそへて あと枕より せめよとや おもひにしなぬ いのちなりけん
(また寝床の後ろからも枕元からも責め立てようというのか。
どうしてこの苦しい恋に死なずにまだ命があるのだろう。))

有明、切なげに(後涼殿中宮様への思いで、月光皇太后様への恋は薄らいでいたが・・・
御姿を拝見してまた思いが燃え上がってしまった・・・)

有明、皇太后の部屋の続きにある大弐君の局にこっそりと入る。
大弐(この香り!有明右大将様だわ。全く困ったこと・・・)
有明は大弐に詰め寄り泣きながらかきくどいた。
「かくかくしかじかで、宮の御姿を拝見してしまった。」
「そのせいで、愛しいという気持ちが胸深く染み着いてしまったのは全くやりきれない。」
「今生の思い出に、せめてこんな物思いをしている人がいたとだけでも宮にお伝えください」
「それ以上好色がましい向きの事は、この世では思いも及ばぬに決まっています。」
「かえって最高の御位にお決まりになった後ならば、かわいそうにとのお言葉をかけてくださるのも、それほど類がないわけでもありますまい」

大弐(お可愛そうに・・・全くその通りだわ・・・)
「もえつくる けぶりもさらに およばぬは ためしにもにぬ 雲井なりけり
(恋に身を焼き尽くしておしまいになっても、
なお思いが届かないのは、
世間の例には似ておられない宮様の御事です。)」
大弐「皇太后様はひどく普通の人とは似ていらっしゃらない御性格でございますから、致し方ございません。」
有明「ためしなき 雲井のそらは たかくとも それよりたえじ けぶりともしれ
(例え世間に例がないほど宮様の気位は御高くとも、
私はあきらめないと御承知ください)」

話しているうちに夜が明けた。
有明「人に見られるといけないから・・・」
こっそりと出ていった。
大弐、しっとりと情事の後のしどけない姿で見送る。

有明、自室でぼんやりと夜明けを眺める。
はっと何かに気づく。(大弐の君に文を書かなくては!)
せっせと文を書く。

大弐、妻戸を押しあけて、外を見ながら、先ほどの余韻に浸る。有明からの使い、朝露を押し分けて、「有明右大将様からの御文です」
大弐、奪い取って読む。

大弐の瞳からぽろぽろと涙が。
(何とお可愛そうに・・・!一身を犠牲にしても、自分の気持ちを抑えられそうにないわ・・・!)
(有明様も、右大将という高官に上られたのだ。
若い頃の様に向こう見ずな振る舞いはされないだろう。
・・・御文くらいお目にかけたって構うまい。)

大弐、月光皇太后の御前に行き、近くに推参してさあらぬ態で文を取り出し、皇太后の眼前に置く。
大弐「有明右大将様は、宮様を心からお慕いになられていて、昨晩も宮様への恋心に苦しまれて、涙にむせかえっておられました。」

月光皇太后、ぱっと顔を赤く染めて、じっと大弐を見つめ、何も言わない。
大弐「やはりこれを」と、文の封を解いて、下に置く。
月光「変ね、誰の文なの」
顔を逸らして、知らない振りをする。
大弐(先ほど申し上げたのに・・・何て薄情なお方・・・)

大弐「有明右大将様が夕べ参上なさいまして、どんな隙がございましたのか、お勤めのございました間に、廊下の方が開いておりましたものか・・・」

月光、はっと気づく。(もしや、姿を見られて・・・!)

大弐、ほろほろと涙をこぼしている。
「ただ、もう私は今夜限りで死んでしまいそうだということだけも申し上げてほしい、と仰せでございました。」

月光、化け物を見るような目で、不快そうに大弐をじっと見る。
(この女は有明右大将に恋している・・・有明の為なら、何でもやりかねぬ・・・)
(私の信頼を裏切って、あんなどうしようもない男のいいなりになるのか!)
月光、つんと横を向いて、
「大将が申された事は、三位などを通じて、三条院に申し上げなさるがよい。私が聞いたとて何事が出来よう。」

大弐、自分に入り込んで、一人で涙を拭いている。ドヤドヤと他の側近女房達が参上してきたので、大弐は文を隠して立ち去った。

しばらくして、月光皇太后の女房達はこんな噂話をし始めた。
女房達「最近、皇太后宮様は、大弐の君への御信頼をなくされてしまったようね。」
「昔は特別に何事によらず打ち明けて、お使いになっていたのに」
「お湯殿の折にも、昔は大弐の君のみを奉仕させていたのに、最近は幼い頃から育てられた宰相の君をいつもお呼びになられるわ」

大弐「宮様。昔仰られた御用事の続きはいかがしたら・・・」
月光皇太后、目を伏せて顔を見ないようにしている。
大弐(嫌われてしまった!恐ろしい!)
ゾッと震えが来て、これ以上申し上げる事が出来ない。

大弐、横にいた大納言の君に取次ぎを頼む。
「どうか私の代わりに宮様にお伺いを・・・」
月光皇太后は、大納言の君の取次ぎも無視。

大弐は、下を向いて、
(案の定だ。今まで長年の間、恐ろしくて我慢して過ごしてきたのに。)

月光皇太后の周りでは、女房が集まってにぎやかに話している。
そんな時でも、大弐はその輪の外でため息をついている。
そんな様子を深雪女院は不審に思い、人が側に控えていない間、月光一品宮に質問した。
「宮、どうして大弐をひどく疎んずる気におなりなのですか。
女房達も変に思って驚いているではございませんか」

月光皇太后、冷たい目で、
「特に水臭い扱いをしている事もございません。
有明右大将がいつも大弐に親しくしておりますが、
彼が服喪中で同情しておりますせいか、
いつも涙までこぼしておりますのが煩わしくて・・・」

深雪女院(何か訳があったに違いない・・・
この子の考えはしっかりしているから・・・
これ以上何も言うのはやめよう。)

有明は、こんな事情も知らずに、心のたけを文に書き尽くす。
それを受け取った大弐、ため息をついて、
(はぁ・・・困る・・・私の辛さを分かってよ・・・)
今の事情を有明への返事に書く。

有明(そうか・・・宮様は大弐をひどく疎んじて、御側に御近づけにならないのか・・・)

有明「たぐひなく うきになげきの なぐさまば いくたびものを おもひやままし
(世にまたとない憂き目にあってこの嘆きがやすまるものならば・・・
何度辛い目にあっても、性懲りもなく恋心は消えないのだ。)」
「どうしたらいいのだ、どうしたらいいのだ」
有明は、床に突っ伏して、足をばたつかせた。

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大弐への月光皇太后の無視っぷりはすさまじく、いじめの気配すら感じさせます。そこまで表現して月光皇太后の気性は強(こわ)いと言うことを示して、後につなげようとしているのでしょうが、実際にもこんな話は多々あったのでしょうね。主人の寵愛を失うと女房勤めは一気に辛くなるということを想像させるエピソードです。
それを引き起こした原因が自分にある事を全く悟らない有明・・・(汗)お坊ちゃま育ちで人の心をおもんばからないにも程があります。



5&6-17 物の具運び

有明右大将が月光皇太后への思いに身をよじっている丁度その時、
百合宮の叔母である大納言尼は、
友達の故嵯峨女院に仕えていた按察使の君から届いた文を読んでいた。

按察使君「女院様が亡くなられてからすぐ尼姿になって、
以前から住んでいた嵯峨の奥の庵に引きこもっております。
もの寂しいので、一緒にこちらに住んで、
話し相手になっていただけないでしょうか。」

大納言尼(これは・・・願ったり叶ったり。)
(やっとこの騒がしい生活から抜け出せる!)
感涙。

大納言尼は、按察使の君と十分に打ち合わせた上で、六月に引っ越した。

尼君の部屋から男達が勤行用の仏具や、御匣殿の遺品の脚の漆が少しはげた唐櫃などを持ちだそうとする。

女房達、大騒ぎ「これは一体どうした事なの!
お道具を運んではいけない!」
女房「あ、大納言の尼君」
大納言尼「故嵯峨女院にお仕えしておりました按察使の君が、尼になって小倉におり、私を話し相手として熱心に誘いますので、しばらくの間そちらへ出かけまして一緒に勉強しようと思いまして。
二十日程は向こうに滞在いたしましょうか」
百合宮、口覆いをしながら、うつむいて、
「これまで長年の間もお会いするのは「入りぬる磯(「潮みてば 入りぬる磯の草なれや 見らく少なく 恋ふらくの多き」:顔を見ることは少ない、の意味)」」になさっておられましたが、こちらは「芦垣(人しれぬ 思ひやなぞと 芦垣の間近けれども 逢ふよしのなき「古今拾遺」)」と思っていつも心を慰めておりましたのに。
心細い事。」

大納言尼「何事によらず少納言に申しつけてございますので、
これまでと変わる事もございますまい。
またほんの暫くでございます」
大納言尼、出ていった。牛車の中で、
(あーせいせいした。
もう百合宮の顔を見なくていいのだわ!)

百合宮の古参女房である伊予、常陸が百合宮の御前で、
伊予「本当におかしな事。
連日運ばれたお道具は皆あちらへ行ってしまった。
御匣殿の御遺産はみな御主人様の方へ差し上げるはずだと
聞きましたが。」
常陸「大納言の君は、ただ伊勢から上京されるまでの
宮のお留守役とだけ聞いていたのに」
伊予「唐櫃などを沢山持っていったけれど、
中には一体どんな物があったのかしら。」
百合宮、それを聞き、いらいらして、
「少納言に御訪ねなさい。
行ってよく見ておいで!」

伊予、常陸は大納言尼の部屋に行き、襖を開けてのぞき込む。「まぁ・・・」
部屋の中は品よく綺麗に掃除され、
しまっておくべき物はまとめて塗籠に置き、錠をちゃんとかけている。
それ以外には何もなく、上敷などもきちんと敷いて、棚などまで拭いてある。
小さい棹一本だけが、あちらへ送り届けるはずの品物として引き戸に立てかけてあった。

ガヤガヤと女房達、戻ってくる。
女房達「これはひどい。
一体どういう御家出なのか。
何一つ残っていない様でございますよ。」

年寄りじみた女房の大弐、それを聞いて、
「こんな事では宮様はこれからどうしてお暮らしになれるかしら。」
「嵯峨院も主上も、大納言の君に大切にかしづかれていると思し召して、
安心していらっしゃるのでしょうに。」
ある女房、爪弾き(※)をしながら、
「その内に主上達は大納言君の事をお耳になさるはず。
面白い事になるわよ。」
大弐、あっと何か思いついた様子で、
「実は、最近帝の側近としてお仕えしております、
新宰相の典侍は、私の叔母のまま娘なのです。」
「伊勢から上京してからは機会がなくて
まだ会ってはおりませんが、
出かけていって話してみましょう。」
大弐はためらうことなく内裏へ参上した。

※爪弾き:(つまはじき) 人差し指や中指を親指の腹に当て、強く弾く事。嫌悪、軽蔑、非難などの気持を表すしぐさ。(大辞泉)

第五・六巻アレンジ 前編 終

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「第四巻」

ここから4コママンガ連作で描こうと思っています♪


4ー1 心離れぬ宿

<二十二年>

東宮(三条帝):十八歳
後涼殿女御(涼瀬姫):十八歳
麗景殿女御:十六歳

松風中将:十七歳
有明中将:十七歳

月光一品宮:十五歳

***************************************************

十七年後、八月十五日、内裏
満月が光っている。

松風中将(殿の中将)、月影関白と北の方・女四宮との息子。
松風「そうですか・・・宰相の君は女御の御前に・・・」
肩を落とす。

麗景殿の東に歩いていった松風「おお、有明中将」
有明中将(宮の中将)、二宮と北の方・前斎宮の息子。

有明、にっこりと笑う。

有明「日が暮れると早速、二条帝が「松風中将は早く来られぬものかな」とおたずねでございましたので・・・」
「蔵人が、「例によって行方知れずで、いまだにお探し申すことができませぬ」と奉上しましたら・・・」
「二条帝は「そうか・・・残念だ・・・」とおっしゃって、奥に入られてしまいました。」
「今からでも早く参上なさい」

松風「とても気分が悪かったのですが、今日は気分の悪さをだましだまし夕暮れ時分に参内するつもりでした。」
「でも、入道宮(元女三宮。関白北の方)に長らくご無沙汰申しておりますお詫びの文章を書くのに時間を取られてしまって・・・」

有明、手を振る。
「いいですよ、いいですよ。また管絃の遊びでもあれば、下手な楽器を弾け弾けと責め立てられて夜も明けてしまうでしょう。」
「さぁいらっしゃい。こっそりと人目にたたぬようにして外へ出ましょう。」

有明と松風、二人で牛車に乗り込む。
満月の下、牛車が走る。

車の中で、松風「これからどこへいらっしゃるおつもりですか。」
「同じ事なら、少しは見所があって感心する位のお忍び所へお供をさせていただきたいものですな」

有明「今夜は雲居の月もかえって月並みな感じでした。」
「何とかして思いがけず心を引かれるような草の庵を探し出したいものだ」

松風「私はお父上の宮(二宮)の所にうかがって、久しぶりにあなたの琴を夜通し聴きたいと思っていました。」

有明「それはとんでもない事を・・・しかし、里で二人そろっていると主上に聞かれたら必ずお召しがかかるでしょう。今夜は人に聞きつけられそうにない山里に隠れて夜明かしがしたいのです。」

松風「都の中なら・・・やはり入道宮(女三宮)の所が人目が少ない。そちらへ参りましょう。」
有明「わかりました。」
有明、引き戸を開けて、「三条宮へやってくれ」
牛飼童「かしこまりました」

三条宮

まだ若く美しい入道宮が涼瀬姫と共にくつろいでいる。
そこへ、松風中将と有明中将の来訪が伝えられ、女房たちは憧れの君の来訪に色めきたつ。

入道宮「松風中将と有明中将がこちらに・・・全く困ったわねぇ・・・」
入道宮、涼瀬姫を見る。輝くばかり美しく愛らしい。
(この愛しい姫を昔の私のような目に遭わせたくない・・・若い男の出入りは余りないに越したことはないのだけれど・・・)

入道宮「少将の君、お相手申し上げなさい」
少将「はい」

少将、御簾越に二人に歌を詠んだ。

「雲の上の 月を見捨てて たづねくる 人のこころの 色ぞことなる
(宮中の御遊びにもお出でにならずにこちらにお訪ね下さいましたのは、特別の御好意と存じます)」

松風も歌を返す。
「心をば わけつる露に とどめおきて 雲井の月は みる空もなし
(こちらの方に気を取られていましたから、宮中の月を見るのも上の空でした)」

有明、いたずらっぽく松風を見て、
「時のまも 心はなれぬ やどしあれば 雲井の月も のどかにぞみぬ
(ちょっとの間もお忘れにならない宿がおありなので、
あなたは宮中で落ち着いて月もごらんになれないのですね)」

そう話しているうちに、夜は更けていく・・・

入道宮、機嫌が悪くなり、むっとした表情。
それに気づいた出家した中納言の君が咳払いをした。

(私達の帰りをせかしているな・・・)
松風と有明はお互いに目配せをし、「では、失礼いたしましょうか」と立ち上がった。


4ー2 松風の声

下がり気味の満月を見上げる松風、有明。
二人同時に「嵯峨院の御様子がやはり知りたいね。今夜はどのように月見をしておられるのだろう」

二人、馬に乗って嵯峨院の中門辺りに行く。
松風「院の琴の御琴の音がする・・・」
有明「澄み切った音だね・・・」

中門で二人、琴にあわせて笛を吹いて一休み。

女房、嵯峨院に報告。
「松風中将様と有明中将様がお越しです。」
嵯峨院、喜色満面で
「おお!すぐにこちらへお通ししなさい」

松風有明、簀の子の辺りを案内される。
松風、小声で「ここは院の姫宮(白露宮)がおいでになる御簾の前だ・・・」
二人、ドキドキしてしずしずと歩く。
女房たちは御簾の中からぽーっとのぞいている。

嵯峨院、二人と対面し、
「今夜は宮中での御遊びなどもあろうかと思っていましたけれど、お暇がおありだったのですね。こちらから特別に使いを出せばよかった。」
有明「都の秋の月を見ても、まず思いを馳せるのはこちらのお住まいの松風の音でございます。」
松風、それにあわせてにっこり笑った。

4ー3 御方々の有様

松風中将は月影関白と女四の宮の御子。同母妹に藤姫がいる。

有明中将は式部卿宮(二宮)の御子。
二宮は昔は度が過ぎた色好みの評判であったが、今は式部卿の宮といって、世間の信望も厚くていらっしゃった。その方が皇女の前斎宮様と結婚なさって生まれた。

同母妹は東宮に御輿入れをなさって、麗景殿女御と呼ばれている。

入道宮は式部卿宮の御妹。関白殿の晩年に御輿入れなさった。涼瀬姫という姫君をお持ちでいらっしゃる。

今上帝の中宮で、東宮の御母后は深雪姫。
肩を並べるものもない程帝のご寵愛をおうけになって、東宮に続き、月光一品宮と女二宮を続けてお生みになった。

月影関白殿は昔の中納言。故父殿の御遺言を守って、継母の入道宮のお世話にも全く手を抜かない。しかし、北の方である女四の宮のお小言を気にして、入道宮の姫君(涼瀬姫)の東宮への入内を言い出すことを控えている。

昔の水尾中宮は水尾女院となられている。

嵯峨院は式部卿宮、入道宮の御兄君。
嵯峨皇后宮(月影関白の妹)への御寵愛は年が経ってもますますめでたく、いつも御一緒にいらっしゃる。
姫宮(白露宮)お一方をお持ちであった。

嵯峨院では夜通し管絃の御遊があって、中将たちは明け方に退出した。

二人を見送った嵯峨院、きょうそくにもたれ、肘をつきつつ、
(さて、とりどりに立派な公達ではあるが・・・)
(白露宮の結婚相手としては、臣下は物足りない・・・)
(母皇后宮の例もあるし・・・)

(白露宮にも将来はしっかりとした皇后の位についてもらいたいものよ・・・)
嵯峨院、文を書く。

内裏
二条帝、文を読みつつ、
「なに、院から白露宮をこちらへ入内させたいとの御文が・・・」
(朕の代はほんの一時のもの・・・)
(そしていまさら若い姫宮を迎えて、深雪中宮と一緒に過ごす時間を短くしたくはない・・・)

院「はかばかしい返事はなしか・・・」がくっ・・・
(では白露宮を東宮に差し上げよう・・・)

******************************************************
やっと第一部の主人公、深雪姫、女三宮(入道宮)、月影関白(第一部では大将)、式部卿宮(二宮)、嵯峨院(第一部では嵯峨帝)の動向が紹介されました。彼らは立派な親になっております。


4ー4 物思う頃

九月の十三夜、内裏の御遊後、月も西に傾き、夜が明ける頃・・・
松風中将と有明中将は共に内裏を退出した。
一つ車に同車して、式部卿宮邸に行き、一休みした。

御帳台の中、二人が衣をはだけて寝乱れている姿。
松風、手をついて有明の方に体を寄せる。
寝ている有明を見て、麗景殿との逢瀬を回想。

松風(この人の目元はなんて、麗景殿御息所様に似ているのだろう・・・)
有明は松風の視線を感じて目を開けた。
松風、また横になり、「せっかくの名月の夜をこのまま男二人で過ごすなんて、もったいないね」

有明は、ため息をついた。
(まろはそなたにとって妹の身代わりにしか過ぎないのか・・・わかったよ、そなたの好む話をしよう・・・)
「つかの間の命のある間だけでも、心を慰めてくれる妻に御縁がないことだよ。」

二人、涼瀬姫、月光一品宮のことを頭に浮かべる。
松風(涼瀬姫は麗景殿の従姉妹だから似ているのではないか?)
有明(月光一品宮は松風の従姉妹だから似ているのではないか・・・?)

二人同時にため息。

有明は、松風が灯を眺めている横顔を見る。
有明(妹の事を考えているのか・・・?)
(何と華やかで美しいのか・・・妹の藤姫もこの様に美しいのだろうか・・・)
(東宮に入内すると噂されていなければ、ぜひ松風の代わりとして北の方にしたいものだが・・・)

有明 「ものおもふ こころのほどの しるきかな それとかたらぬ ながめなれども
(あなたがどんなに苦しい思いをしているかよくわかります。
お顔を見たところではそうとは口に出さず、
物思いに沈んでいらっしゃるだけですけれど。)」

松風、顔を赤らめて有明を見る。
松風 「たれもげに かたりあはせぬ 夢なれど 物おもふころは さこそしるけれ
(仰るとおり誰にも話した事のない夢の様な出来事だけれど、
物思いをしている時はそんなにはっきり人にも分かるものなのですね。)」

外で、ドドドと何かが駆ける音。ワーッという大勢の人の声。

二人「どうした?」

従者、御帳台の外より、
「お休みの所、大変失礼いたします!先ほど内裏の方角から火が出たと知らせがありました。」

二人「何だって!!」

二人、馬に乗って内裏に駆けつける。
松風、蔵人に「主上はご無事か?」
蔵人「は、はい・・・」
有明「今、どちらにおられる?」
蔵人「朝所(あいたどころ)に・・・」 

二人、ほっとする。
松風「深雪中宮様と東宮様、姫宮様方は?」
蔵人「御れんで職の御曹司の方に・・・」

人々がガヤガヤと話しながら走り抜けていく。
「御所の御門の内から火が出たそうだよ」
「一気に燃え広がって、すべて焼け落ちてしまったって・・・」
「恐ろしいねぇ・・・」


深雪中宮と月光一品宮が同車する車の中

深雪中宮「何、職の御曹司には御簾もかけておらぬと・・・。一体どこで体を落ち着けよう・・・」
月光一品宮「母宮様、三条宮は大変広うございますわ。まずそちらに移って、それからゆっくり里内裏が決まるまでの評定を待てば・・・」
深雪中宮「そう、ね・・・そうしましょう!」
(久しぶりに入道宮とお会いできる!)

深雪中宮、月光一品宮、女二宮は三条宮に移られた。東宮も三条宮に御渡りになり、三条宮はにわかにとても賑やかになった。

麗景殿御息所はお里にお下がりになった。

4ー5 さるべき契り

ある日の夕方、深雪中宮達は、入道宮とお会いになっていて、涼瀬姫の辺りは人すくなであった。

東宮、きょろきょろしながら対の屋を歩いている。
(涼瀬姫の居場所はどこかな・・・?ここだ!)

東宮、驚いて見上げる涼瀬姫に見とれる。
東宮(噂に聞いていた通り、何と美しい・・・)
東宮、涼瀬姫の手を引いて御帳台に入る。
女房達、「あ、東宮様・・・!」

涼瀬姫「東宮様・・・?」
東宮「昔からそなたの事を愛しいと思っていた。どうか私の思いを受け入れてください・・・」
東宮、涼瀬姫を抱きしめる。何も分からない涼瀬姫、なすがまま。
女房達、顔を見合わせて「とても面倒な事になったわ・・・」

その日の夜が明けた。

女房、入道宮に耳打ち。
入道宮、驚いて「何ですって!」
そして顔を両手で覆う。(ああ・・・昔の月影関白様と私のよう・・・かわいそうな姫・・・そして、入内の儀もなしに枕を交わしたのを軽はずみな事だと、世間は非難するだろう・・・)

入道宮、空を仰いで(ああ・・・こんな時に故関白がいらしたら・・・)

深雪中宮「何と、東宮と涼瀬姫が枕を交わされたと?」
(東宮も涼瀬姫もかわいい・・・こうなった上はやむを得ない・・・ただ、涼瀬姫を正式な妃として取り扱ってさしあげるだけだ・・・)
(ただ・・・正式な儀が整うまで私は知らない事にしておきましょう・・・)

昼間、東宮そわそわ。(ああ・・・涼瀬姫・・・早くお会いしたい・・・早く夜にならぬものか・・・)
夜、東宮「涼瀬姫・・・」涼瀬姫もにっこり微笑んで「東宮様・・・お待ちしておりました・・・」

月影関白邸

女房「・・・だそうでございます。東宮様は毎晩の様に涼瀬姫のお部屋へ通われておられるとか」

女四宮、むっとした顔。
(殿はまた私に黙って・・・)
(殿がこの事をよもやご存じないはずはあるまい。私が藤姫を東宮様に入内させるつもりでいることに気兼ねして、こういう機会にと工夫したのでしょう・・・)

女四宮「藤姫や」
藤姫「はい、母宮様」
女四宮「おばあさまの水尾女院様のもとに参りますよ」

水尾女院の御所

水尾女院「まぁ!これはお珍しい」
女四宮「どうしたのですか?女房達が忙しそうに室礼(しつらい)を変えておりますが。」
水尾女院「主上が仮住まいにここを定められたのですよ」
女四宮「そうでしたか・・・それではついでに東宮もこちらへ御移しなされませぬか」

女四宮、水尾女院に顔を寄せて、
「じつは・・・かくかくしかじか」
水尾女院、ポンと膝を打って、
「では、それそれ。それがよろしい。」
「そして、その機会に藤姫の東宮参りの事も決心してしまいなさい。」

女四宮、黙る。(このまま入道宮に、正式な入内の事を先に進められるよりは・・・)「はい、女院様。」
水尾女院「おお!心を決めて下さったか。いつまでも故・皇后宮の一族に大きな顔をされては、私たちの名折れだからな。」

水尾女院、こっそり扇で口を隠して、
「何事によらず、私が主上に申し上げたら、主上はすぐ深雪中宮に話してしまう。深雪中宮は入道宮と仲が御よろしいから、すぐこの計画は筒抜けだ。万事内密に姫君入内の支度をするように。」
女四宮、真剣な顔でうなづく。

九月は結婚が忌み嫌われる。涼瀬姫の事を正式に披露しないうち、里内裏徒御の儀が行われた。

東宮「え!私も水尾女院の御所に!」
涼瀬姫、ひしと東宮に抱きつく。東宮、はらはらと涙を流す。
東宮「私はいかなくてはならない。でも、十月になったら正式に入内の儀を行う。待っていてくれ。」
涼瀬姫「本当ですか。離れたくない。」
東宮「私もだよ。」

4ー6 袖の上

九月の末、二条帝、深雪中宮、東宮は水尾女院の御所に行幸される。
東宮、広い池を見渡してため息。
(涼瀬姫と一緒にこの景色を見たかったものだ・・・)

女院の部屋

東宮「お話とは何ですか?女院様。」
女院「関白の姫・藤姫の入内は十月に決まりました。お可愛らしい姫なので、きっとお気に召すと思いますよ。」

東宮、驚愕の表情。

三条宮では、女房が入道宮に報告。
入道宮「何ですって!十月に関白様の姫君が東宮様に入内!?」
後ろで涼瀬姫が聞いており、わっと泣き崩れる。
入道宮、涼瀬姫の背中をさすりながら涙を流す。
(親子ともども、愛する人と正式な形で結ばれず、水尾女院側の人々に、晴れの座を強引に奪われてしまうとは・・・何と情けない宿縁だろうか・・・)
(月影関白殿も、涼瀬姫もご自分の子でいらっしゃるのに、情けのない事をなされる・・・)
しかし、月影は藤姫の入内の儀を全く聞かされていなかった。

深雪中宮のもとに、入道宮から文が。
それを読んで、深雪中宮(入道宮様も・・・どれだけお辛いでしょう・・・)
深雪中宮、二条帝に向かって「何とかなりませんでしょうか・・・涼瀬姫は沈みこんで寝込んでしまい、お薬湯もお召し上がりにならないとか・・・」
二条帝(母女院は恐ろしい気性の方だからなぁ・・・朕の意見などお聞き入れにならないだろう)
「そういう風に始まったことをどうして今更変えられよう。賢王の時代にもお妃は複数いるもの。」(←自分を棚に上げて・・・)
「今しばらく静かにしていて、それから入道宮の方からも東宮へ差し上げられるがよい。」

そしてとうとう月影関白の姫・藤姫は盛大な儀式で東宮へ入内した。
月影関白、渋い顔をして儀式に参加。
(全く寝耳に水でおもしろくない・・・涼瀬姫の気持ちを考えても可哀想だが・・・)
(藤姫もかわいい私の娘、入道宮、お許し下さい・・・)

三条宮で、涼瀬姫ふらふらと立ち上がる。
(自分で髪を下ろしてどうかしてこの無念さを思い知らせたい・・・鋏、小刀はどこ?)
箱を開けてひっくり返して探す。「ない・・・」

少将、陰で箱に鋏を入れて隠す。
同僚に、「しーっ」と・・・。

涼瀬姫、悔しくてまたふらふらと母宮のいる仏間に。

入道宮の声が聞こえる。
「月影関白様、あなたはなんてひどいお方なのでしょうか・・・」
「私を苦しめるのみならず、実の御子の涼瀬姫までお苦しめになって・・・」
「涼瀬姫は藤姫と比べてお可愛くは思わないのでしょうか・・・」
頭を振って、
「ああ、この様な煩悩に捕らわれていてはいけないわ。仏様、お許し下さい・・・」

涼瀬姫、驚いた顔で、ふらふらとへたりこむ。
(私の実の父上は故関白様ではなく、兄上の月影関白様だったのか・・・)
(確かに私は父上より兄上に似ていると思ったことがある。それは異母兄妹だからと思っていたが・・・)
(母宮と兄上の間に、どんな悲しい恋があったのだろう・・・)

水尾女院御所で・・・

東宮と藤姫が並んで座っている。藤姫は愛らしい雰囲気。東宮を信じきって頼りきった様子。
東宮(この人に罪はないし、不愉快と言うわけではないが・・・)
(涼瀬姫がいなくてはどうやって日々を過ごせばいいのだろう・・・)

五節が過ぎ・・・臨時の祭りが過ぎ・・・
東宮は大きなため息をつき、顔色が青くやせていった。
その様子に深雪中宮が気づく。

深雪中宮、東宮の耳元に何かささやく。東宮の表情、ぱあっと明るくなる。

師走頃、深雪中宮は涼瀬姫を女院御所に呼び寄せ、東宮御息所として披露した。

水尾女院「深雪中宮は涼瀬姫を自分の手元に置いて大切にしているらしい。」
女四宮「全く生意気な人ね!」

月光一品宮、女二宮、涼瀬姫が並んで楽しそうに話している。それをみた女房達。
「はぁ~お綺麗ね~」
「こんなに綺麗な方々が世の中にいらっしゃるなんて・・・」
「お側に仕えられて、幸せ・・・v」

4ー7 百敷の花々

<二十三年>
三条帝:十九歳
後涼殿女御(涼瀬姫):十九歳
藤壷女御(藤姫):十九歳
承香殿女御、女帝(白露宮):十七歳
麗景殿女御:十七歳

松風中将:十八歳
有明中将:十八歳

月光一品宮:十六歳

葉山帝:一歳
******************************************

翌年、内裏が完成して、二条帝、深雪中宮、東宮など皆が入った。

嵯峨院(このついでに、白露宮を東宮に入内させよう。)
(せめて皇后の御位を我が娘に・・・皇統に子孫もなく終わった慰めにも・・・)

そして、白露宮も東宮に入内した。
東宮、悲しげに白露宮を見る。
(なんて上品で清楚で御綺麗な方なのだ・・・)
(この人を置いて涼瀬姫の所ばかりに行くことは嵯峨院に対してもお悪いし・・・この人から離れるのも朕自身何となく後ろ髪引かれる気がする・・・)

東宮はため息をついた。
(ああ・・・母中宮様お一人を大切になさっている父帝の御宿運はうらやましい限りだ・・・)

そのうち、二条帝ははっきりしない御病気が長引き、何となく心細い感じがしたので、東宮に御譲位になった。

弘徽殿は月光一品宮、女二宮、深雪中宮が共同でお使いになる。
承香殿には嵯峨院の姫宮・白露宮。
藤壷には関白の姫君・藤姫。
後涼殿には三条女御・涼瀬姫。
麗景殿には式部卿宮の女御様・・・がお住みになる。

まず、藤壷女御と承香殿女御それぞれの女御が立后し、藤壷(藤姫)は中宮、承香殿(白露宮)は皇后となった。
嵯峨院、やったー!入道宮、がくー・・・。

(※故皇后宮の夫である水尾天皇の時と同じ様に、また二后並立です。)

それを償う様に、帝はいつまでも後涼殿にばかりおいでになる。
三条帝「ごめんよ~」
後涼殿女御「いいのです。主上がいらっしゃって下さったら・・・」


深雪中宮は帝の母として皇太后となった。

ある日、深雪皇太后は帝の前に行き・・・
「私の皇太后の位を後涼殿女御に譲ろうと思うのですが。」
帝は驚いた表情で、「母宮様!・・・それは・・・」
(そんな方法があったのか・・・朕は後涼殿女御の立后をあきらめていた。)

深雪皇太后「主上は後涼殿女御を可哀想だとはお思いにならないのでしょうか。今でも水尾女院に圧迫されて小さくなっているのに、今後、もし私が死んだら・・・」

帝「母宮様、そのような不吉な事は・・・」

深雪皇太后「人の命は分からないもの。・・・それとも主上は後涼殿女御に何のしっかりした位もお与えにならないおつもりなのですか」
帝、すまなそうな表情で「与えたいのは山々ですが、三后並立は前例がないので・・・」
深雪皇太后「私が強く主張したと仰ればよい。月影関白も妹の立后を反対はしないでしょう。」
帝「そう・・・ですね。時期が落ち着いたら。」

その年の春、藤壷中宮が「うっ」と言い、袖で口を押さえた。それを見ていた水尾女院と女四宮は顔を見合わせて、にぱっと笑った。「さてはご懐妊!」

女四宮、勝ち誇った表情で、
「後涼殿女御はあれほど帝に御寵愛されているのに、全く懐妊のきざしはありません。御宿運には限度があるのですね・・・」

承香殿で
白露皇后、にこやかに「まぁ、藤壷中宮が御懐妊・・・」
「いつまでも内裏にいて張り合っている様に見えるのも困るわ・・・嵯峨院に退出しましょう。」

嵯峨院で白露皇后はのんびり過ごす横で、
女房1「白露皇后様は祖母上譲りの御性格なのか、全く御恨みの御様子はお出しにならないわ・・・」
女房2「だからこそ主上の御覚えめでたいのよ。」
女房3「ほら、また御文がいらっしゃった。」
文使いの風流好みの若公達が何ともいえぬ雪の朝や霧の夕方に道を分けて参上してくる。

有明中将は三位になり、権中納言に昇進した。
そして松風中将は二位の宰相(参議)で右大将を兼ねられた。

4ー8 有明の月

秋になり、深雪皇太后は女二宮をつれて、弘徽殿を退出された。
月光一品宮「私も共に参ります」
三条帝「宮まで退出されては御所が淋しくなります。どうかもうしばらくお止まり下さい。」

有明中納言、自邸で従者から報告を聞いて、
「何と!月光一品宮が弘徽殿に残られたのか!」
(夜更けまで妹の麗景殿にこもって、その後で忍び込もう・・・)

月光一品宮の乳母・大弐の君の局

有明中納言が顔を出す。
大弐「有明中納言様!どうして・・・」
有明中納言「この折を逃したらいつ月光一品宮様の側に行けよう。どうかまろを大事だとお思いなら、何とかして下さい・・・」大弐に抱きつく。
大弐「ああ・・・」(困ったわ・・・)

大弐は思いに沈んだ。

深雪皇太后様は御子達には目立って上品に上品にと躾けられておられる。女二宮様は好奇心旺盛なお方だから、絵物語を通して、男女の事をおわかりになられてきているようだけれど(女二宮、小柴垣草紙を見ている図)

月光一品宮様は女房に対しても恥ずかしがって気兼ねばかりしておられて、何となく人にはうとうとしいので、女房でもお側で親しくお話しすることもない・・・いつでも端然と座っておられる様な御方・・・。

大弐(でもこんな事有明様に申し上げられる訳はない・・・)大きなため息をつく。

そのうちに夜が明けてきて・・・

有明「もう鶏の声がしてきた・・・」
泣きながら「あんまりだ、ひどいじゃないか」
「ほんのちょっとでいいから、おいでになる所へ案内しておくれ!」
大弐、苦し紛れに「中務の君と御匣殿とが宮のお側に二人までも控えておられます。とんでもないことです。」

有明の月が出た。
有明中納言 「ありあけの つきせず身をも くだくかなうき秋のよを あまたすぐして
(際限もなく身を切り刻まれる様な思いがする。辛い秋の夜を幾晩も過ごしたので。)」

大弐君 「空の月 かげやどすべき 袖ならで よしなき秋の 夜よなうらみそ
(高貴な月光一品宮様にはあなた様にはふさわしくないのですから、打つ手のない秋の夜を御恨みなさいますな)」

ドヤドヤと人が来る音。
有明(人が・・・!)大弐の局から出て、陰に隠れて人々をやり過ごす。

有明、汗を拭いながら(ふぅ・・・何とか人に見られずに麗景殿に着いた・・・)
麗景殿の女房「あ、有明様・・・」
有明、にっこり笑って「女御は昨晩主上に召されて上御局(※中宮・女御・更衣などが、常の部屋の他に、特に天皇の御座所近くに賜る部屋。)にお上りになったので、御迎えにあがろうと思って宿直しましたよ」

有明は、参上した女房達と共に清涼殿上御局に女御を迎えに行き、女御が麗景殿に退下するのを見送ってから内裏を出た。

ほのぼのと夜が明けている。
有明、「ほぅ・・・」とため息をつく。

4ー9 独り寝

月が霧に隠れて、初雁が飛んでいく。

有明中納言、松風右大将が住んでいる某の院に車を止めて、こっそりと入る。
松風、対の南面の御簾を巻き上げて、ぼーっと外を眺める。
松風「あ、有明中納言」
有明「うらやましいね。こんな風情のある所で一人住まいとは。」
松風「妹中宮が退出している本邸は、安産の御祈祷やら何やら慌ただしいものでね・・・退散してきたのだよ。」

有明、ふっと笑って、 「ひとりのみ 露わけけぶる ありあけを たれとわかれの ながめなるらん
(まろはたった一人で夜明けの道の露を分けて、こちらへうかがうのに難渋しましたが、あなたは誰とお別れになった後、ぼんやりと物思いにふけっておられるのですか)」

松風 「ひとりねの 枕さびしき 有明に ゆくてうれしき 君がかへるさ
(独り寝の枕も淋しい夜明けにあなたが誰かと会われた帰りがけ、ほんの行きずりに立ち寄ってくださっただけにしろ、嬉しい事ですよ)」

松風「こちらから先にお尋ねしようと思っていたのによくもまぁいろいろと勘ぐられるものですね」

松風の首の紐、解ける。「あ・・・」松風、くくり直そうとする。
有明「いいよいいよ、そのままにしていらっしゃいv」自分も紐を解き散らして、いつものように親しく横に添い臥す。
松風「ああ、全くもう何事の名残なんですかねぇ。こんな二人といない聖人に派手な振る舞いをさせなさるとはね」

暗転 二人の笑い声。

二人、衣のみ上にかぶり、寝る姿は灯の光で浮かび上がる。
有明、ぼんやりとした目で「やはり自分の伴侶として頼りにできて、少しでも心を慰めてくれる程素晴らしい女(ひと)は、なかなかいないものだなぁ。」

松風「それじゃ我々はこのまま一生を終わらなければならないのだね。」
有明(それも悪くない・・・松風と共に添い臥しながら・・・)
松風、急に真剣な顔になって、
「しかしあなたは理想の妻を絶対見つけるだろうと思うとしゃくだよ。」

有明、ドキン!と胸が高鳴る。(松風がこんな表情をするのを初めて見た!松風も私と同じように思ってくれているのか?)
松風、有明の顔をまじまじと見て、
「ああ・・・やはり有明は麗景殿女御によく似ている・・・」

日が高くなってくる。
有明「もう帰らなくては・・・」
「麗景殿女御が上御局にお上がりになったのをお送りして明け方に退出してきた味気なさに、あなたに愚痴を聞いていただきたくなりましたが・・・」
「すっかり日も高くなってしまいました。」

松風「麗景殿様の!?」胸が高鳴る。(名前を聞くだけでも恋しい・・・)
松風 「うらやまし 雲のはたてに やどりして 月の行方を たれならすらん
(羨ましい。御所に泊まって月(麗景殿女御)の行方に親しんでいるのは誰なのでしょう)」
(あ、つい口を滑らせてしまった・・・)
松風、あらぬ方を向いて「御宿直所の事だけれど、想像するだけでも・・・」

有明(松風は、やはり妹の事しか考えていないのか・・・)
有明、淋しそうに、「たれかまた 月の行方を ならすべき 人のしめたる 雲のかよひぢ
(あなた以外の誰が女御の行方に親しんでいるものですか。御所へはいつも我が物顔に出入りなさっているではありませんか)」

有明、式部卿宮邸に帰宅。
女房「昨晩も父宮はあなたをお探しでございました。内裏へ参上なさいました旨を申し上げておきましたが」

有明は、大弐の君への文を書いて、急いで父宮の御前に参上。
二宮、厳めしく座る。その横に、美しい母宮、ちょこんと遠慮がちに座る。
母宮は元斎宮。退下して上洛したとたん、女に目ざとい二宮に見つけられて、誘い出されて、北の方に。有明と麗景殿女御を生んだ。

式部卿宮「ゆうべは御所にと聞いたが、何か用事はあったのか」
有明「女御がお上がりになった御見送りをしておりました。しかし、弘徽殿からと比べ、麗景殿から上御局までの道の遠さを始め、全く不名誉な宮仕えですな。やはり、女のお勤めというのは一段と辛いものですねぇ・・・」

4ー10 嵯峨野の秋

藤壷中宮の里の二条院では、御産の準備で大にぎわい。
祖母の水尾女院も御一緒に来て大げさな御祈祷があり、公卿や殿上人も間断なくおうかがいし、勅使も休む暇なく御見舞いに遣わされる。

三条帝(嵯峨の世間離れしたお住まいで静かにお過ごしの白露皇后宮のお気持はどうか・・・お会いしたい・・・)

夕暮れ時に、庭に風が吹く。三条帝、庭の萩を折り、文を書く。文を結んで、「源中将」
源中将「はい」
三条帝「これを、嵯峨の皇后宮に」
源中将「はっ」

源中将、馬に鞭を当てて、急いで嵯峨へ。日没後、道の草を分け入る野辺の景色も、ぼんやりと一面に霧がかかり、秋の花の色は見えないが、虫の音ばかりが訴える・・・。

嵯峨院の邸内、若女房達が所在無さにぼんやり外を眺めながら宮中の噂話などを思い思いに話し合っている。
源中将の馬のひづめの音が聞こえる。女房達、色めき立つ。「一体どなたがいらっしゃったのかしら?」
源中将、応対に出た女房に「宮中からのお使いでございます。」帝からの文を渡す。

女房から文を渡された白露皇后、開けて読む。
三条帝 「あなこひし 霧のまがきの 露のまも さがのの秋の 風やいかにと
(ああ恋しい。ほんのちょっとの間でも秋霧の立ち込める嵯峨の風はどうかと、あなたの事が思いやられる。)」

白露皇后宮、にっこりと笑う。外では女房が源中将に女物の袿を褒美としてかづける。

内裏に、源中将が帰ってきた。
三条帝、晴れやかな顔で、
「おお!使いがもう帰ってきたか!」

白露皇后 「をぐら山 すそののはぎの 露をおもみ 風まつほどを おもひおこせよ
(小倉山の裾野の萩は、露がしどとに置いて吹き落としてくれる風を待っています。・・・そんな萩の様に涙がちで帝のお越しをお待ちしておりますこちらのそんな様子を思いやってくださいませ)」

嵯峨院の御所で

嵯峨院が白露皇后に話しかけた。
「宮や。主上から、『藤壺中宮もいらっしゃらず、御所は淋しい様ですから・・・』と仰ってきているが・・・
内裏に戻るかい?」
白露皇后、ぽっと頬を染めて、
「はい。喜んで・・・」

白露皇后宮は月末頃に御所に戻る。
野辺の美しい花の盛り、お供の殿上人、皇后宮の女房達の美しい出衣の色に見とれる。

殿上人1「主上は、久しぶりの白露皇后宮の御帰還に、余り後涼殿の方に行かず、承香殿に入り浸りらしい。」
殿上人2「白露皇后宮は、一体どれほどお美しいのだろう・・・」

4-11 嵐の夜

あれから、有明中納言は、月光一品宮を目当てに、弘徽殿の辺りばかりをうろついている。
大弐の君、ため息をついて、(ああ・・・世間に噂が広まってしまう、困ったわ・・・)

九日、時雨模様で、風がひどく吹いて、気味の悪い夜・・・

有明、ほとほとと大弐の君の戸を叩く。しかし誰も出ない。
有明、がくーっと肩を落とす。
(大弐は宮様の御前か・・・気晴らしも出来ぬ・・・)

有明、何かを思いついた。
(それでは後涼殿女御の所は、どうであろう!近頃は珍しく、主上は白露皇后様ばかりお召しになっておられるから・・・)
弘徽殿と後涼殿の地図、位置関係

有明、立って後涼殿の中の様子をうかがう。
女房が中から戸を開けて出てくる。有明に気づかず、「降るとも雨に・・・」と口ずさみながら出て行く。
有明(「いそのかみ 降るとも雨にさはらめや あはむと妹に 言ひてしものを(拾遺集十二、恋二・万葉集巻四 大伴方見)」か・・・何とグッドタイミングな・・・私をけしかけているのか?)

有明、女房が出てきた戸を試しに押してみる。
(鍵は・・・しまっていないな・・・)
(真っ暗だ・・・おお怖・・・)そっと入って、屏風の側に隠れる。

後涼殿、有明の音に気づく。
「誰・・・?主上・・・?」
有明、がばっと涼に抱きつく。
「何・・・主上の香りじゃない・・・いや・・・誰か・・・」
有明、後涼殿の口をふさぐ。

承香殿、御帳台の中で白露皇后と一緒に寝ている三条帝。後涼殿の(主上!)という声で目を開ける。
三条帝(はて・・・後涼殿の声がしたような気がしたが・・・)
(後涼殿はこわがりだから、この風に怯えていなければいいが・・・)

日が高くなってもまだ風雨が続いている。
三条帝は、後涼殿が気になって、ずぶぬれになりながら様子を見に来た。
後涼殿、ぐったりと御帳台の中で沈み込んでいる。

三条帝「昨夜は恐ろしくなかったかい?放っておいて済まない・・・」
涼は、ハッと顔を上げる。涙に濡れた目。また目を伏せて、三条帝と目が合うのを避ける。
三条帝(今まで待たせたことを恨んでいるのだな・・・)
ハラハラと涙をこぼして、後涼殿を抱き寄せる。
三条帝「怒らないで下さい。朕達は来世まで共にと誓ったではありませんか・・・」

一方、有明は・・・
(せめて後涼殿女御のお付女房である宰相の君に後朝の文を渡したい!)

そのうちに夕方になって、風が少し止んで、雪の切れ間が見えた。
三条帝(上御局にいらっしゃる白露皇后宮はどうしていらっしゃるのか・・・)
「上御局に少し戻ります。皇后宮の御様子も気になるので。」

後涼殿、不安げに三条帝の後姿を見送る。

三条帝、上御局でおっとりと構える白露皇后宮を見て、
(上品で清楚で大層魅力的だ・・・奥ゆかしく心憎いまでの御様子・・・)
(しかし・・・後涼殿の様子も気になる・・・)
ちらちらと後涼殿の方向を見る。

白露皇后、三条帝のそんな様子に気づき、
(主上の御心はここにあらずだわ・・・)
「私・・・気分がよろしくないので、承香殿に下がらせていただいてよろしいでしょうか。」
三条帝、はっと白露皇后の気遣いに気づく。
「あ、ああ・・・どうかゆっくりして下さい。」
三条帝、ほっと息をつく。
(何と気遣いの行き届いた女人だ・・・)

女房「後涼殿女御様がお上りになりました。」
後涼殿女御、沈んだ様子で三条帝の前に座る。
三条帝(まだ、沈み込んでいる。可愛そうに・・・)
三条帝は何やかやと後涼殿女御の機嫌を取った。

有明はまた逢える隙はないか、と後涼殿の辺りをうろついている。
(白露皇后宮は承香殿に下がられ、後涼殿女御様が上御局に上がられたと言う・・・)
(今日はお逢いする事ができない!)

有明、涙がぽろぽろと流れてくる。
(目を見張るような後涼殿女御への御寵愛ぶりに、妹の心中はどれほど辛い事かと思いやったが・・・)
(主上の気持が今は分かる・・・)

(後涼殿女御は男を虜にしてしまう魅力を持っている・・・)
(この上なく美しく、可憐で、そして松風右大将にも通じる清楚さがある・・・)
(ああ、これきりになってしまうのは、辛くて死んでしまう!)

4-12 細殿の夢

数日間続いた雨が止み、月の隈なく照る夜。松風大将は御所へやってきた。
松風(主上は、もうお寝みになられているようだ・・・)

麗景殿細殿の辺りで、人の動くゴソゴソと言う音がする。
松風(まだ人々は寝ていないようだ・・・なじみの女房はいるかな。)
松風は妻戸を叩いた。

麗景殿女御の御前
麗景殿女御はぼんやりと松風を想う。そこに、松風右大将の香りがふわっと・・。
麗景殿(松風様!)松風が、麗景殿を抱きしめる。
麗景殿「いけませんわ、いけませんわ・・・」松風を押し戻そうとする。
松風「何とひどい。私の気持をお分かりになって、そのような事を・・・」

しばらくして、麗景殿、涙に濡れた目で、ゆったりと松風を見る。
松風(ああ・・・千夜を一夜に縮めても、まだ物足りない、何という美しい御方だ・・・)

松風、立って出て行こうとして、
「せきもりの とほさぬよとは しりながら なほまどはるる あふさかの山
(あなたに拒まれる事は承知していながらも、やはりお逢いして取り乱してしまいました)」

麗景殿、しどけない姿で袖を目に当ててすすり泣き。
「心から うきあふさかの せきもりは なみだのみこそ とどめざりけれ
(自分の至らぬためにあなたにお逢いして、情けなさに涙が止まらないのです。)」

松風、外に出て月を見る。
(ああ、十二日の月も、隠れようとしている・・・)

4ー13 葛城の神

松風、牛車の中で
(ああ・・・何だか切ないなぁ・・・有明の顔を見たい)
牛飼童に「式部卿邸にやってくれ」

式部卿宮邸では、有明がぼんやり簀の子に座って月を眺めている。
女房「松風大将様のお越しです」

有明、嬉しそうに松風を迎える。
「おお!思いがけない時に、よく来てくれたね!」
松風、怪訝な表情で、有明の様子を見る。
(どうしたのだいつになく沈みこんで・・・涙の痕?)

松風 「たれゆゑと ものおもふ人の しるからば そよなさぞとも なぐさめてまし
(あなたが恋をしている相手の人がはっきりしているのだったら、「そうだとも」とも「さぞかし辛いだろう」とも言って慰めてあげられるのに)」
「はっきりさせないんじゃ気が重いよ」
松風は有明の肩に手を添えた。

有明(相手の人の名など言える訳ない・・・)
「大方の さだめなきよを なげくまに ものおもふ人に なりにけるかな
(特別の訳もなく、ありふれた世間の定めなさを嘆いているうちに、いつの間にか物思いをする人になってしまったのですよ)」
「変な風に誤解なさるものですね。」
「しかし、実の所とてもこれ以上生きてゆけそうもない気がするのですよ。私を愛してくれそうな人は、誰もこの世にいないのに・・・」
有明の瞳から涙がほろほろとこぼれた。

松風(案の定だ。恋をしているな)
「月を眺めているとより気が滅入りますよ。一緒に外へでましょう」
二人は一緒に外を歩く。月が山の端近くにあり、あるかないかの薄雲が月から西へ細く尾を引いている。

4ー14 しとねの下 源氏のパクリの回。涼のキャラも変っているし、余り好きじゃないな・・・

後涼殿女御、有明が押し入ってきた時の事を回想して、一人で悩んでいる。
(何という情けない宿縁なのか。今まで誇り高く身を持して来たのに!)
(あの男は麗景殿女御の兄だ・・・)
(ひょっとして麗景殿が知ってしまったらどうしよう。彼女に軽蔑されるのは恥ずかしくたまらない!)

一方、三条帝は昼の御座で思いに沈んでいた。
(後涼殿は最近沈みがちだ・・・)
(立后できなかったのがそんなに辛かったのか。)
(何とかして不動の地位につけてやりたいが・・・)

宰相の君の局

宰相の君、有明からの文を見ている。
(大層細々と、熱っぽくお書きになられて・・・)
(私だったら、こんな素晴らしい殿方から思いの丈を述べられたら、帝の御寵愛を得ていようと、心を動かしてしまうだろうに・・・)

(でも、女御様は少しの隙をついて、お文を広げて目の前に置いても、見向きもなされない)
「少し位は御覧になってくださったらよろしいのに・・・」
「はぁ・・・また今回も試してみるしかないわね」

後涼殿、一人でいる。宰相の君、前に行って、
「有明中納言様から」と言って文を置く。
後涼殿、怒ってつーんと横を向く。

そこに、後から新参女房の大納言の君の声。
「女御様・・・お呼びになりましたか?」
宰相の君、驚く。(いつもは伺候していない大納言の君が・・・何故?)
後涼殿「ええ。髪をすいてもらおうと思って。宰相の君、そなたは下がっていなさい。」
宰相、不安げに「・・・はい。」文の方を横目で見る。
(女御様はきっとあの御文を取りかくしてくださるわよね・・・)

御前にどやどやと他の女房達が来て、女御を囲んでがやがやと話に興じる。その様子を見守る宰相の君。
(あの御文はそのままで、話に興じていらっしゃる、何てこと!今更近づく訳にいかないし・・・)

そこに「主上のお成りー」宰相の君、驚愕。
後涼殿、慌てて有明の文をたたんで、昼の御座のしとねの下に押し込む。
宰相(あ、やっと御文を隠された。)

三条帝、後涼殿の向かいに座る。後涼殿、ドギマギして帝と目をあわすことが出来ない。
三条帝(まだ、落ち込んでおられる・・・どうしたら女御の気を晴らすことができるだろう)
「碁盤を持ってまいれ」
二人で碁を打っている間も、後涼殿は沈み込んでいる。
三条帝「碁は、つまらないのかい?」
後涼殿「え?・・・い・いいえ・・・」
三条帝「そなたのそのような顔を見ているのが辛い・・・これもそなたに后の位を与える力のない朕のせいだとは分かっておるのだが・・・」
後涼殿、胸がじんと熱くなる。
(お優しい主上・・・私はそんな主上を心ならずも裏切ってしまったのだ・・・)
後涼殿、涙を流す。
三条帝「泣かないで下さい。朕まで悲しくなってしまう。」
三条帝、後涼殿を碁盤越しに抱き締める。碁石がしとねの上に零れ落ちる。

朝、早めに起きる三条帝、横で後涼殿が寝ている。
御帳台から外に出る。碁石がしとねの上にたくさん零れ落ちている。
三条帝(おやおや、女房達もそのままにして寝てしまったのだな)
(どれ、朕が片付けてやろう)三条帝は後涼殿のしとねをずらした、と、紫の薄様の端が見えた。
三条帝(はて?女御の御手習いだろうか)三条帝にムクムクと好奇心が湧き上がった。
(見てみたい・・・)
はっと気づいた三条帝、ぶんぶんと頭を振った。
(いかん、いかん!思っている事を気を許してお書きになっていたら、きまりの悪い思いをなさるだろう・・・)
(でも・・・少し位、いいかな?)
三条帝は文をすっと懐に入れた。 (←妻の携帯を見ては駄目!)


清涼殿昼の御座で、三条帝が文を見て、体を震わせている。
(これは一体何とした事だ・・・)
(筆跡は誰のものかははっきりしないが、初めて見たという感じはしない。)
三条帝、文を目を細めて見る。
(内容や筆遣いから言うと、有明中納言が筆跡を変えて書いたものか・・・?)
じっと顔を近づける。そして大きなため息。
(全く情けない物を手に入れてしまったことだ。この文がなくなったと知ったら女御はどんなに決まりの悪い思いをなさるだろう)
三条帝の目から涙がぽろっと流れてくる。
(愛しい後涼殿が他の男と通じていたとは・・・)
(しかし・・・女御から『一行の返事も見ていない』と言う事は、女御が男を引き入れたのではないらしい・・・)
(きっと男に無理やり押し入られたのだろう・・・可愛そうな女御!)
(あの嵐の日の夜、御帳台の中で、後涼殿が朕に泣きながらすがり付き、『助けて・・・主上・・・いや・・・』と寝言を言っていた。
てっきり嵐のせいで怖い夢を見ていたのだと思っていたが・・・)

三条帝の頭に怒りでかっと血が上る。
(せめて筆跡だけでも誰のものかはっきり知りたい!)
三条帝、松風大将からの文と有明中納言からの文を取り出して、見比べる。
三条帝(有明中納言の手に実に良く似ている・・・おのれ・・・)

三条帝、グシャッと文を握りつぶす。
三条帝(後涼殿は朕が守る!あいつが付け入る隙をなくす!)

一方後涼殿では、
宰相の君が血相を変えて、しとねの下を探る。
(御文がない!きっと女御様が上手くお隠しになったのだわ!)
後涼殿、宰相の君の後姿を見送りながら、(やっと文を持っていってくれたわ・・・全くドキドキさせる人ね・・・)

************************************

『源氏物語』「若菜」のアレンジ回。でも、後涼殿のキャラも少し変っているし、余り上手く消化できているとは思えないです・・・。三条帝の反応は、原作者が、女三宮の密通を知った時に光源氏にとって欲しいと思った行動なのでしょうね・・・ただ、光源氏の反応の方がリアルに思えます。やはり紫式部は上手い。何とか三条帝の反応を納得行くようにアレンジしてはみましたが・・・。

4-15 熊野詣で

有明(寝ても覚めても後涼殿女御様の面影が頭から消えない・・・)
(思ってもどうしようもない人なのに!)
(何とか恋を鎮める手立てはないものか!)

有明(そうだ!熊野詣でに行こう!) (←そうだ、京都行こう!?)

父宮、母宮、引き止める。
式部卿宮「これはまたどうした事で、そんな気持になったのだ。」
母宮「近い所でも物詣などに打ち込んでいると軽々しいと思われるのに、
そんな遠い所まで行かれるとは・・・」
有明、白装束の山伏姿で、二人に言う。
「どうか行かせて下さい。行かないと、まろはきっと死んでしまうでしょう。」

清涼殿で、三条帝が驚く。
「何と!有明中納言が熊野詣とな!」
(長い間気分が悪いと言って参内しなかったあげく、このような山歩きを・・・)
(間違いない。女御の所に押し入ったのは有明だ!)

(麗景殿が一番に入内したのに立后も出来ないでいるのが可愛そうで、
その代わりにと兄の有明に特別に目をかけてやったのに、
その朕の目を盗んで、後涼殿のもとへ押し入るとは・・・)

後涼殿を見ても、麗景殿を見ても、例の事を思い出して心が騒ぐ・・・。
そんなときは、白露皇后宮の御前で、心を落ち着けたいのだが・・・。

白露皇后宮「九月二十日頃、父院が御堂の法会を開催されるので、ぜひ出席したいのです。
どうかお里下がりをお許しいただけますか」
三条帝「あ・・・ああ・・・でも、すぐ戻ってきてくださいね」
(この人の頼みは、断れんな・・・)

枯野の中を白露皇后宮は退出された。

4-16 山階寺

十月の初め、藤壺中宮の陣痛がはじまった。祖母の水尾女院は、立ったり座ったりして心配している。
周りで恐ろしい物の怪の声がしている。

女四宮、月影関白に、こそっと耳打ち。
「物の怪がものすごい。入道宮様の声に似ているの・・・」
月影関白、むっとする。
女四宮「あちら様には全く御産の兆しもないからね・・・無理もないわ・・・」

藤壺中宮は、二、三日経っても同じ御容態のため、人々はうろたえ、山々の法師や、陰陽師を呼び集めたが、御容態は一向変わりなかった。

藤壺中宮は陣痛が続いてぐったりしている。

四日目、水尾女院は、藤壺中宮を抱いて、泣きながら、
「何という情けない事。大変な目にあわせてくれるわねぇ・・・」
「関白は側に来て、力づけてやらないのか」
女四宮「あの人は娘の事なんか何とも思ってないのよ。生きていて欲しいとも思っていらっしゃらないでしょう」

月影関白、聞こえよがしなその悪口を聞いて、ぐっと拳を握り、体を震わせる。
(中宮が臥せっている辺りが畏れ多いので近寄る事も出来ないのに・・・娘を心配しない親などいるか。)

水尾女院、兄の僧正たちを差し招いて、
「僧正、大僧正達よ、近くへ」
僧達が藤壺中宮の几帳の近くに寄る。

水尾女院「たとえ悲しい最期の御命だとて、どうしてこれほどの目に会われなければならぬのか。
神仏が真実この世におわしますと今度こそはっきりと知られよう。
いかなる鬼神とてどうして私に聴き入れられぬ事があろう」

おどろおどろしい祈祷の声が一段と高くなる。

水尾女院、藤壺中宮を抱きながら天を仰いで訴える。
「我が氏には多くの后や国母が出られたけれども、氏守護の大明神に自分ほど献物を厚くしてお仕えした人がおいでになりましたか。」
藤壺中宮に向かって、
「あなた様は我が家門や国王の継承をお伝えなさるべき御方。」
「この患いが前世の報い、あるいは前世の犯しによるにせよ、山階寺(興福寺)の御本尊様、天翔ってお守りくださいまし」

藤壺中宮、うっすらと目を開ける。そして、どくっ!と激しい痛みを感じて、目を見開く。

おぎゃあーっと赤ん坊の力強い泣き声が響く。
水尾女院、ドキドキした表情で、赤ん坊を見る。
「男皇子じゃ!男皇子じゃ!」
女院、満面に笑みを浮かべて、南方を伏し拝む。人々の歓声。
僧侶達、満足した表情で、どっさり禄をもらう。

内裏では、三条帝が「そうか、男皇子か・・・」
後で聞いていた後涼殿、がっくりと肩を落とす。女房達もがっくり・・・。

白露皇后は、それを里の嵯峨院で聞き、
「まぁ、藤壺中宮に男皇子がお生まれになったのね。お目出度いこと。」
嵯峨女院「藤壺中宮に御祝いの使者を遣わしましょう」
白露皇后、にっこり笑って「ええ。」

4-17 暮れの雪

御産養の宴には全ての公卿が出席し、大盛況だった。
御五十日には、御子をお連れになって、藤壺中宮が内裏に入る。藤壺中宮は誇らしげ。

後涼殿、耳を押さえながら、
(ああ・・・人々の喧騒が耳を刺す・・・。
あてつけがましく退出するのも具合が悪いし・・・)
(気にしない振りをするしかないわ・・・)
後涼殿は庭の枯れ木を悲しそうに眺めた。
「同じ種から産まれたと言うのに・・・あちらには満開の花が咲き、こちらは枯れ枝・・・」

三条帝と藤壺中宮は対面した。
三条帝「おお!何と可愛らしい皇子だ!」
(ひどい難産だったと聞いていたのに・・・中宮のこの若々しさ。)
(懐妊・出産は人間の意思とは無関係だ。)
(もともとこの人にはこんな御宿運がおありだったのだ。
このような事態になったのは朕のせいではない。)

正月になり、帝の催促により、麗景殿女御と承香殿皇后が参内した。
月光一品宮も内裏にいるので、華やかな正月である。

4-18 師走の月夜

<二十四年>
三条帝:二十歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十歳
藤壷女御(藤姫):二十歳
承香殿女御、女帝(白露宮):十八歳
麗景殿女御:十八歳

松風中将:十九歳
有明中将:十九歳

月光一品宮:十七歳

葉山帝:二歳
二宮(東宮):一歳
***********************************************

有明中納言(この頃、全く主上のお召しが途絶えている・・・)
(さすがに決まり悪くて、御尊顔を拝せないが・・・
何となく憂鬱だ・・・)

しかし、さすがに新年の行事・白馬節会などには出席したが、チラチラと後涼殿女御の面影が頭を掠める。
有明(弱った・・・)

一方、松風大将も、
(このごろ忙しくて麗景殿様の事はすっかりご無沙汰だったな・・・)
松風 「あらたまの としさへあらず かはるまで みし世の夢は へだたりにけり
(年さえ新しくなるまでに、いつぞやの逢瀬の思い出は遠くに隔たってしまった事です)」

麗景殿、返しの歌を書く。
「ひたすらに 夢になしても やみななん 年もこころも かはりはてなば
(あれは夢の中の出来事として切りをつけましょう。年も改まってあなたのお気持もすっかり変ってしまったのでしたら)」

麗景殿、書き終わったら突然、吐き気を催す。「う・・・」
女房「もしや・・・御懐妊では・・・?」

麗景殿女御に引き続き、藤壺中宮も再び御懐妊して、華やかに内裏を退出される。

しょんぼりと沈む後涼殿を、三条帝、悲しそうに見ている。
後涼殿(主上のお召しが一番多いのは私なのに、なぜ全く懐妊の兆候がないの・・・?)

三条宮では、入道宮が深雪皇太后に訴える。
「全く何という事でしょう・・・
あの子がどれだけ肩身の狭い思いをしているか」
深雪皇太后「御心配なさらないで。後涼殿に私の位を譲るよう、主上にもっと強く奏上しますから。」

水尾女院、御所に月影関白を呼んで、
「近頃、深雪皇太后がしきりに自分の位を後涼殿女御に譲ろうとしているとか。
関白はどの様に思う?」
月影関白、かしこまって、
「は・・・大変結構な事と存じます」
水尾女院「私も自分の孫娘と姪達が同時に三后の位に就くのは、嫌な事ではない。
だけれど・・・」ギロ、と月影関白を見据える。

「ただ、当代に三人の后とは、前例がない。
その上に、当代の帝の后が皇太后宮と呼ばれるのは、とても縁起の悪かった御代(後冷泉朝?)の終わり頃にあったとか言いますからねぇ・・・」
月影関白(す・すごい迫力・・・。後涼殿、ごめんよ・・・
父には押し通す気力がない・・・)

4-19 二条院崩御

その頃、二条院が突然病気になり、あっけなく崩御した。

深雪皇太后、二条院の遺体に取りすがって泣く。
「院・・・院・・・」
水尾女院「何と・・・我が長命が情けない。」
水尾女院はすぐさま出家した。
深雪皇太后、大粒の涙を流しながら
「出家します!出家させて・・・」
侍従「お待ちください!皇太后様まで出家されては、内裏に入るのにも差し支えます。主上が一人で心細くなられては・・・」
深雪皇太后、泣きじゃくって
「分かった・・・わかりました。」
月光一品宮、母の様子を見て、
(私も出家したかったけれど、母宮様がされないのなら、小賢しく申し出ることはできないわ・・・)

その様子を見ていた三条帝、顔が青ざめる。
(父院は、御短命だと御自分で直感なされていたからこそ、生きている間、少しでも長く最愛の母宮と御一緒にすごそうとされておられたのだ・・・)
(朕も父院の子。いつまで生きられるか分からぬ。)

後涼殿の顔を思いだす。
(あちらこちらの女性達に気を使わず、後涼殿と少しでも長く一緒に過ごす方法を考えねばならぬ。)

諒暗の最中、藤壷中宮には男皇子、麗景殿女御には女皇子がお生まれになった。
後涼殿、ため息をついて
(ほぅ・・・あちらの枝にはまた一つ花が増えた・・・
全くお羨ましい事・・・)

白露皇后、三条帝に向かって、
「藤壷中宮様の二宮様を私の猶子にしたいのですが・・・
主上を通してお願いしていただけないでしょうか?」

三条帝「えっ・・・」
(後涼殿の事ばかり心配していたが、この御方も御子がいなくてお寂しかったのだな・・・
この方は身分も気立ても申し分ないから、朕は構わないのだが・・・)

藤壷中宮、それを聞いて激しく拒絶。
「何ですって!嫌でございます!」
三条帝「皇后宮は御子がおられなくて、淋しい思いをされておられるのだ・・・。
それに、いつでもそなたが会いにいってよいと仰っておられる」

藤壷中宮、ぷんと横を向いて、
(夫が別の女との間に作った子を愛しく思えることができるとは、私には思えない・・・二宮がいじめられてはかなわないわ)
三条帝「皇后宮の御真意を疑っておられるのかい?皇后宮はそんな御方ではない。一回そなたもお会いになられるとよい。」

藤壷中宮と承香殿皇后は対面した。

藤壷中宮(ま・まぁ、何て清らかでお美しいお方・・・)
承香殿皇后、にこっと笑う。
「中宮様、何てお可愛らしいお方。」
「中宮様に直接お会いして、お願いできて良かった。
私の勝手なお願いだとは分かっているのだけれど、
前世では親子だったのか、どうしても二宮様を猶子にさせていただきたいのです。」
「中宮様の愛しい御子様を育てさせていただくのですから、大事に立派に育てます。
どうかよろしくお願いします。」
承香殿皇后、深々と頭を下げる。

藤壷中宮、ぼーっとなって、
(こんなお美しくて清らかな方に頭を下げられて断れる訳ないわ・・・)

藤壷中宮、頬を染めて三条帝に申し上げる。
「承知いたしました。喜んで皇后宮様に二宮をお預け申し上げます。」
三条帝「そうか!よかった!」

4ー20 女帝即位

<二十八年>

三条帝:二十四歳
後涼殿女御(涼瀬姫):二十四歳
藤壷女御(藤姫):二十四歳
承香殿女御、女帝(白露宮):二十二歳
麗景殿女御:二十二歳

松風中将:二十三歳
有明中将:二十三歳

月光一品宮:二十一歳

葉山帝:六歳

****************************************

二条院の崩御から三年過ぎ、今上帝(三条帝)の御代も六年となった。
三条帝(世の中も落ち着いてきたし、何よりお祖母様・水御女院様が父院の御崩御からすっかり気落ちして静かになった・・・)
(そろそろ、頃合いかな・・・)
三条帝「朕の位を、承香殿皇后に譲る」

深雪皇太后、承香殿皇后、後涼殿女御、藤壷中宮、月影関白は驚愕した。

三条帝、承香殿皇后に向かって諭すように、
「持統の帝や、元明帝など、女帝は昔から例がないわけではない。
なにより、嵯峨院を朕は非常に敬愛していて、
御子孫が皇位につかないのも、お気の毒だと考えていた。」
承香殿皇后、不安そうに三条帝を見上げて、
「主上・・・でも・・・私なぞ・・・」
三条帝「大丈夫。そなたには世を治めることができる才気は十分にある。
朕は長年見て分かっているのだ。
自信を持ちなさい。」

三条帝「もし不安なら、朕や父院に御相談になればよい」
承香殿皇后、あきらめて下を向く。
「・・・・・・」

その話を聞いた嵯峨院
「これは・・・何と言うこと・・・喜んで良いのか悲しんで良いのか分からぬ・・・」

御譲位が近づいて、嵯峨院の元中宮・承香殿皇后の母が女院となる。深雪皇太后が、太皇太后に、藤壷中宮が皇后に。

・・・そして、後涼殿女御が、中宮に上る。

深雪太皇太后、入道宮、三条帝の意図に気づく。
後涼殿中宮も気づいて、うれし涙を流す。
(主上は・・・私の為に皇位を捨てて下さったのね・・・)

藤壷皇后、ショックを受ける。
(これが目的だったのか!)

三条帝は譲位して、元承香殿皇后宮が帝となり、藤壷皇后の第一皇子が東宮となる。三条院は後涼殿中宮を連れて、三条宮に移った。麗景殿女御は女皇子を慰めに里にこもってしまった。

内裏で、藤壷皇后は体を震わせ、握り拳を床に押しつけて泣いている。
(院、院は私たちを捨てて、後涼殿を連れて、政治の世界から逃げていってしまうのですか?
・・・何てひどい方!そんなに私たちが邪魔だったのですか?)
(もう、出家してしまいたい!)

女帝の凛とした声が響いた。
「藤壷皇后宮様」
藤壷ははっと気づいて、顔を上げた。

遠くを見つめる女帝の透き通った表情。
女帝「そんな風に御自分で御自分を貶めるのはおやめになって。
私には今、悲しむ余裕がない。余りの事に呆然として倒れてしまいそうなの。」
女帝はにっこりと笑い、藤壷皇后を見た。
「東宮である皇后様の御子に無事、国を伝えられるよう、私は精一杯の事をします。
東宮様が成人されるまでの間、どうか私を支えて下さい。」

藤壷皇后は女帝の輝く笑顔に見とれて顔を真っ赤にしながら大きな声で答えた。
「は・・・はい!」

人々「三条院様は後涼殿中宮様といつも仲良く並んでいらっしゃる・・・」
「まるで臣下の人々の様だ・・・」
有明(後涼殿中宮様に近づくことがますますできなくなってしまった・・・
もう永遠にお会いする事はできないのか・・・)

第四巻終わり

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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。

『我が身にたどる姫君』翻案「第二巻」



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Ⅳ「2-1、西八条の住居~2-4、氷る山路」 

「2-1西八条の住居①」

深雪姫、美しい袿を着て、遠くを見るような視線。
(今日まで、夢路をさまようような気持のまま、長い年月を過ごしてきた。)
(―ある日、尼君と親しく話を交わしていた方が、私を一目ご覧になったかと思うと)
(すぐに誘い出して、一切心配御無用とばかり大切にお世話して下さる。)

(けれど、それ以来その方が側についていた事もなく、
他の人もこの御殿はどこだと教えてくれなかったので、にわかに別世界に生まれて来た様な
気持で過ごしていた所へ―)

「2-1、西八条の住居②」

深雪姫はまた、ある日の事を回想した。

―また別に、見たこともないような素晴らしい様子の殿方が
おいでになって、お出迎えになる。

関白、はらはらと涙を流す。
関白、袖を目に押し当てながら、
「長い間、辛い思いをさせたね ・・・」

深雪はふと気づいた。
(この方は ・・・もしかして実のお父上?)

関白は深雪を抱き寄せ、髪を撫でながらつぶやく。
「ああ…
なんてあの方に良く似て…」
「あの方は私に光の様な形見を残して下さった…」

「2-1、西八条の住居③」

その言葉を聞いた深雪姫は、驚いた表情をした。
(「形見」…母上はお亡くなりになってしまったのだわ…)

そして急に体の力が抜けたように座り込み、顔を袖で覆った。
(もう二度とお会いできない…)

―宣旨のもう一つの実家である西八条第で
関白は密かに皇后宮の追善供養を行った。

―もちろん、誰の為の供養かは秘密にして。

世間はこれを見て、
関白の隠し愛人の一人が亡くなったのだろうと噂した。

※追善(ついぜん)…死者の冥福を祈って、生存者が善根を修める事。特に、仏事供養を営む事。

「2-2、天つ乙女」

―その後、しばらくして
深雪姫は、関白邸に引き取られた。

関白の嫡男・月影中納言が乱暴な足取りで、廊下を歩いている。ドスドスと足音が響いてくる。
中納言は、手を組み、渋面をしている。
「全く、父上の好色にも困った事だ。
どんな昔の女が沸いてくるかわかったもんじゃない。」

月影中納言はいまいましそうに空を見上げた。
(あげくに、新しい妹だって?
― 突然そんな事きかされてもね。)

― 一方、中宮の部屋―

噂好きの女房達が、関白の妹である中宮に、関白の新しい姫君についての話をしている。
女房「今度引き取られた姫君は、関白様に非常に大切にされていて、
北の方の姫君がお気の毒な程ですわ。」

中宮は扇を口元に持っていき、不思議そうに聞いている。
「ふーん…どこからお出ましになった天つ乙女(あまつおとめ=てんにょ)かしら…」

「2-3、空の煙①」

月影中納言は、自室で脇息にもたれかかり、しばし考えた。
(…とは言ってもやはり新しい妹はどんな子か気になる
―ちょっと見に行ってみようか)

―姫君のいる対の屋へ向かった月影中納言。
廂を、一人の女房が箱を持って歩いているのを見る。
その女房は、深雪姫の女房・侍従。

月影(見覚えのある女房…)
月影(確か、音羽の山里で見かけた事があるぞ!)
(もしかしてあの美しい姫君の
行方を知っているかもしれない!)

月影中納言は、足取りも軽く侍従の方へ走っていった。
そして、侍従の背後に回って、肩をポンとたたいた。

振り返る侍従に、月影中納言はにっこり微笑んでいった。
「思いがけない所でお声を聞いたことがあるような気がしますね」

「2-3、空の煙②」

「あ…」
侍従はうろたえた。
なぜなら、尼君に、「月影様に深雪姫と妹姫が同一人物だと悟られないよう!」ときつく言われていたからだ。

侍従は目を泳がせながらいった。
「そんな事もございましたでしょうか~…」
(ど…どうやってごまかそう…)


さすが侍従は頭の回る女房、その口からその場限りのごまかしの言葉が立て板に水を流すように出てきた。
「音羽に住んでいらっしゃった故権中納言様の姫君(深雪)は、
こちらの女房、宰相の君と御同腹の姉妹でして、その御縁で、私も時々音羽とこちらを行き来しておりました。」

「今年の春でしたか、二宮様が訪ねていらして、
御熱心にお誘い出しになりましたが、それを本当に困った事だと思い悩んだあげくに行方知れずになったと聞きましたので…」

侍従の口から決定的な言葉が出された。
「今では音信不通でございます」

月影中納言は、がーんとショックを受け、涙ぐみながら胸に手をあて、歌を詠んだ。
「いかにせん さとのしるべに こととへど
なほゆくへなき 空のけぶりを」
(どうしたらよいだろう、あの村里の案内の人に訪ねてもやはり行方の知れない女の事を…)

その横で、侍従は肩をすくめている。
(少しお気の毒・・・)

「2-3、空の煙③」

関白の部屋―

関白が、袿・指貫姿で寛ぎながら、北の方に語っている。
「昔通っていた兵部卿宮の姫君の
忘れ形見の姫を最近見つけてね…」

関白「親を亡くした不憫な子ですから、あなたも
どうか本当の子だと思って可愛がって下さい」

関白(本当は兵部卿宮の姫はとっくの昔に亡くなっているのだが、この際仕方がない)

北の方は、切なげな目をして、両手を口元に持っていった。
「まぁ、おかわいそうに・・・」

そして、すぐに物語を両手に持ち、見比べながらいった。
「姫君はどんな物語をお好みかしら?」

関白はその様子を眺めながら考えていた。
(良かった…信じてくれたようだ。
お人柄が無類に素直な所が、この人の一番の美点だ…)

後日、殿上の間で―

関白が殿上人から何か報告を受けている。
関白「そうか…帝は皇后宮が崩御されてから、
御政務が御手につかない御様子か…」

殿上人「東宮様の御服喪期間が過ぎたら、
そのまま御譲位なされるおつもりらしいです。」

「2-4 氷る山路」

月影中納言は廊下を歩きながら考えていた。
(では、一体音羽の姫はどこに行ってしまったのだ…)
(それとは別に、新しい妹はどんな様子の姫なのか見てみたいなぁ…)


―十一月の雪がひどく積もった朝―
外では女童達が大きな雪玉を作っている。

―月影中納言は父関白の御前でくつろいでいた―

関白「おお、そういえば対の姫君の御様子はどうだろうか」
関白「そなたも妹のもとへいくか?」

月影中納言は勢い良く答えた。「はい!」(やった!)

「2-4、氷る山路②」

―深雪姫の部屋に、関白と月影中納言が入ってきた。

深雪姫は母の喪に服しているので、几帳も衣も鈍色で、部屋全体が落ち着いた雰囲気だ。

関白は深雪姫を隠す几帳の側に行き、月影中納言は少しはなれた御簾の近くに控えた。
関白が話しかけた。「姫君、寒くはありませんか」

深雪姫はほんのりとした様子で答えた。「ええ…全く…」

(なんて皇后宮に生き写しなのだ…)
関白はそう心の中で思い、少し涙ぐんだ。

その後で月影中納言は身を乗り出している。(見えない・・・)

関白はまた深雪姫に話しかけた。
「ひどく引っ込み思案なお振舞いですね。
その几帳を横にのけませんか。」

関白の意向を汲んだ女房が、さっと几帳を横にのけた。

恥かしがってほんのりと顔を染めている深雪姫が月影中納言の瞳に飛び込んできた。
(美しい…)

「2-4、氷る山路③」

しかし、はたと月影中納言は顎に手をやって考え始めた。
(音羽の姫と髪のかかり具合や袖の重なり具合が似ているが・・・
侍従もああ言っていたし、きっと他人の空似だろう)

そう自分を納得させて、また深雪姫のもとに視線を落とした。
(しかし、見れば見るほど愛しい女三宮に良く似ておられる…)

そして月影中納言は切なげな瞳をした。
(この人が私の妹でなければ良かったのに…)
(昔の人もこのような時、口に出してはならぬ事を、つい言ってしまったものだった…)

一方、深雪姫は、(兄上様がじっとご覧になっていて何だか恥かしい…)と頬を染めてじっと体を小さくしていた。

「2-4、氷る山路④」

―月影中納言が言っている
「昔の人」とは、
『伊勢物語』「第四十九段 若草」に
登場する男のことです―

「第四十九段 若草」の内容は

―昔、男が、妹のとても愛らしいさまを見て―

平安初期の装束を着た男、悪戯っぽい目つきをして、妹に歌を詠みかける。
「うら若み 寝よげに見える 若草を 人の結ばむこと 惜しぞ思ふ」
(若々しいので、一緒に寝たら気持いいだろうなぁと思う若草のようなお前を、他人が妻にするのが惜しいなぁ…)

その言葉にビックリした妹、兄の方を困ったように見て、
「初草の などめづらしき 言の葉ぞ うらなくものを 思ひけるかな」
(なんと思いもかけぬ珍しいお言葉!私は何の気も無くお兄様としてお思い申しておりましたのに!)

…あ~月影兄ちゃん危ない危ない…

「2-4、氷る山路⑤」

―月影中納言は、深雪姫を
見て、また音羽の姫の行方が
気になり始めたようです

月影中納言は、廂を歩いている侍従を呼び止めた。
「ちょっと、侍従」
「何でございましょう?」
侍従は振り向いた。

中納言はぐす…と鼻を鳴らしながら、いった。
「今後も、音羽の姫の行方を探し出されたら必ずお聞かせ下さい。
どうしても申し上げたい事があって…」

侍従は困ったようなくすぐったいような表情をした。
(これは何とも困った事…)
そして申し訳なさそうにいった。
「あの尼君でさえ、あのまま行方をご存じなくて、
恋しがって泣いておられるそうですので、
まして私には…」

「そうか…」
中納言は肩を落とした。

自室で、中納言は何かを思いついたようだ。
(あ、宰相の君に聞けば何かわかるかも!
…姫君と姉妹らしいし)

「2-4、氷る山路⑥」

月影中納言は渡殿で、後から宰相の君を呼び止めた。
「宰相の君」

宰相の君は警戒したギンギンの目で月影中納言をにらみながら、こういった。
「はい、何でございましょう」
心の中では(姫君の素性をしゃべらされてたまるか!)と思いながら。

月影中納言はその気迫に気おされて、
「…いや、何でもない…」と引き下がった。
(似てない…本当に姫君と姉妹か?)

そして、中納言は(やっぱり侍従に頼ろう!)と、ゴロニャンと侍従に甘えている。侍従もまんざら悪い気はしなさそうで、ほんのりと頬を染めている。

その様子を見て、母親の北の方は夫・関白にのんびりと話しかけている。
「これまでついぞ見かけなかった珍しい若女房の御寵愛だこと…」
関白も暢気に応じている。「まことに…」

「2-4、氷る山路⑦」

ところで、やっと筑紫の弁の君に皇后宮崩御の情報が届いた―
「何ですって!皇后宮がお亡くなりに!」

弁の君は筑紫守の夫にいった。「あなた、少し上洛して参ります」
夫「う…うむ」

―音羽の里で―
弁の君は、深雪姫も侍従もおらず、一人尼君が淋しそうにしている音羽の里を見て、唖然となった。

―そして宣旨の里―

姫と娘を心配して、げっそりとやつれた弁の君が御簾を上げて宣旨の部屋に入ってきた。
「失礼します」
宣旨「まぁ!弁の君!お久しぶり!」

弁の君は、必死の形相で宣旨に叫んだ。
「尼君が、あなたなら何か事情を知っているとおっしゃって…
深雪姫はいずこに?そして娘の侍従は?」

宣旨は朗らかに微笑んで、話し始めた。
「ああ…その事ね…実は…かくかくしかじかなの」

「2-4、氷る山路⑧」

宣旨と弁の君はしみじみと向かい合って話し合っている…。

宣旨「皇后宮様は最後まで深雪姫様の事を
気にかけていらっしゃいました…」

弁の君は、涙ぐみ、袖を目に当てる。
「まぁ…おいたわしい…」

宣旨は厳しい目をして、弁の君の目を見つめた。
「ところで、侍従の君や宰相の君にも私の事を事情を知っている者などと決しておっしゃいますな。」
「姫君がここにいらした時も、ただなんとなくごまかして過ごしました。」

弁の君も真剣な目をして、唾を飲み込んだ。

と、宣旨は弁の君の手を取り、悲しそうに首を振った。豊かな髪がふさふさと揺れる。
「皇后宮様がひどくお隠しになっておられた事ですので、
亡き御魂(みたま)に対しましても、決して決して…」

弁の君はコクコクとうなづいた。

「2-4、氷る山路⑨」

―侍従の曹司―

御簾の端から、弁の君がぴょこんと顔を出した。
弁の君「中の君、中の君」

侍従は本を読んでいたが、声に気づき、振り向いた。
そして笑顔で「母上!どうしてこちらがお分かりに!」

弁「音羽の尼君に聞いて…姫君はどちら?」

深雪姫の部屋で―

深雪姫は脇息にもたれかかって何かを考えている。

侍従に唐衣と裳を借りて、女房装束となった弁の君が深雪姫に声をかけた。
「姫様!」
深雪姫「まぁ!弁の君!」

弁の君はほろほろと涙を流した。「ご立派になられて…」
深雪姫は弁の君に抱きついた。弁の君は娘を抱くように深雪姫の髪を撫でた。

「2-4、氷る山路⑩」

弁の君は、今まであったことを熱心に話す深雪姫の様子を見て、嬉し涙を流した。
(姫君…実の父上様に引き取られて、大切にお世話されて…本当に良かった…)

深雪姫の様子に御簾の外を歩く関白が気づいた。
関白(お?姫が珍しく楽しそうに話している)

関白は御簾を引き上げて、顔を入れた。
「姫、どなたかお客様かい?」

関白は弁の君の姿を認めた。「あっ…」
弁の君も後ろを振り向き、関白の姿を見た。「殿…」

関白(弁の君…!私を皇后宮のもとに手引きしてくれた者…!)

「2-4、氷る山路⑪」

―関白の部屋―

関白は寛いで脇息にもたれかかり、弁の君に話しかけた。
「久しぶりだな…元気にしておったか?」

弁の君はふんわりと答えた。「はい…お気遣いありがとうございます」

関白は真剣なそれでいてどことなく淋しげな表情になり話し始めた。
「ところで…今となってはどうしようもないが、私が皇后宮とお逢いした頃の皇后宮の御様子について教えて欲しい。
―人払いはしてある。」

そして急に涙ぐみ、袖で目を押えた。
「あの方の思い出を語り合えるのはそなた位しかいないからな…」

弁の君は、痛ましげな目で関白を見た。
「殿…」

「2-4、氷る山路⑫」

弁の君は話し出した。
「皇后宮様は…殿が遊び半分で忍んで来られたとお思いになり、初めは殿を大層御恨みでした。」

「けれども殿の深い御心遣いに触れ、同時に深雪姫様を御懐妊なされたと気づいた時、
殿との深い縁(えにし)を感じておられた御様子でした。」

回想シーン:皇后宮が、大きなお腹を温かい表情でさする場面。

弁の君「東宮御決定の際に、殿が『年の順で』と帝に進言なされた時も、大層お喜びで殿の御愛情をお信じなされて
おられたようでございます」

関白は胸を突かれた様な表情で、前に乗り出し、右手で直衣の胸の部分の布をしっかりと握った。

関白は、皇后宮の愛らしい表情を思い出した。
関白(ちょっとした御言葉の端にさえ愛情をお示しくださらず、この上もなく恨めしかった皇后宮…)
(さては御心の中では実は何もかもお分かりであったのだ…!)

関白(どうしてお亡くなりになる前にもう一度お逢いできるよう努力をしなかったのだろう…!)

関白は両腕を地面について、うなだれ、ぽたぽたっと涙を落とした。

「2-4、氷る山路⑬」

―さて、二宮は、帝退位の今になっても、
好色という評判ばかり先に立ってしまって、
東宮に据え奉ろうという人もいない。

二宮はぼんやりと考えていた。
(一体、音羽の姫君はどこに消えてしまったのだろう・・・)
(垣間見を続けていればもしや見つける事ができるかもしれぬ…)

そして、二宮は都中の評判高い姫君を垣間見し続けた。しかし深雪姫は見つからない。

そして年の暮れ―
雨・霰(あられ)が激しく降り、荒々しい風の日―

二宮は端近に座って、嵐の外をぼんやりと眺めていた。
(せめて姫君が居られた御座所の辺りに行って、姫君を偲びたい―)

「2-4、氷る山路⑭」

―音羽の尼君の庵

ガサガサと音を立てて二宮が現れた。
「二宮様!」尼君は驚いて振り向いた。

二宮は淋しそうな、そして疲れた様な顔をしながら奥の方に向かって歩きながらいった。
「姫君のおられた部屋にいる。少し一人にしておいてくれ。」

その後姿を見送る尼君の心の中には薄ら寒いものが吹き抜けていった。
(二宮様は姫の御姿もない後の狭蓆(さむしろ)ばかり追いかけていらっしゃる…どうしたらよいやら。)

二宮は姫の部屋で思い出に浸っている。
(この畳も…衣桁も何もかも同じなのに…)

(姫君だけがいない…)
二宮は姫君の愛らしい姿を思い出して、涙ぐんだ。

「2-4、氷る山路⑮」

二宮は姫君の座っていた畳の上に座って、泣きながら歌を詠んだ。

「雪こほり とづる山ぢを ふみ分けて いく夜むなしき とこに寝ぬらん
(訳:雪や氷により閉ざされている山路を踏み分け訪れては、幾夜を空しい床で寝たことだろう。)←副題「氷る山路」の元になっています。

「ひとめみし 人のなごりに よそふれば なみだにくつる とこのさむしろ」
(訳:一目見た人の形見と思えばこの狭蓆(さむしろ)は恋の涙で朽ちてしまうことだ…)

白々と夜が明ける頃、二宮はしょんぼりと牛車に乗り込んで、三条宮に帰っていった。

その後姿を見送りながら、尼君は考えていた。
(嘘の罪を重ねるのも恐ろしいし、二宮様は母后の罪を口外はしないだろう…)
(いっそ姫君は宮様の異父妹だと言ってしまおうか…)

しかし、尼君は激しく首を横に振った。
(いやいや、今更どうして皇后宮がひた隠しにされた姫君のお名前を漏らしてよいだろうか!)

(「我が身にたどる姫君 Ⅴ」に続く)

Ⅴ「2-5、吹雪の夜~2-8、卯杖の春」 表紙は侍従。

「我が身にたどる姫君」73「2-5 吹雪の夜①」

ひどい吹雪の夜、二宮を訪ねて、三条宮(もと皇后宮の里邸。東宮、二宮、女三宮が住む。)を月影中納言が訪問した。

月影中納言は女房の報告を受けて残念そうにいった。
「そうか…二宮様はこの夕方に御所に行かれたか…」

(徒然だったので、二宮と話でもしようと思ってこちらを訪れてみたが…)

月影中納言は頭の烏帽子に手をやった。

(今は冠を持っていないから、御所まで追いかけて行けないな・・・)

突然月影中納言はにんまりと笑い、握りこぶしを口に持っていった。
(ひょっとしたらこちらにおられる女三宮様を垣間見する事ができるかも?)

月影中納言はさっそく女三宮様の部屋の近くにいった。
月影中納言(東宮も御所に入られてとても人少なだな…)

「お~寒い…」
扉が開いて、僧綱襟の年老いた僧侶達が、震えながら出てきた。

月影中納言(あ!あれは皇后宮追善供養の護摩を奉仕し終わった僧達だ!)

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※冠と烏帽子…烏帽子は男子の日常用の被り物。これで公的な場である御所には行けない。御所に行く際には必ず冠を被る。常に御所にいる天皇はいつでも冠を被る。烏帽子を被る事ができるのは、退位して上皇になった時から。

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「我が身にたどる姫君」74「2-5 吹雪の夜②」

月影中納言は、扉の後ろにそっと隠れた。
月影中納言(戸もちゃんと閉めないで全く不用心だな…)
(私の様な若い男が入り込みでもしたらどうするのか)
そう思いながら、スッと女三宮の部屋へ入り込んだ。

明かり障子の手前で女房達が寝ている。その前においてある几帳の後にそっと月影中納言は身を隠した。

障子の向こうで、几帳に隠れて、脇息にもたれて眠り込んでいる女性の袖が見える。
月影中納言(あの破れ障子の向こうに見えるのは、高貴な方のみが着れる二重織物の袿…女三宮様だ!)

月影中納言は興奮して、顔を赤くした。
(ああ、たまらない、どうしよう…)

(続く)
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原作の記述で、「破れ障子から女三宮の袖が見える」と書かれていたので、マンガでも、いわゆる「明かり障子(現在の障子と同じ形)」を描きました。ちなみに明かり障子は平安時代末期に出現した建具です。

鎌倉時代に描かれた「春日権現験記絵巻」によると、高貴な女性の御前で夜を明かす女房達は、3コマ目の様に、主人を守るように雑魚寝で寝ていた様です。

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「我が身にたどる姫君」75「2-5 吹雪の夜③」

(開けてみよう!)
月影中納言は、そう思うと、几帳の影から出て、女房達を飛び越した。

しかし、障子には鍵がかかっていて開けることができない。
(あ、鍵が…)

(いつまでも見ていたいけど人に見つかるとまずい…)
月影中納言は、後ろ髪を引かれる気持で、女三宮の部屋を後にした。

しばらくして、月影中納言は、女三宮の側近女房である、中納言の君の局の扉を叩いていた。
(中納言の君なら何とかしてくれるのでは?)

中納言の君は眠たい目をこすりながら、扉を開けた。
「どなた…?」
中納言の君はきらきら光る瞳のきゅっと目じりの上がった目が魅力的な女性だ。

中納言の君はにっこり笑った月影中納言を見ると、驚きと喜びのあまり口に袖を当てて、叫んだ。
「ま…まぁ月影中納言様!」


「我が身にたどる姫君」76「2-5 吹雪の夜④」

…と、急に中納言の君は警戒感をあらわにして、身を引いた。
「思いがけない時にいらっしゃって人も不審に思いましょう。お早くお帰りなさいませ。」
中納言の君の心の中ではこのような思いが渦巻いていた。
(どうせ女三宮様への手引きを頼みに来られたのね!)

月影中納言は彼女の心を蕩かそうと最高の笑顔でいった。
「さぁねぇ…恋患いで長生きできそうにないので、
たとえ宮様に『今夜死ね』とでもおっしゃられたら
その御言葉の通りにしようと思ってね。」

案の定中納言の君は警戒感を解いて、月影中納言にずいと体を近づけた。
「どうしてそんな出過ぎた事を宮様に申し上げられましょう。
『宮様を御降嫁いただきたい』と関白様に頼んで、主上に奏上していただきませ。
本当にたやすい事でございましょう。」

月影中納言は中納言の君から顔を逸らしていった。
「なんとやっかいな…あの父上がそのような事を奏上なさるはずがあるものか」
そうしてこう考えていた。
(愛のない結婚など嫌だ。宮が本当に私を好いて下さった上で私は宮を妻にしたいのだ…)

そして、月影中納言は急に中納言の君の手を両手で包んで、真剣な表情で話しかけた。
「真面目な話、いつもこんな風に私の事を全く構って下さらないのが辛いのだよ」

中納言の君は頬を染めながらされるままにしている。


「我が身にたどる姫君」77「2-5 吹雪の夜⑤」

月影中納言は中納言の君の手を口に当てて、ひざまづいた。
中納言の君の顔は真っ赤になった。

月影中納言「今晩だって、また私をそのまま空しく追い返そうというの?」

中納言の君は顔を上気させながら、流し目で月影中納言の方を見た。
「まぁ、みっともない。人がどうお噂しますやら。」

月影中納言は、ニヤッと笑いながら上目遣いで中納言の君を見上げ、うそぶいた。
「これがさほどに悪いことかね。」

「…あの宮様が男女の道もお分かりにならぬ御性格なのを
こちらから積極的に打ち破ってみたいのだ」

中納言の君は、気分が高揚したのか、体を摺り寄せてきた。
「まぁ御無体を。どう御返事申し上げればよろしいやら。」

「我が身にたどる姫君」78「2-5 吹雪の夜⑥」

月影中納言は、微妙な表情をして、上を見上げた。
(私がかわりにお相手しましょう、とでも言うのか?…いや、今はそんな気分になれぬ。
あの宮様を見てしまった後では…。)

そして、中納言の君の体を無理やり引き離した。
「ただ、せめて夢だけでも見せてください、と直接申し上げたいのだよ。」
「あっ」
中納言の君は、夢見心地な気分を断ち切られて、残念そうな声を出した。

月影中納言はため息混じりに、
「いかにもあなたのおっしゃる通りに、主上に奏上した方が常識的だろう。
―でも、宮様の御居間へ私を手引きする事がどうしてあなたにとって難しいのかねぇ…。」

中納言の君は、気分を害して、つーんと横を向いて、この歌を詠んだ。
「わりなしや あるかずにだに あらぬ身の 心に人を まかすべきかは」
(仕方がありませんわ。人数にも入らぬ身分では、とても私の一存で宮様の事をお取り扱いできるはずがありません。)

月影中納言は慌てて、なだめるように次の歌を詠んだ。
「いのちをも まかせん人は あはれとも 君より外に たれか知るべき」
(私が命かけて愛している人が誰かを知って、同情してくれる人は、あなた以外には一人もいないのだよ…)

「我が身にたどる姫君」79「2-5 吹雪の夜⑦」
―しばらくして

月影中納言は、中納言の君と添い臥しながら、外の雪を眺めている。

中納言の君は、
(月影様とこんなに近くにいるなんて夢のよう…。何かあるかしら?あるかしら?
私の方は準備万端よ!)
とドキドキしながら、期待に胸を膨らませている。

その後で、月影中納言は肘をつきながら途方に暮れている。
(男だって誘われていつもその気になれるもんじゃないよ…)

―結局何もなかった―

月影中納言は、帰り際に中納言の君にこんな歌を詠んだ。
「おりたちて わけもみねども いまはとて かへるはをしき 雪のうちかな」
(あなたと深い仲になったわけではないけれども、『それじゃあ』といって雪の中を帰っていくのはさすがに惜しい気がするなぁ…)

「我が身にたどる姫君」80「2-5 吹雪の夜⑧」

中納言の君は不機嫌な様子でこう返した。
「こころのみ 空にうきたる 雪もよは かへるなごりを をしみしもせじ」
(あなた様は気もそぞろで、どなたかの事ばかり思っていらっしゃるのですから、この雪の中をお帰りになっても名残を惜しみはしませんわ!)

そして、頬を膨らませて横を向いた。
月影中納言は弱ったような表情をした。
(おやおや、怒らせてしまったようだね…)

―関白邸、深雪姫のいる対の屋で―

月影中納言は帰宅して、「侍従、侍従はいるかい?」と侍従を呼んでいた。

侍従は(月影中納言様の御声?どこに居られるの?)と思いながら、「はい」と答えた。

侍従は渡殿の匂欄に寄りかかっている月影中納言を見つけ、「あ…」とつぶやいた。

「我が身にたどる姫君」81「2-6 都鳥①」

侍従は月影中納言の指貫に触れていった。
「あ…指貫の裾が凍り付いておりますわ…」

月影中納言はかすかに微笑んで答えた。
「ゆうべはひどい吹雪だったからね…」
そして、
「ちょっと失礼するよ」と、直衣の前の留めボタンを外した。袍の前部分がパラリと開いて、中の単と鎖骨が見えるのが色っぽい。

侍従は、(素敵…)と顔を赤らめた。侍従の胸がドキドキと早鐘を打ち出した。

月影中納言は侍従の顔を見上げながら聞いた。
「あれから…音羽の姫君の御消息は何かわかったかい?」

侍従は当惑した表情でこう考えていた。
(困ったわ…まだ姫君の事を気にかけていらっしゃる…。
もうお忘れになったと思っていたのに…。)

「我が身にたどる姫君」82「2-6 都鳥②」

月影中納言は左手で侍従の手をつかみ、右手で侍従の頬を触った。
「何か知っているのかい?でも私には言えないというのなら…」
侍従は顔を赤らめたままで中納言のされるままにしている。

「この口は、こうしてやろう」
月影中納言は、侍従を突然引き寄せて、口付けした。
月影中納言(中納言の君に挑まれて、私の中の炎もくすぶっていたとみゆる…)

そしてそのまま侍従をお姫様抱っこして、侍従の曹司に連れて行った。
侍従は「中納言様…!」といい、月影の首にしっかりと抱きついた。

几帳の後で二人が睦みあっている。
侍従「あ…中納言様…」

事果てて、月影中納言は烏帽子に指貫、小袖の上に袿を着て、横に寄り添って座った侍従の肩を抱いていた。
侍従は、袴を履き、素肌の上に袿だけを着て、恥かしそうにうつむいている。

月影中納言「これからも水くさくしないでくださいよ、私の気持が真剣だということは、分かっていて下さるはずですからね」


「我が身にたどる姫君」83「2-6、都鳥③」

侍従は、まんざらでもなさそうな、でも恥かしそうに顔を袿の襟の中に入れた。
「うかりける あさきちぎりを 思ふとて あとなきみちは いかがをしえん」
(苦しい思いの種となったあなた様との浅い契りを考えますと、行方知れずになった御方の事は、どうしてお教えできましょう?…お教えすれば、私は捨てられるに決まっていますもの…)

月影中納言は微笑んで歌を返した。
「ゆきまどふ あとなきみちの しるべして ちぎりはあさき ものかともみよ」
(行方をくらました姫君の手引きをしてから、その上であなたとの契りが浅はかなものか、良く見ていてごらんなさい…無事見つけられてからも、あなたを捨てはしませんよ…)

月影「…もう、出仕しなくてはいけない時間だ…」
そういって月影は、立ち上がり、部屋に戻っていった。

その後姿をうっとりと見送る侍従。


「我が身にたどる姫君」84「2-6、都鳥④」

―月影中納言の自室―
「ふぅ…出仕の前に、何はさておき中納言の君への文だな」
(俺って結構マメやな~…)
月影中納言は自分にツッコミを入れつつ(?)、中納言の君にさらさらと文を書いた。

―中納言の君の局

使者「月影中納言様より御文です」

月影中納言「つれなきを 思ひもこりぬ こころから いくたび人の うさをみつらん」
(私はあの方の薄情さに懲りない愚かな男なので、これまで何度辛い目に会ったでしょう)

月影からの文を読んだ中納言の君は、先ほどつれない扱いをされた事などけろりと忘れて、
「まぁ…素晴らしい筆跡!」と文に感動していた。

―しばらくして、女三宮の部屋に中納言の君が現れた。

女三宮は、脇息を机にして、一人静かに経典を読んでいる。

中納言の君(ラッキー!女三宮様はお一人でいらっしゃるわvv)

中納言の君は女三宮の御前に近づき、月影中納言の文を開いて、女三宮の読んでいる経典の上に置いた。

「?」女三宮は訳がわからず、目を白黒させた。


「我が身にたどる姫君」85「2-6、都鳥⑤」


「何?こんな嫌なもの私に見せないで」
女三宮は、月影中納言の文を中納言の君に押し返した。

中納言の君は、女三宮を諭すように
「宮様。月影中納言様は宮様の事を命にかえてもと慕っておられるのですわよ。一言くらいお返事を返して下さっても…」

そして、うっとりとした表情で月影中納言の素晴らしさをとうとうと語り出した。
「そりゃーもー、月影様のお美しさと言ったら…うんぬんかんぬん」

女三宮は、(あなたの考えを私に押し付けないで!)と憤懣しながら、つーんとそっぽを向いていた。

―月影中納言の部屋

「中納言の君様から御文です」

月影中納言は、「おお!」と喜び勇んで文を受け取った。

しかし、文を読んだ後、残念そうな表情で「うーん…今日も収穫なしか…」とつぶやいた。

「我が身にたどる姫君」86「2-7、見る目の慰み」


関白の北の方と、その御娘が、東宮入内の衣を選んでいる部屋。

几帳の影で、側近女房達が、入内用の衣を縫いながら、話している。

女房1「また、殿は新しく来られた姫君(深雪姫)の部屋に行かれているの?」
女房2「はい。世間では余り見られないような調度類を新しくお誂えになって…まるで新しい恋人のよう」

女房1「こちらの姫君(北の方腹の姫)は、東宮様に入内されるために、内侍督に任ぜられて、毎日御入内の準備にお忙しいのに、あちらにばかりおいでになって…」
女房2「北の方がそれを御恨みになっておられないのが、せめてもの慰めよね…」

北の方の姫君、にこやかに微笑みながら、布を肩に掛けて、母親に意見を求めている。
「似合うかしら?」

― 一方、対の姫君(深雪姫)の部屋

月影中納言がふらーっと現れた。

侍従と話していた深雪姫がそれに気づき、「お兄様?」と声をかけた。
それに答えず、月影は、じーっと深雪姫の顔を眺めている。
(深雪姫…なんて女三宮に似ているのだ…)

「よそへても みるめばかりに なぐさまば かくてもよその 恋は消(け)たまし
(恋しい御方になぞらえて見ているだけで、心が慰められるのだったら、こうしていてもあの方への恋の苦しみも消す事ができるだろうに…)

「我が身にたどる姫君」87「2-8、卯杖の春①」

殿上人1「帝は、皇后様ご逝去の御心痛で、新年の行事にお出でになるのも、御心が進まれないらしい…」
殿上人2「それに引き換え、中宮様は、姫宮のお世話を大層派手になさって、この世の春を謳歌していらっしゃる。」

―帝の御座所

水尾帝(そうだ、女三宮はどうしているかな…)

―三条宮

女房「父帝様からの、卯杖(※)と御文です」

女三宮「まぁ…」

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※正月初の卯の日に、魔よけの具として用いる杖。柊・桃・梅・柳などの木を五尺三寸(約1.6m)に切り、二、三本づつ五色の糸で巻いたもの。昔、宮中では六衛府などから朝廷に奉った。(大辞泉)
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「我が身にたどる姫君」88「2-8、卯杖の春②」

水尾帝
「あまたとせ ちよをいわひし つゑみれば いとど心の つきはつるかな」
(長年の間、春ごとに皇后宮の千年の長寿を祝った卯杖を見ると、ひとしお悲しみに胸が張り裂ける思いがします。)

文を読んで、女三宮は、切なげに微笑んだ。「主上…」

女三宮
「あまたとせ いはいしちよの かひなきは 春さへあらぬ ここちのみして」
(長年の間、千年の長寿をお祝いした甲斐もなく、母皇后のお亡くなりになった今年は、春までも去年とは違っている様な気がします。)

水尾帝は、涙を流しながら、女三宮の返事を読んでいた。
(宮…やはり宮は朕の気持をわかってくれる…)

―七日の白馬節会(※)に、二宮と三宮が参内した。

その様子を、水尾帝が眺めている。
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※(あおうまのせちえ)宮中の年中行事。陰暦正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬を紫宸殿の庭に引き出し、天覧の後、群臣に宴を賜った。
この日に青馬を見ると年中の邪気が除かれると言う中国の故事による。もと青馬を用い、後には白馬または葦毛の馬を用いたことから、文字は「白馬」と書くようになった。(大辞泉)
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「我が身にたどる姫君」89「2-8、卯杖の春③」

二宮は、神馬の尻尾を見て「尻尾太い!」と感激している。
三宮は、それをたしなめるような表情で見ている。

水尾帝(三宮も、しっとりとした風情は東宮に劣るが、今から重々しい所が身について、実に立派になった…)
(しかし…二宮は今回も立太子から除外されているのが、なんとも不憫よのう…)

―その日、三条宮に戻った二宮。

庭の梅を見ながら何か考えている。

二宮(父帝の譲位の後、おそらく弟・三宮が立太子するだろう…)

(あーむしろよかった。まろにとっては政治の厄介ごとは面倒以外の何物でもないからな。)
二宮は厄介払いをするように手を振った。

「我が身にたどる姫君」90「2-8、卯杖の春④」

二宮(それよりまろにとって大事なのは音羽の姫君の行方―)

二宮は梅の枝の下で切なげに…
「おとは山 おとにもきかぬ 恋ながら みしよの春は めぐりきにけり」

(恋しい音羽山の姫君の動静は、その後噂にも聞かないけれど、その姿を見た春の季節はまた巡って来たことだ。)

そして、神妙な面持ちで、両手をパンパンと打った。

二宮(神様、仏様、どうか音羽の姫君の行方をまろにお知らせ下さい!)

(そんなこと祈られても…)と、その二宮を神仏が困った様子で見下ろしている。


(「我が身にたどる姫君 Ⅵ」に続く)

「我が身にたどる姫君 Ⅵ」

91「2-9、あらぬ匂い①」

―中宮の殿舎

中宮、一人思いにふける。
(皇后が亡くなってライバルがいなくなったと言っても―)

中宮(人の一生はいかにも短く儚いもの。明日は我が身だわ。)
大きくため息をつく。

(私亡き後に、女四宮がこれといった後見もなくて、不安な生活を過ごすのも苦々しい…)

(帝に入内させるのが一番だけど、次の帝は異母兄だから無理。)

(珍しくも無い縁組だけれど、他に頼むべき親族もいないし、私の目の黒いうちに、月影中納言に預けてしまおう!)

92「2-9、あらぬ匂い②」

―清涼殿、上の御局

水尾帝「何だ?朕に申し上げたい事とは。」
中宮「女四宮の事でございます…」

―しばらく話して―

水尾帝「ほう…月影中納言に降嫁とな?」
中宮「まだ位は低いですが、殿上人の中で一番有能で、出世頭ですわ!女四宮とも従姉弟どうしですし…」

水尾帝「うむ…」
(月影中納言には、女三宮を、と考えていたのだが…)

中宮は超乗り気な様子で、帝の承諾の返事を待っているようだ。

水尾帝(この様子では、朕が女四宮の降嫁をやめて、女三宮を中納言に、と言っても決して許すまいな…)

93「2-9、あらぬ匂い③」

水尾帝、がくーっと肩を落とす。
(仕方が無い、女三宮は朕が生きている間は、いつまでも世話をしてあげるだけの事だ…)
(女四宮には中宮もいるし、関白もいるから、結婚などしなくても暮らして行かれるだろうに…)

水尾帝(なーんて言ったら、また中宮に『主上はいつでも皇后宮の御子達ばかり優遇なさる!』とまた頭から角を出されるな…)

水尾帝「…大変結構な事だ。」
中宮、扇を振りかざして大喜び!

―中宮の殿舎

中宮に呼び出されて関白が参上した。
中宮は、おもむろに話し出した。
「実は、女四宮の事ですが…」

94「2-9、あらぬ匂い④」

関白は驚いて、大きな声を出した。
「女四宮様を御降嫁、中納言に?―それで、主上はお許しに?」

中宮「もちろんvv 大層お喜びでしたわvv」

関白「中納言はずっと独り身で過ごしてきましたが、これは実に申し分のない縁組です!」
中宮「でしょ?でしょ?」

…子の心、親知らずであった…


―関白は自宅に戻って、月影中納言に今回の縁組を話した。

月影中納言は衝撃を受け、頭の中が真っ白になった。
「…女…四…宮…様…?」

95「2-9、あらぬ匂い⑤」

月影中納言「…少し、一人にしておいてください…」

そして、ふらーっと去っていく後姿を見て、
関白(余りの嬉しさに正気をなくしておる…)とホクホク。

―月影中納言の部屋

月影は、脇息にもたれて大きなため息。

虚空に女三宮の美しい顔を思い浮かべて、
(心に深く愛執を抱いてしまったあの方でなくて、どうして他の人を妻にする事ができよう…)
「身にしめし みのしろ衣 それならで あらぬにほひを いかがかさねん」

月影(ああ、女三宮と逢いはじめているので離れられないという噂が中宮様のお耳にでも届いていれば、中宮様はこんな事を思い立たれる事もなかっただろうに!)

(誰も知らない音羽山の姫君でもいてくれれば、胸一つにあまるこの悲しみも慰められる事だろうに…)
「人しらぬ おとはの山の やまざくら こころひとつは なぐさめてまし」

(続く)
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ここで副題「あらぬ匂ひ」の元になった歌が出てきました。
ここでは月影中納言が『狭衣物語』の狭衣大将の歌「いろいろに重ねては着じ人知れず思ひそめてし夜半の狭衣」にならって、女性を衣に見立てて、歌を詠んでいます。
「みのしろ衣」は「形見の衣」の意味です。女三宮を指します。
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96「2-10、墨染めの袖①」

―夕方近くになって…

月影中納言(あーくさくさする!深雪姫の部屋にでも行ったら少しは気も晴れるかな…)

―関白邸の対の屋・深雪姫の御前

深雪姫は奥で何か書き物をしている。
そこに、御簾を掲げて、ひょいと月影中納言が入ってくる。

侍従がそれに気づき、「中納言様」と言うのにつれて、深雪姫も兄の来訪に気づいた。
深雪「あ…兄上…」

深雪姫は恥かしそうな様子で、硯の下に自分の書いていたものを隠した。その様子が美しい。

月影(女三宮様も同じ様に喪服を着ていらっしゃる…女三宮様もきっとこんな様子でいらっしゃるのだろう…)

97「2-10、墨染めの袖②」

月影中納言は、深雪姫のまん前に座りながらいった。深雪姫は驚いて顔を上げた。
月影「こうして度々お目にかかるようになりまして、あなた様を格別大切にお思いしている私の気持はお分かりくださっているとは思います。」
「けれどもこの袂の色の違いだけは、私に分け隔てをされているような気がします。」

そして、月影は突然深雪姫の袖をつかんだ。深雪姫は驚いて身構えた。
月影はそれにかまわず袖を口元に寄せて、深雪姫をじっと見詰めて歌を詠んだ。

「限りありて ふたりはそめぬ 色なれど こころにふかき すみぞめの袖」
(兄妹ながら血のつながりに限りがあって、二人揃って染めることは無い色だけれど、この墨染めの袖の色は、心に深くしみる事です。)

深雪姫は困ったような表情をした。
(心にしみるなんて、まるで恋歌の様だわ…全く困ったお兄様…)

深雪姫「その色と わくかたもなき はかなさを いかにそめける なみだなるらん」
(愚かな私にはどなたのための喪の色かも分かりません。―ましてや、あなたが涙をお流しになる訳が一向分かりません。)

(続く)
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妄想(女三宮)と現実(深雪姫)の区別がつかないお兄ちゃん・第一弾(汗)
深雪姫は引き取られてからも、前途多難だな~。
…つーか、原作者(鎌倉時代人)は、毎日何を妄想して暮らしていたのだろう…。

ただ、歌は原作どおりですが、月影クンの行動は歌の意味から想像した、葉つきみかんの脚色です…。月影クンの名誉の為に付け加えておきます。************************************************************************

98「2-10、墨染めの袖③」

そうして、身を翻して月影中納言の手から袂を引き剥がし、横を向いた。

月影中納言は、微笑んでまた深雪姫を見詰めた。
(当然の事ながら、上手くはぐらかしたな―…しかし、見れば見るほど美しい…。なぜこの姫はこんなに私の心を捉えるのだろう…)

月影中納言は、深雪姫の部屋から出て、渡殿で物思いにふけっていた。
夕暮れの中、散る桜吹雪に囲まれる月影中納言の佇まいは美しい。

月影(空吹く風―女三宮に心を惹かれていながら、思いがけず深雪姫に親しんでいるこの頃だ…)
「雲井ふく 風のこころに さそはれて おもはぬかたに なるる花かな」

月影中納言は、キッと三月十日の霞の立ちこめた夕月夜をにらんだ。
(―なんで今更この年でおままごとの様な結婚生活を送らなくてはならない)

(―三条宮に行って、恋しい女三宮様の垣間見をしよう!)
そして、三条宮に馬を馳せた。

99「2-11、帰る雁①」

―三条宮、中納言の君の局

月影中納言が、うつむく中納言の君の袖をひっぱって訴えている。
「…ねぇねえ、どうか女三宮様の御前へ手引きしてくださいよ…」
中納言の君は、何も答えない。

中納言の君(あれほど取り付くしまのなかったお方…)
(月影様がこの位の恨み言をおっしゃっていた事がお耳に入るだけでも苦々しくお思いになるだろう…)

月影は、べそをかき、ぐすっと鼻を鳴らした。
「…それじゃ、もうこれで女三宮様の事をあきらめる事にしよう」

そして、涙に濡れた顔を上げて、熱っぽく中納言の君に語りかけた。
「しかし、この気持だけはたとえこのまま死んでしまっても人づてでなしに宮にお知らせ申し上げたいのだ」
「…ただ、宮の御几帳の辺りに、ほんのちょっとの間控えさせてくれないか」

100「2-11、帰る雁②」

中納言の君は困惑した。
(どうしよう…一体どうしたら…でも、もし私が手引きの拒否をしたら、月影様は私から全く離れてしまうだろう…)

―月も西の山に傾き、空は霞み、越路に帰る雁の声も心にしみる…

中納言の君はため息をつきながら月影に答えた。
「今は貴い女四宮様との御婚儀もお決まりになったあなた様ですのに、行きずりの女三宮様への御執心は一体どうした出来心なのでしょうか…
(いまはとて 雲路にかへる かりがねの なにのゆくての すさびなるらん)」
「…男女の仲とは厄介なものでございますね…」

月影は身を乗り出して反駁した。
「一筋に女三宮様を恋い慕って泣いている私の気持は嘘なものですか!
(ひとすぢに おもふこしぢに なくかりの みちふみまどふ 空はそらかは)
「―情ない受け取り方をなさるものですね」

そして、激情に駆られた月影中納言はがばっと中納言の君を抱きしめた。
「中納言様…!」
中納言の君は嬉しげな声を発した。

―翌朝、中納言の君は月影中納言からの後朝の文を読んでいた。

101「2-11、帰る雁③」

月影中納言の文
「寛いで契りを交わす暇もなかった昨晩のあっけない逢瀬に今朝もまた物思いを重ねています」
(うちとけて むすばぬ夢のはかなさに けさしも物を またおもふかな)

それを読む中納言の君の表情は満足げに輝いている。

…と、文の端からもう一つの文がぽろっと零れ落ちた。中納言の君の視線がそれを追う。

「これは…女三宮様への御文?」

月影中納言の女三宮への文
「かぎりぞと 思ひなる世の つれなさや さらばまことの しるべなるらん
(あなたのつれない御仕打ちで現世には未練を断ったという気持にようやくなりました。それこそが真実の仏道へのお導きというものでしょう)」

中納言の君(…え、出家?女三宮様への恋心に耐えかねて…)

(それは大変!すぐこの文を宮様のお目にかけなくては!)
中納言の君は急いで女房装束を着て、女三宮の御前へ向かった。

102「2-11、帰る雁④」

―三条宮・仏間

女三宮が、小さな仏像に水を上げて、数珠を手にかけて、祈っている。
(母宮様…どうか極楽で安らかに…)

そこに息を切らせて駆け込んできた中納言の君。
(お一人でいらっしゃる!なんとちょうどよい!)

中納言の君、女三宮の目の前に、月影中納言からの文を開いて、ばんっと置く。
女三宮は(また?)とちょっとげんなりした表情。

中納言の君「宮様、どうか月影様にお情をかけてくださいませ。あの方は宮様につれなくされて、出家なさるとおっしゃっておいでです。」

それを聞いて女三宮はさっと顔色を変えた。
(なんですって、私のために、出家?)
そしてばっと文を手にとって読み始めた。

103「2-11、帰る雁⑤」

月影中納言の文を読んで、女三宮はぽっと頬を染めた。

その様子を拝見して、中納言の君は…
(なんとお美しい御方だろう…)

(黒檀の数珠に引き立った御手の美しさ、お持ちになっている御文にまで、御手の輝きが映えるよう…)

(このお方に月影様が御執心なさるのも、無理はない…)

104「2-12、夢の浮橋①」

―その日の夕刻、中納言の君の局に、ひょっこり月影中納言が現れた。

中納言の君は喜びの声で、
「中納言様!」といった。

月影は、中納言の君の髪をもてあそびながら聞いた。
「今朝お送りした文をご覧になって…女三宮様はどのようでしたか?」

中納言の君は髪を触られているので、恥かしそうに答えた。
「ほんの少し頬を染められましたが…何もおっしゃいませんでした。」

月影は、ドクンと激しい鼓動を感じた。
(頬を染められたって?それでは宮様は私の事を憎からず…)

すると、二人の背後にある几帳の後ろに、中納言の君の同僚女房が入ってきた。
「中納言の君様」

105「2-12、夢の浮橋②」

中納言の君「なぁに?急に」
一方、月影中納言には、「お隠れになって!」と小声でつぶやいた。

月影は衝立の後ろに隠れながら聞き耳を立てている。

同僚女房「三位の君が、昼間からの御風邪がまだどうも…といって参上なさいませんので、早くお出で下さい。」
中納言の君「分かったわ。すぐ参ります、と宮様にお伝えして」

同僚女房は帰っていった。

中納言の君の背後、異様な雰囲気を持って、月影中納言が近づいてきた。
「…ということは、宮様の御前には、そなたしかいなくなる、ということだな?」
真剣な顔をして、すごい気迫だ。

その気迫に押され、中納言の君は震えながら後ずさったが、何とか胸の辺りに手を上げて小さく拒否の姿勢を取った。
「中納言様、私にはとても…」

月影は中納言の君の両肩をつかんで、ガクガクと激しく揺さぶった。
月影「何て薄情な!これを逃したらいつ宮様に逢える!」

中納言の君は観念したように目をつぶった。
(万事休す!)

106「2-12、夢の浮橋③」

―女三宮の御前

中納言の君が、月影に女三宮の寝ている御帳台を指し示す。
月影中納言は大きく唾を飲み込んだ。

月影は、小さな声で囁いた。
「宮様、宮様」

女三宮は、寝ぼけた頭でぼんやりと…
(誰?私を呼ぶのは…)
「中納言?」

月影は、御帳台の帳を引き上げ、体を差し入れた。
「はい。まさしく私は中納言。ずっとあなた様をお慕いしていた中納言です」←源氏『空蝉』のパクリ。原作にはないよ~

(中納言の君では、ない!)
女三宮は、驚いて、起き上がった。

月影は女三宮に体ごとぶつかって抱きしめた。
女三宮「いやっ!」

107「2-12、夢の浮橋④」

か弱い女の力では月影に対抗できず、女三宮は月影の下に組み敷かれてしまった。
「だれか…」と小さい声で助けを求めるが、近くに控えているのは中納言の君のみ。助けは来ない。

―しばらくして―
部屋には月光が差し込み、二人の衣が散乱している。

女三宮は、素肌に袴を着て、袿を羽織り、袖を顔に押し当てて泣いている。
月影は、指貫と袿を羽織り、泣きながら、優しく女三宮の肩を髪の上から撫でている。
月影「お許し下さい、お許し下さい…」

―夜が明けて―

名残を惜しんで女三宮を抱きかかえている月影の背後から、中納言の君が必死な形相で話しかけた。
「鶏が鳴いて、人々が起き出して来ました。どうかお早くお出で下さい」

108「2-12、夢の浮橋⑤」

「宮…!」
月影は最後に後から女三宮をぎゅっと抱きしめた。

中納言の君は月影の袿をひっぱって、「は・や・く!」とせかした。

―月影は顔を隠しながら三条宮から出て来た。

月影「かぎりありて いのちたへずは いかがせん ちぎらぬくれの けふのおもひよ」
(苦しみに耐えるにも限界があって、死んでしまったらどうしよう。今日の夜の逢瀬は今からはお約束できないこの辛さよ)

―月影中納言は帰宅し、自室で腕を枕にしながらぼんやりと考えていた。

(我が身は人の言いなりとなって女四宮と結婚さされそうになっているが―)
(だからと言ってとんでもない考えは起こすまい。―例えば女三宮を連れて身を隠すという様な―)

109「2-12、夢の浮橋⑥」

(帝がお決めになった御婚儀にそむいては、
帝もさぞや心外にお思いになるだろう。)

(それ以上に、中宮様を幼い頃から父関白以上に畏れ多く御立派なお方としていつも御尊敬申し上げていた。)

(…しかし、そうかといって並外れた素晴らしい御方という訳ではない、女四宮様と結婚生活を送らなくてはならないのか―)

(―えーい、とにかく女三宮様へ後朝(きぬぎぬ)(※)の文をお送り申し上げよう!)

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※男女が二人の着物を重ねかけて共に寝た翌朝、それぞれの着物を着て別れること。また、その朝。
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110「2-13、変る契り①」

―中宮のいる、二条宮。女房達が、月影中納言の婿入りの為の準備をあわただしく進めている。
中宮「御婚儀の日取りは、三月二十日!それに間にあうように調度を整えるように!」
女房達「はい!」

― 一方、中納言の君の局

月影が、べそをかきながら中納言の君の袖を捉えている。
「何とかもう一度女三宮様との逢瀬を持てないか…?」

中納言の君は困って横を向きながら、
「風邪が治った三位君が女三宮様につききりで…とても手引きなど無理です…」

―そして婚儀の日―刻々と結婚の時は近づいていく―
月影は途方に暮れながら夕日を眺めている。
(ああ…もう日が傾いて…)

―三条宮では、思い余って出された月影中納言からの文を、中納言の君が女三宮に渡していた。

111「2-13、変る契り②」

月影中納言の文
「いかなりし 世世のちぎりぞ 夢ながら 我が身も われにあらずなりなば」
(あなたとのあの夢の様に儚い逢瀬は一体どんな宿縁だったのでしょう。夢の様な状態ながら私自身が今までの私でなくなってしまうのならば。)

女三宮はその文を読みながら、考えていた。
(関白様を通して父帝様に願い出れば、
私との正式な結婚も出来たのに、
その手続きも踏まず、私の体を奪った人…)
(そして、気の進まない女四宮との
結婚にも拒否をなさらず、
成り行きに任せる、ずるい人―)
(―でも、あの暁に抱きしめられた
腕の力強さが忘れられないのが悔しい…)

―中納言の君は関白邸に出向き、直接月影中納言にあい、月影中納言が送った文を返した。
「宮様がこちらを文の横に乱れ書きに…」

女三宮「憂き夢も かはる契りも さまざまに いかに結びし よよのつらさぞ」
(あなたとの夢の様な辛い契りや、また女四宮との御結婚につけても、私は毎夜毎夜どんなに宿縁の辛さを味わっていることでしょう)

112「2-13、変る契り③」

「ああ、私は何と取り返しのつかない事を…」
月影は、女三宮の筆跡に顔を押し当てて、ふらっと倒れこんだ。

―月影中納言はそのまま寝込んでしまった。
「月影中納言、御急病!」

関白と北の方はおろおろと慌てている。
関白「大変だ!この様な時には祈祷などさせるのが良いのだ!」

その後で北の方はため息をつきながら…
(もしや、この結婚がこの子の気にいらないのかしら…
どうして今日という今日、こんな有様なのだろう…)

関白は月影の病床に行き、こう言った。
「何と言っても世間体も悪い。
少しでも具合が良くなったら
すぐに女四宮のもとに参上なさい」

113「2-13、変る契り④」

―中宮のいる、二条宮―
中宮「何?月影中納言が病気で女四宮のもとには来れぬと?」
「これでは世間の物笑いではないか!」

―関白邸に、中宮からの使者が到着して、何か文を渡している。

従者が、月影の病床に詰めている関白に何かを囁いた。
関白「何?中宮様からのお使いが中納言の様子を聞きに来たと?」

それに気づいた月影。苦しそうな息遣いで…
「なん…とおっしゃっても無駄…で…ございます…よう…おきあがれ…ませぬ…」

―そして、御婚儀の日の夜は明けた―

(続く)
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月影中納言!君のモデルは、三条天皇との皇女との婚儀を嫌がった、宇治関白・藤原頼通クンかい?と突っ込みたくなるほどのお坊ちゃんぶりを発揮しています。こんな息子がいたら苦労しそう…。
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114「2-13、変る契り⑤」

―二条宮、中宮の御前

中宮から少し離れた几帳の後で、女房達が噂話をしている。

女房1「昨日の御婚儀がお流れになったのは、中納言様のご病気のせいなのですって…」
女房2「本当にそれだけが理由かしら。他にお好きな方でもいらっしゃるのでは…」

中宮、側近女房に命じる。
「あの者たちを局に下がらせなさい。聞き苦しい。」

(やはりこのままでは済ますまい…世間体も悪い…)
中宮は怒りの余り、扇を二つに折った。

女四宮は、無邪気な様子で、でもさすがに心配げに中宮に質問した。
「母宮様…中納言様のお加減はお悪いの…?」

中宮は(何と不憫な…)と思い、女四宮の髪を撫でながらこう言った。
「宮は何もご心配する事はないのですよ。母が全て上手く整えてあげますから…」

115「2-13、変る契り⑥」

―中納言の君が、月影中納言からの文を読んでいる。
月影中納言
「きえかへり たえぬおもひに しづむとて 身の世がたりに なりぬべきかな」
(今にも死にそうなほど不断の苦しみに沈んでいると、この身は世間の語り草になってしまいそうだ…)

中納言の君は情けなさに涙を流しながら、
(こんな時にこんな文、女三宮様にお渡しできる訳ないじゃない…全く自己中なんだから!)

そして、関白夫妻も、中宮も、月影中納言も、女三宮も、中納言の君もそれぞれの思いに悩みながら、第二巻は終るのであった―

「我が身にたどる姫君 Ⅵ」終わり。「Ⅶ」(第三巻)に続く。


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今井源衛・春秋会編『我が身にたどる姫君』(桜楓社)の解釈を元にしています。


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