第一話

第二話

第三話

第四話

第五話

第六話

第七話

第八話

『凍れる涙』 第八話

貞観十八(八七六)年、二十九歳の主上は突然仏教に目覚め、九歳の貞明に譲位した。
私はかねてからの念願どおり、「国母」となった。
基経兄上は新帝の伯父と言うことで、摂政に引き続き任ぜられた。

十月―
基経兄上の声が内裏に響き渡った。
「業平を蔵人頭に!?あやつは真名(漢文)が読めないのにどうやって仕事をさせるのだ。」
「でも信頼に足る人だわ」
私は皇太后になっていた。新帝はまだ幼いので、基経兄上と法皇様(清和)と私が後で政務を補佐していた。

兄上は顔をゆがませて私を見た。
「・・・あやつに骨抜きにされておるな。」
「最近しきりに歌会を開くのでおかしいと思っていたが・・・。わしの目を盗んで今でもあやつと続いておるのだな。」

私はむっとした。
「・・・兄上、下司の勘ぐりはおやめなさいませ。私たちは昔とは違うのです・・・。」
「・・・そう、昔とは・・・」
私は艶然と笑った。兄上は阿呆の様に私の顔を見つめていた。だが、急に我に帰り、頭を振って、きっと視線を強めた。

私は扇を懐から出して広げた。
「とにかく・・・業平殿は自分の出世の為に私を利用するような人ではいらっしゃらないわ。誰かとは違う・・・。」
兄上は私をじろりと睨んだ。
「それはどういう意味だ・・・?」
私は、扇で口を隠した。
「それはご自分が一番お分かりでしょう?」

兄上は、険しい表情をして、踵を返した。
「勝手にしろ」という捨て台詞を残しながら。

その後、兄上は、法皇様(清和)に「業平を蔵人頭にしないように帝を説得してほしい」と訴えていたらしいが、法皇様はそれに取り合わなかった。むしろ在位中に政務を補佐してくれた在原行平様の弟だからと、業平様を蔵人頭に推してくださった。
皮肉な事に、その時初めて私は法皇様が私に対して愛情を持ってくださっていた事を感じ、胸を熱くした。



ところが、蔵人頭に任命されてから半年後、業平様は病に倒れた。

(看病に行きたいけど行けない・・・。行けるわけない。)
(ああ、皇太后の身分って何て厄介なの!)
私は歯痒くて、袖を噛んで堪えた。

それから私は密かに誰の為とも言わず、高僧に病平癒の祈祷をさせた。自分自身も暇さえあれば薬師如来に業平様の回復を祈った。

五月雨が激しく降り続く午後、私が脇息に寄りかかって、うとうとしている時、業平様の気配を感じた。

業平様の声が耳の奥で聞こえてきた。
(宮様、本当にありがとう。人生の最後に身に余る官職に任命してくれて。それも摂政殿と喧嘩をしてまで。宮様のお陰で充実する人生を過ごす事ができた。)
私は心の中で必死に業平様に訴えかけた。
(いいえ、いいえ!私があなたに出来る事はこれくらいしかなかったの。)
(私はもう別の所へ行かなくてはいけないけれど・・・。宮様と出会えてよかった・・・。)

私は業平様に抱きしめられた様な気がして、目を覚ました。
「もしかして、今のは・・・業平様の・・・霊?」

そこへ、私の一番の側近である、藤原栄子が、走って来た。
栄子は息を整える間もなく、告げた。
「皇太后様、頭中将(在原業平)様が・・・」
私は栄子の方を見て、つぶやいた。
「亡くなったのね・・・」

栄子は続けた。
「辞世の句は「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とはおもはざりしを」だったそうです。」
私は横を向いていった。
「ちょっと一人にしておいて・・・」

私の両目から熱い涙が滝の様に流れているのがわかる。

ふと、今年の立春、業平様に教えられて作った歌を思い出した。
「雪のうちに 春は来にけり 鶯の こほれる涙 いまやとくらむ
(雪がまだ残っているのに、立春が過ぎて春になった。厳しい冬の寒さで凍った鶯の涙も今はもう溶けているだろうか。)」

―私は、鶯によそえて自分の事を詠っていたのだわ・・・。
この涙は、今まで流してきたような悔しく、悲しい冷たい涙ではない。
凍りついた心が春風の様な優しさでとかされ、流れ出たもの。

私は涙を拭いて、脇息に体を預けた。

雨は止み、庭の緑に白露を光らせていた。


(終)

2009.5.26. 葉つき みかん
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この長いお話におつきあい下さいました方々、どうもありがとうございます。
月末月初は忙しい時期なので、予約投稿で毎日更新にしました。

一旦、業平を主人公に三人称(いわゆる神の視点)で全て書いたものですが、どうもまとまりが悪くて、放置していました。
でも、運良く昨年の年末に、角田文衛先生の『二条の后 藤原高子―業平との恋』(幻戯書房)を手に入れる事ができまして、学術的にはどの辺まで迫れるかのある程度の限界を知り、それを踏まえた上で、高子の一人称で書けば、事実を大雑把に書いても許容範囲だな、という事に気づき、この間のGWにざっと草稿を書き終えました。

今回はそれを全て一人称視点に直してアップしました。
一旦はまとめるのをあきらめた話なので、まとまって嬉しいです。『伊勢物語』の業平と高子の話も前に描いた『梅と月』ではあまりにあまりで書き直したいと思っていたので、新しいマンガの原案が出来て嬉しいです。

また、いろいろある他の話と並行してこちらのお話もネーム作成→清書していこうと思います。

『凍れる涙』 第七話

「久しぶりですね、在中将殿。先ほどの歌は嬉しかったわ。」
私は業平様を迎えながら話しかけた。

「お分かりになりましたか。」
業平様もゆったりと椅子に座られた。
「女御様もあの時からお変わりなく・・・いえ、益々お美しくなられて・・・」
「覚えていて下さったのね・・・。」
私も向かい合って椅子に座り、杯を手にした。

業平様は酒を一口飲みながら、
「忘れられる訳はありません。」
「でも・・・もう女御様は私の手の届かない人になられた」

私はその逃げ腰な発言に少し苛立ちを感じ、挑むような視線でこう言った。
「・・・そう?本当にそう思っているの?」
業平様は伏せた目をこちらに向けた。
「・・・とは?」

「届かないと思っていたものも、手を伸ばしてみたら、案外届くかもしれませんよ」
私は微笑みながら、ささやいた。
「主上のお怒りが恐ろしい・・・」
業平様は本心かどうか分からない口調でいった。

「主上なんて・・・」
私は自分でもびっくりするほどのぶっきらぼうな口調になってしまった。
「今頃は若い更衣の胸の中で、私の事なんか頭の片隅にもないでしょうよ。」
私は業平様の肩に頬を寄せて、
「あんな歌を詠んで私の心の中の炎を燃やしておきながら、あなたはそのままにしておかれるのですか?・・・ひどい方・・・。」

「女御様・・・」
私の耳は、業平様の熱い吐息を捉えた。

「不思議です・・・女御様のお声を聞いているだけで、体の中がざわめいてきます。」
「女御様もそうではございませんか?」
私は唾を飲み込んだ。

「業平様・・・」
私は切なくなって業平様の瞳を見つめ、机の上に置かれた手に自分の手を重ねた。
「これから、もっといろんな歌の事について私にお話してください。」

業平様は私の手の上に手を重ねた。
「分かりました。この翁は、女御様がお呼びになられたのなら、すぐ参ります。」

「ええ・・・ええ!!」
私は喜びで天へ舞い上がりそうな気分だった。




―夏が過ぎ、秋の歌会では、屏風を前にして業平様は名歌を詠んだ。

「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 唐紅に 水くくるとは」

私と業平様は歌会の開催後、しばしば二人だけで話し合う時間を持つようになった。


ある時、歓談が終わって私の部屋を出て行く業平様が、今は皇太子となっている貞明とすれ違った。
貞明は業平様の後姿を見送っていった。
「右馬頭、かっこいいな~。まろの父上が右馬頭だったら良かったのに。」

親の考えを子供は敏感に感じ取るものだ、と私は驚きながらも、貞明が業平様に好意を持っているという事実に満足感を覚えた。

(続く)
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「凍れる涙」第四話にウェブ拍手を下さった方、どうもありがとうございます!

『凍れる涙』 第六話

そんな中、私は藤原氏出身の后として氏神を祀る大原野神社へ行った。

私は牛車の中で目をつぶって、春日の神に祈った。
(春日様・・・。私は藤原の女としてなすべき事をやりました・・・。これから私はどのような方向に進んでいけばよろしいのでしょうか・・。)

神事が終わり、供の者に禄を配る時、初老の男性が近づいてきた。
彼は車の中の私に向かって許しを願った。
「一首、歌を詠んでよろしいでしょうか」
「かまわぬ。」
侍女が私の答えを取り次いだ。

「大原や小塩の山も今日こそは神代のことも思ひいづらめ」
私は思わず大きな声で聞いた。
「神代―の事?」
「女御様も昔の事を思い出していらっしゃいますか?・・・もうお忘れになってしまいましたか?」

「・・・あっ!」
今、自分の牛車の前にひざまづく男性は、業平様だった。
私は言葉も出せず、じっと眺めていた。あの頃の事を思い出して、じっとりと体が熱くなった。



目の前には四十八歳の業平様がいた。年老いたといえども、昔の色香は残っている。いや、年を加えていぶし銀の様に深みのある雰囲気をたたえている。

(―私の為に沈倫し、国母を目指す私に捨てられた業平様が・・・私の前で微笑んでいる。)
(こんな私でも許してくれるの?)

私は思わず車から出て、禄を与える役の侍女から衣をひったくり、業平様に手ずから渡した。そして、衣の下で業平様の手をしっかりと握った。
業平様は驚いたような顔をして、深く深くお辞儀をした。

帰りの牛車の中で、私は考えていた。
(これはご褒美よ。藤原氏の為に、春日の神の為に尽力した私への御褒美。)

(―今の私なら、業平様を官界に引き上げられる力を持っている。
あの時、別れも言わず、心の中で業平様を捨て去った罪滅ぼしができる。)

―業平様、いつかあなたは閨の中で、漢詩ではなく和歌(やまとうた)が得意だとおっしゃっておられたわよね。
だから私はあなたの為に漢詩の会ではなく歌会を開くわ。
きっと来てくれるわよね!



春になり、私の主催により花の賀を開いた。当然、業平様を賓客として呼んだ。

満開の桜を背景にして立つ業平様はいつも以上に優美だった。
宴もたけなわになり、酒の入った業平様は御簾の中の私に視線を飛ばしながらこんな歌を詠まれた。

「花にあかぬ嘆きはいつもせしかども 今日の今宵に似るときはなし」

(私の事を言っているんだわ!)
私の頬に血が上ってきた。


私は女房に、業平様に残るように伝えさせた。
耳打ちされた業平様は、驚いたように目を見開いた。

宴の後、賓客はみな帰った。業平様には鍵の開いてある妻戸を知らせてあった。業平様はそこから寝殿に入り、女房の導きにより私の部屋に入って来た。

私は側近の女房に人払いをさせるよう、命じた。
女房は不安げな目で、うなづいて下がろうとした。
私は女房にいった。

「大丈夫よ。心配する事なんか何もしやしないわ。私は立場をわきまえています。」

(続く)
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『凍れる涙』 第五話

そんなある日―

私は、兄である摂政・基経の訪問を受けた。
いつもは自信たっぷりの兄が、今日は嫌にせこせこしている。
「兄上、話って・・・?」
「実は、わしの娘・頼子を主上に入内させる事にした。」

私はあまりの衝撃に口の中が乾くのが分かった。
「何の・・・為にですの?東宮には私の貞明がおりますし、もし・・・貞明に何かあっても、下に貞保がおりますわ。」

兄上は困ったような表情をしていった。
「と言っても二人は所詮私の甥に過ぎぬだろう?引き続き摂政になるには次代の帝の外祖父になる必要がある・・・」

私の頬が激しく痙攣したのが分かった。
それが分かったのか、兄上の表情もにわかに青ざめた。

「・・・という事は私たち母子は、兄上の娘が産む皇子に皇位を繋ぐ為の中継ぎに過ぎないのですね」

知らず知らず声が大きくなっていく。
「あの時に、兄上がおっしゃった、二人で国を動かそうとおっしゃったお言葉は嘘でしたの?」

兄上はあわてて胸の前で手をひらひらさせた。
「嘘ではない!そなたたちの存在があってこそ、私は政治がやりやすくなっておるのだ。」

私はすっと目を細めた。
「いいえ、いくら言葉を尽くしても同じ事。兄上の魂胆は分かりましたわ。―どうせ私が反対しても実行されるのでしょう。」
「どうぞお好きになさいませ」

私は怒りを鎮めようと兄上の言い訳を聞こうともせず、部屋に入った。

私は持っていた扇や草子を手当たり次第に壁にぶつけた。
見かねた女官が止めに入るが、私は気の済むまで物を投げ続けた。

(みんな養父上が亡くなってから、自分の欲望のままに物事を進めている!)
(私の事などどうでもいいのだわ・・・。所詮女なんてそんなものよ。利用価値がなくなれば放り出されるのだわ。)

(続く) 
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昨日、『凍れる涙』第二話、第三話にウェブ拍手を下さった方、どうもありがとうございます!

『凍れる涙』 第四話

「高子、でかしたぞ!これでわしは次代の外祖父にもなれる。」
「さすが、私の妹だ!!」
良房叔父様と兄上は私を口を揃えて誉めそやした。

「お養父(とう)様、兄上様・・・高子は皆様のお役に立ててうれしゅうございます。」
私は、貞明を乳母に抱かせ、椅子に座り、満面の笑みでその言葉を受け止めていた。
私の頭の中で、「国母」の文字が現実のものになってきた。

良房叔父様は私におっしゃられた。
「主上から参内を促す文が矢の様に来ている。是非わし達の繁栄の為に男皇子をたくさん産んでくれぃ!!」
「はい・・・」


私は、貞明を抱いて参内した。
主上は、私から貞明を抱き取っておっしゃった。
「おお・・・何て美しい皇子だ。」
でも、主上はすぐ私の方を見た。
「でもまろは、そなたと早くあいたかった。」
「主上・・・」
「女御は数あれど、そなたほどの美しさを持った者はおらぬからな・・・。」

「主上・・・?」
私は主上の言葉と表情とに違和感があることに気づいた。まるで傀儡に声を合わせている見世物を見ているような気分になった。
昔から感情を表に出さない御方だと思っていたが、今日の主上の瞳はいつも以上に冷たい光が宿っていて、私の感情が入り込むのを遮断していた。

私は主上の瞳に写る自分の姿を眺めながら、主上に導かれ、臥所を共にした。

貞観十四(八七ニ)年、養父・良房が亡くなった。位人臣を極め、帝の外祖父として権勢並びない人生を送っていた養父が。

強力な後見をなくして、何となく心細くなり、気が滅入って里がちになっていたそんな時・・・

「何ですって!主上が更衣にお手をお付けになった!?」
私は乳母からの報告を聞き、耳を疑った。
「はい。昨夜、王更衣が出産の為に内裏を退出したとの事です」
「私が養父上(ちちうえ)を亡くして落ち込んでいる時に何てひどい・・・」
私は天を仰いだ。

女房達はその前で容赦なく噂話をはじめる。
「最近は新しく入内する更衣に次々と手をつけられている御様子・・・」
「太政大臣(おおきおとど)様がご存命の折には、女御様一筋でしたのに・・・。」
「主上は変わってしまわれた・・・。」

私の中で何かがひらめいた。

(いえ、主上は何も変わっておられない。)
(あの時に感じた違和感はこれだったのだわ。)
(主上が私を御寵愛しておられたのは、養父上に御遠慮して、養父上の為に皇子を作るため。)
(今はっきりと分かった。)

私は自分の悔しい気持ちを押し殺して、女房達の噂話を制した。


女房達を下がらせて、自分一人になった時、なぜだか悔しくて、目から涙が流れてきた。

(私は主上を恋愛対象として見ておらず、養父や兄に認められるために契りを結んでいたまでだと思っていた。)
(主上も同じだったのだ。主上も、外祖父である良房様に認められるために、見捨てられない為に私と子をなしたのだ。)

頭の中に無心に弟達と遊ぶ貞明の様子が浮かんだ。
(かわいそうな貞明達・・・。そなた達は父と母が愛し合った結果産まれたのではないのだよ・・・。)

(続く)

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拍手を下さった方々、どうもありがとうございます!

『凍れる涙』 第三話

貞観六(八六四)年、主上は御元服され、良相(よしみ)叔父様の娘である多美子殿が添臥しとして入内した。

寵愛は厚いとの事だが、私は動揺しなかった。良房叔父様と基経兄上がこのまま手をこまねいているはずはない、と分かっていたから。―きっと良相叔父様も昔の私の様に絶望を味わわされるに違いない。

案の定、入内から一年程して、応天門の変が起き、良相叔父様は失脚した。

兄上はその頃突然私の部屋に来て、「そろそろだぞ・・・」といった。


ある日、私は丁寧に沐浴するよう女房に言われ、きちんと化粧をし、香油をつけていた。
そこに主上が入ってこられた。

主上は十六歳。
年の割には大人びた雰囲気で青い瑠璃のような大きな瞳をまっすぐこちらに向けてきた。
顔つきは・・・どことなく祖父の良房叔父様に似ておられる。

主上は、私の手を取って、「長かった・・・まろはこの日が待ち遠しかったぞ。」とおっしゃった。

(主上はなんてお若いのかしら。十も年上の私はやはり、相応しくない。)
(私はやはり業平様くらい年上の方がいい・・・。)
私は戸惑って及び腰になっていたが、主上は、私の瞳をのぞき込まれた。
私は、主上の瑠璃のような目に心の底まで見透かされたような気がしてぞくっとした。

と、主上は、強い力で私を帳台に引っ張っていかれた。

私は、まだ心の準備が出来ず、「・・・あっ、主上・・・」とつぶやいた。
主上は振り向いて、「ん?なにぞあるか?」
「いえ・・・何でもございません・・。」

私は、主上の愛撫で、とろかされた。時々、業平様の顔が浮かんだ。

事果てて、私は主上の寝顔を眺めた。あどけない寝息を立てておられる。
(主上は子供だと思っていたけれど・・・)
主上の額髪に触れた。濡れて柔らかい感触。
(そうね、もう添臥に多美子様が上がっているのだから、手馴れておられるのも当然ね・・・。)

次の晩も、その次の晩も主上は私のもとへいらっしゃった。

二年後の貞観八(八六六)年私は貞明親王(後の陽成天皇)を産んだ。

(続く)

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『凍れる涙』第二話

私はいつか来るとは思っていたが、突然の業平様との別れに動揺した。
「本当に明日越さなくてはならないの?」
思わず兄に詰め寄っていた。

「噂が広がっていたのに気づいていなかったのか?」
兄上は吐き捨てるようにいった。

私は、頭に石をぶつけられたような衝撃を感じた。だが、辛うじて「何の事か分からない」と白をきった。

「そなたには藤原氏の娘だという自覚が足りない」
兄はそう言いながら、今にも失神しそうになる私の腰を捉えて引き寄せ、耳に口を近づけいった。

「―そなたは主上(清和天皇)に入内するのだ。もう業平との火遊びは気が済んだだろう。」

私は余りの衝撃に本当に気絶しそうになった。
(主上!良房の叔父様の一人娘・明子(あきらけいこ)様が文徳天皇に入内して儲けられた御方!私より十歳も年下ではないの!)

「―業平を手引きした女房は、大宰府に赴任する者の下に送り込んだ。
業平は・・・当分出仕は出来ないし、出世もなかろう。忍び込もうとした時にひっとらえて髻をちょん切ったから、伸びるまでは出仕できまい。全く、自分の身辺の女にだけ手をだしていればよいものを・・・。」

(業平様・・・!!)
私の頭の中には、髻を切られて、うろたえる業平様の姿が浮かんだ。

兄上は私の瞳をのぞき込んでいった。

「―高子。そなたは「国母」になりたくはないか?」
私は兄上の意図を図りかね、瞳を見返した。

「そなたは一官僚の平凡な妻として一生を終えられるような女じゃないって事はこの俺が一番良く知っている。
国母になって、俺と一緒に国を動かしてみないか・・・?」

私の頭にはその時、順子叔母様や従妹の明子(あきらけいこ)様のように、帝を生み、国中に尊敬されて政治を動かす自分の映像が浮かんだ。

そしてその映像に、業平様の甘い囁きや強い腕の力は掻き消された。
私は目をつぶって、手で顔を覆った。涙がとめどなく溢れてきた。
(ごめんなさい、ごめんなさい、業平様・・・。)

うずくまり号泣する私をそのままに、兄上は踵を返して部屋を去っていった。

翌日、私は染殿に移り、みっちりと古今の漢籍のお妃教育を受けた。
貞観元(八五九)年、私は五節の舞姫として形式的に主上へお披露目された。その時業平様からの、熱い視線を感じたが、私は無視した。
肩を落として去っていく業平様の後姿をずっと追っていたかったが、振り切るように後を向いて舞台から降りた。

その後、業平様が五条の邸で梅を見ながら私を思い出して歌を詠んだり、東国の方に旅に出たという噂を聞いたが、なるべく自分の意識に入れないようにした。

時々、主上が外祖父の邸である染殿に行幸してきた。その時に主上は意味ありげに私の方を見た。
私は少しずつ背が高くなっていく主上をぼんやり見ていた。

続く

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光孝天皇のネームを描く前に、前々から書いていた『凍れる涙』を暫定的に整えてアップしようと思いまして、自分の好きな場面がある第二話までアップします。これも完成したらマンガにしていこうと思っている話です。

※追記:先ほど予約投稿が全て終了しました。全八話になります。毎日一話ずつ更新します。

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『凍れる涙』第一話

元慶四年(八八〇)、平安の都―

四十歳の皇太后・藤原高子(ふじわらのたかいこ)は、必死に何かを仏に祈っていた。
彼女は現在の帝(陽成天皇)の母であり、摂政・藤原基経の同母妹である。
十三歳の子供を持っているとは思えないほどの肌の張り、艶は見るものの目をひきつける。髪にはほとんど白髪は混じらず、伏せている目には濃い睫毛が影を作っている。
まるで彼女自身が仏の様に整った顔立ちをしている。

そこへ、高子の一番の側近である、藤原栄子が、走って来た。
そして、栄子は息を整える間もなく、告げた。
「皇太后様、頭中将(在原業平)様が・・・」
高子はそちらに視線を動かし、つぶやいた。
「亡くなったのね・・・」

栄子は続けた。
「辞世の句は「つひに行く道とはかねて聞きしかど 昨日今日とはおもはざりしを」だったそうです。」
高子は、横を向いた。
「ちょっと一人にしておいて・・・」

高子の両目から涙が滝の様に流れる。

―私の青春が終わった。

斉衡三(八五六)年、十五歳の頃、実父である藤原長良が死んで、私は父方の叔母である五条大后・藤原順子様の住む五条邸に引き取られた。順子様は前代の帝・仁明天皇の皇后様で、文徳天皇様の実の母でいらっしゃった。

それからすぐ、私は馬場のひおりを見にいった時に業平様と知り合った。
業平様からの文によると、なにやら、見物していた牛車の簾の隙間から、私の顔が見えたらしい。

後で聞いたのだが、業平様は元服したての頃、私の母である乙春を春日の里で見て以来、恋焦がれていたらしい。そして車の中に母に似た私を見つけ驚いて文を出したとの事であった。

普通は女は一回目の文に返事などしないのだけれど、自分の名を誰とも明かさず、業平様に挑戦的な文を返した。
業平様は私より十七歳年上とは思えないほど凛々しかったし、私も天下の色男である業平様の気を引きたかったからかもしれない。

その頃の私は、叔父・藤原良房様にも、基経兄上にも、清和の帝に入内させる予定だなんて、全く聞かされていなかった。もしかしたら叔父上は、私が十歳ほど帝より年上だから、より帝とお似合いのお年の適当な女子を探していたのかもしれない。

名を明かしていないと言っても、従者に聞くか私の車を尾行させれば私の身元はすぐに分かったのだろう。
それから何回か、業平様は女房を使って、私に文を届けてきた。当然女房は業平様から文を受け取る際に彼と情事を持っていた。
私は、その女房の身も心もとろけきった幸せそうな表情を見て、密かにその女房に嫉妬心を感じ、一刻も早く業平様と逢ってみたくなった。

天安二年(八五八)頃、文徳天皇が崩御され、清和天皇が即位された。
同じくらいに、私の異母姉である淑子が、二十八歳上の藤原氏宗様と結婚させられた。二人は仲睦まじいとの事だったが、私は彼の様に温和な男は真っ平だった。

―でも、どうせ私は淑子姉上の様に、一族の眼鏡にかなう従順な男と結婚させられる・・・なら、その前に遊んだとて、何が悪いのだ。と、当時の私は思っていた。
・・・それが私と業平様を大変な状況に追い込んでしまうとは考えもせず―

私は乳母に無理を言って、業平様との取次ぎの女房を側仕えに上げさせた。そして、積極的に業平様に返事を書いた。

それから一年程経った時、乳母が里下がりをした。しばらくして、女房が寝所に業平様を手引きしてきた。
業平様は興奮気味に私を抱き寄せた。昔、父上に抱かれた時のような匂いがして、我知らず強く業平様に抱きついていた。

さすがに初めて業平様を受け入れる時には恐ろしくて泣いてしまったが、業平様は優しく私の体をほぐしてくれた。

業平様が忍んで来るようになってから二月程たち、女房達は私の色気が増した、と褒めるようになった。


―突然、良房叔父様と兄上が五条邸に来た。
叔父様は私を頭の先から足の先まで値踏みする様に見て、
「全く順子は・・・邸の女房の管理も満足にできんとは・・・」
とつぶやいた後、明日、自分の邸である染殿に来るようにおっしゃった。

続く
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